弊社の決算は5月31日だ。決算のための準備や事務で追われている。さらに、介護の仕事(介護保険による福祉用具の販売とレンタル)で月末は特に忙しい。実績表を各ケアマネさんに送らなくてはならない。実績に基づき国保連への請求業務をしなければならない。ケアマネさんも次月の提供表を作成する予定があるので、できるだけ早く実績表を送ってほしいところだろう。
FAXでのやり取りが頻繁になるのも月末である。
そんな時に、FAX機が故障した。
HPの「よくある質問」をみれば、同様の記事があり、対処ソフトをダウンロードした。全く駄目であった。修理に出すことにしたが、1週間から10日程度かかるそうだ。その間FAX機が無しでは仕事にならない。そこで、以前使っていたFAX機を再登場願った。数日前まで別のところで使っていたが、悪いことが重なる時は重なるものだ。この機器も故障した。既に生産中止から7年以上経った機種なので、修理もできないとのことだった。
時同じく、さらに別のプリンターも動かなくなった。保証書が見つからなかったが、買ったお店に持ち込んだ。数年前の購入と思っていたら既に5年は経過しており、保証書の有無にかかわらず有償修理となった。
「(どれも)寿命ですね」と言われた。一挙に3台がトラブッた訳だ。 修理のできるものは修理を頼み、修理のできないものは・・・。でも何とか治らないものかと未練たらしく無駄な努力をしてしまう。
機械も壊れるのが当たり前。せめて、故障する前に、故障を知らせてくれたらと考えてしまった。そんな機器に対する冒涜的想いが自身に罰をあたえることになったのだろうか・・・。
気が付けば10年近く使っている
日々忙しく、それなりに元気に働かせてもらっていた。それは一昨日までの話だ。きのう、朝起きた時から何処が悪いという訳でもなく、すこし違和感を感じていた。午前中は銀行・市役所をまわり11時頃店に戻った。その頃から少し「めまい」を感じていた。時々ある「めまい」だ。
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いま、「羽毛ふとんのリフォーム(作り直し)SALE」を開催中だ。
⇒ ⇒ ⇒
リフォームの指示書が1枚ずつ付く。 1枚ずつ解体します。 洗い・選別・乾燥を1枚ずつ行う。 洗えた羽毛も1枚分ずつ袋に。
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若い店員からリフォームのお客様の接客サポートを頼まれた。お客様が納得されるまで、20~30分接客しただろうか。お帰りになったその直後から、猛烈な「めまい」と吐き気がした。奥の事務所で椅子に座って少し安静にしていれば治るだろうと思ったが、逆にひどくなってきた。自分でもちょっといつもと違うと感じ、婆に近くのお医者さんまで乗せてってくれるよう頼んだ。昼12時少し過ぎた頃だった。あいにく診察時間は終っていた。昼食を摂る前であったが吐き気は猛烈だった。そのまま、市民病院に行くよう頼んだ。
市民病院の入口から救急センターまで20mほど車いすに乗って移動したが、それさえもしんどかった。いろいろ検査をして貰った。先生も、脳こうそく・心筋梗塞などを心配して、レントゲン・心電図・CT・最後はMRIと検査して戴いた。
結果は大きな異常は何もないと言われた。点滴の中に「めまい」を抑える薬が入っていたからか、3時間ほどして少し落ち着いてきた。だが、「めまい」と吐き気は完全には収まらない。
夕方、病院から戻ってきても、31日つまり月末の処理をしなければならなかった。昨日まで何事もなかったのに、今日はつくづく「老い」を感じてしまった。
人は現状がいつまでも続くと「ついつい」思ってしまう。
爺自身、介護の現場で末期がんの方も7名いままでに看てきた。一昨日も、若い方で余命数カ月と言われた方のご家族がベッドのレンタル等で相談があった。ある意味医師から見放されても、ご家族様は必至である。奇跡を信じて民間療法も試される。爺の父も癌であった。手遅れであった。医師からは手の施しようがないと言われ、だが、何とかならないかと思い、癌に効くと言われるモノ(健康食品)を父に与えた。奇跡は起こらなかった。・・・その時、人間は本当に弱い生き物だと思った。
寿命とは生き物の命、あるいは長さをいうと辞書にある。生まれて(生産されて)から死ぬ(壊れる)までにかかる時間のことである。
「寿」という字には「命」という意味もあるとか。阿弥陀仏の別名に「無量寿仏」という名がある。「計り知れない永遠の命をもった仏」という意味であろうか。
人の命にも寿命がある。機械類にも寿命がある。
人の命と機械とを同列に論じるつもりは無いが、この世に永遠は無い。仏教でいう「無常」というものだ。 人は長寿を願う。病気になれば医者に行く。医師に見放されると神や仏にすがる。「薬師如来」や「延命地蔵」などにお願いすることになる。
爺としては、すべきこと、やりたいことは山ほどある。まだクタバる訳にはいかん。
余命120か月か、それとも余命240カ月か。一か月はすぐに過ぎる。1年は早い。
人生は「白駒の隙を過ぐるが如し」と言ったところだ。
ぐっすり眠って、さわやかな朝を迎え、一日元気に過ごす・・・平凡これ金と言ったところか・・・。
明日は勉強会だ。あさっては展示会を見に行く。若い者にはまだ負けられん!
FAXでのやり取りが頻繁になるのも月末である。
そんな時に、FAX機が故障した。
HPの「よくある質問」をみれば、同様の記事があり、対処ソフトをダウンロードした。全く駄目であった。修理に出すことにしたが、1週間から10日程度かかるそうだ。その間FAX機が無しでは仕事にならない。そこで、以前使っていたFAX機を再登場願った。数日前まで別のところで使っていたが、悪いことが重なる時は重なるものだ。この機器も故障した。既に生産中止から7年以上経った機種なので、修理もできないとのことだった。
時同じく、さらに別のプリンターも動かなくなった。保証書が見つからなかったが、買ったお店に持ち込んだ。数年前の購入と思っていたら既に5年は経過しており、保証書の有無にかかわらず有償修理となった。
「(どれも)寿命ですね」と言われた。一挙に3台がトラブッた訳だ。 修理のできるものは修理を頼み、修理のできないものは・・・。でも何とか治らないものかと未練たらしく無駄な努力をしてしまう。
機械も壊れるのが当たり前。せめて、故障する前に、故障を知らせてくれたらと考えてしまった。そんな機器に対する冒涜的想いが自身に罰をあたえることになったのだろうか・・・。
気が付けば10年近く使っている
日々忙しく、それなりに元気に働かせてもらっていた。それは一昨日までの話だ。きのう、朝起きた時から何処が悪いという訳でもなく、すこし違和感を感じていた。午前中は銀行・市役所をまわり11時頃店に戻った。その頃から少し「めまい」を感じていた。時々ある「めまい」だ。
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いま、「羽毛ふとんのリフォーム(作り直し)SALE」を開催中だ。
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若い店員からリフォームのお客様の接客サポートを頼まれた。お客様が納得されるまで、20~30分接客しただろうか。お帰りになったその直後から、猛烈な「めまい」と吐き気がした。奥の事務所で椅子に座って少し安静にしていれば治るだろうと思ったが、逆にひどくなってきた。自分でもちょっといつもと違うと感じ、婆に近くのお医者さんまで乗せてってくれるよう頼んだ。昼12時少し過ぎた頃だった。あいにく診察時間は終っていた。昼食を摂る前であったが吐き気は猛烈だった。そのまま、市民病院に行くよう頼んだ。
市民病院の入口から救急センターまで20mほど車いすに乗って移動したが、それさえもしんどかった。いろいろ検査をして貰った。先生も、脳こうそく・心筋梗塞などを心配して、レントゲン・心電図・CT・最後はMRIと検査して戴いた。
結果は大きな異常は何もないと言われた。点滴の中に「めまい」を抑える薬が入っていたからか、3時間ほどして少し落ち着いてきた。だが、「めまい」と吐き気は完全には収まらない。
夕方、病院から戻ってきても、31日つまり月末の処理をしなければならなかった。昨日まで何事もなかったのに、今日はつくづく「老い」を感じてしまった。
人は現状がいつまでも続くと「ついつい」思ってしまう。
爺自身、介護の現場で末期がんの方も7名いままでに看てきた。一昨日も、若い方で余命数カ月と言われた方のご家族がベッドのレンタル等で相談があった。ある意味医師から見放されても、ご家族様は必至である。奇跡を信じて民間療法も試される。爺の父も癌であった。手遅れであった。医師からは手の施しようがないと言われ、だが、何とかならないかと思い、癌に効くと言われるモノ(健康食品)を父に与えた。奇跡は起こらなかった。・・・その時、人間は本当に弱い生き物だと思った。
寿命とは生き物の命、あるいは長さをいうと辞書にある。生まれて(生産されて)から死ぬ(壊れる)までにかかる時間のことである。
「寿」という字には「命」という意味もあるとか。阿弥陀仏の別名に「無量寿仏」という名がある。「計り知れない永遠の命をもった仏」という意味であろうか。
人の命にも寿命がある。機械類にも寿命がある。
人の命と機械とを同列に論じるつもりは無いが、この世に永遠は無い。仏教でいう「無常」というものだ。 人は長寿を願う。病気になれば医者に行く。医師に見放されると神や仏にすがる。「薬師如来」や「延命地蔵」などにお願いすることになる。
爺としては、すべきこと、やりたいことは山ほどある。まだクタバる訳にはいかん。
余命120か月か、それとも余命240カ月か。一か月はすぐに過ぎる。1年は早い。
人生は「白駒の隙を過ぐるが如し」と言ったところだ。
ぐっすり眠って、さわやかな朝を迎え、一日元気に過ごす・・・平凡これ金と言ったところか・・・。
明日は勉強会だ。あさっては展示会を見に行く。若い者にはまだ負けられん!