爺婆の夏休み初日(19日)は、京都市美術館で開催されている「ルーブル展」を観に行きました。
無料入場券 木下工務店 から貰ったものだ。 協賛=大日本印刷 大阪芸術大学 関西電力 タイガー魔法瓶 タケモトピアノ ロート製薬 などがあったが、 特別協賛=木下工務店 と大書されていた。 へえ、木下工務店もやるもんだと、変なところで感心してしまった。
京都市美術館の正面横
1時半ごろ美術館に着いた。並ばずに入館できたと喜んだが、展示室に実際入室できるまで10分ほど並んだ。室内だったから助かった。
作品フェルメールの「レースを編む女」は、とても小さな絵であった。小さいからこその繊細な筆使いが、とても印象的だ。やはり、本物を見ないとダメだとつくづく感じるところである。美術館前のポスターなどを見ていると、それなりの大きさがあると思っていたが、その小ささに最前列まで行って思わず目を凝らして見た。
他にも、「大工聖ヨセフ」や「レンブラントの自画像」などは、印象に残っている。特に、「大工聖ヨセフ」のヨセフの目は何とも表現しえない「目」である。すごく心に残っている。
夏休み最後(21日)に大阪の国立国際美術館でも「ルーブル美術館展」が開催されていたので、観てきた。浅学な爺なので許してもらえると思うが、京都に比べると大阪のルーブル美術館展は、少し物足りない感じがした。「農民の家族」「王女マルガリータの肖像」という名品もあったが、馴染みがない(ハッキリ言って爺は知らなかった)作品ばかりだったからだろう。
こうした美術品展を見て、いつも変だと思うことがある。
日本では「撮影禁止」が当たり前となっている。だが、30年ほど前に行った時、本家ルーブル美術館では、みんなが写真を撮りまくっていた。爺もビデオカメラを回しまくった覚えがある。神聖な教会の中でも、フラッシュは禁止されていると思うが、普通にシャッターを切るのは許されているところが大部分だ。
文化の違いなのか、それとも「神(仏)」に対する畏敬の念の違いなのか、浅学非才の爺では、全く解らない。教会の内部に入ると「脱帽」が当たり前のようだ。また、婦人は肌の露出を禁じられているから、ノースリーブの方はカーディガンを着るなり、ショールを羽織らなくてはならない。
京都市美術館を後にして、天竜寺へ向かった。昔を思い出して地下鉄の終点から何十年ぶりに「嵐電」に乗った。婆は初めてと見えて、少し驚いていた。いわゆる市電のようなものだ。
終点嵐電嵐山からは、天竜寺へと歩いた。初めて天竜寺を訪れたのは高校3年の時だ。2年の時(第一回は奈良)から「歴史と古典の旅」と名付けられた学年に関係なく、全くの自由参加の旅が碧南高校で始まった。一部の先生方(もちろん社会と国語の先生が主)が、校長や教育委員会にも無届で催行した学びの旅であった。爺が卒業後もしばらく続いたようだ。(主催した社会科の教諭が後に一色高校の校長になられている。もう時効だろう)
この旅こそ、現在の爺の出発点である。仏像に興味を持ち、哲学としての仏教に興味を持ったのは、この旅であり、ここ天竜寺、ここ嵯峨野からである。
立木の姿以外は40数年前と何も変わりはなかったと思う。そう言う意味では人間の一生なんて、はかないものだ。
嵐山の旅館で一泊(寝具チェックは明日)、翌日は大阪に向かった。西川で「快眠フォーラム」があるからだ。阪急の嵐山駅まで行く途中、「小督塚」に立ち寄った。周りは40年程前と全く違っていた。この辺りだと思って捜したが解らず、観光人力車の兄ちゃんに聞いた。
初めて訪ねた時は、周りの石柵は無かったと思う。また、後ろにその当時「浪速千恵子さん」が供養塔(卒塔婆?)のようなものを建てられていたのを記憶している。
峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒ひきとめて 聞くほどに
爪音(つまおと)頻き(しるき)想夫恋(そうふれん)
ご存じ黒田節の歌詞の一節です。平家物語の小督の局の物語が、何故、黒田節に謡われているのか爺は知らない。ご存知の方が見えたらご教授戴きたい。
ルーブル展を観終わった後は、来年こそパリ・ルーブルへ行こうと婆と約束をした。ただし、景気が良くなっての話だが・・・。 その後嵐山までは、爺の高校時代の話に無理やり付き合わされた婆であった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます