昨日天木さんのブログ正しい日米関係は平和国家日本の確立から始まるに関して私の感想を書いた。
今日は自主憲法作成に関連して、天木さんが日本に対する脅威の唯一の可能性として上げている北朝鮮問題について書いてみたい。
Wikipediaによると、
2002年9月17日、小泉純一郎と、金正日のの間で(第一回目の)日朝首脳会談が行われた。 両者は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を10月に再開することで合意した。
[日本人拉致問題]
北朝鮮側は、“特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って”日本人を拉致した事実を認め、謝罪した。 日本側の安否確認に対して、4人の生存を明らかにし、8人を「死亡」と発表した。 更に、日本側も把握していなかった曽我ひとみの拉致・生存と、横田めぐみの娘の生存も明らかにした。
小泉首相の帰国直後、偶然かどうか分からないが米国の某高官が来日したのを今でも覚えている。
当然、日朝首脳会談の話が出たと思うが、それについてどんな事が話合われたのか。
2回目は2004年5月22日、前回と同じく小泉純一郎と金正日が行った。
[日本人拉致問題]
家族の帰国は地村家と蓮池家の家族5人の帰国が認められ、曽我家の家族は後日第三国にて話し合うことになった。 「死亡」・「不明」の10人について、北朝鮮側が再調査を約束した。
その後の交渉で、北朝鮮が生存していたとした5人の拉致被害生存者については、一時帰国を条件に2002年10月15日に帰国が実現した。
5人の帰国後、日本政府は世論や拉致被害者家族会の要望などにより、一時帰国した被害者を「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、5人の家族の帰国も要求する方針をとった。このため、北朝鮮側は日本政府に対し約束違反だと主張した。このような北朝鮮政府の抗議により、その後の交渉は、北朝鮮政府が日程を決めないなどした為に中断した。
さらにWikipediaは
この日本政府の対応について、日本国内では当時「北朝鮮側の意表を突いて状況を有利にした」と評価されていたが、その後の推移を見ると、むしろ北朝鮮側は当初から日本側の対応を想定した上で、「日本側が約束違反を起こした」というシチュエーションを生じさせて立場を強める狙いであえて(恐らく北朝鮮側にとって留める必要性の低かった)5人を帰国させたという事も考えられる。
と書いている。
北朝鮮の思惑はともかくとして、そして日朝首脳会談に対して米国の介入があったかどうかは知らないが、イラク問題を抱える米国としては、日朝首脳会談の決裂→両国の関係悪化は歓迎すべき結果だったに違いない。
結果として日本は北朝鮮の攻撃の脅威に晒され、日本を米国から護って貰うためには、心ならずも(小泉さんの本心だったと思う)憲法解釈を変更してでも、野党の攻撃に対して開き直り的な答弁をして、そして自衛隊員の生命の危険を晒さしてでも、イラクに派兵を決めざるを得なかった。
世界情勢が変わり、米国の覇権的地位が低下して行く中で、日本を自陣につなぎ止めて置く為にも日本が北朝鮮の脅威に晒されるのは、この上もない好材料となっているのはほぼ間違いことだと思う。
何故なら、日本が自己防衛のために、核兵器を持つなど絶対にないからだ。
そして日本は何時までも米国の核の傘に入って居なければならないからだ。
もし、日本が自主外交を貫いて、日朝国交回復をしていたら、イラク出兵もせずに済み、天木さんが上げた唯一の脅威もなくなり、また彼の言うように、平和日本に相応しいだけの軍事力持つだけで、安全かつ平和な暮らしを享受できていたかも知れない。
もっとも日朝正常化に伴う日本の賠償で、北朝鮮が国力を増すことが良い方向に向かうのか、或いはとんでもない方向に向けて行くか分からないが。
それはともかくとして日本としては何度も繰り返すが、
憲法改正については、日米同盟を未来永劫のものとして考えずに、北朝鮮問題を含むあらゆるケースを想定し、如何にして日本を護って行くのが良いか、じっくりと腰を据えて長期的もな視野で、取り組んでもらいたいものだ。
そして、日本人自らの手で、憲法9条の精神を生かし、しかも現実に則した自主憲法を造って貰いたいものだ。
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