普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

私の英語に関する話

2022-10-11 16:06:08 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずにお互いに自分の頭で考えましょう。

 10月10日の読売新聞で「英語レッスン日々充実」のタイトルの73歳の主婦の方の記述が枠入りでて居ましたので、私も若かった頃を思い出して英語の勉強した事とその結果の思いもせぬ一生送ったことを思い出して纏めてみました。

 私は子供の頃から本を読むことが好きでした。会社入って暫らくして会社に無断で今の九州工業大学の夜学に通学。その間にも読書で付近に図書館も無かったので、思いついたのが読書に手間がかかる英語の本を読むこと。それでデパートでシャーロックホームズを手に入れました。そして意味の不明の所にマークを入れて会社で辞書を引く毎日。ホームズの本が切れた後はサマセットモームの本。(米国でも読みやすい本も稀にありますが英国版がお勧め)。これがほぼ終わりかけたころ無謀にも英検1級を受験。学科は合格しましたが、会話は当然のように不合格。

 それから間もなく岡山に石油化学コンビナートの大プロジェクト建設工事へ動員。私の属する保全部門からも動員。このような時によくある既存の部門からは放出したがる成績不良の社員を皆受け入れた責任者の課長。私にはもし拒否したら係長の椅子は無いものと思えと脅し付き。今まで読まれてお判りのように出世とは無関心の私。

 現地に就いて気が付いたのは必要書類の半分近く英文、同じ設備導入の予定の外国の会社から実習にきた幹部への対応する私。それに気づいても「お前もやるな」とも言わない課長。

 現地のスタートの体制づくり以外に起こったのは資材管理、私の分担の保全管理の電子化。その為コンピュータの入力は一ゼロ一ゼロの問題をどう解決するかがネック。私は英数字の導入主張。それを渋る電子化の責任を負わされた資材課。当時の安川電機でさえ平仮名の文書の頃。最後には資材課が折れて一気にパソコン化が進む。

 その宣伝のためか他場所から見学に来る。その内に私の出身場所からNさんが来たが課長のやり方が悪いとパソコンの話も訊かずに現場に出てしまう。

 それから暫らくしてブラジルの子会社のシキネから送風機がどうしても動かないと私に緊急出張と以後約一年の応援の指示。

 私は現地の作業員を使って何とか元に戻す。その時気づいたのは言うことが正しければ発音など問題ないと言うこと。言いかえれば内容が英検一級であれば発音が3級でもかまわないし英検一級の流暢な話をしても相手には判らないこともあると言うこと。

 それからしばらくして現地で石油化学コンビナートの計画があり三菱重工に私の会社が支援に入ったが失敗した。その理由は先方がいくら聞いても返事が無かったからだ。という噂が私の応援している会社に入ってきました。私はその前に前述のNさんがブラジルに来たのは知っていましたが私どもの宿舎でなく別の宿舎にいて彼と話す機会はありませんでした。いずれにしても先方の質問は運転、保全から見たコンビナートの問題点と対策、それに対する現地の問題点とその対策を訊くのは常識。私ならその殆どを説明できるのに。詰まり英語で言えば主語も述語も目的も補語のどれかも調べずに会議にでたNさん。勿論私は帰国しても此の事をだれにも触れませんでした。

 私の帰国前会社の重役が私の意見を訊きたいと私を呼びました。私は率直に次の建設の場合の時考えるべき問題点とその対策を話しました。内容は省略しますが前に書いたように一級の会話で落第した原因の会話不足にならぬよう主語、述語、目的、補語、を間違えよう私のベースでゆっくりと説明しました。その為か私のような出張者には珍しい感謝状が来たと本社で話題になったそうです。

その後イラン、シンガポールにも出張しましたが似たような説明になるので省略します。

現役を離れる前に縁が有って市の計画する海外の技術者支援のボランティア団体のKITAに参加。

・最初の仕事は市中の技術関係の会社の紹介の英語訳。

 KITA移転、本格的の活動開始

私の職務

・テキストの管理

・工業関係の技術語集の作成(私のボランティア)

・海外の技術者の支援者の補助の私(私の表向きは旧工業校卒)

・研修者の市内付近の会社の見学

・研修者の集団ごとに一度の全国の会社の訪問

・KITA以外に北九州市に大きな貢献をした理事長死亡

・事務局長に80歳になったら引退を表明

・その事務局長も死亡

 私の引退前に副理事長と技術者の間で今まで通り海外の現場の問題と対策に集中するか、今後研修員の技術中心にするか揉め、多勢に無勢で海外の現場をみてきたも私の支持する副理事長敗退。その会議をいらいらしなが横で聞いている補助役の私。

 副理事長の引退表明に補佐役の私の他誰も止める人なし。(事務局のやり手の女性は止めたと思うが不明)

 副理事長と私の送別会。判っているのはお前しかいないと彼の愚痴。あの会議の時何故私を呼ばなかったと思う私。

   3役がいなくなって全く変わったKITA

 年賀状をだしたが以後断りの副理事長の葉書。

 それきり。

追記:現状はKITAの協力範囲は副理事長の言う「海外の現場の問題と対策」もないが「技術協力」もなし。あるのは北九州市の職員でなる「技術協力部」の守備範囲の市に関係する業務ばかり。あの揉め事も空回りの状態。然し三つの国の状況を見た私の意見は「海外の現場の問題と対策」が必要と思います。

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