普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

山川出版のテキスト批判

2021-02-06 12:00:00 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
いま山川出版のテキストに従軍慰安婦の記述があると問題になっています。
本文です。
多くの朝鮮人や中国人が日本に徴用され、鉱山や工場などで過酷な条件の下での労働を強いられた。また朝鮮や台湾でも「徴兵制」が施行された。
戦地に設けられた『慰安施設』には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)

従軍慰安婦を生徒たちに教える先生も大変ですが戦前、戦中生まれの私が台湾、朝鮮でいきなり徴兵があるは筈はないと気づきました。
Wikipediaの記述
 日本と中国の間に日中戦争が勃発した当初は、日本の外地であった朝鮮及び台湾では徴兵制が施行されていなかったが、戦争の長期化により1938年2月に朝鮮人に対して陸軍特別志願兵令が施行され、朝鮮人も志願兵となることが可能になった(朝鮮人日本兵)。
台湾人に対する陸軍特別志願兵制度は1942年に実施されたが、1937年には台湾総督府が部隊内で雑役に従事する軍夫の募集を開始している。また中国戦線の拡大により翻訳の必要から多くの軍属が募集され福建語、広東語、北京語の通訳に当たった。戦時中は台湾の軍夫及び通訳の人数は軍事機密とされ、一般史料の中では明らかにされていない。
 陸軍特別志願兵制度が施行されると多くの台湾人志願者が殺到し、1942年の第1回の応募には1,000名の定員に対し425,961名(当時の台湾青年の14%に相当)の志願者が応募し、第2回には同じく1,000名の定員に対し601,147名が応募している。海軍特別志願兵制度は1943年5月12日]に発表され、朝鮮と同時に実施された。第1回は3,000名の訓練生定員に対し316,097人が応募している。その後徴兵制の施行に伴い海軍志願兵制度は1944年に、陸軍志願兵制度は1945年に廃止されたが、それまでに陸軍志願兵約5,500人,海軍志願兵約11,000人が日本軍に従軍している。その後戦局の悪化により1944年9月から開始され降服の1945年に全面実施となっている。
年度 志願者 入所者数 選抜率 志願倍率
1938年 2946人 406人 16.2% 7.3倍
1939年 12,348人 613人 4.9% 20.2倍
1940年 84,443人 3,060人 3.6% 27.6倍
1941年144,743人 3,208人 2.2% 45.1倍
1942年 254,273人 4,077人 1.6% 62.4倍
1943年303,394人 6,000人 1.9% 50.6倍

 つまり徴兵制度は降服まで僅か1年足らずの間実施しただけ。それまで上記のように多くの人たちがボランティアで戦闘に参加している。
この中には朴槿恵(ぱく・くね)さんの父で韓国の第9代の大統領で漢江(はんがん〉の奇跡を成し遂げた朴正煕(パク・チョンヒ)さん。無類の親日家で台湾建国の父と言われたと李登輝さんも含まれている。
山川出版も日本の会社なら韓国、台湾から何故このような多くの応募者が出たかも触れるべきと思いませんか。
私は韓国にも台湾にも日本の善政が行き渡ていたからだと思うのですが。
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