昨日の読売新聞の「地球を読む」で劇作家の山崎正和さんの高校無料化について概要以下のような意見が載せられていました。
[山崎さんが見た教育界の問題点]
・入学後に到達度試験を実施、習熟度別のクラス編成をする大学が国公私立の全体で80%を越えた。
一部の私立大学では、工学部の入学者なのに分数の足し算ができない学生がいると言う。
・第2次大戦後の、平均的な学歴を高めようという趨勢に乗って進学が、意欲によるものでなく、「ただ何となく」進学になってしまった。
・民主党新政権による公立高校の授業料無料化は、この趨勢に拍車をかける。
・問題は高学歴化が学力向上に結びついていないことだ。
今高校入学者の割合が98%に達しているが、勉強したいからでなくみんな行くから高校に進む若者が増えてきた。。
・戦後の義務教育には学力を確認する関所がなくなった。
・高学歴化の結果、人生のモラトリアムの長期化が起り、特に「出来ることもなく」「何をしたいか判らない」生徒がめだつ。
・高校全入の趨勢は必ずしも若者の願いでなく社会の側の要求でもなかった。優秀だが学校の嫌いな子も少なかったし、中小企業では後継者不足に悩み続けた。
[山崎さんの提案]
・学問が好きで能力もあるが貧しくして高校に進めない若者には授業料免除だけでなく、生活を助ける奨学金も与えるべきだ。
・しかし勉強が嫌いだが勤勉であり各種の手仕事に優れている若者も国が援助すべきだ。・「読み書き算術」の基礎学力の充実を図るべき。
・義務教育段階で「ナショナルミニマム」を習得することを文字通りに生徒に義務づけることだ。
・そのための習熟度クラス編成、到達度試験を中学でも行うべき、今の世の中で落第など乱暴と言うのなら、仮進級や仮卒業後に生徒が落とした教科を取り戻す制度をつくるべきだ゜。
・これに要する費用は高校無料化にかかる予算を転用すべき
・何事も抜本的に改革を標榜する新政権へのささやかな提案だ。
[私の意見]
・私は山崎さんの提案に就いては「中学でも落第提案」以外は全て賛成です。
・最後の新政権の期待発言は(読者も同じ感想をお持ちと思いますが)山崎さんの鳩山政権の政策の批判だと思います。
・高校全入の趨勢については、山崎さんの意見の「若者の願いでなく社会の側の要求でもなかった」と言うより、私は身分が安定している官僚、収入の多い医師、弁護士、一昔は身分が安定し一定の収入があった、学歴志向の大手企業の管理者、技術者になるために大学への志望者が増えたのが高学歴化に繋がっていた最大原因だと思います。
それに若い人達の3K嫌い、カッコ良さを求める傾向がその拍車をかけたのだと言うのが一昔前の一般の見方であり(見方がすこし変わっているようですが)今なお存在する厳しい現実のようです。
・山崎さんの中学での到達度試験不良者の落第説は、「みんな仲良く」をモットーとする日教組を持つ民主党政権は受け入れる筈はありません。
山崎さんの文章を見ている内に、日教組全盛時代の教研集会の報道のことを思い出しました。
当時から学力低下の話しが出ていましたが、中学校教師の小学校卒業生の学力低下を嘆く発表は会っても、同じ集会に出席している筈の小学校教師への批判やそれに対する反発の記事が全くありませんでした。
そして結論は決まって教師の荷を減らすためのクラスの少人数化と「ゆとり教育」の導入です。
彼らにとって山崎さんの言う所定の到達度まで教育する教育の義務化は、日教組にとっては「国が国民に果たすべき義務」であって、教師は関係がないと思うでしょう。
実際に私の娘が新任の教師になったとき、勉強について行けない子どもに補習をしたいと校長に申し出た時に、「他の教師の振り合い」(正確に言えば日教組職員の反対)があるからと拒否され、とうとう落ちこぼれの生徒を中学校に送る羽目になりました。
・中学校から落第せよとは、幾ら無責任な立場の私でもあまり賛成できませんが、少なくとも高校では是非実施して貰いたいものです。(かなりの数の高校では既にやっていると思いますが。)
「生徒を甘やかしてその道を誤らせるか」、「厳しくして正しい道を踏ませるか」のどちらが生徒の為になるかは誰でも判る ことです。
・私がシンガポールに居た当時の首相が、日本の高校が全入と威張っているが、高校生の生徒の成績のファクターを入れると自国の方が遥かに優れているとテレビて自慢していました。
なにしろ一党独裁の同国では、教育のへの効率一点張りで、小学校四年生の全国共通の試験で、進学コースと労働者向けのコースに振り分けて仕舞うのですから。
そして高校入試も全国共通の試験で一定の成績を取らねばならぬのですから。
なお社会に出ても求人広告にも在学中の成績(例えばAとOが幾つ)の採用条件が付くのですから、生徒たちも大変です。
参照:シンガポールの教育制度
民主主義の国の日本ではこんなことは考えられませんが、全国学力テストなどの科学的にデータ採取やそれに基づく指導や学校独自の取り組みは絶対に必要だし、教育政策の費用対効果を考えると高校無料化など考え直す必要があると思うのですが。
・高校全入の問題は教育レベルの引上げ、国民の要望など考える避けられないと思いますが、山崎さんの言う高校教育の多様化は是非実施する必要があると思います。
・ただ大学の数、特に普通学科に類する大学の数に就いては時代の要求に応じて考え直す必要があると思います。
この為には大学の評価制度を作って、その評価に達しない国公立私立を問わず学校への補助金への増減をすることです。
そしてその為に大学校の数が減ってもそのような大学は世の中のニーズに合わないものとして割り切るしかないと思います。
大学の評価制度は山崎さんの言う世の中のニーズや、国の方針に沿ったものとすべきだと思います。
例えば(それぞれに問題含みなのを承知での提案ですが)一般の理科系、文科系の学部を持つ大学に対しては、大学入試共通第1次学力試験で一定の学力を持った学生の全学生に対する比率、体育、芸術系の評価の難しい大学では過去・在学中・卒業後の学生の関係する学科の成績などの何らかの評価基準を作れば良いと思います。
然し私の提案も山崎さんの提案と同様、日教組を支持母体に置く、今の民主党政権で通りそうにもありません。
そして勉強したいからでなく最近増えてきた「みんな行くから高校に進む若者」の為にも高校無料化をするのでしょうか。
やはり定期的な政権交代により、再生した自民党による政権の出現をを待つしかないのでしょうか。
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日教組を支持するつもりも自民党を支持するつもりもありませんが、右側からは教育が悪いのは日教組だと言い、左側からは教育が悪いのは文部科学省だと言う。両方とも聞き苦しいですね。
気脈を通じて教育界を食い物にしている。
安倍元首相の指示で復活した全国学力テストを潰すことで両者は一致している。
高校無償化は権利ばかり主張して、義務を怠るジコチューをさらに増やすだけだろう。