昨夜のNHKの「視点・論点」で東京工業大学名誉教授の芳賀綏さんが、「威風堂々の政治家」のタイトルで芳賀さんの考える威風堂々とした元首相として吉田茂さん、芦田均さん、幣原喜重郎さん、野党の代表として民主社会党の初代委員長の西尾末広さん元社会党の委員長の、河上丈太郎さん の名を挙げ、今の政治家にそのような人達が見当たらないことを嘆いていた。
いずれも立場の違いこそあれ米軍占領直後の難しい時期を乗り切ってきた人達ばかりだ。
私はたまたま数日前に政治を矮小化させるマスコミのタイトルで書いたことがあるで、芳賀さんの話に触発されて今の政治家で威風堂々とした人達がいるか考えてみた。
麻生さん
私と同県人で是非、威風堂々の候補者として挙げたいのだが、彼の失言、漢字の読み間違い、発表する政策の揺れなど考えると、どう見ても威風堂々とした人とは言えない。
麻生さんは前々回の総裁選の時デマに対して、何も言わない男らしさ、人の良さ、開放的な性格はあるが、漫画好きとあいまって威風堂々とはまる反対の人柄で、贔屓目に見ても自民党幹事長くらいが適任、且つ欠かせない人のような気がする。
小沢さん
彼の著者から見ると彼なりの信念を持っているようだが、日本の現状を無視した政権奪取のための国会運営、国会開会中に数百人の人達を連れての訪中、韓国に行って大統領に外国人参政権成立を約束するなど、どう考えても今の所は小沢さんは黒子役、策謀家の範疇から出ないような気がする。
麻生さんの支持率急落前の小沢さんへの低い支持率は、小沢さんに対する国民の懸念を示しているのだろう。
然し、小沢さんが首相になっら大きく変わるかも知れないので、今の所は何とも言えないような気がする。
自民党各派閥の領袖
安倍さん、福田さん、麻生さんを担いだやり方、後になり自分が担いだ人を批判するなど、とても確固とした信念を持って居いる人達とはとても思えない。
福田さん選出の際の派閥の裏取引、麻生さんに対する悪意あるデマの発信、今回の麻生さんの支持率急落に対する動きなど芳賀さんの心配するように、威風堂々とはかけ離れた動きだ。
安倍さん
その自民党内の混乱中で次第に存在感を増しているのが安倍さんだ。
彼は各種会合に(過去の失敗から?)目立たないように顔を見せているが、その会合の後のインタビューに対する発言は、他の人達のように自説を主張したり、逆にはぐらかすような発言に対して、大局的な見地からのしっかりした発言をしている。
彼の「美しい国」の著書、首相になってからの動きは小泉選挙を受けての国会の多数を占めていたこともあるが、教育基本法、国民投票法など国会を通すなど殆どが筋が通っていてぶれていない。
ただ残念なのは
・主張する外交、そのための情報機関の整備など志半ばで終わったこと、
・「お友達内閣」で情報収集・解析をを怠り、地方の疲弊、不満の声に気付かず?その穴を小沢さんに上手く突かれたこと
・小泉改革の「修正・脱却」でなくて、その「継続」を訴え、改革の負の部分の傷口が拡がるままにしたこと
・安倍さんの理念実現のために余りにも急ぎ過ぎ強引過ぎたこと
・「政治と金」の問題閣僚を庇い過ぎそこをマスコミに突かれたこと
などなど素人の私でさえその危うさにはらはらするほどの政治手法の幼さだった。
私は前にも何度か触れたが、彼は一度下野し再度復活することを願っていたが、あのような、後に禍根を残す辞め方をするなど思いもよらなかった。
私は信念、ビジョンを持ち識見を持つ安倍さんが過去の失敗を良い教訓にして(威風堂々と言うには早いかもしれないが)再び再起することを期待している。
平沼さん
郵政改革反対を唱えて小泉さんから追放された平沼さんは復党を希望する政治家達の復帰の世話をしたが、自身は屈辱的な誓約書の提出を拒んで、無所属の立場を保っている、今の日本には珍しい剛直な政治家、政治の第一線から外れてはいるが文字通り威風堂々とした政治家と思う。
また平沼さんは麻生さんの失言に対して、政治家は宗教書、文学書など読むべきだとコメントした位だから自身もそのような教養を持っているのだろう。
彼の識見の高さについてくどくど書くよりも、平沼赳夫さんのメールを未だご覧なってない方は是非覗いて見て下さい。
また私どもの素人の提案にも一々目を通し、返事を呉れるという誠実な人柄だ。
私は色々な困難が会っても、何時かは安倍さん、平沼さん、麻生さん(前に書いた様に自民党の要職で)がタグを組んで、難しい環境にある日本の政治のリーダーシップを取って貰いたらと夢のようなことを考えている。
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少なくとも、自らを選んだ代表を数ヶ月も経たないうちに組織内の不協和音が聞かれるというのは、私には納得できません。
かつて日露戦争を遂行する総理大臣として初めて元勲ではない桂太郎が選ばれた際、伊藤博文公は「貫禄などと言うものは、二頭立ての馬車で二重橋を渡るうちにつくものだ!」「大事なのは周りが支えられるかだ!」と言う旨のことを言っていたそうで、日露戦争を遂行する過程で威風堂々たる政治家に成長を遂げたそうです。