・大阪府の橋下徹知事が表明した府内の小中学校での「ケータイ禁止令」が波紋を呼んでいる。
賛成意見
・ネットいじめや交流サイトを巡る犯罪など、子どもとケータイの「つきあい方」に悩んできた教育現場では歓迎
・「現場を後押ししてくれる発言。ありがたい」(中学校長)
・過剰な携帯の使用
1日に3時間以上携帯を使う中学生は18・2%、高校生は29・5%。
「メール受信時、3分以内の返信」を心がけている中学1年生は17・1%、小6でも16・8%
反対・疑問・慎重な意見
・「これだけ普及しているのに、学校で禁止するだけで実効力があるのか」教育関係者
小学生の31%、中学生の58%、高校生の96%が携帯電話やPHSを利用
・「家庭との緊急連絡に必要では」「部活の連絡に使っているケースもある」
・携帯が普及し始めた数年前に学校内の公衆電話は撤去
・「行政が一方的に持ち込み禁止と言っても、無理がある」、「各家庭の事情を踏まえて市の指針を策定したい」仙台市
・「学校内での規制だけでは不十分」府内の中学校長
同校では昨春から学校への持ち込みを禁止したが、今も学校裏サイトには「死ね」などの書き込みが続き、生徒間のトラブルは絶えない
(以上読売新聞から抄録)
[私の意見]
橋下さんも言っていたそうだが、私は基本的な問題は親の子育てのあり方だと思う。
1.先ず第一に携帯に関して子に携帯を与えることが、子供にとって本当に為になる事か否かだ。
これはゲーム機やパソコンとも共通する問題だが、子供の好きなだけ与えることで、学業に悪い影響を及ぼしたり、我慢できない子に育ててその子供の将来に差し支えが来ないか。
子供が将来止むを得ない事情でニートや非正規従業員になるのは致し方無い事だが、小中学校時代の携帯の過度の使用による勉強不足のために、不安定な生活な暮らしをしたり、或いは何事にも辛抱出来ずに直ぐに切れて警察の厄介になったりすることになっても、それを子供の責任で済ませられるか。
このようなことは言わずとも判ることだが、戦後以来の子供本位、優しさはよいがそれが「行き過ぎた甘やかし」の風潮に家庭だけでなく日本全体が染まっているのではないのだろうか。
それともう一つは共稼ぎ家庭の増大で、日常子供に接してやれない親の引け目や、その償いとしてつい子供に物を与え過ぎる傾向も子供を甘やかす風潮を増大させているような気がする。
私は子供が中学生までの教育は親の完全な責任だと思う。
だからプラバシーの関係もあるが、親は少なくとも子供が今どのような世界にいるかを把握して置くべきだと思う。(*注記)
子供が携帯で親の目の届く範囲の世界にいることもあるとすれば、親の教育の責任を果たせないことになる。
2.次に子供に与える携帯の機能の内電話と、状況によれば子供の安全を保つためのGPS機能だけに絞られないかと言う事だ。
電話機能があれば、家庭、生徒、学校の連絡の問題は解決できる。
第二の問題は学校側や親側のニーズがあれば企業側もそれに対応してくれるのではないか。
企業側としても子供の携帯の使用の問題について対応はしているようだが、メール機能を外す事はその営業成績に大きく影響してくるのでその対応は甘く成りがちのようだ。
然し、事態の深刻化とともに企業倫理が問われることに成りかねないので、本格的な対応をせざるを得ないだろうし、父兄、学校、地方自治体もそれを強く要求すべきだと思う。
最近では子供の教育の最大の責任は家庭にあると言うのがやっと定説に成り掛けているようだが、正に小中学生に携帯を持たせるか否かも親の責任だと思う。
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*注記:プライバシーに就いて
私は子供が中学生までは、プライバシーの名で子供が携帯をを通じて親の知らない世界に子供の居させるのは可笑しいと思う。
パソコンも、家庭では親子共用にして、親も子供に見られて恥ずかしくないようにすべきだし、少なくとも小中学生も親の知らない世界で入ることがないようにすべきだと思う。
生徒が学校から親に連絡するためなら校内に公衆電話を設置するなどの対策をしたら良いと思います。
登下校中の安全対策はケイタイを持っていれば安心、とは言えません。通学の安全にはもっと別の配慮が必要です。
うちの場合は子供(中2)にはケイタイを持たせていません。本人も「特別に必要なし」と言っています。
ケイタイに依存する子供たちは成長に必要な大切なものを失くしてしまうでしょう。
教育委員会に意見を言うレベルに留めておくべきだ。教育委員会は知事とは独立した機関であり、決定はそこでやるべき話である。
仮に禁止したとして、生徒・学童へのチェック方法についても何も考えていないことも問題だ。登校時に全生徒の持ち物をチェックどうやってできるのか。体制はできているのか?
それともチェックはしないで、良心に任せるのか?
チェックで見つかった携帯をどうするのか?教職員が保管するのか?覗き見になどのプライバシーについてはどうするのか?
橋下知事は光市弁護団の懲戒請求問題など、先を考えずに思いつきで発言してしまう癖が多すぎると感じる。発言をする前に教育委員や現場の教職員や生徒の意見も聴くべきであろう。
私は塾の講師としてアルバイトをしておりますが、塾の中に黙々と携帯電話をいじっている生徒は少なからずいます。しかし、メールは昔でいうところの文通や交換日記のような役割を果たしているのも事実だと思います。(いまだに、余り紙などを折ってかわいい形にして手紙にしている子もたくさんいます。)
こういった類の問題は、もはや公的な教育機関では太刀打ちできないものなのでは?と思っています。mutouha80sのおっしゃる通り、家庭内でのしつけという部分がもう一度再検討なされるべきではないでしょうか?
家庭の、つまり子育てしている30~50代位の日本人が子供を育てることが大変難しくなってしまったのです。
それがなぜなのか?は一言ではいえません。社会環境が変わった・・・としか。
だから本来、知事のような立場の人が意見を言うべきではない事柄にも口を出すのでしょう。
ネットやケイタイの問題(学校持込、ネットいじめ)はもはや個々の家庭で解決できることではありません。
「うちの子は持っていないから大丈夫」という問題でもありません。
やはり社会全体で考えないといけないと思います。
が事実でないことを知るべきだ。
人口当たりの犯罪認知件数は減り続けているのだ。昭和21年以降の少年の殺人犯率から見ると、大正15年生まれから終戦直後生まれの人達もが現在の少年の5倍以上もあることはあまり知られていない。
その当時には携帯電話もパソコンもなかったのだ。また戦前はいじめなどが少なかったというが「戦前の少年犯罪」のデータを見ると、いじめによる殺人は今以上多発していたのだ。携帯やパソコンがあるからいじめが増えたような短絡的思考ではいじめは減らないのである。
今の少年や若者を批判する前にそういう事実に蓋をしてはならない。格差を放置し、差別や障害者など弱者に対する国の政策をやめない限り、いじめは減らない。
海外の学校を見たことない人にはわかりにくいので一例をあげてみよう。
カナダでは車椅子の障害者も健常者も同じ教室(カナダは法律ですべての教育機関がバリアフリー化している)で勉強している。障害者を特別支援学校という別の施設に隔離し続ける日本には有り得ない制度である。