昨夜の夕食後お決まりのうたた寝から目覚めると「太田光の私が総理大臣になったら」をテレビでやっていた。
読売テレビの番組紹介によると、
総理大臣・太田光が衝撃マニフェストを発表。芸能人や文化人、さらには現職の国会議員までが参加し、法案の賛否をめぐって激論を交わす“政治バラエティー番組”
とある様に彼一流の屁理屈を中心に進められる番組なので普段は全く無視していたのだが、その時の彼の「マニフェスト」が「テロとの戦争を止めましょう」という現在論議されている問題が取り上げられているので、ついお付き合いをしてしまった。
論議はメーン・テーマからのテロ特措法延長問題に迄及び、石破防衛大臣との中継になると、完全に太田さんの独壇場で、彼と石破さんの一騎討ち状態になった。
[太田さんの主張]
・テロリストもそれなりの価値観を持っており、欧米諸国も違う価値観を持っている。
・今でのアフガンやイラクの戦いはその価値観の戦いだ。
・日本が特に米国の価値観主導の戦いに何故参戦しなければならないのか
・テロの欧米の価値観のからの圧力に耐えきれぬところから起こったものだ。
・日本も欧米からの圧力に耐えきれずに宣戦布告した。
・然し、日本が結果が示すように大敗すると判っていたのに、何故米国と戦争を始めたのか。
・それを始めた日本人は馬鹿だと思う。
それに対して石破さんはその一流の懇切丁寧な口調で
・当時日本では戦略研究所で米国と戦えば、負けることは判っていたが、当時のことで情報開示が無かったので、国民はこのことを知らなかった。
・もしこの事を国民が知っていたら戦争が始まったかどうか判らない。
・それといつもの給油の理由(内容省略)
と話していた。
私は太田さんの屁理屈の個々について批評する気は全くない。
然し、太田さんのように、戦前、戦争中のことを知識としては漠然とは知っていても、体で実感した経験はない若い人達に私の若いころの経験を書いて見るの意味があると思っとこのブログを書く気になった。
[大戦前、戦争直後の日本の状況]
・天皇は現人神(あらひとがみ)として崇められていた。
・天皇の写真は多くの家庭で掲げられていた。
・学校では奉安殿があり、天皇の写真や教育勅語が奉納されていた。
(現在でも今の学校と不似合いな建物が残っている学校もあると思う。)
・学校の式には必ず教育勅語が読まれた。
・校長は勅語を白手袋でうやうやしく持ち、それを読むときは全員髪の御告げを受ける様に低頭した。
何しろ神様の御告げだから。
・日本は神の国だから、どこの国と戦っても不敗だ、そして万一のことがあっても、蒙古襲来時の神風のように いざと言うときは必ず神の加護がある と信じこまされた。
実際に明治維新後は日本は負けたことがなかった。
・反戦家、左翼は徹底的に弾圧され、投獄された。
・大戦の色濃くなると「戦陣訓」が発表され、若い人もそれを覚えさせられた。
その中にの生きて虜囚の辱めを受けず という言葉があった。
・鬼畜米英のスローガンが流された。
上の二つが、沖縄自決問題の背景の一つになった。
・戦争近くなって大東亜共栄圏の思想が持ち込まれ、アジアの国は一つ、そして日本がその中心だとアジア侵略を正当化する考えを教え込まれた。
・旧制の中学には将校が配属され軍事教練が行われ、その成績が軍隊に入ってからの昇進の重要な資料となった。
・戦争に入ると、工場まで将校が配属され、憲兵まで入ってくるようになった。
・全ての政党が大政翼賛会の名で統一された。
・今では悪名高い朝日新聞を始め全部の報道機関の情報が軍のコントロール下に入った。
・そして、これも悪名高い大本営発表が流された。
つまり軍の力により、否応なしに、言論と情報の統制が行われ、歪んだ価値観が作られていたのだ。
思いつくだけ書いたが、今では全く考えられないことばかりだと思う。
強いて言えば、北朝鮮に関する報道を見て貰えばある程度実感できるかもしれない。
何故なら余りにも符号出来ることが多いからだ。
[若い人達へ]
太田さんが隊テロ戦争反対へ夢中になってまくし立てていたのを考えると、彼の持論のように見えた。
もしテレビ用の受けを狙った発言なら迫真の演技だ。
それで彼の発言が彼の本心だと言う前提、そして彼のような考えの人もいるかも知れないと言う前提で書くが、若い人達に是非考えて貰いたいのは、
1.彼が各国や民族の価値観を尊重せよとと言うが、日本人は軍事政権の歪んだ価値観を強制的に持たされたことだ。
歪んだ価値観でも肯定するのか、宗教と言う本来の優れた価値観が、特定の指導者の特定の目的の意向により歪められてはいないか。
イラクやアフガンのテロの中には、米軍への反抗を表向きの理由にしているが、無辜の人達を大勢巻き込んだテロの目的が、実は宗派間の勢力争いや、タフガンのような政権の争いの要素はないのか。
それを価値観の戦いだからと言って、日本が知らぬ顔をしていて、国際社会の一員として成り立つのか。
彼の言うのはそれでは日本が立って行けないと皆知っている一国平和主義ではないか。
石破さんの言うように日本の生命線であるシーレーンを誰が護るのか。
2.世の中は太田さんの言う様な、一つの理由だけで動いていない ことだ。
日本の場合で言えば、北朝鮮や中国の目の前の、または隠然たら脅威に晒されて、核ももたず、自国独自での防衛能力を持たない国が、何とかして米国の協力を得る為に、米国からの信頼を保って置かねばならぬこと。
石破さんの言うように、日本の利益のために原油輸送のシー・レーンを護ってもらうこと。
それらも給油活動の目的であり、テロ対策だけではないこと。
その米国も、中国、ロシヤ、韓国、北朝鮮もそれぞれの自国の利益中心で動いているが、それと競争もしなければならないが、またある程度協調をしなければならないことだ。
[各テレビ局へ]
それと各テレビ局に言いたいのは、
1.昨夜の場合でも、後半は太田さんの独壇場で、折角来ている金美齢さん、山本一太さん、民主党の原口さんと言った錚々たる論客が手持ち無沙汰にしていたことだ。
いくら娯楽番組でも、報道機関としてテロ特措法など国の方向を左右する問題を太田さんの屁理屈ばかり言わせて良いのだろうか。
そうは言っても娯楽番組だから、太田さんの屁理屈を言いたいだけ言わせたい理由も判るが、少なくとも彼の発言の半分位の時間を割いて、論客に発言の機会を与えて、問題の本質位明らかにして欲しいものだ。
それが報道機関としての義務であり、フライドだと思うのだが。
この点から言えば、「太田光の私が総理大臣になったら」の番組は「たかじんのそこまで言って委員会」や「たけしのTVタックル」より報道の質から遥かに落ちるし、国民に間違った考えを持たす意味で有害となるものと言える。
それを明らかに示すものは太田さんの番組の最後に出された一般の人達の調査で「テロに対する戦争を止めること」に賛成が40%と言う信じられない数字が示している。
明らかに太田さんの屁理屈に影響された数字だ。
その点からいって一角の見識を持つ人がこのような番組に出るのは出演料目当てかなと邪推したくなる。
2.これと同種の太田さんが出る番組はNHKや日本テレビにもあるようだが、編成の仕方を良く考えて、面白くて然も為になる番組にして貰いたいものだ。
特に公平を旨とすべきNHKは主張にも不偏不党のものであって欲しい。
政府のやり方を批判したり、太田さんの言う様に世の傾向に異論を称えるのを進歩的だと言う杓子定規の考えは是非改めて貰いたいものだ。
参照:
自爆テロと選挙
カテゴリー → 民主党
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番組の中で米国がテロとの戦いを始めた後急速にテロリストが増大している事実をどう思われるでしょうか? この数字からも米国の目的はテロという犯罪を撲滅しようと思っていないことは明らかです。 また、この番組のレベルが低いとお考えでしたらNHK BSの世界のドキュメントやBS特集 民主主義 BS世界のドキュメンタリー等いかがでしょうか。 今度の戦争の本質が何なのかを考える参考になるかと思います。
さらに不思議なのですが何故そこまで米国にこびなければならないのでしょうか?
防衛の基本は外交と内政が当たり前と思えます。 日本よりはるかに小さな防衛費でほとんどの国を自国を守っています、逆に米国すら兵力だけでは自国は守れません。 日本には反撃能力が無い、日本国憲法により制限があると言われるでしょうが、この憲法を日本に押し付けたのは米国です、米国には日本の防衛に不備があればそれを補完する義務があります。 そうしないというなら憲法を改正するべきでしょう、1年で世界有数の攻撃力を持つことが可能です。 原子爆弾は開発され60年以上の時がたちますが実際の使用例は米国が日本に使用した2件のみです。 現状では原子爆弾を使用することは基本的に無理ですのでこれを基にして危険を言い立てる必要はありません。
さらにペルシャ湾の危険性を言われますが、イラク戦争前にあの海域が危険などということは聴いたことがありません。 つまり危険な海域にしたのは侵略の為イラクに攻撃をしかけた米国です、米国はその責任上海域を安全にする義務があると思いませんか?
貴重なアドバイスを頂きまして有り難うございます。今後ともご助言とサポートをお願い致します。
戦前・戦中派と言う言葉を良く耳にしますが、戦前派には実は二種類あって、それぞれ実際体験された経験も考え方も異なっているように感じます。
私見ですが、思春期の頃に戦時体制に入っていた「戦時体制派」と、それ以前の「生粋の戦前派」の二種類です。
本などを読む限り、「生粋の戦前派」の方たちは戦時体制を醒めた目で見ていらっしゃって、日本が国際社会の圧力を受けた結果、国力を集中して欧米に立ち向かわねばならない「やむを得ない体制」だと肯定的に捉えていらっしゃる記述が多いように感じています。
(少なくとも「戦時体制派」の方が言われるような重苦しい雰囲気は感じず、十分自由闊達な社会があったように感じています)
その視点で見ると、大正デモクラシーの延長線上に自力で現在のような民主主義体制が出来たと考えることすら可能で(少なくとも他国での民主化がなかなか上手くいかないのに比べ日本では簡単に実現できたのは、明治の議会開設以来大正デモクラシーまでの間で十分に経験を積んできたことに依るのでは?)、わずか十年強の戦時体制で、戦前全てを語ることに違和感を感じることがあります。
高度経済成長以後しか経験のない若輩者の感想ですので大きな認識違いなどもあるかもしれませんが、その点はいかが考えていらっしゃいますでしょうか?
僕自身も学生のときはそうでしたが考えが固まっていないときですし、強く断定的な口調の人に引きずられる傾向がありました。故にあなたはびっくりするような数字になったのではないかなと思います。
>tarentoさま
米国に押し付けられた憲法だから米国に義務があるという考え方のどうでしょう?
占領が終わって晴れて独立してからはいつでも変更ができたはずです。それをしなかったのは日本がそれを選んだからに他なりません。
出だしがそうであっても60年も前のことを引き合いに出して義務があるとあまりに植民地的じゃないですか?
山本さんのご意見は大変に参考になります。
私の意見は、戦争中は軍の指導や締めつけで、一見、皆同じ価値観を持たされた。
戦後占領軍が入って、大まかに言って3種の価値観を持つ人に変わった。
1.日本古来の価値観の良い部分も全て捨てて、米国の言うことをそのまま呑みこんだ人。
その極端なのが、権利は主張するが義務、責任を感じないひと。
2.日本古来の価値観の良いことも悪いことも全て護るひと。
3.日本古来の価値観の良い所と、米国の価値観の良い所を自分のものにしようとする人。
私の考えでは3.の人が大部分と思います。
今後ともご助言とサポートをお願い致します。