普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

昭和とは何だったのか

2008-05-01 10:58:36 | 国際社会

 4月29日は昭和の日だと言う事で、NHKは特集として「「昭和が終わった日」つまり昭和64年1月7日を日本人はどんな思いで過ごしたのか。平成20年という節目に、昭和とは何だったのかを多角的なインタビューで探っていく。」と言う番組をやっていた。
 誰か知らなかったが、「昭和天皇の戦争責任を問わなかったのが、今の日本の状態の混迷を招いている」の発言、なかにし礼さん、作家の沢地久枝さん、元沖縄県知事の大田昌秀
さん、戸川昌子さんの日本の批判までは辛抱して聴いていたが、テレビ朝日のレギュラーの解説者の大谷昭宏さんが沖縄の芸術家を訪問して、米軍から最後まで占領された沖縄からみた政府批判を語らせているのを見てテレビを切ってしまった。
 NHKには多くの優秀なアナウンサーがいるのに、何故他局の、しかも問題発言の多い大谷さんを利用したか、それで何を意図して番組を展開しようとしているのか判ったからだ。
 これがプロの批評家なら辛抱して最後まで聴き、批判を始めるのだろうが、素人の私はそんなテレビを見て血圧を上げるなど馬鹿らしくなったからだ。
 だからNHKのその番組について批判する気も資格もない。

 その代わり私なりに昭和を振り返って考えて見ようと思った。
 然しいくら素人の私でも、まともにこれを書けば小冊子くらいにはなると思うのでなるべく要点を書くつもりだが書き漏らしが多いこともご了承願いたい。
 参考のために年表(青字)を入れているが長くなるので、私の意見(黒字)だけを読んで貰えれば幸いだ。

1928年(3年):張作霖を爆殺。男子普通選挙実施
1931年(6年):柳条湖事件、満州事変
1932年(7年):満洲国建国、五・一五事件
1933年(8年):国際連盟脱退
1936年(11年):二・二六事件、
1937年(12年):日中戦争開戦 、日独伊防共協定締結 
1938年(13年):国家総動員法制定
1940年(15年):日独伊三国軍事同盟締結、大政翼賛会結成
 大正以来から続いた(今の政治情勢とよく似ている)政党政治の停滞と腐敗から軍隊の政治介入、軍人の首相誕生、関東軍を中心としする一部軍隊の独走の昭和初期。
 私が後になって判った事だが、世界的に飽和状態に達していた植民地時代が転換期に立っているときに遅まきに日本が領土拡大に走って、戦後、戦略国の汚名を着せられることになった。
 実は日本が連合国と戦ったのが、世界中の植民地開放の引き金となったのは皮肉なことだった。

1941年(16年):米国、英国、中国、オランダによるABCD包囲網。太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)、日ソ中立条約
 日本は米国の国力(軍事力、経済力、工業力)を完全に読み誤まり、日本人の精神力を過大に評価した。
 これも後になって気づいた事だが、負けて良かったか、悪かったかは別にして、降伏で「耐えらざるところを耐える」のら、国力が増大するまで連合国の包囲網に耐える選択肢もあったと思う。

1945年(20年):東京、名古屋、大阪、神戸大空襲
1945年(20年):米軍が沖縄本島に上陸(沖縄戦)、地上戦となる。6月23日、日本軍の組織的戦闘が終わる(慰霊の日)
1945年(20年):広島市、長崎市に原子爆弾投下

 東京始め日本都市の無差別の焼夷弾攻撃、原子爆弾投下は完全な戦争犯罪だ。

1945年(20年):ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告(8月9日)、千島・樺太に侵攻。ポツダム宣言受諾、終戦。
連合国軍最高司令官総本部(GHQ/SCAP)設置。。国教分離
1946年(21年)軍人・戦犯・軍国主義者公職追放。農地改革。日本国憲法制定を日本政府に指示。
1947年(22年)日本国憲法施行
1948年(23年)東京裁判。
1950年(25年)朝鮮戦争勃発。在日占領軍が韓国を支援するため出動し、日本が前線基地となる。日本は朝鮮特需により経済復興が加速。 警察予備隊発足。
米国政府、「対日講和7原則」を発表。日本への請求権放棄と、日本防衛を日米共同で行う旨を明記。
1950年(昭和25年):朝鮮戦争勃発、警察予備隊発足。
1951年(26年) サンフランシスコ条約・日米安全保障条約締結。

1952年(27年) 日米行政協定締結。日本主権回復。GHQ/SCAPの占領が終わる。
 当時はあたらめて言うまでもなく日本が無条件降伏して占領軍により占領されたために、上は天皇陛下から、一国民にいたるまで完全に占領軍の意のままに日本が統治されたことだ。
占領軍の施策の明暗
 良い所
  ・女性の解放と参政権の授与、財閥解体による経済の集中排除、農地解放
  ・マーシャルプランにより援助物資の大半が米国から供給、フルブライト奨学金
 問題のある所
  ・米軍の戦争犯罪の正当化
  ・日本人の意識革命
   日本が全て悪いという考え、日本の環境を無視した民主主義思想の導入、
     
権利の重視、義務、責任の軽視
  ・米国依存意識の強化
   マーシャルプラン、フルブライト奨学金、米国に頼りきった経済
   ・占領軍はレッドパージを行ったが、その政策推進に役立つとあれば、当時対立 状態にあったソ連や共産主義の大国化する中国の成立の基本となる左翼思想を持つ人達の活動を認めてきた。
   ・米軍の日本国土の軍事基地化

当時の日本人の状態
  ・敗戦のショック、日本人の価値観の全否定、
  ・神道の否定、仏教の沈滞、地獄・極楽の説法の現代化の遅れ→その結果日本人の心を支える宗教がなくなった。
 それで米国の日本人の意識改革も容易にする土壌があった。
 私たち戦前、戦中派の中でも、米国の言うことをそのまま受け入れた一部の人と、表立っては言わずとも、内心で日本、米国の良い所、悪い所を取捨選択しようとした、多くの人達に別れた。
   これが戦後に日本が急速の悪い意味での欧米化しなかった理由だと思う。

1954年(29年):ビキニ環礁で水爆実験、第五福竜丸の乗組員が被曝する
1955年(30年):自由民主党、日本社会党が設立、神武景気
 ここで事実上の自民党一党支配態勢が続き、今の政治の官僚支配、膨大な赤字財政が続く温床となった。

1956年(昭和31年):ソビエト連邦と国交回復。
1958年(33年):岩戸景気
1960年(35年):日米安全保障条約延長、安保反対闘争起こる。
1962年(37年):オリンピック景気
1964年(39年)東海道新幹線開通。東京オリンピック開催
1965年(40年):日韓基本条約調印。
1966年(41年):日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気
1968年(43年):小笠原諸島が復帰。ベトナム戦争反戦運動・学生運動非常に高まる。
1972年(47年):札幌オリンピック開催。 沖縄返還。日中共同声明。中華人民共和国と国交正常化(台湾断交)。
1973年(48年):第一次オイルショック 
1978年(53年):日中平和友好条約
1979年(54年):第二次オイルショック。
1985年(60年):日本電信電話公社・日本専売公社が民営化、日本電信電話(NTT)・日本たばこ産業(JT)の発足。プラザ合意。
1987年(62年):この年からバブル景気(平成景気)が始まる。国鉄が分割民営化、JRグループの発足。ルーブル合意
1989年(64年):昭和天皇崩御(逝去)。平成に改元。激動の昭和が幕を閉じる。

昭和後半の明暗
 良い所
  世界から理想的共産主義国家と言われるほど、一億総中流意識を持つほどの国となる。
 問題のある所
  国民の多くが、もの事の真実を見えなくなったこと、または見ようとしなくなっこと  その特徴はあるスケールを持って全てを判断し、自説に都合の悪い所は眼を瞑るという特定グループやマスコミ、ネット住人の政治家化だ
 例えば、
○独立しても自主性を無くしているか自己判断ができない。
○米国から与えられた憲法は絶対視する
○日本の米国の依存体質、日本が事実上の米国の軍事保護国である事実を言わない。
○米国の戦争犯罪、米国が世界の多くの国から受けている批判は避ける。
○経済の拡大を言っても、中国の台頭に伴う日本経済の縮小、貧困化は言わない。
○世界的な資源の枯渇の対策に触れようとしない。
・支配される人は基本的に善、支配する人や政党、大企業は基本的に悪とする
・宗教、組合、左翼などの特定グループについての批判や報道を避ける   
・世界での世論調査で日本が好ましい国のトップになっても簡単に報道するだけで、その理由は今後の日本のあり方について評論する人はいない。。
・社会の劣化の進行について言う人達が殆どないな。
・少子高齢化に関する国民意識への批判、提言がない
 
 これら幾つかは占領軍が撒いた種が結実し始めたことを示している。       
 私は1945年以降の昭和の時代は天皇陛下から、NHKで取り上げた沖縄住民などの日本国民、政府、マスコミに(例えば○印をつけたもののように)占領軍、そしてその撤退後の米国が如何に大きなそして多くの影響の影響を与えてきたかを知るべきだと思う。
  それと付け加えねばならぬのは、歴史上にははっきり現れないが、(・印に示したような)左翼思想もまた今も日本の国や社会に大きな影響を与えてき ているかも 知るべきだ。

 私たちは今こそ独立国の日本人として、自分の頭で考えねばならないと思う。


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6 コメント

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戦争の教訓は生かされているか (rakitarou)
2008-05-01 18:21:12
初めてコメントさせていただきます。私は無党派様とは恐らく2世代位若い年代になります。

私は何故日本は無謀とも言える戦争に突入していったのかに非常に興味があります。また若い世代に日本の未来を托す上で300万人もの犠牲を払い、人類初めての原爆まで体験した我々日本人が本当に戦争から得た教訓を現代に生かしているのか疑問に思っております。

戦前の日本は全て悪、という道徳的善悪観念で歴史を語ることは100%誤りであると思いますし、戦後の右翼左翼のありかたはどうも普通の日本人から政治的思考を排除させ、思考停止の状態でただ働くだけの国民に仕立て上げる「支配構造」の一つであったように感じています。この辺りを自らのブログに少しずつ考察してゆきたいと思っておりますが、昭和史を生きた先輩としてこれからもご意見を伺いたく存じます。宜しくお願いします。
返信する
GHQと左翼 (破れ傘)
2008-05-01 21:48:42
大筋同意します。

GHQは日本の戦前の体制を徹底的に否定することで日本人の誇りを粉々に砕きました。その結果、自己の生存の源となる国家に対してまでも、常に疑いを持ち騙されまいと身構えるような心を国民に植えつけました。そしてGHQは、民主主義や個人主義及び自由主義を基本とした憲法を日本人に与えました。この憲法はかなり特殊なもので、どの国の憲法でも明記しているはずの国家の歴史及び文化を称揚する記述がまったく無いものでした。そして、多くの国民が国旗をたてることすらはばかるような国になりました。このように、日本人は自分の国に誇りをもたず、独立国家なら当然有しているはずの軍隊ももたず、自国の運命すらひたすら米国に頼る情けない国家に成り下がりました。GHQの占領作戦はみごとな成果を収めたと言っていいでしょう。

一方左翼政党ですが、一時期は労働運動においてそれなりの成果を上げ支持者もそこそこいました。しかし、産業空洞化が言われだした頃からもはや先鋭な組合活動の時代ではないという認識が共有されるようになり、徐々に組合の存在意義が希薄になっていきました。それと共に組合員の数も漸減していきました。左翼政党の支持者は組合員が大半であったため、その数が減ってきたことは、左翼政党にとって痛手でした。もともと左翼は反体制であり、強大な国家権力から国民を守るというのが建前でしたが、今では「反日」勢力であるかのような言動が目立ち、信用がおけない政党に成り下がっていると思います。

戦後、官職追放の憂き目にあった人たちに成り代わって教育界やマスコミ界に大挙して参入してきたのは左翼思想にかぶれた知識人でした。彼らは自己の職務において多くの人々に影響を及ぼしてきました。その被害は甚大で、管理人様がご指摘のような悪弊がところどころにみられます。しかも、いまだに各界において強い影響力を持ち、活動を続けています。

管理人様も指摘されているように、このような事実をまず知ることから、すべては始まるのだと思います。
返信する
ブログ内容に釣り合わないコメントですが… (若者)
2008-05-02 00:06:43
時々読ませて頂いてます。


私は、戦後の日本が完璧な民主主義や欧米化しなかった理由の1つに、天皇陛下の存在があったのではないかと思ってます。
そして、それが日本の良いところだとつい最近感じました。


それに気が付いたのは、海外留学に行ったのがキッカケだったのですが。日本にいると日本の良さが実感できませんでした。
何で気が付かないのか、個人的な意見ですが、根本的には現在の会社などの上役あたりの年代の方々に問題があるように感じます。
このあたりの話はまだ考察中なので、触りだけですみません。
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Unknown (まみこ)
2008-05-02 16:07:48
こんにちわ。はじめておじゃまいたします。

私も、この番組はずいぶん前に、NHKbshiで観ました。
私も大谷氏は好きではありませんが、
しかし、ぜひ最後まで見て頂きたかったです。
特に、あの1月7日昭和天皇がお亡くなりになられた
秋田の横手市の町並みの日の丸の反旗を見て欲しかった。あれだけの国旗。
横手市の方達の気持ちに、
思わず、胸が熱くなりました。
返信する
誇りとは (くるみ)
2008-05-03 11:18:04
今更ながら敗戦の痛手の大きさを感じています。
もはや日本に暮らす大半の人々が誇りを失った恥知らずの国民に成り下がってしまったとすら思います。
特にマスコミの責任は大きく、7年に及ぶGHQの検閲で良識あるジャーナリストはほとんど駆逐され、戦前の日本=軍国主義=悪というロジックが確立してしまいました。特に朝日新聞の報道姿勢は反日一色に染まり、好んで日本古来の歴史を否定し続けています。公共放送であるNHKもご多聞にもれず、ただひたすら「反戦・平和」を唱えるお花畑グループの正会員となっています。
戦前の日本がなぜ無謀な戦争に突入していったのか、私見を簡単に申し述べます。
明治期のアジアの独立国は日本とタイだけでした。アヘン戦争に敗れた清の無残な姿に危機感を覚えた日本は富国強兵政策を推し進めました。日清戦争を経て日露戦争で勝った日本を欧米列強は敵視するようになります。
欧米の白人は肌の色が異なるアジア人を今なお同格とは見ていません。当時の日本はアジア各国の近代化を期待しましたが、欧米の支配は強まるばかりでした。それならわが手でと大陸に進出しましたが、中華民国は侵略の意図を巧妙に隠した欧米に利用され、あろうことか、日本の行為を「侵略」と決め付けて阻みます。大陸に信用のおける政府を樹立するためやむなく満洲国を建国しても欧米社会から非難を浴び、ロシア革命で誕生したコミンテルンの策謀などによって、資源供給の道を断たれた日本は米英戦に踏み切りました。
大国ロシアに勝ったおごりもあったでしょうが、日本はアジアが欧米の犠牲になることが我慢できなかった。米国の理不尽な要求をのんでアジアの欧米支配を許すことは、いずれその波が日本に押し寄せると判断したからです。同盟を組む相手を間違えましたが、当初はコミンテルンの赤化を防ぐための「防共協定」だったのです。
大陸進出は現地の人々にとって余計なお世話だったのでしょうか。もしそうなら、日本に指図されるより欧米の植民地になった方が良かった。誇りを捨て、見て見ぬふりをしていれば良かったのですね。ドイツやロシアを信じたのも甘かった。しかし、いずれも結果論であり、現在進行形の危機を克服するには決断が必要だったし、当時の状況下で対米英戦を選択したことが完全な誤りだったと言いきることは私にはできません。彼らは日本人としての誇りにかけてあのような決断をしたと思います。
現在の日本は形だけ独立国ですが、破れ傘さんのおっしゃるように米国の属国です。真の姿は「アメリカ合衆国日本自治領」ですね。戦前の日本人が危惧していた通りになってしまいました。属国であることに気づこうとしない国民は、年金やガソリン代なんかで騒ぐだけの低レベルの政治しか考えず、国のありようを論議しようとすると「ウザイ」と言って放り出す。サヨクも右派も自分と異なる意見を耳にすると、「軍国主義者」「非人道的」「売国奴」と切り捨ててしまうようなレッテル貼りが横行する言論封殺勢力ばかりだから、議論がほとんどかみ合わない。
国のために命を犠牲にした人たちのことを考えると、本当にやりきれない。日本が真の独立国になる日は来るのでしょうか?

それとまみこさん、「反旗」ではなく「半旗」ですよね。ウザイかもしれませんが、意味が全く逆になってしまうのでご注意を。

長文失礼しました。
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Unknown (jtake)
2008-05-04 08:26:47
はじめまして。
戦前の記憶をお持ちの方とこうしてコミュニケーションできるというのはありがたいことです。

>私は何故日本は無謀とも言える戦争に突入していったのかに非常に興味があります。

これは一般的には不評を買う意見だと思いますし、こういうことを言う人は少ないと思いますが、私は、ずばり、「世論」だと思ってます。

満州の利権、軍部の暴走、共産主義者の陰謀、アメリカの国策などなど、原因を挙げればきりがないのでしょうが、世論の圧倒的な支持というのがあった。つまり、開戦は国民の支持を得ていたというのが現実ではないでしょうか。勿論、その世論形成の為に国際な謀略が存在したのだと思うのですが、国民、マスコミは無謀だろうがなんだろうが、支持してしまったのだと思います。また、戦後GHQの洗脳政策がここまで成功した背景には、国民が開戦を支持した後ろめたさから、その罪悪感を払拭してくれるGHQの捏造ストーリーに乗ってしまった事があるのだと思います。

戦前を経験された方にご意見をいただければと思います。
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