<<真の平和運動とは>>
8月に入ってまた平和運動が始まった。
NHKを始めてとして各民放でも、国民まで巻き込んだ沖縄の惨状や、広島、長崎の原爆被害の恐ろしさを伝えていかに戦争が恐ろしいものか、そして二度とこのようなことを繰り返さないように、二度と日本が軍国主義になってはならないと強調している。
それは私たちが決して忘れてはならない事だ。
然し、運動はそれだけに止まっている。
少し意識の高い人達は、超法規で日本人が戦争犯罪人として処罰されても、国際法またはその精神に違反した、違反原爆投下や、空襲で民家を焼き払ったり、民間人に機銃掃射をしたりした国が、戦争犯罪に問われない戦争の不条理さや、戦争が人間を変えてしまう恐ろしさなど知っている。
広島の原爆被害者の慰霊碑に「過ちは繰り返しません」とあるが本当は誰が謝らねばならぬのかと思うのは私だけでないと思います。
然し国営放送であるNHK(何故か民放までも)がこのことは言いにくいことだ。
小沢さんが戦争時の米国の行為にたいして抗議しろと言うのに、安倍さんがその米国から日本が護られている実情から難しいと答えたのと同じ理由で平和運動にも限界があり、上滑りになりやすい。
だから、それを見た一般視聴者の反応は、戦争は怖い、敵が攻めてきたら逃げるくらいに止まるか、軍国主義は怖い→現実無視の自衛隊反対の議論に流れやすい。
考えねばならないのは、その惨状を招いた根本の原因の追求だ。
それは軍国主義だ。
軍国主義の日本の権力者が、国民の意志に関わらずに、その思うがままにしてきたかは紙面の関係で省略するが、今の北朝鮮の実情を見れば直ぐ判る事だ。
一旦、軍国主義者が政権を取れば、戦争反対などの声は圧倒的な力に抑え込まれ、あれよあれよと言う間に戦争に突入する可能性もあるのだ。
我々は如何に軍国主義化するのを防ぐのかを考え、それを提言するのが本当の平和運動だと思う。
<<日本が歩んだ軍国主義の道>>
過去日本を揺るがした、五・一五事件と二・二・六事件の記録から日本が如何に軍国主義の道を歩いたか纏めてみた。
[五・一五事件]
当時の背景
1929年の世界恐慌に端を発した大不況、企業倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。
1928年に行われた衆議院議員総選挙では、与党である政友会内閣による官憲を使った野党の民政党への選挙干渉が行われた。
1931年 関東軍の一部が暴走して満州事変を引き起こした。
1932年 五・一五事件で犬養毅が暗殺されてからは軍部に圧迫されて衰退し、政党政治は終焉して軍人首班の内閣となる。
[二・二・六事件]
当時の背景
不況・貧困・政治腐敗が蔓延していた。
軍内部では、極右に近い考えを持つ皇道派と統制派の対立があった。
1936年 皇道派の一部将校により二・二・六事件が起こる。
合法的に政府に圧力を加えることを目的とした統制派が優位に立つ。
1940年 大政翼賛会発足
1941年 全体主義色の強い東條内閣成立。
以上 Wikipeida 及び、 『二二六事件の謎を追う』 中田氏 による。
ここで注目願いたいのは、当時の日本の実情だ。
社会は、不況、企業倒産、社会不安。
政治は、政治家の腐敗、与党による野党への選挙干渉だ。
これは明らかに民間人から選ばれた、政党の責任だ。
もし、政治家達が適切な政治をしており、例え政府ではどうにもならぬ不況でも国民とのコミュニケーションがうまく取れていれば、純情な若手将校が決起することも無かったろうし、胸に一物ある軍の高級幹部につけ込まれることはなかったと思う。
<<真の平和運動とは>>
勿論、現在の日本では憲法ではこの点に付いての歯止めもかかっているし、それでなくても自衛隊が無謀な行動など絶対にないと信じている。
当時と比べると、今の日本はまだ行き詰まってはいないと思うが、一般市民の収入の減少、格差の程度の増大、伝えられる高級官僚の優雅な暮らし、年金問題で知られた下級官僚の怠業、800兆を超える借金や政府関係施設の競売になっても問われない政治家や官僚の責任、拉致問題解決の行き詰まり、米国の態度の変化、日本の孤立化の傾向などなど。
五・一五事件や二・二・六事件当時と唯一共通しているのは、国民に拡がる言いようの無い閉塞感だ。
閉塞感の中で国民で心の中で願うのは、スーパー・パワーだ。
例えば、米国の占領軍が日本に与えてくれたものの最大のものは、絶対的権力で行った日本人単独では手のつけようの無かった、地主と小作農制度の廃止をしてくれた。
現在、民主党は参院選の勝利で、自民党に継ぐ権力機構となった。
もし両党が党利党略に走り、国民無視の権力争いに終始していたら、そして例にあげた問題が何一つ解決されないときは、国民の閉塞感はより増大して、中にはスーパーパワーの出現を期待する環境も生まれてくるかも判らない。
何しろ彼らは、核兵器を作るかも知れないが、地位を利用して上手いことをしている官僚やそれに結びついている政治家を牢にぶち込み、仕事をさぼっている全ての下級官僚を馘にしてくれるのだから。
国民が戦争の惨禍を二度と経験しない為には←国の軍国主義化を防ぐこと←それを防ぐ政治の活性化と緊張感を持った政治家←それを生ませる国民←そのための国民の意識改革が本当の平和運動と思う。
第二次大戦であれだけの大敗をした日本が二度も「同じ過ちをする」程日本人が馬鹿ではない筈だ。
然し、念には念を入れて平和運動をするのは良い事だ。
そして私の言う様に政治の問題を取り上げるもまた難しいこともあると思うが、戦争の惨禍を二度と味あわずに済む様な、適切な国民への啓蒙活動も含めて貰いたいものだ。
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8月に入ってまた平和運動が始まった。
NHKを始めてとして各民放でも、国民まで巻き込んだ沖縄の惨状や、広島、長崎の原爆被害の恐ろしさを伝えていかに戦争が恐ろしいものか、そして二度とこのようなことを繰り返さないように、二度と日本が軍国主義になってはならないと強調している。
それは私たちが決して忘れてはならない事だ。
然し、運動はそれだけに止まっている。
少し意識の高い人達は、超法規で日本人が戦争犯罪人として処罰されても、国際法またはその精神に違反した、違反原爆投下や、空襲で民家を焼き払ったり、民間人に機銃掃射をしたりした国が、戦争犯罪に問われない戦争の不条理さや、戦争が人間を変えてしまう恐ろしさなど知っている。
広島の原爆被害者の慰霊碑に「過ちは繰り返しません」とあるが本当は誰が謝らねばならぬのかと思うのは私だけでないと思います。
然し国営放送であるNHK(何故か民放までも)がこのことは言いにくいことだ。
小沢さんが戦争時の米国の行為にたいして抗議しろと言うのに、安倍さんがその米国から日本が護られている実情から難しいと答えたのと同じ理由で平和運動にも限界があり、上滑りになりやすい。
だから、それを見た一般視聴者の反応は、戦争は怖い、敵が攻めてきたら逃げるくらいに止まるか、軍国主義は怖い→現実無視の自衛隊反対の議論に流れやすい。
考えねばならないのは、その惨状を招いた根本の原因の追求だ。
それは軍国主義だ。
軍国主義の日本の権力者が、国民の意志に関わらずに、その思うがままにしてきたかは紙面の関係で省略するが、今の北朝鮮の実情を見れば直ぐ判る事だ。
一旦、軍国主義者が政権を取れば、戦争反対などの声は圧倒的な力に抑え込まれ、あれよあれよと言う間に戦争に突入する可能性もあるのだ。
我々は如何に軍国主義化するのを防ぐのかを考え、それを提言するのが本当の平和運動だと思う。
<<日本が歩んだ軍国主義の道>>
過去日本を揺るがした、五・一五事件と二・二・六事件の記録から日本が如何に軍国主義の道を歩いたか纏めてみた。
[五・一五事件]
当時の背景
1929年の世界恐慌に端を発した大不況、企業倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。
1928年に行われた衆議院議員総選挙では、与党である政友会内閣による官憲を使った野党の民政党への選挙干渉が行われた。
1931年 関東軍の一部が暴走して満州事変を引き起こした。
1932年 五・一五事件で犬養毅が暗殺されてからは軍部に圧迫されて衰退し、政党政治は終焉して軍人首班の内閣となる。
[二・二・六事件]
当時の背景
不況・貧困・政治腐敗が蔓延していた。
軍内部では、極右に近い考えを持つ皇道派と統制派の対立があった。
1936年 皇道派の一部将校により二・二・六事件が起こる。
合法的に政府に圧力を加えることを目的とした統制派が優位に立つ。
1940年 大政翼賛会発足
1941年 全体主義色の強い東條内閣成立。
以上 Wikipeida 及び、 『二二六事件の謎を追う』 中田氏 による。
ここで注目願いたいのは、当時の日本の実情だ。
社会は、不況、企業倒産、社会不安。
政治は、政治家の腐敗、与党による野党への選挙干渉だ。
これは明らかに民間人から選ばれた、政党の責任だ。
もし、政治家達が適切な政治をしており、例え政府ではどうにもならぬ不況でも国民とのコミュニケーションがうまく取れていれば、純情な若手将校が決起することも無かったろうし、胸に一物ある軍の高級幹部につけ込まれることはなかったと思う。
<<真の平和運動とは>>
勿論、現在の日本では憲法ではこの点に付いての歯止めもかかっているし、それでなくても自衛隊が無謀な行動など絶対にないと信じている。
当時と比べると、今の日本はまだ行き詰まってはいないと思うが、一般市民の収入の減少、格差の程度の増大、伝えられる高級官僚の優雅な暮らし、年金問題で知られた下級官僚の怠業、800兆を超える借金や政府関係施設の競売になっても問われない政治家や官僚の責任、拉致問題解決の行き詰まり、米国の態度の変化、日本の孤立化の傾向などなど。
五・一五事件や二・二・六事件当時と唯一共通しているのは、国民に拡がる言いようの無い閉塞感だ。
閉塞感の中で国民で心の中で願うのは、スーパー・パワーだ。
例えば、米国の占領軍が日本に与えてくれたものの最大のものは、絶対的権力で行った日本人単独では手のつけようの無かった、地主と小作農制度の廃止をしてくれた。
現在、民主党は参院選の勝利で、自民党に継ぐ権力機構となった。
もし両党が党利党略に走り、国民無視の権力争いに終始していたら、そして例にあげた問題が何一つ解決されないときは、国民の閉塞感はより増大して、中にはスーパーパワーの出現を期待する環境も生まれてくるかも判らない。
何しろ彼らは、核兵器を作るかも知れないが、地位を利用して上手いことをしている官僚やそれに結びついている政治家を牢にぶち込み、仕事をさぼっている全ての下級官僚を馘にしてくれるのだから。
国民が戦争の惨禍を二度と経験しない為には←国の軍国主義化を防ぐこと←それを防ぐ政治の活性化と緊張感を持った政治家←それを生ませる国民←そのための国民の意識改革が本当の平和運動と思う。
第二次大戦であれだけの大敗をした日本が二度も「同じ過ちをする」程日本人が馬鹿ではない筈だ。
然し、念には念を入れて平和運動をするのは良い事だ。
そして私の言う様に政治の問題を取り上げるもまた難しいこともあると思うが、戦争の惨禍を二度と味あわずに済む様な、適切な国民への啓蒙活動も含めて貰いたいものだ。
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平和運動の人はよく
「(被害者も加害者も)過去の罪を忘れないことが未来の平和につながる」と言いますよね。
しかし、歴史を勉強すればするほど「過去の罪を忘れないこと=憎しみを忘れないこと」であって、
「過去を忘れないこと」こそ民族・宗教対立の原因に思えてなりません。ユーゴ内戦がいい例だと思います。
本当に戦争を防ぎたいなら、むしろ客観的な視点から歴史的事実を見るべきではないでしょうか。