毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

心を込めて寒中見舞いを

2016-01-07 09:08:47 | 日記

  昨日は、二十四節季の一つ小寒(しょうかん)だった。

 暦の上では、この日から節分(立春の前日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、この日を「寒の入り」とも言う。この季節は最も寒さの厳しい時期だというが、今年は、少し様子が違う。例年に比べ暖かい日が続いている。熊本では日中の最高気温が18℃を超え、3月中旬か4月初旬のような日があった。

 今日、気象庁が発表した向こう1か月間の天候の予想は

 「この先、東日本・西日本周辺では冬型の気圧配置が弱く、日本付近には南から暖かく湿った空気が流れ込みやすい。」「2月上旬にかけて気温は東日本と沖縄・奄美で平年より高く、西日本で平年並みか平年より高くなる。北日本は平年同様、寒気の影響を受けやすいため、2月上旬にかけての気温は平年並みを見込んでいる」。

 冬は暖かいに越したことはないが、やはり例年通りの寒い日が懐かしい。

 暖冬の影響が各地で起きている。東北地方の湖では氷が張らず、ワカサギ釣りができないという。スキー場では雪が少なく営業もままならないと悲鳴があがる。桜や梅などの花が各地で開いている。狂い咲きとでもいおうか。野菜の出来も異常だそうだ。出来すぎて廃棄する農家もある。

 この日から年賀に変わり寒中見舞いを出し始める。

 「喪中につき年頭のご挨拶は失礼させていただきます」と、年末に何通かの「喪中欠礼」のはがきをいただいた。年とともにだんだんと増えている。知人友人もそれなりに年を取ったせいだろう。明日は我が身となんだか寂しくなってくる。

 「喪中欠礼」の手紙をいただいた方々に、心込めて「寒中見舞い」送ることとしよう。おかげさまで元気で新しい年を迎えることができましたと、一言付け加えることも忘れまい。 


たくさんの年賀はがき、ありがとうございました。

2016-01-06 10:20:10 | 日記

 お正月に、たくさんの〝年賀はがき”をいただきました。その中から、同窓生(昨年傘寿を迎えた)のいくつかを紹介させていただきます。

  昨年9月8日の「傘寿の年に最後の同窓会」に参加された、山口さんからの楽しい絵手紙です。

 〇同窓会懐かしい方々と沢山お会い出来てうれしかったです。三角さん

 〇さまざまな歴史をもつ、お互いの年齢80歳となりました。あの時曲がりなりの我が身体、今は少し改善しています。秘密は2本杖のノルディックウォーキングです。魔法の杖に身体を預け、次年の再開を楽しみに。 横田さん

 〇思い返せば学園勤務時代、市営住宅から畑と田んぼの畦道、グランド下の小路をマムシを気にしながら通ったことを思い出します。良き時代でした。私も老妻と元気に暮らしています。長生きしましょう。 川浪さん

 〇少しずつ賀状交換が減ってきます。せいぜい見届ける側になるよう努めましょう。 吉本さん

 〇同窓会のお世話ご苦労様でした。 私と一緒に世話役を務めた西さん

 〇大変お世話になりました。楽しかったです。近況報告。妻ー動けなくなり介護施設に入所させました。寂しい一人生活です。原口さん 

   ※同窓会には福岡から泊ることなく日帰りでの参加でした。奥さまはショートスティだったそうです。

 〇同窓会もおしまいになり寂しいですね。土持さん

   ※土持ちさんは、病気で同窓会には参加されませんでした。

 〇〝傘寿越え我が未開地の広いこと”という感じです。 片倉さん

 そのほかに

 〇「人生をリセットできればあの当時にもどりたいです」

   〇「能力と体力の低下を最小限にとどめて行こう」

   〇「〝どこまで行っても明日がある”の構えで過ごそう」。

 誰もが分け隔てなく戴く新年のお年は82歳、この年になればもういただかなくてよいのですが。老いを感じるお正月でした。

    


テレビの前でお正月

2016-01-04 14:18:32 | 日記

 お正月のテレビで、スポーツ放送が楽しみでならない。特に駅伝、見ているうちに幸せを運んで来るやに思う。他にも、サッカー、ラグビー、バスケット、バレー、アメフトなど沢山のメニューが目白押し。

 元日の朝、除夜の鐘を聞くと同時に家族全員で初詣。初詣が終えて我が家に帰ると古(いにしえ)の懐かしい映画「ベン・ハー」が映っていた。何度も見た映画だが、当時人気俳優のチャールトンヘストンと久しぶりのご面会。見終わってベットにもぐりこんだのは午前5時を過ぎていた。目を覚ましたのは10時過ぎ。

 楽しみにしていた全日本実業団駅伝はすでに6区を過ぎている。だが、寝不足でじっくりと応援する気にはなれない。群馬の強い空っ風に悩まされ走り続ける選手の姿と、優勝したトヨタ自動車だけは覚えている。

 翌2日は箱根駅伝の往路。元日の寝不足も解消し朝早くからテレビの前に座り込んだ。優勝候補は青山学院と駒沢大に東洋大という。

 午前8時、東京読売新聞社前を参加21チームが一斉にスタートした。青山学院の第1走者は九州学院(熊本)出身の久保田選手。一生懸命応援した。1位で中継点の次走者にタスキを渡した。見ているだけで気が高ぶってくる。見事な走りは区間賞。お見事。往路優勝はぶっちぎりで青山学院、2位は東洋、3位は駒沢。何年ぶりかの完全優勝だった。おめでとう。

 駅伝が終わるとテレビの画面は高校サッカーに変わった。郷土代表の大津対前橋育英の強豪対決。前橋育英は前回の準優勝校。試合は追いつ追われつ2:2の好試合となったが、PK戦に入るかと思われた後半のロスタイムに、前橋育英が勝利のゴールを決めた。残念、大津が1回戦で姿を消した。

 3日は箱根駅伝の復路。今日も朝早くからテレビの前に座り込んだ。往路優勝の青山学院、復路も断然の強さを見せ10区間10時間53分25秒で2年連続の総合優勝を果たした。往路から1度もトップを譲らず完全優勝だったのは39年ぶりという。1区で区間賞を取った久保田選手は最優秀選手に選ばれた。喝采、喝采。2位は東洋大、駒大は3位。青山学院の区間賞は10区間で6、区間2位が2。6区(山下り)で区間新記録を出した日体大の秋山選手の力走がめだった。

 引き続いては高校サッカー。福岡代表の東福岡対市立舟橋、強豪同士の対決。両者一歩も引かず、0対0で最後はPK戦にもつれ込んだ。見ているだけで気がつまりそう。東福岡がPK戦5:3でものにしべスト8へ進んだ。大津が敗退してからは九州勢の活躍に期待し活躍を祈るばかり。10日の準決勝が待ち遠しい。

 他にも、ラグビー全国大学選手権、サッカー天皇杯、アメフト・ライスボール。どれを見ようかと迷ったものだ。楽しいお正月の3日はテレビの日となった。こんな幸せいつまで続くことだろう。


テレビにでるかな、82歳のお正月

2016-01-01 20:08:25 | 日記

 新年あけましておめでとうございます。また1つ年をいただき、元気で82歳を迎えることができました。

 大晦日の夜は、家族そろって娘の家で年越しの大宴会です。ビールやワインで乾杯しました。孫の4大陸の旅の土産ばなしには、みんなが聞き耳を立てたものです。孫以外は知らないペルーやキューバ、スペイン、インドネシアのたくさんの写真に、座は最高に盛り上がりました。年越しそばを食べ終わるころです。テレビから、永平寺の除夜の鐘が聞こえてきました。新しい年の始まりです。

 熊本城の守り神、加藤神社は歩いて15分くらいのところに建っています。家族全員で初詣に出かけました。

 社殿は初詣の参拝客で埋まっています。なかなか前に進むことができません。人の流れに身を託すばかりの初詣です。すぐ横にはライトアップされた熊本城の天守閣が見えます。ぼんやりと周囲を眺めながら社殿に進むのを待っていました。

 その時です。おめでとうございますと私たちに呼びかける声が聞こえました。声をかけたのは、大きなカメラを抱えた方たちとスタッフ、テレビ局のクルーの方々です。「お話しをお聞きしてよろしでしょうか」といわれながら、大きなカメラが目の前に近づいてきます。

 〝うちの奥さま”と〝娘夫婦”はとっさにそこを離れたようです。取り残されたのは孫と私。アナウンサーらしき人から「初詣や今年の抱負など」質問が次々と出されます。初めての経験、つまり街頭録音でしょうが、大勢の参拝客の中からなぜ私たちが選ばれたのでしょう。不思議でなりません。

 何を聞かれ、なんと答えたか、慌ててしまい全く覚えていません。最後にアナウンサーと一緒にダンスです。私のダンスはまったく無様だったことでしょう。それが終わると指を立て右手を大きく振り上げました。

 「放送してもよろしいでしょうか」と書類を出され、若い孫は大いに乗り気のようす。2人で署名しました。

 「放送予定は7日〝TKUのテレビタミン”です。」放送されないこともあります。といわれたあと、クルーの方は別の場所に移動されました。まったくのハプニング、今年は何か良いことがありそうではありませんか。

 初詣を終えると、先着2000人の参拝者に配られる紅白の縁起餅をいただき、午前1時過ぎに家に帰りつきました。あとでお聞きしたのですが、元旦の参拝客は28万人だったそうです。

 テレビをつけると、昔何度も見たことのある「ベン・ハー」が放送されていました。〝うちの奥さま”懐かしそうに見ています。放送が終わったのは午前4時半。ローマ旅行の折に訪れた「チャールトン・ヘストン扮するベン・ハーが仇敵メッサラーと戦車競走で相まみえ、死闘を制した撮影現場」を懐かしく思い出しました。