毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

原発の町に虹が出た

2016-01-16 15:58:45 | 日記

 新幹線で、熊本から薩摩川内の職場まで毎日通っている娘から、虹が出たとメールが入った。

   

 熊本では虹を見ることがほとんどない。美しい虹が、私たち夫婦を川内の町に近づけてくれたようだ。娘が川内に通っているうちに、1度は訪れることとしよう。

 ご存じのとおり薩摩川内は原発の町。9月に川内原発1号機が、周囲の反対を押し切りながら運転を開始した。引き続いて2号機も11月17日、原子力規制委員会の最終検査を終え、営業運転に移行した。福島の原発事故を思い出すと再稼働には大いに不安が残る。

 再稼働後、県や関係市町を挙げて初めて実施された原子力防災訓練。避難への不安がつきまとう要支援者や5キロ圏内の住民は、筋書きに沿って移動手段や情報伝達の流れを確認したが、「とにかく人手がいる」「突然の避難で動けるのか」と訓練に理解を示しながらも、想定外の不安をあらためて認識した。

 避難訓練だが、娘たちのように川内に遠くから通勤している人の訓練はどうなっているのだろう。原発の安全神話が壊れたいま、事故は絶対にないとはいいきれない。娘が働いている時間に事故がおきればと心配がつきない。

 1997年3月26日、川内原子力発電所のある薩摩川内市などで起きたマグニチュード6.5~6.3の鹿児島県北西部地震、同年5月13日、同じく薩摩川内市などで起きたマグニチュード6.1の第2鹿児島県北西部地震の際には、自動停止装置が作動しなかったとある。いずれの地震も直下型地震で、最大震度は3月26日の川内市で震度5強、5月13日の川内市においては震度6弱であった。事故が起きなかったのが不思議なほどだ。

 〝うちの奥さま”初詣で神様に「娘を1日も早く原発のないところに転勤させてください」とお願いしたそうだ。


青ガエルのラストラン

2016-01-14 10:50:47 | 日記

 「菊池電車」と愛されている熊本電鉄(本社熊本市)のお爺さん電車。北熊本駅と上熊本駅間を結び、その愛くるしい見た目から「青ガエル」の愛称で鉄道ファンに長い間親しまれている1957年に製造された元東急の5000系車両。1985年に東急電鉄から譲渡された。車両の寿命は約30年といわれているが、58年もの長い間現役で走り続けているのは全国でこの1台だけ。  

 熊本電鉄の車両群。両端は6000系、中央は〝青ガエル”

  (青ガエル)       (自転車も一緒に)        (走る青ガエル)      (北熊本駅で青ガエル)

 お爺さん電車の「青ガエル」老齢のため、今年限りで現役を引退することが決まっていたが、先日、熊本電鉄から「ラストラン」を2月14日に決めたと発表された。

 これからの数日、菊池線を走る全国最後の電車「青ガエル」に乗るために、たくさんの鉄道ファン「撮り鉄」が、写真を撮ろうと全国から訪れてくることだろう。「丸みを帯びた下ぶくれの顔に〝愛嬌がある、かわいい”、レトロで雰囲気がある車両。引退するまでにもう1度乗りたい」と、ラストランの日には全国の鉄道ファンが大勢、熊本を訪れることだろう。 

 

 これからの運航予定は、1月10日から2月7日までの毎週日曜日と、同月13日、14日。14日は夕方からの9往復、それ以外は1日28往復する。

 私の毎朝の散歩コースは坪井川の遊水公園。1周すると約5.5キロ。遊水公園のへりを取り巻くように元気に走る「青ガエル」との毎朝のご面会が楽しみでならなかった。だが、それも後しばらく。味気ない朝の散歩となりそうな気になる。

 「撮り鉄」ではないが、「青ガエル」最後の雄姿と消えてゆく車内風景をカメラに収めるために、次の日曜日はあけておきます。

 

 

 

 


3連休はテレビ三昧、疲れました

2016-01-12 14:09:31 | 日記

 今年初めての3連休。テレビ番組を見るとスポーツ番組のてんこ盛り。見たい番組ばかりで困ってしまった。

 9日は「春の高校バレー2016」準決勝、熊本代表の鎮西高が駿台高を破り決勝進出。おめでとう。テレビの前だがしっかり応援できて嬉しかった。

 「全国高校サッカー」準決勝は東福岡が星稜を破り決勝進出。熊本代表の出番はなくても我が家に近いところを応援したい。明後日の国学院久我山との決勝戦が楽しみになってきた。

 10日は「春の高校バレー2016」の最終日。男女の決勝が開かれる東京体育館は超満員。いよいよ熊本代表の鎮西高校が強豪東福岡に挑む。九州勢同志の対決だが、やはり地元鎮西に応援したくなる。だが鎮西は完敗。残念だがしかたない。でも準優勝。総合力の勝利。おめでとう。

 同時に行われた「全日本高校女子サッカー」決勝は鹿児島神村学園と藤枝純心。チャンネルを何度も切り替えながらの応援だったが、神村学園、前半はリードしながら力尽きた。準優勝、ごくろうさま。そのほかには「全日本総合バスケットボール選手権」女子決勝。「春の高校バレー2016」女子決勝。大相撲も初日を迎えたが、テレビの見すぎ、少し疲れてしまった。

 11日成人の日は「全国高校サッカー」の決勝。東福岡対国学院久我山、当然東福岡を応援する。東福岡の応援スタンドには280名の部員と、昨日優勝のバレー部選手やその応援団が陣取り華やかなことこの上ない。入場者も最高の入り。結果は東福岡が文句なし5:0で国学院久我山を退け優勝。サッカーとバレーのダブル優勝。素晴らしい成果におめでとうとエールを送る。

 同じ時間帯には「全国高校ラグビー大会」決勝も行われていた。なんどもチャンネルを切り替えながらの観戦。五郎丸さんブームのせいもあるがラグビーも見逃せない。ラグビーが動ならサッカーは静の競技とでも言えようか。もちろん点の取り方だが。

 ほかにも「全日本総合バスケットボール選手権」男子決勝や、女子ハンドボールの韓国戦など多数のテレビ番組があったが体は一つ。テレビ漬けの3連休を人並みに迎えることができた。


我が町の左義長(どんどや)

2016-01-11 10:56:21 | 日記

 辞書に、左義長(さぎちょう、三毬杖)は小正月に行われる火祭りの行事とある。

 1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食べたり、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。当地熊本では”どんどや”と呼び、県内各地でその行事が行われている。

 私の住む熊本市北区の高平台校区では、成人の日に〝どんどや”が盛大に行われる。長い間続く地域の大切な行事だ。その規模の大きなことから、毎年、新聞やテレビを賑わせている。

 「成人の日」の今日は〝どんどや”。〝うちの奥さま”と一緒に、玄関に懸けていたしめ縄を持って見物に出かけた。

 大勢地域の人たちや消防団の方々が一体となって会場となる小学校の近くの竹林から大きな孟宗竹を切り出し、広い校庭に20メートル近くの高さのやぐらを組み立てている。大変な作業だ。ご苦労様。

        

 正午をまわったころ、数人の小学生が火を付けた。灰色の煙がやぐらを包み込み空高く舞いあがった。

    

 やがて、蛇の舌を思わせる真っ赤な火柱があがった。やぐらが倒れるのは早かった。ぱんぱんと竹のはじける音が周囲に広がる。そのすさまじさはたとえようがない。最高のショウだ。

    

 大人も子どもも大喜び。そばには消防車が待機していた。

 やぐらが燃え尽きるころ、父兄に連れられた子どもたちが、青竹の先の網につけたお餅を火にかざしていた。おいしいお餅がいただけることだろう。素晴らしい思い出ができただろう。

 「あと何回〝どんどや”を迎えることができるだろうか」と。年寄りのさびしいたわごと。 


七草粥の効果は

2016-01-09 10:32:10 | 日記

 1月7日は[人日の節句]。邪気を払い万病を除く占いとして、その朝七草の入った粥を食べる風習がある。

 風習に従い、朝、無病息災を祈りながら七草粥をゆっくりと戴いた。七草は小さな庭の片隅からそろえたもの。その効果は絶大、間違いないと思ったのだが、どっこい。切ない祈りは届かなかったようだ。

 夜、休むころになって右足の親指がむずがゆくなってきた。そのままベットに入ったが、しばらくすると痛みに変わった。痛みはだんだんひどくなる。まとった夜具に指が触れるたびに、こらえきれない痛みが襲う。心ならずもその夜は痛みに耐える悶悶とした夜となった。

 毎月の第二金曜日は、毎日が日曜日となってから唯一楽しみにしている碁会の日。お正月を迎え、満をみたしてその日を待っていたのだが、足が痛く片足を引きずりながら歩くのがやっとのこと。

 ”うちの奥さま”すぐに病院に行きなさいと仰る。だが、新年の碁会はとても魅力、痛い足を引きずりながらも参加してから病院に行くことに決めた。その日の成績は散々。お恥ずかしい限りだ。もちろん足の痛い精ではない。

 碁会を終えやっとクリニックについた。受付に受診券を渡したところ、顔なじみの看護師さんが「いつものお薬ですね」という。いつも貰っている十二指腸潰瘍の薬を取りに来たと思われたのだ。「いえ違います。今日は足が痛いのです。」と情けない声を出した。

 ドクターが腫れあがった右足の親指を見てから、以前の診療記録を調べ「尿酸値が少し高かったようですね。多分、痛風でしょう。痛み止めとシップ薬を出しておきます。」とおっしゃった。

 あとでお聞きすると、痛風の治療は痛みが取れてからでないと出来ないという。しばらくは痛み止めを飲んで、ひたすら痛みの去る日を待つことにしよう。七草粥をもう1度いただかないとだめだろうかな。