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エモい昭和レトロ

2021年12月21日 | TV・ラジオ・CM・映画

『A SAINT IN THE NIGHT』の中の1曲、「夜の聖者」が「武田和歌子・・・and Music。朝日放送ラジオ」で放送されました。明日中まで、ラジコで聞ける方は⇒こちら

本日放送の「ジュリーにチェックイン!」はクリスマスソング特集でした。(今日はまだ聞けていないのですが)「夜の聖者」もクリスマスソングですね。(番組でかかってはいません、前にはA SAINT IN THE NIGHTの紅茶天国がかかったけれど)


最近は昭和レトロブームとか。ひと頃は若者がはまっているという、昭和の歌謡曲を取り上げた番組が多かったのですが、近頃は昭和レトロな場所や昭和グッズも人気らしい。あちらこちらで、そんな番組をよく見ます。

先週は、30代なのに歌謡曲にメッチャ詳しい半田健人さんが、マツコさんの番組で、自らが大好きだという、昭和のマイクを解説してました。

夜のヒットスタジオのマイクが披露されたので、ジュリーを想像したら

マツコさんが、「沢田研二さん ピンクレディー」

半田健人さんは、芦屋の元同僚の自慢の息子さんの高校の同級生で、お互いにハンサムを競っていたのだそうです(^^; へ~

 


先週の「所JAPAN」12月14日(火)放送内容
『【エモいって何?昭和レトロを調査!バカリズム自宅部屋(秘)グッズ公開】』
 21:00~21:54 フジテレビ

録画したのを見ましたが、平成生まれが何でもかんでも「エモい」と喜んでいる昭和レトロ。自分たちの知らないもんは、全てが珍しく新鮮に映るんでしょうが、他人が飲み終えたカラのコップをSNSにあげて、吸い殻までエモい!という感覚はサッパリわかりません(-_-;)


(番組内容)スクランブル交差点を渡った先にあるTSUTAYAの5階のDVDフロアにはVHSコーナーがある。去年9月にVHSコーナーを 新設、本数は6000本で懐かしい作品が目白押しとなっている。デッキが無い方のためにVHSデッキを1週間1000円でレンタルしている。


私たち世代が完全に終わった、過去になった、捨てようか・・と悩んでいるVHSテープ。渋谷のTUTAYAでは、VHSの売り場を新設したそうな。今更なんで?わからんわ。

だいいち、デッキもないのにどうして見るの?と思ったら、

わざわざデッキを、1000円でレンタル。

そこまでしないと見られないものを見たい?持ち帰るの?重たいな~(-_-;)

そこで写っていたのが「魔界転生」のVHSテープなんですが

新田真剣の父、千葉真一主演、魔界転生 昭和58年公開・・て

それ間違ってます、千葉真一さん主演なら昭和56年(1981年)です。

で、後で画像をよくよく見たら、主演は渡辺裕之さん。

千葉さん主演でもない、もちろんジュリーも出てない。

調べてみたら、90年代のVシネマのようなものだったらしい。

他にも舞台化も何度もされていて、「魔界転生」が伝奇時代劇として

日本の時代劇のページに刻まれる、スタンダードな

作品になっていると思います。いまや時代劇を舞台化しようとしたら

股旅物もできないだろうし、忠臣蔵もねぇ(-_-;)

近所のレンタルDVDのTUTAYAは、どんどん閉店していますが

何にせよTUTAYAさん、一番人気のあるジュリーと千葉さん版の

VHSを置いて下さい。

私が持っているVHSの「魔界転生」のパッケージはジュリーです。

DVDも持ってます。(;´▽`A``

この9月に大きなスクリーンで40年ぶりに見たら、

殺陣や火事の迫力が段違いで、改めて感激でした。

やっぱり、映画館だなぁ・・と思いました。

 

この他、番組ではカセットデッキや、

元は個人の持ち物だったカセットテープを、音を消去して

売っていて、売る人も買う人もいるのが不思議です💦

 

あとは、伊東のハトヤホテル。

関西人ですが伊東に行くならハトヤ♪と

子どもが魚を抱えているCMはよく知ってます。

関西でもCMしてたのかな?それとも東京で見たのか?

ハトヤホテルは、古いレトロな建物好きの私には、

たまらない素敵な映像でした。

ここなら行きたいわ~✨

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レコ大に並ぶ音楽賞『日本歌謡大賞』が消えた理由

2021年12月20日 | TV・ラジオ・CM・映画

※追記しました。(2018年12月のブログ)

第16回輝く日本レコード大賞(1974年)

第17回日本レコード大賞

②第17回日本レコード大賞


 

 


24日のクリスマスイブは、ジュリーと一緒 ! 残念、私は仕事やわ~

歌謡スクランブル 選▽沢田研二作品集
午後0時30分~ 午後2時00分



ジュリーがヒットを飛ばし続けていた、70年代から80年代、年末の歌謡賞レースはワクワクドキドキしながら見ていました✨ しかしそれも、ジュリーが出演しないと私の興味の対象では無くなりましたが・・。 

レコ大に並ぶ音楽賞『日本歌謡大賞』が消えた理由と、ウラで起きていた“審査事件”

(一部、ジュリーの部分のみ抜粋)

『レコ大に並ぶ音楽賞『日本歌謡大賞』が消えた理由と、ウラで起きていた“審査事件”』

1993年までは大きな音楽賞がもう1つ存在した。『日本歌謡大賞』である。1970年代から1980年代はレコ大並みの知名度と人気を誇った。・・・・・

沢田研二(73)が『危険な二人』で大賞に輝いた1973年には47・4%の視聴率を記録した。五木ひろし(73)が大賞を獲った同じ年のレコ大は44・1%だったから、歌謡大賞は視聴率で勝った。歌謡大賞はレコ大とほぼ同格の扱いを受けるようになる。・・・・

音楽賞は世代を超えて楽しむもの。だから沢田研二やピンク・レディーのような存在がいないと、高視聴率達成は難しい。 現在の音楽番組が軒並み低視聴率にあえぐのも、理由は同じだろう。』

 


 

レコ大と並び称されていた、歌謡大賞が90年代に消えたのは、単純に歌謡曲がお茶の間の中心の座から滑り落ち、視聴率が取れなくなったから。そう思っていましたが、事は単純ではなかったらしいです。ジュリーが大賞を争っていた頃、歌謡曲は国民全員が共有し、歌謡賞が国民全員の興味の的で、ジュリーが一番輝いていた頃と重なっていたのだと、強く実感します。

(※追記)73年の レコード大賞では、ジュリーは大賞候補にはなれない、大衆賞にノミネートされ、自動的に大賞受賞者の枠から外れました。そうなると、73年のレコード大賞は五木さんに決まったようなもの。視聴者は結果が分かり切ったレコード大賞よりも、誰が選ばれるのか?!という大きな興味と期待を持たせた、歌謡大賞を選んだということじゃないでしょうか。それでもレコ大は44.1%ですが。もし、レコ大でジュリーが大賞候補にノミネートされていたら・・、視聴者はもっと興味を示した事でしょう。

74年のレコ大では、大衆賞の受賞者もレコード大賞の受賞対象になったと連呼していました。今にして思えば、毎回 コロコロ都合よく、決まりを変えてるな~という感じです(・_・;) 



18日の土曜日放送のTBS2の、1974年の「レコード大賞」ジュリーは「追憶」で出演。以前すでに放送されたものでした。また見ちゃったけど(^^;

歌唱賞受賞者。左から、ヒデキさん、八代さん、森さん、五木さん、布施さん、右端がジュリー。BIG4がそろい踏み。

「甘い生活」のゴローさんが歌唱賞の中には選ばれていないのが気の毒でした。百恵ちゃんは大衆賞で、歌はまだそれほど上手くはなかったです。他の出演者は、海援隊、ガロ、グレープなど、今も活躍している人も多く錚々たるメンバーでした。記憶に残る人が多すぎて、選ぶにも苦心した年だったんだなと思います。

【司会】高橋圭三、森光子【レポート】小川哲哉【インタビュー】研ナオコ【歌手】森進一、五木ひろし、麻生よう子、西城秀樹、沢田研二、布施明、八代亜紀、梓みちよ、殿さまキングス、中条きよし、山口百恵、浅野ゆう子、荒川務、城みちる、テレサ・テン、西川峰子、グレープ、野口五郎、井上陽水、海援隊、フィンガー5

すでに始まっているのに、遅れて会場入りした加瀬さん。

ジュリーに向かい入れられる。

74年は森さんが「襟裳岬」で大賞でした。

ゲストに樹木希林さん

「寺内貫太郎一家」のジュ~リ~♪で当てたあとで、何を聞かれても、ジュリ~!!と、あたりかまわず傍若無人ぶりを発揮していましたが、放送が同じTBSだから、それでいいのか(^^;

日本のオペラ歌手の草分けで、当時75歳の田谷力三さんが表彰されていました。ジュリーがこの当時、田谷力三さんが気になるとか憧れるとか言っていましたが、まだ26歳のジュリーが、自分が75歳になった時のことをイメージできていたんでしょうか。

 

ただ漠然と、じゃないのだろうか。そして今、75歳が近い将来になろうとしているジュリーはどうなんだろうか。今だからこそ、やっぱり今も漠然と・・、じゃないのかと想像したりします。

出演者の文字が顔に丸被りになってしまったのは、田淵幸一さんです。この時はまだ阪神タイガース。西武に移籍した時、TV番組で一緒になったジュリーが田淵さんに、西武に行っても僕は応援します!と苦渋の表情で言ってたな💦頑張れタブチ君を亡き母と観に行きました。若い北の湖も出てた。たった60歳くらいで死んでしまって・・


20日で最終回のNHK「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」。ラジオ番組に出演中の阿佐ヶ谷姉妹が「私たちの大好きな、沢田研二さんの勝手にしやがれをおかけしました。」。先週の番組では「時すぎ」がかかりました。研なおこさんのゾンビが強烈で怖すぎたわ(・・;)



 

ブログとは関係ないのですが、書かずにいられません。17日の大阪のビル放火事件には、ニュースで報道を聴くたびに、強い憤りと哀しみ、やるせなさを禁じ得ません。時を巻き戻せたらどんなにいいでしょう。亡くなった多くの方々に、心からのご冥福をお祈りいたします。

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中野ブロードウェイ(新日本風土記)

2021年12月19日 | JULIE メモリーズ

NHKBS・新日本風土記で、中野ブロ-ドウェイが紹介されました。東京の中のアメリカを捜すというもので、開業当時の中野ブロードウェイは、アメリカの大型ショッピングセンターを模した当時の最先端でした。

ジュリーが住んでいたマンションは、当時の超高級マンション。

屋上にはプール

同じ中野ブロードウェイに住んでいた、故青島幸男さん。ジュリーと元都知事の交友録が、YOYNGの1982年1月号にありました。この当時の青島さんは参議院議員でした。

6年前の2015年の1月にも、中野ブロードウェイを取り上げました。ジュリーはこのプールで泳いでいたのかしらん?まさか、と思っていたら、コメント欄にジュリーの目撃談を頂いていました。

2015年のコメント欄より『このプールでジュリーは泳いでいました。
 私の叔母が中野駅からこの中野ブロードウェーまでの間に住んでおります。
その息子さんがまだ小学校低学年の頃、このマンションに住む友達の家に
遊びに行ったとき、屋上のプールで泳いでいたジュリーに
「ぼく、小学生?」って声をかけられた。と聞いております。

今は、中野駅前の通りも、変なお店がいっぱいできて
下品になったと叔母さんや従妹も嘆いておりました。
海外からの観光客がメッチャ嬉しそうにフィギアを手に
ぞろぞろ・・・いるらしいですよ。』

2020年のコロナ禍以降は、中野の外国人客の姿は消えて、前より静かになったのかしらね。

2015年1月のブログ

「迷宮」中野ブロードウェイ

中野ブロードウェイの屋上プール

ジュリーが屋上プールで泳ぐ雑誌の記事も頂いていました。6年前のブログに貼っていました。

半世紀もたって、屋上プールから見える中野の景色は、すっかり変わったと思います。

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京都新聞「彼から京都が見える」12月16日

2021年12月18日 | 新聞・雑誌 記事

J友さんから、ネット記事が、京都新聞の記事になりましたと、新聞の画像を送っていただきました。12月16日の京都新聞。ネットだけではなく、さらに多くの人の目に触れることは嬉しいです。

ジュリーの時代 魅せられた生き方(ノンフィクションライター 島崎今日子さんに聞く) 

「中性的魅力熱狂した一人 彼から京都が見える」

「イメージ変えて復活・・」イメージが変わったと思われているのかな、世間には。ファンの私は、歳は確かに取ったけれど、ジュリーはずーーっと変わらずにジュリーだと思っています。



1985年の「灰とダイヤモンド」で、バイオリンを担ったマレー明日香さんが、今朝のBSテレ東「おんがく交差点」12月18日(土)あさ8時~8時30分放送!! に出演。私は見ていなかったのですが、J友さんから、ご報告を頂きました。

『マレー明日香さんの出演番組を見ました!冒頭に沢田研二さんのツアーサポートをした時、上手く弾けたら、ジュリーはピースしてくれたと (^^♪
飛鳥さんの弾き方を見ていると🎵「灰とダイヤモンド」を思い出しましたが、やっぱり1985年当時よりは年をとっておられました😊』

「灰とダイヤモンド」は、イントロから、バイオリンの哀しいような音色がとても印象に残る曲です。当時はまだマレー明日香さんは大学生であったとか。⇒YOUTUBE「灰とダイヤモンド」

ついでに、繰上和美さんのEテレのインタビュー番組は、ジュリーの写真の一枚も出なかったそうで、録画したけど見ないで消します(^^;

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今年の紅葉

2021年12月18日 | 紀行(建築・桜)

昨日は強い風が吹き荒れて、まだ黄色い葉が付いていた銀杏並木が、殆ど葉を落していました。今年は秋に台風が来なかったせいか、紅葉がとても綺麗でした。

歴史ウォーキングで訪れた、伊丹の昆陽寺の紅葉の葉色が、眼にしみる赤さでした。


コロナで1年半以上も逢えなかった明石の同級生と、久しぶりに明石城で再会。山査子の赤い実がキュート!

12月も半ばなのに、石垣の前で皇帝ダリアが綺麗に咲いていました。温暖化のせいか?

ランチは明石焼きとオムソバを二人でシュア。お店の人は何も言わなくても、明石焼きのタレを二つ分持ってきてくれました。(^-^) 明石焼きを食べるのは、ジュリーのライブ以来で久しぶり~


去年は一度も紅葉狩りに行かなかった京都に、何度も通ってしまいました。

鞍馬の白龍園、秋の花を入れた花手水鉢。紅葉も綺麗だったけど、苔の緑色も瑞々しかった。

紅葉のトンネル


三井家下鴨別邸、最上階の望楼には予約していないので入れず。見学料が望楼だけで1000円もして、下の1階2階とは別料金なのです。

下賀茂神社

茶店で最中を頂きました。最中は葵の葉でハート形、アンコがたっぷり、トロリとして美味しかった(^^) 

人気の喫茶店MAKIで、食パンをくり抜いた中にサラダが盛り付けられた、モーニングセット。美味しくておシャレで、しかも安い。


 

本願寺伝道院

外国の街角のようで、仏教関係とは思えぬ赤煉瓦で、様々な建築様式が取り入れられています。築地本願寺と同じ建築家だそうで、現在 私の住んでいる近くにも同じ建築家の二楽園と言う邸宅があったのだけど、戦前に焼失。ああ、残念・・・

京都市民のJ友さん曰く、仏具を扱う商店街が、ショーケンが出演の京都が舞台のNHKのドラマみたいだそうです。

 

西本願寺の壮麗で巨大な寺院に感激。

厳かな気分で、静かにジュリーさまの健康と、コロナの終息を願ってきました。

巨大な銀杏の木

修復されたばかりの唐門の、絢爛豪華な美しさ

歩いていたら、龍谷大学のキャンパスがあった。歴史のある文化財で勉強できるなんて素敵✨ 生れ変ったら、京都で学ぶ学生になりたいな。

観るものすべてが壮大で華麗で美しくて、感動感激の晩秋の一日。お陰で寿命が延びた気がしました。

唐門にいた寅さん。

来年は寅年、阪神タイガースが来年の寅年こそ優勝できますように。ザ・タイガースは節目のデビュー55周年。なんかあると、いいな(^-^)

ランチは、J友さんに教えてもらった「はしたて」で、きつねそば。京風であっさりしていました。

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②12月14日・ジュリーにチェックイン!(Playlist of Harborland)

2021年12月17日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

J友さんから、沢田研二オフィシャルから「早川タケジ写真集、発売予定」の告知が消えているとご連絡を頂き、・・ほんとだ。 内心、年内中の発売は無理そうな・・と思っておりましたが、でも必ず出してくださいね。

そして同じくJ友さんから。月刊「文藝春秋」創刊100年記念に、「100年の100人」にショーケン、桑田佳祐、樹木希林、志村けん、キャンディーズ他・・、選ばれた人は故人が多かったそうですが、ジュリーが無いのが解せません(-_-;)


明日の注目CS放送、ジュリーは「追憶」でノミネートされています。

第16回輝く日本レコード大賞(1974年)
12/18(土) 21:00~22:50 
CS297 TBSチャンネル2

大賞は森進一さんの「襟裳岬」でした。紅白ではニーナとローラの対決と言われた「傷だらけのローラ」もノミネートされています。布施さんの「積木の部屋」も忘れがたい。もう47年も前のこと、年月の流れに歳を取るはずと思いました。

レコード大賞は日本国民の紅白と並ぶ、年末大晦日の夜の最大の関心事でした。ジュリーファンとして、毎年ドキドキハラハラしながら番組を見ていたのを、今でも忘れません。



★再放送です。ジュリーはダーリングで一等賞(^^♪

ザ・ベストテン(1978年6月29日放送)
12/18(土) 20:00~21:00  CS297 TBSチャンネル




 

②12月14日・ジュリーにチェックイン!(Playlist of Harborland)続きです。


続いてもリクエストです。
メッセージ
『真理さん、こんにちは。コロナ期ジュリー堕ちのおばちゃんです。
田名部(おお~いらっしゃいませ)
毎週、遠いとこらから拝聴しています。
コロナで映画やライブに行く事が出来ず、
皆さんからの情報で、妄想を膨らませて我慢しています(涙)
田名部(こういう方も沢山いらっしゃることでしょう。)
出身地の神戸の様子が垣間見られる、
真理さんのおしゃべりにも浸っています。
田名部(嬉しいです)

12月8日は、ジョンレノンの命日でもあり
真珠湾攻撃の日でもあるそうです。
ビートルズについては、ジュリーのカバーで
さらに興味を持ちました。
真珠湾については「パールハーバー・ラブストーリー」を
初めて聴いた時、思わず涙がでました。
歴史上の悲劇を、日常の観点から歌った
感動の作品で、お気に入りの曲です。
記念日で厳かな気持ちでジュリーの歌声を堪能したいと思います。

沢田研二さんで「パールハーバー・ラブストーリー」

この感動的な歌詞も沢田研二さんが手がけていまです。
平成9年ジュリーの誕生日の6月25日リリースされた
「サーモスタットな夏」の1曲なんですよね
作曲は朝本浩文さんが手がけられている8分近い大作で
実は去年の同じ時期にやっぱりおかけしていて
ジュリーも思い入れのある曲だと思います。
リクエスト有難うございました。
今年もこの時期にかけさせていただきました

来週はクリスマスウィークという事で
皆さんもクリスマスに聴きたいジュリーの曲があったら
リクエストして下さい。

(以上)



「pearl harbor love story」には、発表当初はあまりに長すぎる・・なんて思っていました。

ところが、ジュリーよりも20歳も年上のJ友さんが、この曲がとても好きだと言われていました。J友さんは戦争を体験している世代の方だったので、この曲に対して私とは違う感慨をお持ちだったんだと思います。戦争を自分のこととして捉えられていなかった私は、J友さんの思いを聞いて以来、この曲に対する気持ちが変わりました。

そのJ友さんとは、もう連絡が取れなくなって久しいです。「pearl harbor love story」を聴くたびに、白髪の美しい髪に、誰よりも長身でシャンと背筋が伸び、一見ただ者ではない近寄りがたい雰囲気で、実はとてもフレンドリーで、ジュリーが大大好きだった、J友さんのお姿を思い出します。

YOUTUBE⇒ pearl harbor love story

※MCつき。88歳まで歌いたい、それまで皆さんもお元気でいてください。と、49歳のジュリーは今とたいして変わらない話をしていました(^^; 

今年で73歳になって、さすがに88歳までは少しトーンダウンしましたが、可能な限り歌い続けたい、その気概でジュリーは来年もやってくれると思います。

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12月14日・ジュリーにチェックイン!(Playlist of Harborland)

2021年12月16日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

週刊文春の「ジュリーがいた」連載が再開されました。

今回 はショーケンが登場します(^-^)すぐに買いに行きました。まさに『LOVEジュリー❤ ショーケン今も 追い続け』です。ジュリーの隣のおばさんはダレやろ。(※日大のドンの妻、田中優子さんでした)

 



12月14日の「ジュリーにチェックイン!」Playlist of Harborland

ラジコであとから聴きました。パーソナリティは田名部真理さん。


沢田研二さんの曲を毎週おおくりしております。
今日も皆さんの温かいメッセージとともに
リクエスト有難うございます。

メッセージ、こちら大阪のⅯさんです
『真理さんこんにちは、笑って暮らそうのtwitterの写真見ましたよ。
グリーンの素敵なお洋服ですね、似合ってますよ』

嬉しい、有難うございます。
今週、笑って暮らそうでは、毎月第2週に
平成生まれなのに、昭和が大好きという
坂田マリンちゃんのコーナーが始まりまして、色々な
昭和アイテムだとか、昭和の話題を今風の視点で
切り取ってくださるんですが
私も言われてみればそうか、ネオンて昭和の物だったのかと
新たな発見があって、あと言われて気がついたのは
私も昭和好きなことがあったのは、ファッションなんですよね。
うちの母が昭和21年の産まれですので
ツイッギー来日とか、60年70年の、台形スカート、台形ミニワンピース
を謳歌した世代なんですよね。
だから私もマリンちゃんくらいの年頃の時
それまでは見向きもしなかったのに
母親の衣装ケースから昔のワンピースを取り出して
いま、可愛いやん!ということで
けっこう、それを好き好んで着てたりしいました。
ちょっとベルボトムとか、昔はパンタロンていうの
あとベッチンのシャツとか、コーディロイとか
今は色んな言い方をするんだと思うんですけど
好きで時々いまでも着ていたんですが
せっかくだからこれから第二週は昭和な服を着て来ようと
思うんですが、マリンちゃんとこれから
昭和歌謡で盛り上がりたいなと思うんですが
そんなメッセージをいただきました。

大阪のⅯさんからリクエストを頂きました。
『酒場でDABADA』

衣装と言うことでいいますと、初詣ライブがあるまで
非情に淋しいので、ジュリーのDVDを見ているんですけど
この酒場でDABADA、シャツのボタンを大目に開けて、

あれがセクシーでほんとにカッコイイですよね
作詞は阿久悠さん、作曲は鈴木キサブローさん
昭和55年発売、沢田研二さん31枚目のシングル
酒場でDABADA、お送りしました。

(続く)



パーソナリティーの田名部さんのお母様は、昭和21年産まれなんですね。ジュリーとまさに同世代の方ではありませんか~。ジュリー全盛時代を田名部さんがご存じなくても当たり前ですね。

そして今も、台形スカートやミニワンピースを捨てずに置いておられるのはエライ。近頃の若者向きのファッションの傾向を見ていたら、色合いや色の取り合わせがレトロで、昔の70年代の感覚やわと思うことがよくあります。若い人には新鮮に見えるんでしょうね。私は70年代の服はとうに処分しましたが、まだ処分できていない服もいっぱいあります(-_-;)

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モンキーズ&タイガースのテーマ

2021年12月15日 | タイガース・GS

twitter情報を頂きました。森田芳光監督の妻、三沢和子さんのインタビューが、読めます。『ときめきに死す』の箇所のみ抜粋。

宇多丸・三沢和子=編・著『森田芳光全映画』
早すぎた『ときめきに死す』

三沢: よく「早すぎた」って言われていて、例えば当時は全然評価されていなかった『家族ゲーム』の次の作品の『ときめきに死す』っていうのも、あんまり褒められた記憶がなくて、それが今になって森田の作品の中で一番人気ぐらいになってるんですよね。ちょっと早すぎたことは間違いないかもしれません。


『ときめきに死す』が、森田監督の作品の中で、いまや一番人気になっていたとは知りませんでした。そういえば各地で何度も上映されています。CSの放送も多多ありますが、これはひとえにジュリー人気のせいですね(^^; 正直に言ってどちらかといえば難解・・です(汗)



 

先日、私の小学生時代のアイドルが、また1人天国へ旅立ちました。モンキーズのマイク・ネスミスが亡くなりました、78歳。 ミッキーと2人で、さよならツアーを11月までやっていたのですね。残るメンバーはミッキー1人だけで、本当にさよならになってしまいました。

J友さんは68年に、武道館で来日したモンキーズのショーをご覧になったそうです。

神戸新聞

小学生時代は家から帰ったら、夕方からモンキーズのコメディ番組が放送されていて、いつも観ていました。あんまり笑えないギャグもあったけれど、デイビーは可愛かったなぁ。やっぱり一番デイビーが好きでしたが、他のメンバー達も、それぞれが個性があって好きでした。何度も何度も再放送したので、しまいめには飽きてしまいましたが(^^; 

朝日新聞

朝日新聞の記事の「アイドル的な人気を獲得した」。

「アイドル的」というのは違うと思います、モンキーズは紛れもない「アイドル」だからです。演奏が出来ないとか、寄せ集めとか、昔は色々言われていましたが、ビートルズとは違うけど、4人は親しみやすく、音楽も明るく楽しくて素敵で、今も忘れないヒット曲がいっぱいありました。

もう10数年も前ですが、アメリカの青少年向けのドラマを見ていたら、60歳くらいのデイビーが登場したので、わ~デイビー!!とビックリ!!

ドラマの主人公の若い女の子がキャ~!デイビー・ジョーンズよ!!と興奮していたので、モンキーズのデイビーは今でもアメリカで人気があって、リスペクトされているのだと知り、嬉しかったです。その数年後の2012年、デイビーは66歳で亡くなってしまい、たいそうショックを受けました。

モンキーズといえば「モンキーズのテーマ」

モンキーズを知らない人も有るでしょうが、「タイガースのテーマ」はもちろん、その曲名を変えただけ(^-^) 

1981年の同窓会の「タイガースのテーマ」

2013年の白髪おじんチームの「タイガースのテーマ」

ドタドタ足を上げる様子がおかしくも楽しいです(^^♪

1981年から2013年、ジュリーの歌声の違い、体形の違いも楽しめます(^^♪

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「THE KYOTO」 ジュリーの時代

2021年12月14日 | JULIE

京都のJ友さんより、先日紹介した記事がネットで全文読めるようになりました。「THE KYOTO」

#ジュリーと時代沢田研二ソロ50年
話題の文春連載 筆者語る希代の魅力


こちらは夏ごろに、京都新聞の記事として紹介したものが、ネットで全文が読めます。画像もクリアです(^-^)
若き写真家の残像
NY事故死40年 #3 ジュリーの時代

在校中から四条河原町近くのダンスホール「田園」に通い、音楽活動で「ほとんど学校に来てなかった」という沢田を象徴するかのような「奇跡」の1枚。あらためて撮られた集合写真では、詰め襟姿の沢田は左端に立ち、やや険しい表情をレンズに向けていた。

沢田は2年の途中で退学。その後、京都市出身の岸部一徳らとともにバンド「ザ・タイガース」でグループサウンズ人気にも乗り、スター街道をひた走る。

修学旅行の写真

ジュリーご自身は覚えておられるのかしらん?記憶力のいいジュリーなら覚えておられますね、きっと。

卒業文集、ドラムのイラストがいいですね♪

同級生さん達の人物評が、どれもこれもジュリーを言い表しています。



twitterで、写真家の繰上和美さんの情報を知りました。

錚々たる昭和を代表する人物達に囲まれた、真ん中の「ダーリング」のジュリーが繰上さんの作品。以前、美術館の企画で「昭和のヒーロー・ヒロイン」として、プレス用の画像だそうです。王さん、吉永さん、藤さん以外は殆ど故人ですね(・・;)

 

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③おまけです。12月7日、ジュリーにチェックイン!Playlist of Harborland

2021年12月13日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

J友さんから「ロンリーウルフ」について、メッセージを頂きました。

J友さんから⇒『 喜多條忠氏が亡くなられたことに、あまりふれられてなかったので、どうしたのかしら?と思っておりました。大野さんとショーケンが、一緒に車に乗っていて、ロンリーウルフのデモテープをかけた時、ショーケンが歌いたいとおっしゃったそうですね。もう沢田に決まっていると話されたと、以前に伺いました。』

メッセージ有難うございます。ジュリーじゃなくても「ロンリーウルフ」は男が惚れる、歌いたいと思う曲かもしれないです。きっと思いっ切り心情をぶつけて、思いっ切り自分流に歌って、男なら歌の世界に浸ってみたくなる曲だと思いました。



J友さんからプチ情報を頂きました。

新日本風土記😊 この間の金曜日の特集は、「東京の中のアメリカ」でした。中野ブロードウエーが出て、5階から高級マンションで沢田研二さんと青島さんが住んでましたと字幕あり、マンションの廊下と屋上のプールが映りました。今週の17日、金曜日朝8時から、再放送あります😊』

有難うございます、ジュリーの住んでいた中野ブロードウェイ、再放送を要チェックです。

さらに超プチプチジュリー。土曜日の読売テレビ、「土曜はダメよ」で、クイズの答えをジュリーで答えてくれと言われた、自称ジュリー似のフットボールアワーの後藤さん。顔を美川憲一風に捻じ曲げて、ジュリーのつもりで答えていました~(^^;



 

12月7日放送「ジュリーにチェックイン!」コーナーが終わったあと、番組の終盤近くに、リスナーさんからのメッセージが読まれました。

メッセージ

『50年くらい前にジュリーの大ファンで
「沢田研二大全集」を買いました。
それはカセットテープで10セット、色つきの女でいてくれよ
まで入ってます。それを、先日 半信半疑でかけてみました。
ビックリです!雑音も無く、ジュリーの素敵な甘い声が流れて、
50年たっても大丈夫なんですね。
青春の思い出、感激で~す(^-^)』

ということで、感激したのでメールしましたということです。
有難うございます。
こんな思い出、家の中を捜してみたという方は
多くいらっしゃるみたいで、そんな一部を私も
お裾分けしていただいたり、また昔の音というかね
雰囲気の詰まったレコードって、どんなのかな?
というので、中古レコード屋さんであるとか、メルカリとか
そういうのを定期的にパトロールするのが日課に
なってきたんですけど、そうですか。

テープって、劣化しちゃうようなイメージがありますけど
リスナーさんの中では、思い出込みで
音で再現してくださってたんですね。有難うございます。
感激のお裾分け、確かにいただきました!

(以上)


1982年の「色つきの女でいてくれよ」までが入っているのに、50年前?? そうじゃなくて、40年くらい前に「沢田研二大全集」というカセットテープを買った、というリスナーさんのお話です。私はその「沢田研二大全集」には記憶も買った覚えもないので、調べてみました。

オークションにその大全集の画像がありました。もう売れてしまったようですが。

当時のファンクラブ誌に広告があるのでは?と、「色つきの女でいてくれよ」が発売された1982年のYOUNGから調べてみました。ところが・・

1982年にそれらしき広告は無し。では1983年かと調べてもナシ。ようやく1984年の5月号に、沢田研二大全集の広告が掲載されていました。カセットとレコードの2種類で発売されていました。ということで、メッセージの「50年前のカセットテープ」じゃなくて、正確には「37年前のカセットテープ」でした。

「唯歌独尊」書いてあるコピーが華々しい。まさにジュリーは当時の華でした。

販売は通販のみのようで、レコードよりもカセットテープの方が高い。

私はカセットで買ったのは、カセットのみでしか発売されなかった「CMソング集」くらいです。車内に置きっぱなしにしていたら、テープが暑さで伸びてしまいました・・反省しきりです(T_T)

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