ナンシー・Chang!のおいし~生活

湘南(住まい)&東京(勤務地)で見つけた、あんなこと、こんなこと。

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中川勝彦 (なかがわかつひこ)

2006-09-18 23:19:38 | 中川勝彦


「鳥が空を恋ひ 魚が海を慕うやうに 私はあなたを愛するのでしょう」

急性骨髄性白血病のため、32歳の若さで勝ちゃんが亡くなってから12年…。
愛娘の翔子ちゃんがもう成人というんだから、ホント時の流れは矢のように速い。
でも私は、干支が一回りした今もまだ大きな喪失感を拭えません。

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本名:同じ
生年月日:1962年7月20日
出身地:東京都文京区
初出演映画:『ねらわれた学園』(1981年)
アルバムデビュー:『してみたい』(ワーナー・パイオニア/1984・2/22)
初ライブ:渋谷ライブIN(1984・2/29)
没年:1994年(9/17 17:40 享年32)
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〓ラジオの『全米トップ40』で洋楽ファンとなり、小学校低学年で音楽に目覚める。1978年、慶応高校入学と同時にバンドを結成し、3年生の時NHK『ヤングミュージックフェスティバル』に出演。歌手デビュー前の‘81~‘83年はチョイ役で映画出演も。‘84~‘87年にワーナーパイオニアからアルバム5枚、シングル8枚をリリース。精力的にライブ活動も展開。‘88年9月にNECアベニューに移籍、アルバム・シングルともに2枚リリース。‘91年7月、11月にはセルフプロデュースのアルバムをアルファレコードより発売し、ライブ拠点はホールからライブハウスへ移す。‘92年9月、急性骨髄性白血病に倒れ、約9ヶ月の闘病生活へ。‘93年クリスマスに絵本『アンノウン・メモリー~未知の記憶~』を出版。‘94年8月、白血病再発のため再入院。9月17日夕刻、永遠の眠りにつく。〓



1980年代半ば、当時の彼氏がバンドをやっていたことがきっかけで勝ちゃんに出会うことが出来ました。
ちょうどテレビ朝日の深夜バラエティ『ミッドナイト・イン六本木』の司会を務めていた頃だったかな。
彼氏と破局するまでの数年間、ちょっとした「お友達」だったと勝手に思っています。
今思えばあの時すでに一児の父だったわけで…。全く気付きませんでした(^^;)。
白血病で倒れたことも、懸命に闘病していたことも、亡くなる数ヶ月前に知りました。
久々の再会が再入院の直前で、結局それが最後となってしまいました。
すっかり気が動転していた私と対峙した勝ちゃんは、終始穏やかな微笑をたたえ、まるで悟りを開いた高僧のようでした。
「明日死ぬことになっても、90まで生きても、人間の一生なんて宇宙の悠久の営みの中ではほんの瞬きに過ぎないんだよ。長く生きることが幸せではなく、納得のいく生き方が出来たかどうかが重要なんだと思う」
自分の運命を受け入れ、こんなに安らかな表情を見せられるまでに、一体どれほどの葛藤があったのかと思うだけで、私はとても平静ではいられなかったのに…。

2年遅れて耳にした訃報には目の前が真っ暗になりました。
もう大ショックで、日常生活に支障をきたしたほど。
この世には神も仏もいないのだと思い知ったというか。
愛されるために存在していたような人があんなに早く逝くなんて。
私も含めてクズみたいな人間はいっぱいいるのに―。
生まれて初めて「私が代われるものなら」と思いました。
きっと、当時彼の周りにいた人はみんな同じ気持ちだったことでしょう。

最近、しょこたんがめざましテレビの「広人苑」で取り上げられていて、思いがけず勝ちゃんの映像を見ることが出来ました。
しょこたんのぶっ飛びキャラにも唖然だったけど、幼少時にパパから受けた影響が思った以上に大きいのだと知って、更にビックリ!
彼女が取り憑かれたように(笑)ブログを更新するのは、若くして亡くなった父親のことが起因しているのかも。「明日死んじゃっても、生きた証が残せるかと思って」なんて21歳の女のコの口から聞くと、ちょっと切なくなったりもした。
彼女にはパパの分まで長生きして欲しいです。

■Albums■

上段左から、
してみたい(1984・2/22) Double Feature(1984・9/25) ペントハウスの夏(1985・5/25) FROM PUBERTY(1986・6/25) 
MAJI-MAGIC(1987・2/25)/ワーナー・パイオニア
ラヴァー・ピープル(1988・9/21) HUMAN RHYTHM(1989・8/21)/NECアベニュー

没後リリースされたメモリアルアルバム
Rebirth(1995・10/21) Again,Me…(1994・12/21)

非常に残念ながら、現在全て廃盤となっています。
コメント (6)
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