神楽坂で居酒屋女将!つれづれ日誌

神楽坂・本多横町で50年続く、いざかや「甲州屋」。つたないながらも、お客さんに愛されるお店づくりに奮闘中です。

やっと日本一

2009-11-07 21:56:53 | Weblog
お待たせしました

ジャイアンツ、本日、念願の日本一になりましたよぅ

先日の東京ドームで亀井クン、慎之助クンのホームランもチカラ入ってお店でテレビ観戦、思わず絶叫してしまいました。今日は自宅でテレビ観戦。九回ウラでクルーンの投球ごとに息を止めてしまうので、優勝決まった時にはやや酸欠。苦しかったわぁ。

今年の野球は、WBCのイチロー、ワールドシリーズの秀喜、日本シリーズの慎之助。良いシーズンでした。涙。




今日はちょっと思い出話を・・・


ワタシはいま、巨人ファンですが、
もともとはおばあちゃんが熱血巨人ファンだったことが始まりです。

1997年に亡くなりましたが、生前は25キロしか体重がなく、骨と皮しかない身体で体育座りして応援する姿は闘魂こもったスバラシイものでした。

試合開始前にはラジオをつけ、テレビ観戦前に食事を済ませ、テレビとラジオで必ず試合終了まで応援。勝てば喜び、負ければ悔しがり、逆転負けでは涙を流す。選手の背番号はすべて暗記して、解説より先に成績を言って、試合の勝ち負けを日記につけるのがシゴトでした。





写真は日記の一部です。「原引退」の文字が見えますか?



そんなおばあちゃんが怪我で病院へ。
一命を取り留めたものの、集中治療室から個室に移ったのは10日位経っていたとおもいます。

部屋を移ってからも、動くこともしゃべることもできない。
本当に生きているのか?と思うほど、ピクリともしない。声も出さない。

そんな姿を見ていたワタシでしたが、おばあちゃんはきっと野球が聞きたいに違いないと思い、
病院に泊まった晩に音量低くラジオををかけて、
聞こえない、かもしれないけど、
おばあちゃんには耳元で解説していました。

でもね、あるチャンスが来て、元木選手がヒットを打って、得点したんですよ!
「ばあちゃん、元木が打った!」って伝えたら

「よっしゃ!」って言ったんだよ! おばあちゃんが!! 



・・・・泣けた。 それまで全く喋らなかったのに、よっしゃ!って言ったの。



三途の川から応援する為に帰ってきたとしか思えない瞬間でした。


次の日の朝には名前を聞くと答えるようになり、その後、寝たきりではありましたが退院。
自宅療養になりましたが寝たきりのままで、喋るのも苦痛そうで、めったに声を出すことはありませんでした。

それでも巨人の応援はしていて、寝たきりでもテレビを観てまして。
といっても、目はつぶってるし、もう眠いのかな?と思い、テレビ中継中に

「もう遅いから、テレビ消そうか?」って言ったら

「み~~~るぅ~~~」って振り絞る様な声で言うんですよ。笑。めったに声ださないのに、観るって言うんですよ。


そして1997年4月

桑田真澄選手が怪我から復活し、マウンドに片手をついている姿を、
おばあちゃんは涙ながして観てるんですよ。

桑田選手を観ながら、自分はベッドでも自力で動けず、寝たきりのくせに泣くんです。感涙です。


そして、おばあちゃんはその二日後に亡くなりました。





ワタシはその姿を見ているので「すき」の凄さ、というか「ファン」であることで、沢山の勇気と力を貰えることを知ったのです。

おばあちゃんにとって「ジャイアンツ」は生きる気力のひとつでした。
なのでワタシは生涯、おばあちゃんをとおしての、ジャイアンツファンです。



居酒屋、という職業をしている以上、
特定のファンを持つことはまずい(他球団をスキなお客さんは気分が悪いとでしょうから)とも思いますが、
おばあちゃんの命を長らえさせてくれたのは彼女の「ジャイアンツ魂」があったからで。
これだけは変える訳にはいかないし、勝負どころではココロのままに応援してしまうのです。


(なるべく、仕事中は平静を装っているようにガンバってるんですよ)



そんな訳で、花を持っておばあちゃんの墓参りに行かなくてはならないのです。

おばあちゃ~~ん、辰徳が、あの原辰徳が、やっと日本一になったよ~~~(涙)
コメント (2)
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