おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

Re 長いです笑

2014-10-03 21:48:14 | Weblog
中学年ですね。

昔はギャングエイジという言葉で
「荒れるのが当たり前」(笑)
という感覚で捉えていた学年ですよね。

自我に目覚め、
抽象的な思考の基礎を作る段階として、
最近では、とても大事な時期だという認識が必要だと思います。

この時期の子どもだからこそ、
あなたの提示している2人の子どもより、
意識的に集められたであろう「周りの比較的穏やかなこどもたち」のことが、
まず気になります。

あなたの前に
その子たちを受け持った
低学年での担任の先生の「価値観」を
従順に受け容れ従ってきたから、
「比較的穏やかなこどもたち」と思われているわけですよね。

その子たちが、あなたの「新しい価値観」を
すなおに受け容れるようにする工夫が
いるような気がするのです。

往々にして低学年の先生は
規則重視で、その枠の中に入らないない子どもたちを
「穏やかでない子」=「悪い子」という公式に
知らず知らずに当てはめている場合があります。

こうした意識が「比較的穏やかなこどもたち」にあるとしたら、
まず、それを払拭する努力が必要だと思います。

「ちがい」について考えさせてはどうでしょう。
人には「違い」があるのが当たり前で
おなじことができなくても「悪い子」ではないという意識を醸成するという
アプローチですね。

そんな意識が周りの子どもに
芽生えるとその子たちにとっても
居心地のいいクラスになると思います。

潜在的に持つ周りの子どもたちの意識に
その子たちは過敏に反応しているのではないですか。

ズーと昔ですが「キメラ顔」という取り組みをしたことがあります。
chimeric faceと言うのは 
顔の半分を切り取って反転させ合成した写真のことです。

自分の顔は左右対称ではないことは知っていますよね(笑)
だから合成写真で左右対称な自分の顔を切り取ります(ICTの活用です 笑)

左右対称でない「違うのがあたりまえ」の自分の顔 
右半分や左半分から作った「おなじなのが当たり前」の顔。
どっちが先生の顔かな、みたいな発問から
「ちがうのが当たり前だよね」みたいな乱暴な展開だったかもしれませんが
視覚から考えさせたことがありましたよ。

もうひとつ気になるのはあなたの意識かな。。
その子たちの特質を
「さりげなく」受け容れているのかという点。

○○君や○○さんがみんなに迷惑なことをしても、
仕方がないことなのだから
「みんなちがって、みんないい」と思い込みなさいと言う
スタンスで周りの子どもたち接していませんか
という指導スタンスの問題。

あなたの自然な振る舞いや言葉の中から、
周りの子どもたちは「みんなちがって、みんないい」と
子どもたちは感じるのであって
「正しい価値観」の押しつけ的なスタンスでは
周りの子どもたちの本音が見えてこないことも多いよね。

あなたはそうではないと思ってます。
コメント
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