おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

表現活動ですか

2024-12-04 21:24:14 | Weblog
オーストラリアに旅行した時に、オーストラリアの高校にはサーフィン科があることに驚きました。

自分の生き方を支援するコースがあるんだという驚きでした。

日本でも演劇を通して表現する高校があることを高校に勤務する先生から教えてもらいました。

自分の生き方を支援する体制が徐々にできているようです。

自分を自分らしく表現するって結構日本の社会では難しいことだったけど、もう時代は令和、今までのしがらみや忖度に束縛されている事自体が問い直されていますよね。

これからの時代は表現がキーワードになるように思ってます。

国語や総合からのアプローチを小学校から始める必要があるのではと考えてます。

昭和の時代の小学校では、身体表現(いわゆる劇)だけではなく、その前段階としての人形劇的な指導としてペープサートやパネルシアターという手法がありました。

でも、ペープサートやパネルシアターというスキルはもう、消えたのかも知れませんね。

どんな技術かはネットで調べられますので一度調べて見てください。

表現することを大切にした時間が減っているように思うのです。

確かに物語の心情読み取りだけでは、大学入試の長文読み取りには対応できないかも知れませんね。

だからといって指示語探しの説明文や文法の授業がおもしろいはずがないのも確かなのです。

唐突ですが、僕の思う、劇はクラスづくりです。

発信(表現)する学習者(子どもたち)が発信したいと思うテーマに巡り合い共同でそれをやり遂げたときの有用感を共有できます。

そのプロセスを国語か総合のカリキュラムの中に落とし込む事が必要で、学習発表会自体は、ある意味で、単なるイベントです。

ても、イベント当日のでき映えや他の先生の評価は気にしなくていいのです。

当日までの取り組みで、子どもたちが面白い、もっとやってみようと思えればそれで良いのだと思います。

大事なのはそこに至るまで子どもたちの姿勢にはあなたのクラスづくりが反映されているということなのです

アプローチの仕方は3つぐらいありますが、テーマと関わって教科も時間数も違うと思います。

まず、国語科からのアプローチについては物語をテーマにするものが多いので、歴史や街の歴史を物語仕立ての台本(シナリオ)を作ります。ネットにあるものを利用しても「あなたが見つけた物語」という付加価値は付きませんね。 
(ここがあなたたち、先生の力量になります。ありきたりの物語もいいのですが、「誰も知らないこと」を身体表現としての劇にしたいなら郷土資料館などから物語をみつけるといいですね)

2つ目は総合としての台本カリキュラムを作るアプローチてす。

たとえば「テレビ報道仕立て」の発信を想定して、歴史をビデオや写真で紹介するグループやグラフで可視化するグループ、ビデオレターを作る技術班など子どもの特性を生かしたポジショニングが大切で、あなたがデレクターになり、イベントまでのスケジュールと達成目標(ロードマップ)を作ります。

詳しくは新しい教職講座 (第8巻)「総合的な学習の時間」ミネルバ書房 に小学校の実践事例が乗ってます。
R大ではまだこれを教科書にしてます。宣伝です。

3つ目が社会教育(生涯学習)や就学前教育で培われてきたスキルへのアプローチです。

ペープサートやパネルシアターは幼稚園の先生や保育園の先生が上手いです。

昔は小学校でも低学年を持つ先生はスキルとして持っていました。

ただ準備が大変なのと、小学校では、スキル継承や引継がうまくいかない、カリキュラムに入れてないなどの課題で消えていったのだと思います。

こうしたことに危機感を持ったのが、平田オリザさんです。子どもだけではなく「人間の悩みや苦しみ」を考え、演技(模倣)することで疑似体験ができ、人間を理解できるという考えかたです。

あなたの今回の交流会での「劇」とは少し違うかも知れませんが、読んだ本のなかでは「ともに生きるための演劇」辺りがおすすめですね。

どんな「イベントとしての劇」をするにしてもゴールとしてのイベントはこどもたちが「いきいきと取り組んで、喜んでやっていれば」成功だと思います。

やらされて台本を読まされてる劇(イベント)や全校朝会での先生の作った原稿丸読みのような発表を見たこともありますが(委員会活動がおもしろくなくなる原因でもあります。)子どもを、先生の操り人間にするイベントは、あまりおもしろくないですよね。「あなたの劇」を作って下さい。
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ちょっと前に読んだ本

2024-12-03 09:33:54 | Weblog
アメリカで起こったことは、10年経ったら日本でも起こるとよく言われますがこの本が示してくれた現実が、日本でも起こったということですね。
 
5年ほど前にでた本ですが、情報社会が進めば「何が真実なのか」を迷うときがくると示してます。

数字や統計のマジックに引っかかる事の怖さや情報を意図的にコントロールすることができることそれが、マスメディアに攻撃の矛先を向けたことは、10年前のアメリカでした。

それが、アメリカの混乱のひとつの原因になっのかも知れませんね。

マスコミというスポンサーつきの会社を作らなくても、個人が情報を意図的発信(フェイクやファクトとして)できる時代になった国で、どうすれば真実を見きわめる力(ファクトチェック力)ができるか、については、事実に基づかない真実をうのみにしないためには情報だけでなく自分自身を批判的に見る力が欠かせません、と言ってます。

少し分厚い本ですが、ある意味での今後のメディア教育の方向を示してくれた本で、今の日本を考えるにはいい本だと思います。
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