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最近、お米がニュースになっているようですね。
米飯給食もピンチみたいだけど、やっぱり、自校炊飯の給食はうまかった記憶がありますね。
昭和の現役のころは学校給食の主流はパンと牛乳がセットになっていましたよね。
そのおかげで、日本の食生活が変わったという気がします。
日本にない「小麦」で作るパンと生産量が少ない「牛乳」だったのってことはあまり気にしませんでした。
最初で三角パックから牛乳ビン、そして今の紙パックと入れ物は変わりましたが「牛乳」、そして「食パン」や「コッペパン」は変わらずでしたよね。
昔、こんなことを、6年生の子どもと「社会」の勉強で話したことがあります。
「なぜ、給食にお米がでないのか」(昭和です。笑)
当時、お米好きだった僕は外国(アメリカだと思います)からの輸入を前提とした国の施策に「学校」が利用されていたのでは、なんて考えていたのかもしれません、社会科が専門でしたから。
脱脂粉乳で小学校時代を過ごした経験から牛乳をのむことに違和感があったのですが、「日本の酪農家を守る」とか「食生活の改善(欧米人みたいな身体に)」というスローガンがあり、そうなのかなと思っていました。
でも、今の米のニュースを聞きながら、日本はもう「米の自給自足」というか「食べ物」の自給自足が難しい「国」になったのじゃないかなって危惧してます。
元社会科の専門家で、今はどちらかというと総合的な探究に興味がありますから。
でも、日本人の米離れを促進したのは「学校」だったのかもしれませんね。
「安全で、安価な」日本食に戻すなら学校給食が結構大きな影響を与えるのです。
日本の「食文化」に影響したのです(笑)
食育も考えたことがありますが、食事のルールなんて、「同じ時間に食事」ができないことが多くなった「今」必要なルールかなと思います。
「個食」を「当たり前」と考える風潮に「学校給食」が関与してきたなら、楽しい給食時間を考えれば解決の方法も見つかるかもと考えたこともありましたが、分掌が「給食部」でもなかったし、給食部長が苦手だったという個人的な事情もあったので、口にはだしませんでした。
でも、コロナの時に思いだしたのですが、「楽しい食事時間」に「規制」は必要なのでしようか。
三角食べなどという「規則を守って食事の順番まで規制する」って無茶苦茶「戦時中の兵隊さん」なんですが、いまだに「給食指導」という名のもとに若い何も考えない栄養士さんが指導しているところがあると聞いたことがあります。
規則は制限する事、マナーは楽しむためのもの。規則は誰かが作ったもの、マナーはみんなで作るもの。楽しむためのマナーは必要だと思います。
「前例」を尊重するあまり、時代にそぐわない指導を行ない続けて、「なぜ」を忘れてしまう日本人の習性なのかもしれませんね。
好きな食べ物が出たとき、最初に好きなものを食べるか、最後に好きなものを食べるかはディベートの題材にはなりますが、個々の感性の問題なのかなと思う時もあります。
ただ野菜は先に食べたほうがいいということは僕は入院して初めて知りました。病院食はまずいと文句を口にした時、医師から聞きましたが、守るべき順番はそれだけでした。
担任のころ「三角食べ」なんかおかしいと言った僕は確かに肥満体になりましたが笑
給食は好きでした。
牛乳は「肉食」に結びつき、洋食文化に対しての緩和材になりましたし、日本人の体つきもよくなるなどの大きな変化がありました。
スタイルもよくなり、背もたかくなったのですか、それが運動能力に結びつき、世界で活躍できるようになったのは、食事の変化のおかげだと言えるのかもしれませんね。
ただ、「一粒の米を大切にする」という「言い伝え」はスプーンで肉丼を食べる新しい食事のスタイルでは死語になっているのかもしれませんね。
また、管理職になると政治と教育は結構、関係があることに気づきます。
教育委員会は、政治的な特に「予算」絡みの施策に敏感でないと苦労するはずだし、とくに「学校」は国の施策でぶれまくります。何も考えない「保身」の管理職なら、ですよね。「考える管理職」は板挟みで苦労する(笑)のかな。
自分の正義を見つけたと思い込み、それ以後何も考えない若い教員が「自分の夢や使命感」だけで「教育って何んなの」という問いを持たなければ、単なる従順な権力者の羊になるだけなのでしょうね。
僕がそうであったように笑
食を考える時、祖母がよく言ってい「煎じ茶」という言葉を思いだしました。何でも近くにある野草を煎じて飲むのです。
どくだみ、ヨモギなどをよく飲んでました。どくだみの独特の匂いが手にのこった記憶があります。
孫に飲ませると、息子や娘がきっと激怒するだろうからそんなことはできないなと考えてしまいます。
九州の友人からゴーヤ茶をいただいた時に、また、思いだしました。
健康にいいものは「苦い」という「良薬は口に苦し」という「言い伝え」です。
未来を担う子どもに何を考えさすことが大切なのかという「問い」の答えはまだ、見つかりません。
何を教えるか、なにを守らせるかにこだわっているあいだは、見えない世界なのかもしれませんね。
「なぜ」を一緒に考える楽しさはそれを楽しんだものにしかわからない楽しさなのかもしれませんね。
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