電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

両親と祖父母、ゆかりの人々の回想記に写真を入れる

2024年07月25日 06時00分20秒 | 手帳文具書斎
両親の法事を契機に、祖父母やゆかりの人々の回想記を書いていますが、ほぼできあがりましたので、写真を入れることとしました。額になっているものを中心に、古いアルバムからもデジカメで複写し、パソコンに取り込んで Gimp でリサイズし、回想記に取り込んでみました。やはり、文字ばかりのものよりも格段に親しみやすくなります。若かった頃の父母が意外に(?!)美男美女であったことや、36歳という若さの生母をなくした祖父や弟たちが、それぞれ努力して自立していったことなど、感銘深いものがありました。内容は、

はじめに
第1章 父と母のこと
 1 農家の長男は出征し広島にいた
 2 広島に落とされた原子爆弾
 3 入市被曝の経緯と放射線障害
 4 昔の広島市の地図からわかること
 5 爆心地と比治山
 6 ヒロシマの惨状にぼうぜんとした
 7 三つの疑問と答え
 8 父は帰還したが
 9 母の勤労動員体験
 10 嫁入り後の母の生活
 11 母の地域での役割
 12 父の発病と母の役割
 13 病後の生活と農業経営の転換
 14 全盲の祖母を見送って
 15 父の死去
 16 原爆死没者慰霊式典に参加
 17 福島原発事故とヒロシマ
 18 母の晩年
第2章 祖父母とゆかりの人々
 1 祖父と兄弟たち
 2 次男◯◯◯のこと
 3 三男◯◯のこと
 4 四男◯◯のこと
 5 長女◯◯のこと
 6 ◯◯家と◇◇家の関わりはどこから
 7 松田甚次郎と松田家のこと
 8 祖父母の晩年
第3章 思い出すままに
 〜以下略〜

というものです。A4判2段組、本文11ポイントで、写真を入れたら14ページになりました。

あとは、これを印刷してレポートメーカー(コクヨ、セホ-50B)で簡易製本します。


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3 コメント

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Unknown (まんじゅう顔)
2024-07-25 13:34:37
ゆかりの人たちの回想記の執筆、素晴らしいです。
歳をとっていくと、実家のルーツや親戚関係などの情報がどんどん少なくなっていって(私が子供の頃に聞いたことも忘れつつあるので)、弟と色々思い出していました。
が、なかなかまとめるところまで行かず・・。
narkejpさんのところは、きちんといろんな記録が残っているのでしょうね。そしてそれをまとめていく力もお持ちで、羨ましいです。
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まんじゅう顔 さん、 (narkejp)
2024-07-25 20:56:56
コメントありがとうございます。コロナ禍で、法事の規模が縮小し、ほぼ家族単位になりつつあります。良いことではあるのですが、反面、一族の歴史のようなものが次第に伝わらなくなるという欠点もあります。今回は、両親と祖父母を中心に、ゆかりの人々についての記憶や伝承をまとめてみました。近現代史に登場する有名人も含まれ、思わずくらくらするような人間模様が、この田舎を接点に結びついていたんだなあと感じました。資料としては家系図、過去帳くらいで、あとは私の記憶をもとに存命の年配者に電話で問い合わせるというやり方で、貴重な証言も得られました。
祖父は結局洗礼を受けるまでには至りませんでしたが、村山農学校時代に楯岡教会の聖書研究会に所属しており、古澤久治牧師を囲んで6名の学生が写った写真が残っています。古澤久治牧師で検索すると豊橋中部教会の第6代牧師(1904-5)と同名で、時期的にあるいは山形から豊橋のほうへ移動したのかもしれず、当時の人たちのダイナミックな姿が感じられて興味深いところです。
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訂正 (narkejp)
2024-07-25 21:08:05
もし同一人物ならば、祖父の生年・年齢からみて、時期的には豊橋中部教会からいろいろ経由して10年位後に山形へ移動したと考えるほうが自然なようです。
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