元日の朝方に少しだけ降った雪も日中のプラスの気温であらかた融け、元朝の寺参りの対応も済ませて穏やかな正月となりました。自宅に戻り、コーヒーを飲みながら音楽の聴き始めとなりましたが、今年はハイドンの弦楽四重奏曲を選びました。作品64の4、手元にあるのはコダーイ弦楽四重奏団の演奏です。寺の雰囲気からは一転してエステルハージ候の邸宅の雰囲気になります。
考えてみれば、田舎の専業農家で生まれ育った少年が、なんでまたクラシック音楽の、しかもよりによって地味な室内楽の曲を好んで聴くようになったのか。これは若い頃の NHK-FM 「夜の室内楽」等の影響が背景にあり、近年は変則夜間勤務の単身赴任時代から聴き始めたこのCD(*1)と、山形弦楽四重奏団定期演奏会でのハイドンの弦楽四重奏曲全曲演奏にせっせと足を運び、ハイドンの音楽の魅力にどっぷりと浸った影響が大きいでしょう。しかも元日の静かな雰囲気は、大音量のポップスやオーケストラ音楽とは合わないので、こうしたさらりとした雰囲気がよくマッチします。
YouTube でこの曲の演奏動画を見つけました。まず、フェスティーシュ四重奏団による演奏;
J. Haydn - Hob III:66 - String Quartet Op. 64 No. 4 in G major
続いてアマデウス弦楽四重奏団による演奏;
Haydn - string quartet op.64 no 4
(*1): ハイドンの音楽の魅力は、例えば ハイドンの弦楽四重奏曲「ひばり」を聴く〜「電網郊外散歩道」2005年9月 などと感じます。
雪国では、雪降りのお天気は数日間続くことが多いです。降り止んでも一時的なもので、基本的に冬は荒れたお天気になることが多いものです。しかしながら、高齢者にとっては定期的な通院や買い物は必須です。母が元気なうちはそれほどでもなかったのですが、晩年には自宅からかかりつけの医院までの通院が大変でした。結局、車イスタクシーを手配することで切り抜けましたが、もし母が一人暮らしの境遇だったならばと考えると、雪国の生活の困難さは温暖な地方でのものとは比較にならない大変さがあると感じます。月に一回の通院ですら一大事なのですから、日常的な買い物はもっと大変でしょう。地域に歩いていける範囲に商店があればいいのですが、最近は高齢化により個人商店の廃業の動きが加速していて、都市近郊でも買い物難民の発生が懸念されている時代です。要するに、車で行ける人はいいのです。車がない、あるいは免許証を返上した高齢者が、徒歩で行ける範囲に店がないというのは、田舎だけではなく都市近郊でも実はありえます。
当地でも同様の事情があり、地域の要望として根強いものがありました。車で買い物に行ける若い人たちは、そういう問題があることに気づかない。「買い物は私たちがやってあげるから」というのとはまた違って、自分で買い物をすることができる環境が「ある」ことが大切なのです。高齢者と接する年代になってみて初めてわかる「明日は我が身」です。今年の大きな課題の一つに買い物難民問題の解消を掲げ、いろいろと動いて要望してみた結果、某スーパーが移動販売を始めることになりました。
雪の日の朝、自宅の周辺や小学生が通るグリーンベルトだけでなく、移動販売車が停まる空き地も除雪をしておきます。午後、移動販売車が来る時刻には、80代の高齢者が数名、買い物袋を下げて待ち構えています。私はまだ車で買い物に行ける年代ではありますが、要望した手前、年寄りたちと一緒に買い物をします。昨日はちくわと豆腐と笹かまぼこを買いました。車と縁遠くなった高齢者は、「助かるわ〜」と喜んでくれているようです。
最近、あちこちの市街地で野生動物が出没しているようです。ニュースでは、秋田県のスーパーにクマが居座ったり、小学校でクマがうろついていたり、「えっ、こんなところまで!」と思うような場所でも目撃されていますし、当地でも近隣の市町で野生のクマが目撃されており、少し前には早朝にイノシシの目撃情報がありました。私の若い頃、今から50年ほど前には、山間部で野生のクマが目撃されることはありましたが、これほど頻繁に市街地に姿を現し居座ることは聞いたことがありません。明らかに個体数は増えており、必ずしもこれまでの経験則があてはまらない事態が生じているようです。
これまでの経験則というのは、クマは人間を恐れるので、熊よけの鈴など音の出るものを身につけていればクマのほうが逃げてくれるというものです。山菜採りやきのこ狩りなども、そうした安心感があって楽しめるものでした。またブナの実の豊凶でクマのエサが左右され、凶作の年にはエサを求めて里に降りてくるとも説明されていました。今年はブナの実が豊作だから本来ならばクマは里に降りてこないはずだったのです。ところが現実は、どうもそういうものではなさそうです。
クマだけでなく、野生のイノシシが山麓の田畑を荒らし、サルの群れが果樹園を襲うと、農家の自衛手段ではとても対抗できません。これまで山里を守ってきた農家が高齢を理由に離農する理由の一つに、こうした野生動物に適切に対処できない現実があるのだろうと思います。
昔は、里にクマが出て作物を荒らしたとなれば、人的な被害が出る前に対処するべく、大勢の村の人たちがほら貝や鍋、釜、太鼓等を鳴らし、大騒ぎをすることで一定の方向にクマを追い込んでいき、猟銃を持つ人たちが待ち構えてクマを退治するというやり方が取られていたようです。仮にクマを逃したとしても、大勢の人間の怖さをしったクマは里を荒らしにこなくなる、という学習効果がありました。
ところが、今はこうした方法は取れません。山里には若者や壮年の人がごく少なく高齢者が中心ですし、現在の法体系や判例は野生動物の保護の面が強調されすぎて、個体数が増えすぎて被害を生じていてもお役所は適切に対応できない。被害を受けた山麓の住民が泣き寝入りするしかない、というのが現実でしょう。少しずつ、少しずつ、野生動物に対する山里のバリアが弱体化していき、ついに市街地が野生動物の活動エリアに入ってきたということだと思います。大勢の人間の怖さを知らないので、一人や二人の人間なら怖くない、むしろ弱っちい格下の生き物だ、と認識しているのかもしれません。
都市部にも河川が流れ、河川敷を通れば鉄道や道路をやり過ごして移動することができ、ちょっとした耕作放棄地や荒れたヤブがあれば身を潜めることができます。市街地のかなり奥の方、「えっ、こんなところまで」と驚くようなところに、野生動物は到達できるのです。以前の勤務地の近くに現れたツキノワグマは、飲食店の残渣をあさりにきていたと聞きました。今まではキジやタヌキや野ウサギ程度だったわが家の果樹園でも、これから、早朝・夕方など野生動物の活動時間帯には痴漢や変質者の出没を警戒するのと同様に、イノシシやクマなどと出くわすこともありうると考えておく必要が出てきたのかもしれません。
最近、世界各地でヘンな社会現象が発生しているようです。コロナ禍の際には米国等の反ワクチンの動きが無視できないほど高まりましたし、トランプ現象も似たような背景を持っているようです。某国の大統領は何をトチ狂ったのか唐突に戒厳令を出してしまいましたし、日本でもパワハラ等の告発者が亡くなったと報道されていた某県の出直し知事選挙では大方の予想を覆す結果となりました。
こうした社会現象に、どこかへんだなと違和感を感じる人も少なくないものと思います。その背景に、おそらくは YouTube 等が採用しているアルゴリズムが影響しているのではと感じます。例えば Google の場合、検索したキーワードに関連した広告が表示される仕組みが同社の最も重要な収益源となっているのは有名です。Amazon の場合、検索表示された商品に関連性の高いアイテムが優先的に表示され、過去に検索し購入した商品も含まれてきます。YouTube の場合も、ユーザーがある動画を最後まで視聴するとその動画と関連性の高い動画が優先的に表示されるようになります。また、逆に途中でスキップした場合はその動画や関連する動画の優先順位は低くなってしまいます。さらに検索履歴に関連する動画が優先的に表示されますので、ある動画を視聴すると「どんどん深みにハマる」仕組みになっているわけです。
たぶん、最初は漠然とした不安感からワクチンの安全性について調べた人が今まで見聞きしたことのない反ワクチンの動画にじっと見入ってしまい、提示される関連動画を見続けていくうちに反ワクチンの考えに変わってしまうということなのでしょう。ワクチンをトランプ、◯◯知事、北朝鮮あるいは◯夫人などという語と取り替えてみると、なんとなく腑に落ちる感じがあります。
これは、勉強熱心な人ほどハマるアルゴリズムです。言葉は悪いですが、強く思い込む確信犯製造プロセスと言っても良いかもしれません。ケネディ家の御曹司でも反ワクチン論者になり得るというのは理解できます。こういう仕組みを利用して YouTube 等で注目されて知名度を上げ、がっぽり稼いでいる人もいることでしょうから、ある日、YouTube で動画をよく見ていた家族の誰かが何かヘンなことを主張し始める、そういった現実がもうあるのかもしれない。一方的で強固な確信的思い込みに、なんだかカルト集団に近い怖さを感じます。
◯
画像は記事内容とは全く関係がありません。コーヒーで一休み、ほっとするひとときです。
11月の下旬から雨模様で、師走に入ってもなかなか晴れません。毎年、この時期は時雨模様で、スッキリしたお天気にはなりにくいのですが、畑仕事も出来ずさりとて散歩をするにも不都合な季節です。仕方がないので、無駄に広い田舎家を活用して屋内ウォーキング。さすがに同じところをぐるぐる回るわけですので2,000歩ほどで飽きてしまい、午前10時のコーヒータイムとなりました。
幸いにこの日は頂き物の最中がありましたので、新しいコーヒー豆の封を切り、コーヒーメーカーで淹れて最中をいただくことにしました。天童市の「菓子のハヤシ」の「山麓の一軒家最中」です。つぶあんと抹茶とありましたので、今回は抹茶の方を選択。
外観は、そのものズバリ、昔ながらの茅葺屋根の一軒家をかたどったもので、中に抹茶のあんがつまっています。ブラックのコーヒーにしっとり最中が意外にあいます。ふう。コーヒーが美味しい。これでお天気が良ければ言うことないんだけれど。いや、お天気が良ければこんなにのんびりしていないか(^o^)/
過日、妻が「リビングのテレビが映らなくなった」と言いますので、コンセントから電源プラグを抜いてしばらく放電させ、再度プラグを差し込んで電源を入れるなどを試みましたが、残念ながら治りません。電源ボタンを長押ししながら電源プラグを入れ直してリセットさせても、やっぱり映りません。仕方がないので、いつもの「電器屋さん」に連絡、来てもらいました。地域の電器屋さんは、家電オーディオ製品などを一手に引き受けて直してもらっています。今回は、ちょっと不調なパイオニアのダブルカセットデッキも点検修理をお願いしました。
翌日、連絡があり、テレビの方は液晶のバックライトが故障で修理困難というか、残念ながら買ったほうが安いし早いとのこと。購入してから8年で買い替えとなったわけでちょっと早かった気がしますが、妻が楽しみにしている「光る君へ」がリビングで見られないのは困りますので、同等品を購入することにしました。同じシャープのアクオスで同じ32インチの製品が税込56,400円、処分料が 6,000円で計62,400円也でした。もう一つ、ダブルカセットデッキの状況説明があり、これについては新規購入はもう難しいだろうから、可能なかぎり修理してほしいとお願いしました。
数日後、新しいテレビの納品。リモコンの操作も同じなので、全く変わった感じはしません。妻はいつもどおり「光る君へ」を楽しんでおります。私の方はダブルカセットデッキのイジェクト操作がスムーズになったのと、モーターベルトの交換でワウフラッタ等がだいぶ改善されたので、昔の録音が聴けるようになりました。いえ、すでにパブリックドメインになっているクラシック音楽の録音ではなく、昔の家族の声や会話などが入っている生録音や昔シナリオなどで関わったラジオ番組など。こればっかりは、YouTube でも出てきませんからね〜(^o^)/ ちなみに、ダブルカセットデッキの修理代は税込で10,700円。今のご時世、一万円で新品のカセットデッキは買えませんし、修理できて良かった(^o^)/
近年の主な修理歴:
- LDプレーヤーは今回も修理でき、オペラ作品のさわりを楽しむ〜「電網郊外散歩道」2021年5月
- ONKYOのミニコンポのアンプ、CDプレーヤーは修理できた〜「電網郊外散歩道」2019年4月
- テレビアンテナを更新し、ついでにテレビも交換する〜「電網郊外散歩道」2011年5月
- 8mmビデオもLDも全部修理できた〜「電網郊外散歩道」2005年7月
それはありがたい。ゴーフレットに定番のミルクに加え、塩キャラメルだとかあんバターだとかいろいろな甘味を詰め込んだもので、なかなかハイカラかつ食べでのある大きさのスイーツです。七十翁の爺さんは空腹時のお菓子がグルコース・スパイクを引き起こすことを考え、食事の後のデザートか、まだ血中インスリン濃度がそれほど低下していない食後2時間程度のおやつの時間にいただくことにしていますが、思わず幸せになる美味しさです。
李白クン、すねてるのかい? キミはスイーツとは無縁だものね〜。いつものカリカリに少しだけプレーンヨーグルトをたらしてあげようか? いえいえ、ミニコンポのアンプがほんのり暖かくなってるので、寒い時にはここが快適なんですよ(^o^)/
(*): バターのいとこ〜公式サイト
ところで、病臥時にはラジオ放送がありがたい。国内の政党の総裁選や代表者選などの動きはもちろんですが、野次馬的に興味を持っていたのが米国の大統領選です。どうも、今回のテレビ討論ではカマラ・ハリス候補がトランプ候補より優勢だったようで、面白いことになっています。「もしトラ」が囁かれ、バイデン氏の大統領選不出馬とハリス氏の登場があり、副大統領候補の親しみやすさもあって、今回のテレビ討論会で流れが変わったような感じ。テレビでは映像があるので、候補者の顔がわかるのが大きいですが、ラジオでは要点が簡潔に示され、わかりやすい。民放のCMは鬱陶しいですが、NHK第1のニュース放送は聞きやすいです。
- まず、Aの位置を確認します。各列の一番手前のカードから数えて何番目かを確かめ、近い列から攻略し、遠い列は後回しにします。これは戦略的に重要なポイントです。
- 左上の一時的にカードを置けるスペースはできるだけ2枚程度に抑えるようにし、2手先、3手先を読みながら、空になった列にKを置き、赤と黒と降順に並ぶように移動させます。また、Aを出したのと同じものを 2、3、と順に処理していきます。
現在は、Linux でフリーセルを遊ぶことがあり、今のところ4825回チャレンジして勝ち数が4816回、差の9回は都合で中途放棄、一応、勝率100%を誇っております(自慢にならないよ、ジイさん)(^o^)/
この人口減少時代に、新しい分譲地ができてまだ若い新しい住民が増えるのは貴重なことです。小学校の子供たちの減少を食い止め、むしろ増加傾向にあるらしい。願わくは自然な形で交流が増えて、地域の活力になってくれるといいなあと願っています。
やんちゃ猫・李白は今日もエアコンのきいたリビングでお昼寝。平和なものです。今まで法事のお客さんが多かったので、やっとゆっくりできるのだそうな。そうかそうか、キミも大変だったね〜(^o^)/
$grep "介護保険" memo*.txt
memo-utf.txt:2008/01/27 介護保険制度等の研修会 朝の公民館除雪の後に、午前10時から◯◯壮年会主催で「介護保険制度と介護予防入門」の研修会を実施した。講師は、◯◯市健康福祉部福祉課介護保険主査の◯◯◯氏と、◯◯市地域包括支援センター係長の◯◯◯◯◯氏。全部で30名弱の参加者で、良い研修会になった。
なるほど。このブログを初めたのが2004年12月ですので、2008年ならば当ブログにも記録があるだろうと見当を付け、検索ボックスにキーワードとして「介護保険制度」と入力し、「このブログ」を検索対象に指定して実行してみると、
2008年01月28日 「介護保険制度と介護予防入門」研修会 (Weblog) 〜「電網郊外散歩道」
という記事を見つけることが出来ました。
母の在宅介護をしてみて、今、介護保険制度のありがたさが実感としてわかります。気丈な母は95歳の最後までボケることなく、自分のことは自分ですると、服薬管理も血圧測定もトイレも、歩行器を使いながら自分でやりました。それでも、日常の起き上がりに便利な電動ベッドのレンタルをはじめ、さすがに入浴は危ないのではじめは自宅で入浴介助、後からはデイサービスで入浴や洗髪をしてさっぱりしたと喜んでおりました。また、かかりつけ医のところに通院するのに自家用車への乗り込み時に転んで危なっかしくなり、通院に不自由するようになってからは、車いすタクシーのお世話になりましたが、タクシー券の補助がありがたいものでした。
母を看取り、三回忌を計画している今になって、当時の自分の記事のこの表現が本質だと感じます。
介護保険制度というのは、健康保険とは別に制度設計されたものであって、一定の年齢以上の人たちが、それぞれの立場に応じて介護保険料を納め、介護が必要になった世代の人たちを支えましょう、という趣旨の制度のようです。介護を個人の努力だけで解決するのではなく、介護の社会化を目指す、というものでしょうか。
地域で研修会を企画してから16年。制度を設計した人たちには、現在のような介護の状況が見えていたのでしょうか。もし制度が実現せず、すべて家族や個人の献身にまかされていたら、おそらくは全国で数多くの悲劇が生まれていたことでしょう。そう考えると、いささかゾッとします。
※心臓血管 cardiovascular
もう一つは薬の話で、「クローズアップ現代」が薬不足の現状とその背景を取り上げたものです。映像に写ったのは、私がアレルギーによる副鼻腔炎・鼻づまり対策で日々お世話になっている「カルボシステイン錠」や「モンテルカスト錠」だったからです。番組によれば不足する理由は薬価にあるとのことで、長く実績のある薬は薬価が低く抑えられ、メーカーにとっては利益が出しにくいものになっているため、増産の決定は出せないと言います。結局は労働現場にしわ寄せが行く構造になっているようです。健康保険制度は全体としてはありがたい制度ですが、あちこちでさじ加減が難しいようです。制度を活かし硬直化しないように、うまくフィードバックしてほしいものです。もう一つ、現在は大企業ではなくベンチャー起業が創薬を担っているケースが多く、日本での新薬審査のための申請が行われないという事情が背景にあるようです。このあたりは、制度の前提となる想定が変わってきているわけですので、制度上の対応が必要になるようです。
(*1): 技術よ小さき命を救え〜町工場・夢の心臓血管パッチ開発〜「新プロジェクトX〜挑戦者たち」
(*2): 薬が…手に入らない〜なぜ長引く「薬不足」解消しない供給不足の謎に迫る〜クローズアップ現代取材ノート
そのように考えると、南北に流れる大河の下には地盤の割れ目があり、それは活断層の存在を意味することになります。東日本大震災が大地変動の時代の到来を意味するのだとすると、歴史的に災害が少ないと認識されている山形県内陸地方も、直下型地震の可能性はあり得るということになりましょう。最上川の流れに沿って走る活断層が動き、震度6弱程度の直下型地震が起こったとすると、東日本大震災当時の仙台市の揺れに相当することになります。うーむ、これは怖いぞ。
我が家での対策はどうなるのだろう。まずは我が枕元本棚が危ない。寝ている時に大量の本が崩れてきたら、『本好きの下剋上』の主人公と同じ運命になってしまいます。本棚は撤去して読みかけの本数冊を枕元に置くだけにするのが良さそうに思われ、これは少しずつ実施できそうです。あとは、東日本大震災で傷んだ土蔵でしょうか。これは遅かれ早かれ取り壊さざるを得ないでしょう。中に収蔵したモノがかなりあり、その整理と処分はかなり大事だなあ。いずれにしろ、サクランボが終わらないと手がつけられません(^o^;)>poripori