電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

この「冬の旅」はスゴイ!〜イアン・ボストリッジのテノールでシューベルト「冬の旅」を聴く

2025年02月27日 06時00分56秒 | -オペラ・声楽
冬の寒さの中で、シューベルトの歌曲集「冬の旅」の絶望に想いを寄せ(*1)、聴きなれたヘルマン・プライの歌唱とは別の、現代の歌い手による同曲を聴いてみたいと思い立ちました。現代らしく Google で「Schubert Winterreise」で検索し、動画を指定すると、トップに出てきたのがイアン・ボストリッジのテノールによる「冬の旅」のライブコンサートの動画(2016年、ユトレヒト、オランダ)です。

Schubert: 'Winterreise' - Ian Bostridge - Live concert HD

歌っているイアン・ボストリッジというテノール歌手は、ぱっと見では映画の暗号ものに登場する、天才だが風変わりな数学者の役柄が似合いそうな雰囲気(^o^;)ですが、歌は素晴らしい! ほんとに素晴らしい。ここ数日、この動画を何度も聴いています。声質はやわらかいですが、表現は劇的な強さがあります。YouTube のコメント中にはステージマナーに対して批判的な意見も見られるようですが、あまり賛成はできません。もしかすると彼は歌いながら次第に酒に酔っていく青年の姿を表現しているのかもしれない。またサスキア・ジョルジーニというピアニストの伴奏も素晴らしい。非常に深められた表現に、聴き惚れてしまいます。

当方、素人音楽愛好家ですので、イアン・ボストリッジ(*2)というテノール歌手については全く知りませんでした。Wikipedia 等で調べてみて驚きました。歌手としてのプロデビューはずいぶん遅咲きで、なんと27歳のときだったとか。それまではオックスフォードやケンブリッジで英国近代史を専攻し、科学哲学の修士号、歴史学の博士号を取得した学究の道を歩んでいたらしい。なるほど、歴史学者としての裏付けのある知的なとらえ方を背景としつつ、シューベルトの歌が内包するドラマが、時に伸びやかに時に劇的に、深みをもって表現されます。現代の「冬の旅」として共感し説得力を感じるのも納得です。


※本記事の見出し画像は2008年2月の撮影で、雪の中のカモたちです。


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演奏会形式でプッチーニの歌劇「トスカ」を聴く

2025年02月03日 06時00分16秒 | -オペラ・声楽
山響こと山形交響楽団が演奏する演奏会形式オペラシリーズIII、プッチーニの歌劇「トスカ」を聴きました。2月2日(日)15時より、県民ホールでの演奏です。今回は、
指揮:阪 哲朗
舞台構成・演出:太田 麻衣子
トスカ:森谷 真理
カヴァラドッシ:宮里 直樹
スカルピア:黒田 博
アンジェロッティ:井上 雅人
スポレッタ:岸浪 愛学
シャルローネ:後藤 春馬
堂守:原田 圭
合唱:山響アマデウスコア
   山形県立山形東高等学校音楽部
   山形県立山形西高等学校合唱団
   山形県立山形北高等学校音楽科・音楽部
児童合唱:村山市立楯岡小学校合唱部
管弦楽:山形交響楽団
というメンバーでの演奏会形式のものです。

「トスカ」というオペラは、政治犯の投獄や拷問あり、殺人の場面を描き、しかも主要な登場人物がみな死んでしまうという陰惨な作品です。しかしドラマティックな歌と管弦楽が織りなす物語は実に説得力があり、観るものの心をとらえて離しません。トスカ全三幕のストーリーは前にレーザーディスクで観て聴いて書いた記事(*1〜3)がありますので省略しますが、実演を聴くのは初めてですので、今回は全般的な印象をレポートしたいと思います。
  • まず、第1幕では、低音の迫力にしびれました。オーケストラは全体的に増強されていますが、とりわけオーボエ(2)の他にコールアングレが加わるほか、クラリネット(2)にバスクラリネットが加わり、ファゴット(2)に加えてコントラファゴット、トロンボーン(2)にバストロンボーン(2)が加わるなど、低音部が増強されています。これは作曲者の指示であり、100名を超える圧倒的な合唱もあって、不安な雰囲気や不気味さを醸し出す要因になっています。
  • これに対して第2幕では、音量的な迫力よりも心理的なものが重視されているようで、とりわけ悪役の造形がすごいです。スカルピアの悪辣さ、トスカがナイフを振り上げた殺人現場を描くリアリティ。最後の死者への気遣いはトスカの善良さを対比させたものでしょうか。
  • 第3幕もまた密かな喜びが一転して悲劇となる緊迫した場面ですが、これをオーケストラが緻密にダイナミックに描き出します。クラリネットの旋律が胸を打つ、名場面がとても良かった。


最後のカーテンコールはもうみなさん拍手の嵐。山響に阪さんが来てくれて良かった。オペラが上演できる県民ホールができて良かった。今回も無事に演奏会に行くことが出来て良かった良かった!




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東根混声合唱団の第27回定期演奏会を聴く

2024年05月27日 06時00分38秒 | -オペラ・声楽
知人に紹介されて東根混声合唱団の第27回定期演奏会のチケットを購入し、サクランボ「紅さやか」の初出荷を終えた日曜の午後、東根市のさくらんぼタントクルセンターに出かけました。会場は子どもたちの屋内遊技場や休日診療所、市の保健センター等が同居する多目的施設に設けられた小ホールで、収容人数は約500席くらいの大きさです。以前、山形オペラ協会の公演でモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」を聴いたことがあり、また映画「おくりびと」を観たのもこのホールでしたので、なじみのあるステージです。

開演前に、市の生涯学習課長のあいさつがありました。女性の課長さんらしく、あまり堅苦しくない雰囲気。さらに団の代表のご挨拶があり、オープニングは東根市の歌。作詞:谷川俊太郎、作曲:林光というコンビで、なかなかいい歌でした。第一部のステージは「口ずさみたくなるようなうた」で、正面に指揮台とピアノ、その後方の山台に左に女声が10名、右に男声が10名の計20名です。年代としては中年以上と言って良いのでしょうか。拝見したところ、必ずしもリタイア組ばかりではなく、現役でバリバリ仕事をしている方も少なくない様子。忙しさの中で練習に参加し、たくさんの曲を覚えて仕上げる過程は、容易ではないはず。熱心なアマチュア合唱の良さを久しぶりに味わいました。
参考までに、プログラムの曲目を載せておきましょう。



第1部 口ずさみたくなるようなうた
 春の風
 ほくはぼく
 道
 気球に乗ってどこまでも
 君がいないから
 心の瞳
 さくらんぼと麦わらぼうし
 風が吹く丘に
みんなで歌おう〜故郷〜
〜休憩(15分)〜
第2部 混声合唱組曲「二度とない人生だから」より
 念ずれば花ひらく
 花・ねがい
 妻を歌う
 つゆのごとくに
 からっぽ・サラリ
 こおろぎ
 二度とない人生だから
指揮:佐藤登、ピアノ伴奏:永田明子、須藤円、友情出演:本間泰久(元劇団四季)


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ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」を聴く

2024年02月22日 06時00分01秒 | -オペラ・声楽
ドヴォルザークの音楽は、交響曲、協奏曲、室内楽、歌曲など、お気に入りのものがたくさんありますが、オペラはあまり馴染みがありません。若い頃、歌劇場のオーケストラでヴィオラ奏者だったドヴォルザークは、劇場の仕組みもどんな音楽が人気を博しているのかも充分に承知していたことでしょう。でも、自分が共感し納得できる音楽となるには、台本も演出も含めて、時間と経験が必要だったということでしょう。そんなドヴォルザークの代表的な歌劇作品が「ルサルカ」です。以前、DVD を入手(*1)しておよそのストーリーは承知しているものの、まだ全曲を通して観た(聴いた)ことがありませんでした。

ただし、名アリアとして取り上げられることが多い「月に寄せる歌」は、好きなオペラアリアの一つです。森の奥に住む水の精ルサルカが王子に恋をして魔法使いに人間の姿に変えてもらいますが、人間の姿でいるときは言葉がしゃべれない。王子はルサルカに一目惚れして城に連れ帰り結婚しようとするのですが、言葉を発しないルサルカに不満を持ち、外国の公女に心を移してしまう。ルサルカは…というオペラなのですが、面食いで浮気者というしょうもない王子なんぞに恋をするから悲劇が生まれるのですよ、世の中のお嬢さん方(^o^)/

昨年10月に、若くして乳がんで亡くなったチェコのパトリシア・ヤネチコヴァの歌で。たぶん、ネイティヴの発音は一番正確かもしれません。
Patricia JANEČKOVÁ - RUSALKA


アイーダ・ガリフッリーナの歌で。
Aida Garifullina - Dvorák - Rusalka “Song To The Moon” (Mesicku na nebi hlubokem”)


ルチア・ポップの歌で。
Rusalka, Op. 114, B. 203, Act 1: "Mesicku na nebi hlubokém" (Rusalka)


歌詞の対訳付きで、歌はピラール・ローレンガー。
ドヴォルザーク《ルサルカ》「月に寄せる歌」 ローレンガー


ほんとにいい歌です。作曲家の苦労や歌い手の皆さんの努力を思うと、こんなに便利でいいのかと思ってしまうほどです。いやいや、ネットで簡単に触れることができるから、ある意味、全曲に接するという辛抱ができないのかもしれない。うーむ、それは要反省。



(*1): オペラを楽しむには、もっと「ゆとり」が必要か〜「電網郊外散歩道」2012年10月

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「椿姫〜ラ・トラヴィアータ」のアリアを聴く

2024年02月08日 06時00分26秒 | -オペラ・声楽
昨日は、先日の「椿姫」公演を思い出しながら手持ちのLDやCDを当たり、またネット上の動画を探していたら、すっかり「椿姫〜ラ・トラヴィアータ」の音楽にはまり込んでしまいました。気の向くままに、YouTube で検索した結果から有名どころのアリアをいくつか選んでみると、次のようになります。

プラシド・ドミンゴとイレアナ・コトルバスのコンビで、1981年のメトロポリタン歌劇場での公演から、第1幕の「乾杯の歌」。
【イタリア語】椿姫 - 乾杯の歌 (Libiamo ne' lieti calici) (日本語字幕)


森谷真理さんのソプラノで「椿姫」第1幕より「ああ、そはかの人か〜花から花へ」
Mari Moriya "E strano... Ah, fors'è lui... Sempre libera" La Traviata


第2幕、パヴァロッティが歌う「燃える心を」、1980年。
Verdi: La traviata / Act 2 - "Lunge da lei" - "De' miei bollenti spiriti" (Live)


同じく第2幕、父ジェルモンの歌う「プロヴァンスの海と陸」、2019年、ヴェローナ野外劇場にて。
La Traviata - Di Provenza il mar, il suol - Arena di Verona 2019


第3幕、ヴィオレッタの悲嘆「過ぎし日よ、さようなら」をマリア・カラスの歌で。1953年の録音。
MARIA CALLAS La Traviata, Addio del passato 1953 (audio) e 1958 (foto)


結核で明日をもしれぬ命の女性がこんなスゴイ歌を歌えるのか、という問題はありますが(^o^)、まあそこを問わないのがオペラのお約束ということで、ヴェルディの音楽と素晴らしい歌唱を堪能することができました。我が家のやんちゃ猫・李白も、すっかりファンになったようです(^o^)/

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ヴェルディの歌劇「椿姫」を聴く〜山響・演奏会形式オペラシリーズVol.2

2024年01月29日 06時00分03秒 | -オペラ・声楽
冬型の気圧配置も通り過ぎ、久しぶりに太陽が顔を出した日曜の午後、山形交響楽団の演奏会形式オペラシリーズVol.2、ヴェルディの歌劇「椿姫」を聴きました。会場はやまぎん県民ホール、日本語字幕付きイタリア語上演、15時開演です。ホールに入るとステージ上にはオーケストラの席が並んでいますが、オーケストラピットを使わないでステージを広げているため、ずいぶん余裕があるように感じます。オーケストラの後方には合唱団のための階段状の台があり、その手前、オーケストラと合唱団の間に小舞台のようなものが作られています。おそらく、何か演出上の工夫があるのでしょう。

ステージ上の楽器配置は、左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(6)、ヴィオラ(5)、第2ヴァイオリン(7)、チェロの左後方にコントラバス(3)の 8-7-5-6-3 という編成の弦楽5部に、正面後方にフルート(2、うち1はピッコロ持ち替え)とオーボエ(2)、その後方にクラリネット(2)とファゴット(2)、木管の左にホルン(4)、木管の後方にトランペット(2)、トロンボーン(3)、テューバ、最後方にティンパニとパーカッション、というものです。

以下、敬称を略しますが、舞台構成と演出は太田麻衣子、配役は

ヴィオレッタ:森谷 真理(ソプラノ)
アルフレード:宮里 直樹(テノール)
ジェルモン:大西 宇宙(バリトン)
フローラ:小林 由佳(メゾソプラノ)
ガストン子爵:新海 康仁(テノール)
ドゥフォール男爵:河野 鉄平(バス)
ドビニー侯爵:深瀬 廉(バリトン)
医師グランヴィル:井上 雅人(バリトン)
アンニーナ:在原 泉(アルト)
ジュゼッペ:西野 真史(山響アマデウスコア)
使者:鈴木 集(山響アマデウスコア)
フローラの召使:土田 拓志(山響アマデウスコア)

管弦楽:山形交響楽団、合唱は山響アマデウスコア、合唱とバンダに県立山形東高等学校音楽部・吹奏楽部。指揮は山響常任の阪哲朗。

第1幕、ヴァイオリンがひそやかに前奏曲を奏でると、「椿姫」の舞台は夜会の場面に。パリの社交界で名高い高級娼婦ヴィオレッタが、友人フローラと共に客間でパトロンや貴族たちをもてなしていると、青年アルフレートが紹介され、ヴィオレッタと共に「乾杯の歌」を歌います。来客たちは宴に移動しますが、ヴィオレッタはめまいがしてその場に残ります。彼女の健康を気遣うアルフレートも残って真剣に恋心を訴え、ヴィオレッタは心を動かされます。



第2幕、第1場はパリ郊外の家で静かに暮らすアルフレートとヴィオレッタの生活です。部屋にソファと小テーブルを置いただけの場面ですが、アルフレートは生活を支えるのにお金が必要なことがわかっていない。生活はヴィオレッタが自分の財産を切り崩しながら営まれているのです。それを知ったアルフレートは金策のためにパリに向かいますが、そこへアルフレートの父ジェルモンがやってくる。娘の婚約が破談になりそうなので、息子と別れてくれ、という話です。最初は納得しなかったヴィオレッタも最後には折れて、自分から身を引くことにしますが、このあたりの心変わりの理由は以前に考えた(*1)ことがありました。ヴィオレッタが去った後は、息子アルフレートと父ジェルモンの対話による心理劇。見応え、聴き応えがありますが、ここでは合唱はありません。第2場は合唱が入り、フローラの夜会の場面です。男爵とよりを戻したヴィオレッタにアルフレートは札束を投げつけ侮辱します。緊迫した場面に父ジェルモンがやってきて息子を叱りつけます。それぞれの思いが歌われますが、思いが交差することはありません。



第3幕、真っ白な長椅子を置いただけのヴィオレッタの寝室。決闘による男爵の傷も癒え、ジェルモンがアルフレートに真実を伝えたことで、急ぎアルフレートが戻ってきますが、ヴィオレッタはすでに結核で明日をもしれぬ命となっています。わかっていないアルフレートは二人でどこか遠いところで暮らそうなどと言いますが、ヴィオレッタにはもうその力はない。容態が急変して崩れ落ちるように亡くなります。合唱はありませんが、オーケストラによるヴェルディの繊細な音楽が聴かせどころを作ります。指揮の阪哲朗さん、オーケストラが歌を支え、情感を盛り上げ、さすがにうまいです。ブラヴォー!です。




熱のこもったカーテンコールとなりました。それぞれの役の皆さんによる歌も山響の演奏も山響アマデウスコアの合唱も素晴らしかったですし、バンダで参加した山形東高音楽部・吹奏楽部の生徒さんたちも、きっと強烈に心に残ったことでしょう。演奏会形式ではありますが、演出の見事さも感じました。県民ホールの会場を活かしたこのシリーズがさらに続いてくれるように願っています。



ここからは余談です。

父親ジェルモンの影に母親の存在を見る見方(*2)もおもしろいです。現代にも通じ、あり得るだけにリアリティを感じます。
主人公の一人、アルフレートの残念さ。恋に浮かれて突っ走るけれど、生活することを知らない。ヴィオレッタにお金を出させて、のほほんとしている。当時の貴族のボンボンといえばそんなものかもしれませんが、自分の娘なら恋人にはなってほしくないタイプです。そういえば、おとぎ話の王子様はみんな面食いのスネカジリ君だなあ。
もう一つ、忠実なアンニーナの役割は、ヴィオレッタにとっては大切なものだったのでしょう。主従関係は根底にありながら、「奥様、それはいけません」と止めてくれるような関係、信頼感があったのでは。明日をもしれぬ病に加えお金が底をついたとしても、主人を見限ることなく仕えている。この密接な紐帯にも、背景がありそうです。ヴェルディは目立ったアリアを与えてはいませんが、重唱の場面でのアンニーナの声の役割も、何度も聴いていると聴きどころの一つに思えてきます。「椿姫〜ラ・トラヴィアータ」、ほんとに名作だなあと思います。そういえば、あれほど繰り返して観ているLDの「トラヴィアータ」は、まだ記事にしていなかったんだなあ。

(*1): ヴェルディの歌劇「椿姫」を見る〜「電網郊外散歩道」2006年5月
(*2): ジェルモン〜「中爺通信」より

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J.シュトラウスIIの喜歌劇「こうもり」を観る・聴く

2023年12月18日 06時00分17秒 | -オペラ・声楽
野村萬斎演出、阪哲朗指揮で、J.シュトラウスII世の喜歌劇「こうもり」を観てきました。12月17日の山形県民ホールでの公演は、滋賀・びわ湖ホール、東京芸術劇場に続く最終公演、千秋楽です。

実は、この日は総代をしている寺の行事があり、終わってから急いで昼食を食べて妻と共に車で出発、出た時間が遅かったので高速を使って急いだのでしたが、途中で妻と話をしている間にうっかり高速の降り口を通り過ぎてしまい、ひとつ先のICで折り返して戻るというハプニングもありましたので、開演の14時に遅れてしまいました。幸いにスタッフの皆さんの機転で、序曲の終わりの拍手のタイミングでなんとか滑り込み、第1幕から観ることができました。

オーケストラピットは横長ですので、通常の配置はできません。実際には、中央に弦楽5部が左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並び、正面奥にコントラバスという配置です。左側には木管が手前からフルート、オーボエ、その左にクラリネットとファゴット、最左部にホルンが座り、弦楽セクション中央部チェロの左側にはハープが見えます。弦楽セクションの右側には、ティンパニとパーカッション、トランペット、トロンボーン等の金管楽器が陣取ります。

第1幕は、中央に狂言の舞台のような形で作られた正面手前側に、12畳ほどの畳が配置され、ちゃぶ台が置かれています。そして正面には「福」ののれんがかかり、舞台の向かって右端に講談調の語りが座ります。語るのは桂米團治師匠。今回は野村萬斎演出ということで狂言の要素を取り入れたものになっており、時代としては明治維新後の文明開化・鹿鳴館の時代で、日本橋の高利貸しが主人公の一人です。その割には名前がアイゼンシュタインと洋風なのですが、そこはオペレッタのお約束「細かいことは気にしない」なのです。左右の字幕とともに、この語りが軽妙で物語の背景を説明してくれますので、初めての人にもわかりやすい。序曲や有名どころのアリア等は承知している妻も筋書きの詳しいところは初めてですので、なるほど〜と演出のわかりやすさに感心しておりました。

与儀巧さん演じる昔の恋人アルフレードの歌声に弱い奥様ロザリンデは田崎尚美さん、着物を着て座布団に座って演じ歌うのはなかなか大変でしょう。その点、幸田浩子さん演じる女中アデーレの場合は、セリフはともかく立って歌うことが多いので、まだいいほうかな。しかし幸田さん、おきゃんな役が似合います(^o^)/  旦那のアイゼンシュタインが福井敬さんで、立派なテノールがいかにもやり手の金貸しという風情ですが、勝手気ままな分、またコロッと騙されやすい面もありそう。青山貴さん演じるファルケ博士にころりと騙されて、刑務所に入るはずが夜会に出席するのを承知しウキウキと出かけてしまいます。夫がでかけたあとに、奥様が昔の恋人と仲良くしているところへ、山下浩司さん演じる刑務所長フランクがやってきて、アイゼンシュタインと間違えてアルフレードを連行していきます。間違いだと言えない奥様もたいがいですね〜(^o^)/

ここで20分の休憩。舞台上は2幕の開始前の様子です。



第2幕は鹿鳴館の中。黒子が畳を集めて中央の金屏風の前に一段高いところを作り、夜会に出席した貴族の皆様は衣装の節約のために幕に衣装を描いて首だけ出す書割方式。これは笑いましたし、なかなかいいアイデアです。若い保護者の負担軽減のために小学校の学芸会でも使えるかもしれない(^o^)/ で、夜会の主催者オルロフスキー公爵が、なんと白塗りのお公家さんスタイルで、カウンターテナーの藤木大地さんです。メゾソプラノが演じることも多い役どころですが、いや〜、声も歌も素晴らしかったのに加えこのアイデアも秀逸でした。
ここでは女中アデーレと佐藤寛子さん演じるその姉、踊り子のイーダが多少の山形弁を交えて笑わせます。そこへ旦那のアイゼンシュタインが登場、奥さんの衣装で着飾ったアデーレを我が家の女中にそっくりだと驚きますが、アデーレはコケットリー全開でアリアを歌い、しらばっくれます(^o^)/
フランス人の騎士だと名乗って刑務所長が登場したのに続き、ハンガリーの貴婦人だと名乗って奥様ロザリンデがやってきて、旦那がさっそく口説き始めますが逆に自慢の金時計を巻き上げられてしまいます。ハンガリーの貴婦人だと証明するためにロザリンデがチャールダッシュを歌い、夜会は締めくくりの舞踏会へ。

15分の休憩の後、第3幕が始まります。黒子が鉄格子を運び、舞台は一転して刑務所の中に変化します。ここで、酔っぱらいの牢番フロッシュを語りの役目から一転して桂米團治さんが演じますが、歌の出番のないはずなのにちゃんと歌がある!しかも、聴衆に仕掛けて歌わせている!芸達者な落語家の姿に思わず笑ってしまいました。牢名主になっちゃっているアルフレードの歌に辟易するところへ刑務所長が帰還、騎士にパトロンになってほしいとアデーレとイーダの姉妹がやってきますが、君たち刑務所の入り口の看板を見逃したのかい?いやいや、それもオペレッタのお約束で、細かいことは気にしない(^o^)/ さらにアイゼンシュタインも入牢のためにやってきますが、アイゼンシュタインはすでに牢に入っていると知らされ、経緯を聞いて妻を疑います。妻ロザリンデもやってきて、弁護士に変装したアイゼンシュタインに問い詰められて窮地に立ちますが、そこで出てくる金時計(^o^)/
いやはや、とんだドタバタ喜劇なのですが、音楽が入るとこれがドタバタ喜劇ではなくなってしまうから不思議です。「シャンパンの歌」で大団円となるのはもう「お約束」のようなもの。私たち聴衆も、楽しく満足して帰路につきました。妻も「ああ、面白かった!」

こういう演出はありだと思います。ほんとに楽しかったし、ヨハン・シュトラウスII世の音楽も良かったし、山響の演奏も素晴らしかった。合唱には旧知の方々も何人か出演していましたが、皆さん黒子に徹して素晴らしい歌声を聞かせてくれました。ほんとに良かった〜!

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若い才能を惜しむ〜ソプラノ歌手パトリシア・ヤネチコヴァ逝去に思う

2023年10月11日 06時00分46秒 | -オペラ・声楽
10月に入ってから、ソプラノ歌手パトリシア・ヤネチコヴァに関する以前の記事(*1)へのアクセスが増えており、注目していました。チェコの「タレントマニア」というテレビ番組で優勝し、オペラ歌手を目ざして精進してその成果を見せつつあった時期に彼女に注目した内容だったために、Google 検索ではかなり上位に出てくるブログ記事だったためのようです。その後も、コロナ禍の中で活動が制限されていた時期にも、インターネットにより表現の場を得ていたらしい記事(*2)も書いています。若い人がチャンスを活かし精進して才能を発揮するのを見るのは嬉しいもので、東洋の島国でひそかに応援していたところです。

ところが、Wikipedia の記事によれば、昨年の冬にインスタグラムで乳がんを公表、演奏活動を休止しているとあり、その後の経過が良好でありますようにと祈っていたところでした。今年の春には結婚し、演奏活動も徐々に再開しつつあるとのことでしたので、治療がきいていたのだろうと安心していたところ、最近の同記事に、この10月1日に亡くなったとあります。出典のリンクがすでに切れているようで、報道記事を見つけることはできませんでしたが、YouTube でもいくつかのメモリアル動画が投稿されており、ああ、本当なんだと感じた次第です。まだ25歳、才能とチャンスに恵まれ、オペラ歌手として活躍中だったのにと、残念です。

In memory of Patricia JanecKova.


病気は突然襲ってくる。それは幸不幸、有名無名を問わない。もちろん容姿容貌や境遇、実力の有無をも問わない。ある日突然に病気になり、あるいは発見され、ひどく混乱します。なんで自分が…おそらくそんなことを考えるのでしょう。ただ、私たち一般人とは違って、有名人には健康を省みるゆとりがあるのかどうか。若い人であれば健康に自信を持っているのが普通でしょうし、人気があるということがマイナスに作用する面もあるのかもしれません。

10月は乳がん月間で今日は当地の健康診断の日。なにかと面倒でも、こうした制度的な機会が準備されているというのはありがたいことです。若いソプラノ歌手の早すぎる死を悼むと共に、健康診断という制度に尽力した先人の努力に敬意と感謝です。そして、妻や娘たち、孫たちも健康で過ごせますように。

(*1): へぇ〜そうなんだ!〜パトリシア・ヤネチコヴァのこと〜「電網郊外散歩道」2019年10月
(*2): 新型コロナウィルス禍の年、オペラ歌手パトリシア・ヤネチコヴァの近況〜「電網郊外散歩道」2020年12月

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J.シュトラウスII世の喜歌劇「こうもり」のチケットをようやく入手

2023年08月27日 06時00分22秒 | -オペラ・声楽
今年の後半の楽しみの一つ、野村萬斎演出によるヨハン・シュトラウスII世の喜歌劇「こうもり」の山形公演の前売り券が先月末から発売されました。演奏は阪哲朗さんが指揮する山形交響楽団、会場は山形県民ホールです。「早く入手しないと!」と気は急くものの、農作業やお盆のゴタゴタに紛れてついつい後回しになってしまいます。先日、ようやく妻と2人分、2枚を購入することができました。

喜歌劇、いわゆるオペレッタの楽しみは、レハールの「メリー・ウィドウ」やカールマンの「チャールダーシュの女王」などで承知していますが、やっぱり生、実演の楽しさは格別です。できるだけ全体が見わたせて、なおかつ音楽がよく響いて聞こえるところということで、2階席正面に近いS席をゲット。残席数があと5〜6席といったところで、なんとかすべりこみセーフでした。

初秋の夜長、あるいは農作業が一段落した晩秋の午後に、DVDでストーリーや有名曲などを予習しながら、冬12月17日(日)、14時開演の「こうもり」を楽しみに楽しみに待ちましょう。

YouTube から、思わずワクワクの「こうもり」序曲。スイトナー指揮ベルリン・シュターツカペレによる1974年の演奏。
Die Fledermaus overture - Otmar Suitner, Berlin Staatskapelle


同じく YouTube から、正体がバレそうになった小間使いアデーレがしらばっくれる(^o^)場面「公爵様、あなたのようなお方は」、2016年、パトリシア・ヤネチコヴァのソプラノで。
Patricia JANEČKOVÁ: "Mein Herr Marquis" (Johann Strauss II - Die Fledermaus)


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本当に恵みの雨だった〜疲労回復の雨の日に合唱を聴く

2023年04月27日 06時00分08秒 | -オペラ・声楽
昨日は夜半から雨の音がしました。どうやら雨が降っているらしいと思いながら、安心して二度寝。かなりしばらくぶりの雨でしたので、カラカラだった畑には本当に恵みの雨になったようです。野菜苗の植え付けにはありがたいお天気ですが、逆に言えば準備をせかされる面もあります(^o^)/

終日、断続的に雨が降り、畑にも出られずに、日中コタツに横になったら寝てしまいました。寒いのでヒーターをつけてちょうどよいくらいです。たまたま流れたドヴォルザークの交響曲第8番が心に響き、実に良いので、起き出して音楽を聴き始めました。雨の日には懐かしの合唱曲でしょう。

まずは、「シェナンドー」から。UNT とは University of North Texas の略称みたいです。
UNT A Cappella Choir: Shenandoah


つづいて「峠のわが家」を広島県立美術館での東京オペラシンガーズの歌で。にほんのうた2019 より。


「ジェリコの戦い」をユタ大学室内合唱団で。
The Battle of Jericho - University of Utah Chamber Choir


うーむ、いいなあ。若い時代には声も出るし歌うのも楽しい。今は、声域は狭くなったし息は切れるけれど、歌心は変わらないと感じます。それは、リビングの梁に取り付けた自作スピーカから流れる歌声のせいばかりではないでしょう。(写真は今年の2月のもの。我が家の猫「李白」はだいぶ大きくなりました。)

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山響の演奏会形式によるオペラ、プッチーニの「ラ・ボエーム」を聴く

2023年02月27日 06時01分18秒 | -オペラ・声楽
2月26日(日)の午後は、山形市のやまぎん県民ホールに出かけ、山形交響楽団による演奏会形式のオペラ、プッチーニ「ラ・ボエーム」を聴きました。ホールに入ると、ステージ上には正面奥と左手に合唱団のためのものと思われる階段状のひな壇が置かれ、中央部にオーケストラ、手前側が歌い手のための場所、という配置になっています。今回は演奏会形式ですので、オーケストラはピットに入りませんから、楽器の配置もよく見えます。指揮者を中心に、左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、第2ヴァイオリン(6)、左端にコントラバス(3)という対向配置。正面奥にピッコロ(1)、フルート(2)、オーボエ(2)、その奥にクラリネット(2)、ファゴット(2)と木管が並びます。背が高い楽器はバスクラリネットでしょうか。木管の左側にハープ、その後方にホルン(4)、その右、正面最奥部にトランペット(3)、トロンボーン(3)にバストロンボーン、右奥にティンパニ、その手前、右端にパーカッションが並びます。プッチーニがこの曲を作曲した年代を考えれば、いずれも現代楽器を使用するのは自然でしょう。


   (開場直後のホールの様子)

「ボエーム」は、序曲などなしに、第1幕がいきなり始まります。簡易なイス2脚が置かれただけの空間ですが、詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、哲学者コルリーネ、音楽家ショナールの4人がボヘミアン生活を送っているアパートの屋根裏部屋での様子が描かれます。家主ブノアが家賃を取り立てに来てもうまいこと追い返してしまうあたりは、無軌道な生活でも若さの勢いが感じられるところ。少しのお金が入ったところからカフェ・モミュスへ繰り出すことにしますが、ロドルフォは原稿を完成させるために少しだけ遅れると部屋に残ります。そこへロウソクの火を借りにお針子ミミがやってきて、二人は出会うことになります。この二人の会話がアリアになっていて、これぞ名作の名場面!という感じです。ストーリーも音楽もテンポよく進み、あっという間に第2幕へ。

第2幕はカフェ・モミュス前の広場の場面ですが、ここも2脚のイスをうまく使い、おもちゃ売りのパルピニョールは舞台には登場せず、正面奥の合唱団アマデウス・コア50名が群衆や商人のざわざわした雰囲気を出し、子どもたちのはしゃぐ声は山形北高音楽科・音楽部の12名の生徒たちが担当。やっぱり声質が大人の合唱団とは違い、ぴったりあてはまります。ミミを含む5人の若者のところへ、政府高官アルチンドロの愛人となっているムゼッタがやってきますが、ムゼッタとマルチェッロはかつての恋人どうし。別れた恋人たちの意地を張り合いもまた名アリアとなっており、よりを戻した二人を含む若者たちが立ち去り、残された勘定書きを見たアルチンドロが目を回すというオチがつきます。ここまでは、どちらかといえば明るく幸せを感じさせる場面。

この後は、一転して暗く深刻で悲しい場面が続きます。第3幕、アンフェールの検問所の場面は、貧しさと病気と嫉妬がミミとロドルフォの二人に別れを決意させますし、酒場で働くムゼッタとマルチェッロも嫉妬でケンカ別れに。確かに「助けるには愛だけじゃ足りない」のです。
第4幕は再びアパートの屋根裏部屋の場面で、ロドルフォとマルチェッロの二人が失った恋の痛手にそれぞれ仕事が手につかない。そこへムゼッタがかけこみ、衰弱しきったミミを連れてきます。ここも、名アリアの連続です。ショナールの「外套の歌」は気骨ある男の歌ですし、ミミとロドルフォが初めて会った場面を回想するところなどは、同じ歌のはずなのに切ない。そしてミミが息を引き取っていることに気づき、ロドルフォだけがそれを知らないシーン。沈黙が訪れ、弦楽がほとばしる感情をぶつけるようにロドルフォの絶叫を先取りするところで、思わずうるっとしました。オーケストラ演奏による、音楽の力です。プッチーニのオーケストラ表現はすごい。ほんのひとふしで、感情の機微を表してしまいます。

今回の配役は;

吉田 珠代(ミミ)
山本 耕平(ロドルフォ)
高橋 維(ムゼッタ) 
市川 宥一郎(マルチェッロ)
藪内 俊弥(ショナール) 
加藤 宏隆(コッリーネ)  
志村 文彦(ブノア/アルチンドロ)

合唱:アマデウス・コア、山形北高音楽科・音楽部
指揮:阪哲朗、演奏:山形交響楽団

というものでした。ヨーロッパの歌劇場で経験を積んだ阪哲朗さんの指揮は的確で、ロドルフォとミミやマルチェッロなど歌い手の皆さんも素晴らしい歌を聞かせてくれましたが、とりわけ「私がたった一人で町を歩いていると」と歌うムゼッタのワルツはコケットな魅力爆発でしたし、バスらしいコルリーネの「外套の歌」にはやはり心打たれました。もう一つ、弦の響きの切なさをはじめ、オーケストラの演奏に大満足でした。今回も合唱指導をしていただいた佐々木先生、渡辺先生の力もあり、CDやDVDなどの録音・録画とは異なる、生のオーケストラ演奏、合唱によるオペラは、やっぱりいいものです。

【追記】
プログラム冊子を眺めていたら、小松崎さんがピッコロを担当するため、フルートに昨年夏の山形弦楽四重奏団第84回定期演奏会でクロンマーのフルート四重奏曲を聴いた(*1)鈴木芽久さんが客演しているのを見つけました。他にもクラリネットやトランペット、パーカッションなど客演の皆さんの名前が載っていました。こんなふうに、山響を通じて演奏家の皆さんがつながりあっているのだなと感じました。

(*1): 山形弦楽四重奏団第84回定期演奏会でボッケリーニ、シューベルト、クロンマーを聴く〜「電網郊外散歩道」2022年7月

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もうすぐ山響の「ラ・ボエーム」演奏会だ

2023年02月24日 06時00分40秒 | -オペラ・声楽
こんどの日曜26日は、山形県民ホールで山響こと山形交響楽団(*1)の演奏会形式によるオペラ、プッチーニの「ラ・ボエーム」公演の日です。このオペラは、LD(*2)やテレビ(*3,*5)、映画(*4)などの映像ですでに何度も観ていますし、物語のあらすじはすっかり頭に入り、音楽もほとんど後についていけるレベルなのですが、それでも実際の生演奏は楽しみです。プッチーニの音楽は、ほんのひと節で心理の綾を描き出すような面があり、歌い手による演技がなくてもじゅうぶんにドラマが成り立つという特徴があります。中高年男性の感覚で言えば、ロドルフォ、マルチェッロ、コルリーネ、ショナールの四人の青年の姿は、無軌道だった自分たちの若い時代の姿でもあります。古希を迎えた今の目から見れば、お針子ミミのコケットリーもムゼッタの駆け引きも可愛らしいものですが、若かった当時の目には輝くばかりの魅力だったことでしょう。今回は、プッチーニのいきいきとした音楽を、生演奏で心ゆくまで堪能したいものです。

(*1): 山形交響楽団公式サイト
(*2):プッチーニの歌劇「ボエーム」を見る〜「電網郊外散歩道」2005年6月
(*3):NHKの芸術劇場で藤原歌劇団の「ボエーム」を見る〜「電網郊外散歩道」2007年4月
(*4):「天よ、運命よ。彼女を連れて行かないで。」〜映画「ラ・ボエーム」を観る〜「電網郊外散歩道」2009年5月
(*5):録画DVDで砂川涼子等が歌うプッチーニ「ラ・ボエーム」を聴く〜「電網郊外散歩道」2020年5月
(*5):おふざけでこんな記事も〜私の名は「マメ」〜「電網郊外散歩道」2013年5月

【追記】
山響のVnで山形弦楽四重奏団のメンバーでもある中爺さんこと中島光之さんのブログ記事が、プッチーニの歌劇「ボエーム」の魅力と本質を語って、とってもわかりやすいです。さすがです。
(*6): 「ラ・ボエーム」〜「中爺通信」2023年2月

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私がオペラを楽しむようになったきっかけは

2023年02月02日 06時00分26秒 | -オペラ・声楽
私の場合、クラシック音楽の中でもオーケストラ音楽には比較的早くから親しんだのでしたが、オペラはなかなかそうはいかず、ふだん聞き慣れている歌とくらべて発声が人工的で不自然だとか、いろいろな理由で敬遠する時期が長く続きました。ただ学生時代に NHKのイタリア歌劇団招聘により、何度かテレビの映像で接することがありました。記憶に残るのは、エレナ・スリオティスとフィオレンツァ・コッソットの二人が出た「ノルマ」の舞台です。なんだかスゴイというのはわかりました。

その後、ビデオディスクが普及し始め、私もLDとCDのコンパチブルプレーヤーを購入して、子供のアニメなどとともに、クラシック音楽のタイトルをポツポツと購入していました。その頃、黒田恭一さんあたりが「ビデオディスクを楽しむならなんといってもオペラが一番」というようなことを強く主張していましたので、それではと購入してみたのが1985年の9月、ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」の3枚組レーザーディスクでした。ビデオテープと違い、場面の頭出しが容易で重宝したというよりも、レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場のゼフィレッリ演出の公演が素晴らしく、冒頭の前奏曲と「冬は長い。生活は苦しい」という合唱にぐいっと引き込まれるのを感じました(*1)。ですから、私がオペラに開眼したのは、間違いなくこのときでしょう。



その後、高価だったけれど少しずつオペラLDを買い求め、この頃に刊行され始めた音楽之友社の「名作オペラブックス」も揃えていき、ヴェルディ、プッチーニ、モーツァルト等の有名タイトルを楽しみました。しかし、当地で実演に接する機会はあまりなく、東京に出かけてオペラを楽しむには経済的負担が大きいのと、子どもも小さく親も病気がちだったために、自分だけ道楽を追いかけることもできなかったのでした。



時代は移り、LDはDVDに変わっていき、私も仕事が忙しく責任も重くなり、「名作オペラブックス」シリーズの購入も中断してしまい、たまに昔のLDを取り出してかけてみるのがせいぜい、という時期が長く続きました。ところが退職してフルタイムの仕事を離れた今、当地山形で新県民ホールを中心にさまざまな形でオペラ公演を楽しめることを思うと、実に感慨深いものがあります。ありがたいことです。

(*1): ヴェルディ/歌劇「ドン・カルロ」第1幕を見る〜「電網郊外散歩道」2005年7月

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モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観る

2023年01月29日 06時00分43秒 | -オペラ・声楽
真冬の土曜日、1月28日の午後2時から、山形市のやまぎん県民ホールでモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観て聴いてきました。宮本亜門演出による二期会公演です。午後2時からの公演なので、午後1時前に出ないと駐車場が満車になりそうなので12時半すぎに出かけたのですが、昼に飲食した分だけ水分が多かったらしく、到着してすぐにトイレにかけこみました。おかしいな、こんなにトイレが近くないはずなんだけれど。



今回の席は、体調に自信がなく、だいぶぎりぎりになってから購入したので、3階のA席となりました。でも比較的前の方ですので、ステージ全体がよく見えますし、山響こと山形交響楽団が演奏するオーケストラピットの中もかなり見えます。手前の列の様子はわからないのですが、指揮台のすぐ脇にチェンバロがあり、左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの対向配置、正面奥にコントラバスが2と、弦楽セクションはやや規模を縮小した形のようです。でも、Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2) の木管群と Hrn(2) はステージ左側、tp(2) は右側に配置されているようです。残念ながら、ティンパニはどこにあるのかみつけられませんでした。

指揮者の阪哲朗さんが登場、「フィガロの結婚」序曲が始まると、やっぱり心が浮き立ち、ワクワクします。オペラの序曲は、オペラの始まりに期待を持たせるのが本来の役割なのだと実感します。
第1幕が開いて、伯爵の召使いフィガロと伯爵夫人の侍女スザンナが、伯爵からいただくことになった新婚の部屋を測っている場面。スザンナは自分が目当てと伯爵のねらいを指摘し、フィガロはそうはさせないと息巻きます。女中頭のマルチェリーナはフィガロに横恋慕、医師のバルトロを巻き込んでなんとかフィガロをものにしたい。ケルビーノは、まあねぇ、あちこち引っ掻き回す役どころだからねぇ(^o^)/
このへんが第1幕ですが、大変、第1幕と第2幕の幕間にまたトイレに行きたくなってしまいました。マズイ! 急いでトイレに駆け込んだものの第2幕の始まりには間に合わず、廊下のモニターで伯爵夫人の登場とケルビーノのアリアを聴く羽目に(^o^;)>poripori
幸いに、スタッフの方の機転でタイミングをみて最後列の席に入れてもらい、残りの第2幕を観ました。印象的だったのは、伯爵が銃を持って伯爵夫人にケルビーノと浮気をしたと脅す場面。台本では金槌と釘抜きになっているはずですが、銃とは驚きました。たしかに、武器と暴力を背景にした貴族(伯爵)の権力の拠り所がよくわかり、生々しい描き方だと感じます。決して上っ面だけの言葉のやり取りではないのです。

第2幕が終わり、休憩時にようやく本来の席に戻りました。ステージ前を眺めていると、オーケストラピットに近づいて興味深く眺める聴衆の姿が印象的。若い人が多いようで、好奇心が微笑ましく好感が持てます(*1)。

第3幕は、伯爵夫人とスザンナが謀略(^o^)をめぐらす場面からです。逢引を誘う偽りの手紙を伯爵に届けるのですが、一方でマルチェリーナとバルトロによる「借金返済か結婚か選べ」計画は、フィガロがマルチェリーナの息子であることが判明して頓挫、伯爵はスザンナからもらった偽の手紙に舞い上がってしまいます。
第3幕と第4幕の場面転換は、幕を降ろさずに装置を動かすだけでスムーズに行われ、このあたりは演出と大道具の勝利でしょう。最終幕は、夫婦や恋人たちがお互いに疑い、嫉妬し、怒りますが、伯爵夫人に扮していたのがスザンナだとわかり、伯爵が夫人に謝罪する場面で、あの素晴らしい和解の音楽が流れるのです。ドタバタ喜劇にはお約束の唐突な和解ではありますが、その音楽は素晴らしく、演奏も歌も無類にステキ! 「もう飛ぶまいぞこの蝶々」や「恋とはどんなものかしら」等の有名アリアよりも、このシーンが一番お気に入りですね(^o^)/

なお、今回の出演者は、以下の皆さんでした。

アルマヴィーヴァ伯爵:大沼 徹
伯爵夫人:髙橋絵理
スザンナ:種谷典子
フィガロ:萩原 潤
ケルビーノ:小林由佳
マルチェリーナ:石井 藍
バルトロ:北川辰彦
バジリオ:高橋 淳
ドン・クルツィオ:渡邉公威
バルバリーナ:雨笠佳奈
アントニオ:髙田智士
花娘1:金治久美子
花娘2:金澤桃子

管弦楽は山形交響楽団、指揮:阪哲朗、合唱:二期会合唱団、合唱指揮:大島義彰です。
カーテンコールで出演者がずらりと並び、指揮の阪さんが中央に、オーケストラピットの山響の皆さんの演奏をたたえます。良かった〜。ほんとに良かった〜! 後半はトイレに行きたくなる心配もなく、安心して音楽にひたることができました。



さて、次は2月26日(日)のプッチーニ「ラ・ボエーム」だな。こちらは演奏会形式で、やまぎん県民ホール。その前に、山形テルサで2月11日と12日の山響第306回定期演奏会があります。それまでに体調を整えておかなければ。

教訓:オペラはいつもの定期演奏会よりも休憩までの時間が長い。午前中〜開演前の飲食で摂取する水分量を控えめにコントロールしておくこと。



(*1): このあたり、聴衆側と演奏側ではやや受け止め方の印象が違うようで、「クマ牧場」か「ワニ園」のクマやワニになった気がするのかもしれません(^o^)/ が、それで若い聴衆が育つと考えれば、クマさんやワニさんの奮闘もたいへん有意義なことかと愚考いたしまする(^o^)/ 〜「フィガロの結婚」〜「中爺通信」より

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モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」が楽しみ

2023年01月26日 06時00分30秒 | -オペラ・声楽
今週末は、県民ホールでモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」が上演されます。宮本亜門演出による二期会の公演で、長丁場ですので体調面で大丈夫か心配もありますが、やっぱり「フィガロ」は観たい、聴きたい。これまで、「魔笛」や「コシ・ファン・トゥッテ」などは生でも映像でも何度か経験し楽しんで来ていますが、「フィガロ」はポネル演出のレーザーディスクしか経験していませんので、そういう点でも新鮮です。

映画「アマデウス」では、傑作オペラなんだけど長すぎるのが欠点とばかりに皇帝があくびをする場面が挿入され、取り巻きのライバルたちに攻撃材料を与えてしまう設定になっていましたが、本来はここは平民のフィガロが貴族をやりこめるという階級的な風刺の面が攻撃されるところのように思います。そこらへんも、宮本亜門演出がどんなふうに描くのかも楽しみです。

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