ベートーヴェンのピアノソナタ第14番から、「月光」という標題のイメージを取り去って音楽を聴くことは難しくなっていますが、あえてそれを試みてみたいと思います。これは、素人音楽愛好家の感想と考えですので、あるいは大きな勘違いかもしれず、その場合はひらにご容赦を(^o^)/
ベートーヴェンは、1801年に、第13番Op.27-1とこの第14番Op.27-2を、「幻想曲風ソナタ」と題して発表しています。この年の6月には、数年越しの聴覚異常の治療が効果を示さず、演奏や作曲にはほとんど支障はない(聞こえることは聞こえる)が、絶えず続く耳鳴りのために、会話を聞き分けることが難しく、反対に大声をあげられるとそれが耐えられないという悩みを、友人の医師ヴェーゲラーと牧師アメンダに手紙で書き送っています。ウィーンに颯爽と登場し、社交界の寵児となったベートーヴェン、圧倒的なピアノ演奏の技量とレガート奏法により、ご婦人方の人気をさらっていたベートーヴェン。悩みは深かったでしょう。
第1楽章、アダージョ・ソステヌート、嬰ハ短調、2/2拍子。譜面にある、Si deve suonare tutto questo pezzo delicatissimamente e senza sordini. とはどういう指示なのでしょうか。デリケートに、というような意味かと想像しています。次第にはっきりとしてくる聴覚の異常におびえながら、pp で奏される神秘的で静かな旋律にじっと耳を澄ませる姿を想像すると、自分の聴覚を確かめるように静かにピアノに向かう音楽家の姿は、幻想的ではありますが悲劇的でもあります。フェルマータの後、アタッカで次の楽章へ。
第2楽章、アレグレット、変ニ長調、3/4拍子。雰囲気的には一番安定したもので、続く第3楽章へ接続する役割を持つ、スケルツォ楽章でしょうか。
第3楽章、プレスト・アジタート、嬰ハ短調、4/4拍子。焦燥感、苛立ちを強く感じさせる、激しい音楽です。思わず興奮させられるこの音楽こそ、この第14番のソナタの本質なのでしょう。運命に苛立つ、激情の音楽!
テレーゼとヨゼフィーネのブルンズウィック姉妹とは従姉妹にあたる、ジュリエッタ・グイッチャルディとの恋愛は、身分の差などもあり実らずに終わりますが、これは彼の初恋と思われるヴェスターホルト男爵令嬢ヴィルヘルミーネ以来、何度も繰り返されてきたことでした。社交界の寵児といえども、若いベートーヴェンは身分の差を蹴っ飛ばすほどの自覚はまだ持っていない頃でしょう。
いっぽう、17歳の少女のコケットリーを指摘するのはたやすいことです。ですが、31歳のベートーヴェンが、ただ容貌が可愛いからというだけの理由で、結婚を意識するほど夢中になるとは思えません。ベートーヴェンの聴覚障碍(がい)の実状を、もしかしたらジュリエッタは気づいて、知っていたのではないか。彼の運命に同情してくれてもいたのではないか。だが、身分の差を乗り越え、聴覚障碍というハンデを持ちつつある自由な音楽家との恋愛を全うしようという勇気は、17歳の少女には持てなかったのではないかと思われます。この曲が、去って行った少女に献呈されているのは、なにやら象徴的なことのように思います。
このように考えるならば、「月光」という標題はあまり意味をなさない。第1楽章にのみ心を奪われる結果、終楽章の激情の意味を、とらえそこねることになると思います。もちろん、散歩の途中で盲目の少女のために即興演奏をしたというような創作されたエピソードからも、終楽章の激しさを理解することは困難でしょう。
では、ベートーヴェンの聴覚障碍の原因は、いったい何だったのか。これは、また
別の機会に。
写真は、2枚のCDが ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)の DENON 盤(33CO-2539)とディーター・ツェヒリン(Pf)による MyClassicGallaery という全集分売盤(GES-9250)、そして LP のほうは、昔懐かしい日本コロムビアの廉価盤ダイヤモンド1000シリーズ、アルフレート・ブレンデル(MS-1052-VX)の最初の録音です。
■ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)盤
I=6'38" II=1'53" III=7'19" total=16'50"
■ディーター・ツェヒリン(Pf)盤
I=5'36" II=2'05" III=6'55" total=14'36"
■アルフレート・ブレンデル(Pf)盤、VOX 旧録音
I=5'55" II+III=9'53" total=15'46"