年齢とともに老眼が進み、運動能力が低下し、頭髪が減少するなどの現象が目立つようになります。こうした身体的なこともさることながら、実は注意力などの精神的な能力の低下に気づき、思わずどきりとします。
「肉体的には低下しても精神的には衰えることはない」と豪語するお年寄りもいますが、たぶんそれは単なる強がりか、あるいは精神的な衰えを自覚できないほどの柔軟性の低下ではないかとさえ思います。
例えば、書類を書くときに、わかっていても住所のらんに氏名を書き始めたり、押印するらんを間違えたりすること。あるいは注文書の間違いに気づかず、商品が届いてからあわてたりすること。こうしたミステイクは、若い頃にはきちんと注意力が働き、ごくまれなことだったように思います。ところが近年は、こうした早とちりや「ヒヤリ・ハット」した事例が増えてきていると感じます。間違いなく、中高年に仲間入りして顕著になった、注意力の低下に起因する現象です。
若い頃は、何十枚、何百枚という枚数の封筒に宛名ラベルを貼り、宛名に対応した文書を封入するという作業を、よくやりました。このときは、あらかじめラベルと文書の対応を確認し、文書を封入した上にラベルを貼る、という作業の流れを作っておけば、ときどき同じになっているかを確かめるだけで、ルーティンワークとすることができました。
ところが近頃は、それほど多くの枚数はないのに、宛名ラベルと文書の対応を間違えていることに気づいてあわてたりします。慣れた仕事だからとタカをくくらず、虚心に対象に向かうことの大切さをあらためて感じています。
過度のルーティン化を排し、作業に変化を持たせ、脳みその活動を維持することが大切、ということでしょうか。そもそも脳みその老化を防ぐためには、観察したり計算したり、書くことや工夫し工作すること、あるいは自然の中での農作業など、脳みそを適度に活性化させて使うこと、そして良質な睡眠で休ませることが大事なのでしょう。
要するに、年寄りの横着でものぐさにならずにちゃんとやれ、ということですな(^o^)/
「肉体的には低下しても精神的には衰えることはない」と豪語するお年寄りもいますが、たぶんそれは単なる強がりか、あるいは精神的な衰えを自覚できないほどの柔軟性の低下ではないかとさえ思います。
例えば、書類を書くときに、わかっていても住所のらんに氏名を書き始めたり、押印するらんを間違えたりすること。あるいは注文書の間違いに気づかず、商品が届いてからあわてたりすること。こうしたミステイクは、若い頃にはきちんと注意力が働き、ごくまれなことだったように思います。ところが近年は、こうした早とちりや「ヒヤリ・ハット」した事例が増えてきていると感じます。間違いなく、中高年に仲間入りして顕著になった、注意力の低下に起因する現象です。
若い頃は、何十枚、何百枚という枚数の封筒に宛名ラベルを貼り、宛名に対応した文書を封入するという作業を、よくやりました。このときは、あらかじめラベルと文書の対応を確認し、文書を封入した上にラベルを貼る、という作業の流れを作っておけば、ときどき同じになっているかを確かめるだけで、ルーティンワークとすることができました。
ところが近頃は、それほど多くの枚数はないのに、宛名ラベルと文書の対応を間違えていることに気づいてあわてたりします。慣れた仕事だからとタカをくくらず、虚心に対象に向かうことの大切さをあらためて感じています。
過度のルーティン化を排し、作業に変化を持たせ、脳みその活動を維持することが大切、ということでしょうか。そもそも脳みその老化を防ぐためには、観察したり計算したり、書くことや工夫し工作すること、あるいは自然の中での農作業など、脳みそを適度に活性化させて使うこと、そして良質な睡眠で休ませることが大事なのでしょう。
要するに、年寄りの横着でものぐさにならずにちゃんとやれ、ということですな(^o^)/