熱は37度台から36度台の後半へと改善し、酸素濃度も一時は93%を示すなど心配しましたが、94%から95%へと改善しつつあります。ただ、ときおりズキンと頭痛がして、左足がピクッとけいれんします。保健所の健康観察で報告したところ、病院に電話相談する方法があると教えられ、相談したところ、カロナールの服用を試すことに。アセトアミノフェンか。懐かしい名前だなあ。もう少しの辛抱と思い、ひたすら寝ています。寝床の中でも使えるスマホとタブレットがありがたいです。
心不全の憎悪で入院しておりました老母、このたび95歳で死去いたしましたので、しばらくブログの更新をお休みします。一段落したら、再開いたします。
二週間前に寝違えて痛めた右肩がまだ痛みます。歯医者のイスや自動車のシートのような、両肩を固定するようなイスに座ると、痛いのです。演奏会が行われるホールのシートも、横のお客さんと肘がぶつからないように縮こまって座るのも、実は痛くて辛いです。寝るときは、完全に仰向けでじっとしているのは大丈夫ですが、寝返りを打つ時に力が加わると痛みます。握力も右の握力が落ちています。こんな症状は初めてですので、老母御用達の整形外科を受診しました。打診をし、レントゲン写真を撮影しての診断は、神経ではなく首の関節右側の痛みのようだ、とのこと。湿布薬としてロキソプロフェンNaテープを処方されました。対処法としては、顎を上向きにすると痛むので、枕を二段にするなどして顎を引き、頭を高くして寝ること、だそうです。ついでにマウスを持つと右腕が痛いけれど、これは関連があるのか尋ねたら、レントゲンの結果から見てどうやらマウス腱鞘炎の症状らしい。手首を浮かせるようなマウス台を使うなどして、手首が上向きに折れるのを防ぐようにすればよいらしい。まずは使う時間を短めに調整することでしょうが、タオルなどを使って少し工夫してみましょう。
写真は炎症の火種ではなくて、過日、剪定枝を燃やした焚き火の残り火。
写真は炎症の火種ではなくて、過日、剪定枝を燃やした焚き火の残り火。
晩秋の日曜午後、山形市の山形テルサホールにでかけました。入院中の母の病状は気になるけれど、コロナ禍の中で家族は面会も何も出来ませんので、2022年の定期演奏会の一区切りということで出かけることとしたものです。
一区切りとは言うものの、プログラムは実に意欲的なもので、
という協奏曲づくし、しかも時代も曲の性格もみな違う曲目を集めたもので、土曜の夜も含め、二回の公演のチケットは完売だったそうです。スゴイなあ、山響。勢いがあります。
開演前のプレトークには、西濱事務局長、指揮の阪哲朗さんに加えてピアノの藤田真央さんも登場しました。これがまたなんともとぼけた味で、思わず笑いがこぼれます。藤田さんが山形でびっくりしたのはホテルのシャンプーやリンス等の並べ方だそうで、左からボディシャンプー、髪用シャンプー、リンスと並んでいたそうな。藤田さん的にはこれが逆なのだそうで、前日に並べ替えておいたのが、翌日にはまだ同じ並びになっていたことに驚いていました(^o^)/wahaha
海外のホテルではそうした細やかさはないでしょうが、こういう笑いの感覚は、若い人ならではのものかもしれません(^o^)/
さて、ヘンデルの合奏協奏曲。ステージ中央にチェンバロが置かれ、阪哲朗さんが通奏低音?を受け持ちながら指揮をする形です。その左右に独奏ヴァイオリンが立奏で、左側にこのほどコンサートマスターに昇格した平澤海里さん、右側に堀越瑞生さん、これを囲むようにして左から第1ヴァイオリン(3)、チェロ(3)、ヴィオラ(3)、第2ヴァイオリン(3)、正面後方にコントラバス(1)、オーボエ(2)という配置と編成で、チェンバロの弾き振りというのも新鮮です。ヘンデルの合奏協奏曲というのは、伸びやかで気持ちが晴れ晴れとしてくるようなところがありますが、実演で接する機会はあまり多くはありません。その意味でも、今回は貴重な機会で、大いに堪能しました。
続いてフランク・マルタンの「7つの管楽器、ティンパニ、打楽器、弦楽器のための協奏曲」。ステージの前方(聴衆側)に 8-7-5-5-3 の弦楽セクションが対向配置で。正面後方に、7人の管楽器奏者が立奏スタイルで並びます。左から Fl-Ob-Hrn-Tb-Tp-Fg-Cl の順です。最奥部中央に Timp. その右に スネア、シンバル、バスドラムと打楽器群が配置されています。フランク・マルタン(1890-1974)は、スイスの作曲家で第二次大戦後にオランダで活躍、オネゲルなどと同時代の人のようです。7種類の管楽器の多様性を活かした面白い作品で、私はもちろん初めて聴きました。
15分の休憩の後、ブラームスのピアノ協奏曲第2番です。ステージ上はすっかり配置換えが行われ、正面中央にデーンとコンサートグランドピアノが置かれ、その後ろに指揮台、これを囲んで 8-7-5-5-3 の対向配置の弦楽、正面奥に Fl(2)-Ob(2) その奥に Cl(2)-Fg(2)-Tp(2) 、管楽器の右側に Timp. という配置となっています。拍手の中を藤田真央さんが登場、阪さんの指揮で堂々たるブラームスの響きが開始されます。この音、この響きは、山響の充実を感じさせます。プレトークの時にはむしろ柔弱な印象さえ受けた藤田真央さんも、ピアノは圧倒的でした。力強い音も繊細な響きも絶妙の間を持っています。オーケストラとのやり取り、特に矢口里菜子さんのチェロには思わずため息が出るほどでした。演奏時間もなかり長い大きな曲だけにスタミナも必要なのでしょうが、藤田真央さん、演奏が終わっても飄々とした雰囲気で、失礼ながらなんだかすごい怪物クンみたいだなあ、などと思ってしまいました。そういえば、両手首を体の前にそろえてウサギがちんまりと立っているようなスタイルを見せる様子など、ほんとにあの演奏をしたピアニストなのかと疑うほど。私にはやっぱり「怪物クン」に思えます(^o^)/
◯
プログラムに挟まれていたチラシ類の中では、2023−2024シーズンの定期演奏会等の案内に注目です。これはさっそく新しい手帳に転記しておかなければ(^o^)/
もう一つ、いつもの駐車場が満車だったので紅花駐車場に入れたのですが、事前に県民ホール東南角の精算機で精算してから出るスタイルが可能になっていました。その分だけ出る車の流れがスムーズになると思われ、こういう改善はありがたいところです。
一区切りとは言うものの、プログラムは実に意欲的なもので、
- ヘンデル:合奏協奏曲 ト長調 作品6-1 HWV 319
- マルタン:7つの管楽器、ティンパニ、打楽器、弦楽器のための協奏曲
- ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83 藤田 真央(Pf)
阪 哲朗 指揮、山形交響楽団
という協奏曲づくし、しかも時代も曲の性格もみな違う曲目を集めたもので、土曜の夜も含め、二回の公演のチケットは完売だったそうです。スゴイなあ、山響。勢いがあります。
開演前のプレトークには、西濱事務局長、指揮の阪哲朗さんに加えてピアノの藤田真央さんも登場しました。これがまたなんともとぼけた味で、思わず笑いがこぼれます。藤田さんが山形でびっくりしたのはホテルのシャンプーやリンス等の並べ方だそうで、左からボディシャンプー、髪用シャンプー、リンスと並んでいたそうな。藤田さん的にはこれが逆なのだそうで、前日に並べ替えておいたのが、翌日にはまだ同じ並びになっていたことに驚いていました(^o^)/wahaha
海外のホテルではそうした細やかさはないでしょうが、こういう笑いの感覚は、若い人ならではのものかもしれません(^o^)/
さて、ヘンデルの合奏協奏曲。ステージ中央にチェンバロが置かれ、阪哲朗さんが通奏低音?を受け持ちながら指揮をする形です。その左右に独奏ヴァイオリンが立奏で、左側にこのほどコンサートマスターに昇格した平澤海里さん、右側に堀越瑞生さん、これを囲むようにして左から第1ヴァイオリン(3)、チェロ(3)、ヴィオラ(3)、第2ヴァイオリン(3)、正面後方にコントラバス(1)、オーボエ(2)という配置と編成で、チェンバロの弾き振りというのも新鮮です。ヘンデルの合奏協奏曲というのは、伸びやかで気持ちが晴れ晴れとしてくるようなところがありますが、実演で接する機会はあまり多くはありません。その意味でも、今回は貴重な機会で、大いに堪能しました。
続いてフランク・マルタンの「7つの管楽器、ティンパニ、打楽器、弦楽器のための協奏曲」。ステージの前方(聴衆側)に 8-7-5-5-3 の弦楽セクションが対向配置で。正面後方に、7人の管楽器奏者が立奏スタイルで並びます。左から Fl-Ob-Hrn-Tb-Tp-Fg-Cl の順です。最奥部中央に Timp. その右に スネア、シンバル、バスドラムと打楽器群が配置されています。フランク・マルタン(1890-1974)は、スイスの作曲家で第二次大戦後にオランダで活躍、オネゲルなどと同時代の人のようです。7種類の管楽器の多様性を活かした面白い作品で、私はもちろん初めて聴きました。
15分の休憩の後、ブラームスのピアノ協奏曲第2番です。ステージ上はすっかり配置換えが行われ、正面中央にデーンとコンサートグランドピアノが置かれ、その後ろに指揮台、これを囲んで 8-7-5-5-3 の対向配置の弦楽、正面奥に Fl(2)-Ob(2) その奥に Cl(2)-Fg(2)-Tp(2) 、管楽器の右側に Timp. という配置となっています。拍手の中を藤田真央さんが登場、阪さんの指揮で堂々たるブラームスの響きが開始されます。この音、この響きは、山響の充実を感じさせます。プレトークの時にはむしろ柔弱な印象さえ受けた藤田真央さんも、ピアノは圧倒的でした。力強い音も繊細な響きも絶妙の間を持っています。オーケストラとのやり取り、特に矢口里菜子さんのチェロには思わずため息が出るほどでした。演奏時間もなかり長い大きな曲だけにスタミナも必要なのでしょうが、藤田真央さん、演奏が終わっても飄々とした雰囲気で、失礼ながらなんだかすごい怪物クンみたいだなあ、などと思ってしまいました。そういえば、両手首を体の前にそろえてウサギがちんまりと立っているようなスタイルを見せる様子など、ほんとにあの演奏をしたピアニストなのかと疑うほど。私にはやっぱり「怪物クン」に思えます(^o^)/
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プログラムに挟まれていたチラシ類の中では、2023−2024シーズンの定期演奏会等の案内に注目です。これはさっそく新しい手帳に転記しておかなければ(^o^)/
もう一つ、いつもの駐車場が満車だったので紅花駐車場に入れたのですが、事前に県民ホール東南角の精算機で精算してから出るスタイルが可能になっていました。その分だけ出る車の流れがスムーズになると思われ、こういう改善はありがたいところです。
11月も20日となると、紅葉を楽しませてくれた庭木も葉を落とす頃です。ドウタンツツジもだいぶ葉が落ちましたし、モミジも落葉の色が鮮やかです。あっという間に通り過ぎる晩秋の色模様。期間は短いけれど、カラフルで印象的な時期です。

◯
今日は、午後から山形交響楽団第305回定期演奏会の予定。プログラムは、
となっています。全部が協奏曲、しかもみな時代も性格も違う曲目です。これは楽しみです。

◯
今日は、午後から山形交響楽団第305回定期演奏会の予定。プログラムは、
- ヘンデル:合奏協奏曲 ト長調 作品6-1 HWV 319
- マルタン:7つの管楽器、ティンパニ、打楽器、弦楽器のための協奏曲
- ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83 藤田 真央(Pf)
阪 哲朗 指揮、山形交響楽団
となっています。全部が協奏曲、しかもみな時代も性格も違う曲目です。これは楽しみです。
我が家にマンチカンの子猫「李白」がやってきて一週間。すっかり飼い主に慣れて、書斎でデスクに向かっていると、膝の上に乗ってきて丸くなります。そういえば、数年前まではアホ猫母娘もこんなふうに膝の上に乗り、ゴロゴロと喉を鳴らしていたなあと思い出しました。「膝上のネコ」生活ふたたび来たる。悪くありません。いや、温かくてなかなか良いものです。突然の来客やトイレのときは困りますけれど(^o^)/


今年の白菜は、まずまず良い出来ではなかろうかと思っていますが、近頃ぜんぜん見ていませんでした。自宅裏の畑を見て回ったところ、2区画に分けて68株を植えた白菜は、1株も欠けることなく全部が育ちました。そろそろ収穫時期ですので、天日干しのできる日を選んで収穫しましょう。

苗がずいぶん細くて小さくて心配したタマネギも、若干の欠損はあるものの、なんとか順調に育っているようです。このまま冬を迎えますが、来年の収穫が楽しみです。

5株を植えたリーフレタスも、少しずつ使いながらまだ4株残っています。どんどん使わないと冬になっていまいますので、せっせと食べなければ。

植えてすぐに寒冷紗を張るのをサボったために、モンシロチョウにやられて坊主になってしまったキャベツですが、中心の葉が何枚か成長し、一応は大きくなりました。でも葉の枚数が不足のようで、結球はしないようです。時期を見て、葉っぱだけを食べてしまおうと思います。失敗も経験の一つと割り切りが必要、と負け惜しみ(^o^;)>poripori

結局、畑に植えるのをさぼってプランターになってしまったパセリ。どんどん使ってもまだこんなに残っています。これはこれで良かったのかも。

苗がずいぶん細くて小さくて心配したタマネギも、若干の欠損はあるものの、なんとか順調に育っているようです。このまま冬を迎えますが、来年の収穫が楽しみです。

5株を植えたリーフレタスも、少しずつ使いながらまだ4株残っています。どんどん使わないと冬になっていまいますので、せっせと食べなければ。

植えてすぐに寒冷紗を張るのをサボったために、モンシロチョウにやられて坊主になってしまったキャベツですが、中心の葉が何枚か成長し、一応は大きくなりました。でも葉の枚数が不足のようで、結球はしないようです。時期を見て、葉っぱだけを食べてしまおうと思います。失敗も経験の一つと割り切りが必要、と負け惜しみ(^o^;)>poripori

結局、畑に植えるのをさぼってプランターになってしまったパセリ。どんどん使ってもまだこんなに残っています。これはこれで良かったのかも。
しばらく前に農協から連絡が来ていた農業用プラスチック製品の廃棄処理の日、しばらくたまっていた肥料の袋や使用済の黒マルチシートなどの他に、亡父がだいぶ前に使っていた500Lの防除タンクを持っていきました。作業小屋で場所ふさぎになっていたもので、ご近所の果樹農家は大部分がスピードスプレーヤを持っているので、500Lの防除タンクが必要な人はいないようです。動力噴霧機で小規模果樹園を経営している人は、軽トラックに載る200Lや300Lのタンクで間に合います。私も、サクランボは300L、桃やりんご等は100Lのタンクで間に合うようにしましたので、すでに無用の長物。処分できて、作業小屋の中が幾分すっきりしました。
当地では、毎年この時期に農業用廃プラ類の処分がマニフェスト方式で行われています(*1)が、この時期を逃すとまた大変になりますので、痛む右肩をかばいながら、よっこらしょと作業をしたところです。無事に終わって良かった。
◯
入院中の老母、その後の経過はあまりよろしくないようで、主治医との面談がありました。来週あたりからはコロナで面会もできなくなるだろうと面会もさせてもらいましたが、ご飯がたべられないのだそうで、だいぶ弱ってきているようです。ある程度、覚悟を決めておかなければいけないようです。
(*1): 農業用廃プラ類の処分方法〜当地の場合〜「電網郊外散歩道」2021年11月
当地では、毎年この時期に農業用廃プラ類の処分がマニフェスト方式で行われています(*1)が、この時期を逃すとまた大変になりますので、痛む右肩をかばいながら、よっこらしょと作業をしたところです。無事に終わって良かった。
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入院中の老母、その後の経過はあまりよろしくないようで、主治医との面談がありました。来週あたりからはコロナで面会もできなくなるだろうと面会もさせてもらいましたが、ご飯がたべられないのだそうで、だいぶ弱ってきているようです。ある程度、覚悟を決めておかなければいけないようです。
(*1): 農業用廃プラ類の処分方法〜当地の場合〜「電網郊外散歩道」2021年11月
ボクはマンチカンの子猫。生まれたのは今年の夏、8月だって。だから、えーと、3ヶ月だってご主人が言ってた。名前はまだ決まっていなかったんだけど、李白に決まった。中国の偉い詩人と同じ名前らしいけど、要するにボクの体の下半分が白いから、だそうだ。あとは、きりっとした見た目が李白のイメージだって。李白って、どんな詩を作っているの?って聞いたら、ご主人が教えてくれた。
ふーん。なんだかカッコつけてるなあと思うけど、よくわかんない。今は、猫じゃらしのほうが面白いんだ。
静夜思 (静かな夜に思う)
床前看月光 床前 月光を看る 寝床の前で月光を見ると
疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと 地面に霜が降りたかと疑うようだ
挙頭望山月 頭を挙げて山月を望み 頭を挙げて山上の月を眺め
低頭思故郷 頭を低れて故郷を思う 頭を垂れて故郷を思う
ふーん。なんだかカッコつけてるなあと思うけど、よくわかんない。今は、猫じゃらしのほうが面白いんだ。
新潮文庫の11月新刊で、藤沢周平著『決闘の辻』を読みました。もともとは昭和60年に講談社から刊行された単行本が同63年に講談社文庫に収録され、このほど新潮文庫として再刊されたもののようで、おそらく昭和50年代に講談社の雑誌等に掲載された作品を集めたものかと思われます。いずれも名だたる剣客5名の、しかも全盛期よりは盛りを過ぎてからの果たし合いを描くものとなっています。「名だたる」とはいうものの、実は私が知っているのは宮本武蔵と柳生但馬守宗矩くらいで、他の3人は全く知りませんでした。たぶん、作家が小さい頃に親しんだ立川文庫のような本の中で出てきていた剣客なのかと思います。
第1話「二天の窟(宮本武蔵)」。武蔵の晩年に、鉢谷助九郎という男がやってきて武蔵に挑みますが、武蔵は途中で勝負を中止します。単純に立会を続ければ若い鉢谷が優勢なのですが、老獪な武蔵の場合は闘争のマネジメントで勝つ。つまり、相手を驕らせ油断させ、場所・時・状況を有利に運ぶことで勝ちを得るというものです。うーむ、ここでの武蔵のあり方は、勝負への執念の凄さと言うよりも、伝説的剣豪の晩年のイメージとしては、老醜や妄執を感じさせてあまりよろしくありません。
第2話「死闘(神子上典膳)」。知らない人です。これもまた晩年の剣客の姿で、強い弟子どうしを争わせて自分は助かろうというのですから、なんだかなあ。そんなに強さ、勝ち続けるということは、大切なことなのだろうか。
第3話「夜明けの月影(柳生但馬守宗矩)」。この人はさすがに知っています。土井利勝にしてやられるところなどは、まだ人の良さが感じられますし、島原・天草の一揆に対応するところ、生命を惜しむ立場も好ましいと作者も考えていたのかも。
第4話「師弟剣(諸岡一羽斎と弟子たち)」。残された泥之助の選択は、ひと皮剥けた成熟を感じさせますし、第5話「飛ぶ猿(愛洲移香斎)」では母親の残した父の仇の話も、どうやら正しくなかったようです。こうなると、遺恨も勝負も前提を失うことになります。敗れてスッキリして、故郷で好きな娘と平穏に暮らすことを選ぶ話。今の年齢だからよくわかる、納得できる話です。
◯
闘争において、永遠に勝ち続けることはできないわけで、年老いて気力・体力ともに衰えることは避けられません。若い時代になまじ勝ち続けると、勝ち負けの世界から離脱することができなくなるのかも。争わない、争う必要のない状況を作る政治力も大切なのかもしれませんが、むしろ作家が好んだという「普通が一番」という口癖に、妙に共感するところがあります。
第1話「二天の窟(宮本武蔵)」。武蔵の晩年に、鉢谷助九郎という男がやってきて武蔵に挑みますが、武蔵は途中で勝負を中止します。単純に立会を続ければ若い鉢谷が優勢なのですが、老獪な武蔵の場合は闘争のマネジメントで勝つ。つまり、相手を驕らせ油断させ、場所・時・状況を有利に運ぶことで勝ちを得るというものです。うーむ、ここでの武蔵のあり方は、勝負への執念の凄さと言うよりも、伝説的剣豪の晩年のイメージとしては、老醜や妄執を感じさせてあまりよろしくありません。
第2話「死闘(神子上典膳)」。知らない人です。これもまた晩年の剣客の姿で、強い弟子どうしを争わせて自分は助かろうというのですから、なんだかなあ。そんなに強さ、勝ち続けるということは、大切なことなのだろうか。
第3話「夜明けの月影(柳生但馬守宗矩)」。この人はさすがに知っています。土井利勝にしてやられるところなどは、まだ人の良さが感じられますし、島原・天草の一揆に対応するところ、生命を惜しむ立場も好ましいと作者も考えていたのかも。
第4話「師弟剣(諸岡一羽斎と弟子たち)」。残された泥之助の選択は、ひと皮剥けた成熟を感じさせますし、第5話「飛ぶ猿(愛洲移香斎)」では母親の残した父の仇の話も、どうやら正しくなかったようです。こうなると、遺恨も勝負も前提を失うことになります。敗れてスッキリして、故郷で好きな娘と平穏に暮らすことを選ぶ話。今の年齢だからよくわかる、納得できる話です。
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闘争において、永遠に勝ち続けることはできないわけで、年老いて気力・体力ともに衰えることは避けられません。若い時代になまじ勝ち続けると、勝ち負けの世界から離脱することができなくなるのかも。争わない、争う必要のない状況を作る政治力も大切なのかもしれませんが、むしろ作家が好んだという「普通が一番」という口癖に、妙に共感するところがあります。
土曜日にやってきたマンチカンの子猫、初日こそ隅っこに隠れていましたが、日曜にはかなり自由に動き回り、私の指先にもじゃれついてくるようになりました。妻の観葉植物の小さなポットの一つをひっくり返したり、早くもいたずらが始まっています。これは多分、猫草がほしいのだなと判断し、ホームセンターから猫草を買ってきました。これで、緑にかみつく頻度は減るでしょうか。
名前を考えていますが、マンチカンで次男だそうですので「万次郎」とか、キリッとした印象から「李白」クンとか、同様に「道真」クンとか、なんだかすごい候補が並んでいますがまだ決定には至らず。
◯
私の方の右肩の痛みは継続中で、農作業ができません。柿の収穫も中断したままで、今年は全部を収穫するのは無理そうです。この冬は平年並みかやや多い積雪量になると予想していますが、雪囲いもまだ始められず、少しばかり焦ります。でも無理は禁物ですので、回復を優先しましょう。
名前を考えていますが、マンチカンで次男だそうですので「万次郎」とか、キリッとした印象から「李白」クンとか、同様に「道真」クンとか、なんだかすごい候補が並んでいますがまだ決定には至らず。
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私の方の右肩の痛みは継続中で、農作業ができません。柿の収穫も中断したままで、今年は全部を収穫するのは無理そうです。この冬は平年並みかやや多い積雪量になると予想していますが、雪囲いもまだ始められず、少しばかり焦ります。でも無理は禁物ですので、回復を優先しましょう。
だいぶ前から楽しみにしていた子猫が、昨日、我が家にやってきました。息子の友人が猫好きなのだそうで、連れてきてくれた生後3ヶ月のオスのマンチカンです。到着してしばらくは「借りてきた猫」の言葉どおりに隅っこで隠れていましたが、夕方ころからリビングを探索し、水を飲み、餌を食べ、猫トイレにオシッコもして、じゃれつくようになりました。たぶん、「この人たちは危険じゃない」と理解したのでしょう。しばらくすればいたずらも始まるのでしょうが、今のところは探索が中心で、まだおとなしいようです。




11月も中旬になりましたので、いい加減に「検討」という名の逡巡を止めて、エイヤッと来年の手帳を購入して来ました。行きつけの書店には、すでにたくさんの種類の手帳・ダイアリー・日記類がずらりと平積みされ、しかもかなりの量がすでに購入されたらしくあちこちで減っているようです。当地では山形県統計協会が発行する『県民手帳』がかなりのシェアを持っていますが、このサイズの手帳は老眼世代にはすでにツラい存在になっていますので、昨年秋に今の「フェルテ9」(高橋書店,B6判)に移行しています。不満点と言えば時刻表示が 8-24 時という夜型であることだけですので、必要に応じて来年も 6-22 時に書き直すようにする、という選択です。


書店を一回りして、ついでに光文社古典新訳文庫の11月新刊から、ライマン・フランク・ボーム著『オズの魔法使い』を購入しました。「Over the rainbow」の歌声を聴きたいなあ。

うん、YouTube にありました。
Judy Garland Somewhere Over The Rainbow 1939


書店を一回りして、ついでに光文社古典新訳文庫の11月新刊から、ライマン・フランク・ボーム著『オズの魔法使い』を購入しました。「Over the rainbow」の歌声を聴きたいなあ。

うん、YouTube にありました。
Judy Garland Somewhere Over The Rainbow 1939
今日、11月11日は、数字の 1 が連続する日で、略記すると 11/11 となり、いかにもボールペンがたくさん並んでいるような風情です。最近はすっかり万年筆が中心の筆記具事情ですが、だいぶ前に話題にしたボールペンは今どうなっているのか。近況を調べてみました。
顔料ゲルインク・ボールペンに着目した経緯と使ってみた感想〜「電網郊外散歩道」2014年11月
パイロットの Juice 0.5 ブルーブラック。クリップが細いので Ca.Crea のリングに挟み、専用ペンになっています。もうすぐインクがなくなるところで、けっこう使った方。

ゼブラのサラサ・クリップ 0.5/0.7 ブルーブラック。セカンドバッグのポケットの中のものはわりに使い、机上のペン立ての中にもありますが、こちらはあまり使っていない。理由は、Preppy(0.3)+古典BBインクで用が足りてしまうため。

茶色のインクのボールペン〜「電網郊外散歩道」2014年11月
一時、だいぶ使いましたが、Preppy に入れたクラシックインク「カーキブラック」が取って代わり、今は残念ながらほとんど使っていない状態になっています。

ぺんてるのボールペン「エナージェル・インフリー」のターコイズが使える〜「電網郊外散歩道」2020年5月
この色の独自性というか、手持ちのインクにはない色ですので、しばしば使っています。他社の軸にも入れて、本数も増えました。

顔料ゲルインク・ボールペンに着目した経緯と使ってみた感想〜「電網郊外散歩道」2014年11月
パイロットの Juice 0.5 ブルーブラック。クリップが細いので Ca.Crea のリングに挟み、専用ペンになっています。もうすぐインクがなくなるところで、けっこう使った方。

ゼブラのサラサ・クリップ 0.5/0.7 ブルーブラック。セカンドバッグのポケットの中のものはわりに使い、机上のペン立ての中にもありますが、こちらはあまり使っていない。理由は、Preppy(0.3)+古典BBインクで用が足りてしまうため。

茶色のインクのボールペン〜「電網郊外散歩道」2014年11月
一時、だいぶ使いましたが、Preppy に入れたクラシックインク「カーキブラック」が取って代わり、今は残念ながらほとんど使っていない状態になっています。

ぺんてるのボールペン「エナージェル・インフリー」のターコイズが使える〜「電網郊外散歩道」2020年5月
この色の独自性というか、手持ちのインクにはない色ですので、しばしば使っています。他社の軸にも入れて、本数も増えました。
