電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

果樹園の再生を目指す~週末農業の記録

2010年04月30日 06時14分11秒 | 週末農業・定年農業
本来は晴れの特異日のはずなのに、昭和の日はあいにくの天気でした。こんな日は家でゆっくり骨休めをします。今の季節、お天気の良い日は絶好の農作業シーズンです。暑くもなく寒くもなく、ぽかぽか陽気を背に受けながら、春の微風の中で動き回ると、気分もなんとなく開放的になってきます。

先日は、自宅裏の果樹園を、リターンカルチという古い機械で、根を傷つけない程度に浅耕し、雑草をひっくり返しました。さらに、窒素、リン酸、カリに苦土を含む成分からなる肥料を散布します。



さらに、少し離れた園地に移動し、こちらにも肥料を散布。この果樹園は、亡父の死去前から放置状態でしたので、枝が伸び放題となってしまい、混み過ぎて光が届かないまでになってしまっていました。そこで、亡父の時代から長年来てもらっている雇人の人に依頼し、思い切って一本おきに伐採し、伸びすぎた枝も一定の高さに刈り込み、日当たりと風通しが良くなるようにしました。

剪定をした分だけ、今年は収穫が減少しますが、来年には新しい枝が生えてきて、再来年にはその枝の付け根のところに花が咲き、良い実がなることが期待できます。



病害も発生していますので、昔のように回復できるかどうかは微妙ですが、できる限りやってみたいと考えております。健康で、希望を持って農作業を楽しめるということは、ありがたいことです。
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バーネット『秘密の花園』を読む(1)

2010年04月29日 06時21分47秒 | -外国文学
光文社の古典新訳文庫で、バーネット著『秘密の花園』を読みました。訳者は、土屋京子さん。古典的名作の翻訳にしばしば見られる、時代を感じさせる言い回しなどは見当たらず、ごく自然な訳です。

第1章「だれもいなくなってしまった」第2章「つむじまがりのメアリ嬢」第3章「ムーアのはてへ」。メアリの父は当時インドを統治していたイギリスの軍人で、美人の母はその妻です。社交好きの母親がコレラの流行を軽視し、高原へ避難しなかったばっかりに、一家全滅してしまいます。そして、たった一人放置されていた少女が生き残ります。わがままで頑固でつむじ曲がりの九歳の少女、それが主人公メアリ・レノックスです。父の妹の嫁ぎ先であった英国ヨークシャーに、たった一人で引き取られていきます。真っ暗な夜、ミッスルウェイト屋敷に到着したときは、最悪につむじまがりの気分でした。

第4章「マーサ」第5章「誰かが泣いている」第6章「だれかの泣き声よ、絶対に!」。ここからは、お屋敷での話になります。女中のマーサは、純朴でやさしいし、一人で遊んでいるうちに頑固な老庭師のベン・ウェザースタッフにコマドリの名前を教えてもらいます。コマドリの後をついて歩き回るうちに、四方を壁に囲まれたお庭の存在に気づきます。奥さまが愛した花園、枝に腰かけていた時にその枝が折れ、大怪我をして次の日には亡くなってしまったという、その花園です。そして、夜の風の中に、だれかが泣いているような声がするのです。翌日、広大な屋敷の中を探検しているうちに道に迷ってしまい、メドロック夫人に見つかって叱られますが、やっぱり誰かの泣き声がするのです。

第7章「あのお庭の鍵だわ!」第8章「コマドリに導かれて」第9章「ほんと、へんなお屋敷…」。雨が止み、青空が出てきます。ベン・ウェザースタッフと話をしたあと、コマドリが飛びまわる後をついて回るうちに、メアリは古い鍵を見つけます。それはたぶん、あの秘密の花園の鍵にちがいありません。宿下がりから戻った日、マーサはお母さんからのプレゼントをメアリに渡します。それは、両端に赤と青のストライプの握りのついたなわとびでした。メアリは外に出て、なわとびをしながら菜園じゅうを回ります。そうして、コマドリをおいかけているうちに、風が散歩道を吹き抜けた瞬間、塀を覆うツタのカーテンの下に、丸いドアの把手を見つけるのです。例の鍵を差し込むとぴったり合い、両手で回すと鍵はなんとか回りました。そしてメアリは、秘密の庭の内側に入ったのです。
10年間誰も入らなかったという秘密の庭。それは、バラやつるバラ等が繁茂する秘密の花園でした。メアリは棒切れで草を取り、緑の芽が伸びる周囲をきれいにします。お屋敷に戻り、マーサに頼んで、おこづかいの中から小さなスコップや花のタネを買ってきてもらうことにしました。マーサの弟で、動物の言葉がわかるらしいディコンに持ってきてもらうことにします。外遊びをするようになって、メアリの健康も性格も、少しずつ明るくなってきたようです。

ここまでで、全27章のうちの3分の1を占めています。不幸な境遇ではあるけれど、へこたれない強さを持っている少女メアリが、叔父さんの不思議なお屋敷に引き取られて、秘密の花園を見つけるまでの物語、いわば導入部の第一幕、序破急の序といったところでしょうか。
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コクヨのCampusハイグレードノートの製本について

2010年04月28日 06時15分43秒 | 手帳文具書斎
当ブログのネタ帳として、コクヨの澪ペーパーを使用したCampusハイグレードノートA-80を、Systemic カバーノートにセットして使っておりますが、2冊目でふと気付いてしまいました。
ノートの最初の数ページに目次を書き込むようにしていますが、この製本が、二冊とも切れて脱落しそうになるのです。これは、糸綴じでない無線綴じによる製本の欠点なわけですが、使用頻度の高い目次のページで起こる点が困りものです。もしかすると、A5判80枚という厚手のノートを Systemic ノートカバーと併用している点も問題なのかも。書きやすい澪ペーパーを用いた Campus ハイグレードノートの糸綴じ版を希望したいところです。
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通勤の音楽~車内の常備曲

2010年04月27日 06時06分57秒 | クラシック音楽
山形弦楽四重奏団の第35回定期演奏会が終わりましたので、通勤の音楽として積み込んでいたベートーヴェンの弦楽四重奏曲のCDを車から降ろし、かわりのCDを物色しようと思っていたのを、すっかり忘れてしまいまして(^o^)/
ここ数日、車内に常備している定番のCDをとっかえひっかえ聴いておりました。常備曲といっても、たまたまダブり買いをしてしまったものや、某中古書店で入手した全集分売ものなどが中心です。

(1) ヴィヴァルディ 「四季」ほか、マリナー指揮アカデミー室内管
(2) ハイドン 弦楽四重奏曲Op.64-4~6、「第三トスト四重奏曲」
(3) ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」、スウィトナー指揮
(4) バルトーク 管弦楽のための協奏曲、ライナー指揮シカゴ響
(5) J.S.バッハ 音楽の捧げ物、レーデル指揮

などです。先日は往復ともにヴィヴァルディの「四季」他を聴きましたし、昨日は「ひばり」を含むハイドンの弦楽四重奏曲を聴きました。定番の曲を安定した演奏でゆったりと聴くのも良いものです。

ところで、新しい通勤の音楽は?
ドヴォルザークとスメタナの交響詩集、ノイマン指揮チェコフィルによる二枚組。これでしばらくは楽しめそうです。
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「のだめカンタービレ最終楽章・後編」を観る

2010年04月26日 06時24分50秒 | 映画TVドラマ
週末農業でようやくカイガラムシの防除を済ませた某日、安心して出かけ観た映画の記録、「のだめカンタービレ最終楽章・後編」です。
当方はにわかのだめファンにすぎず、原作も知らなければテレビの連続ドラマも知りません。たまたまある年のテレビの正月スペシャルでヨーロッパ編を観てその楽しさに目覚めたわけで、実は「遅れてきたのだめファン」です。
でも、あのときのテレビスペシャル「ヨーロッパ編」二回と、今回の前編・後編は、基本的に同じ構造を踏襲しているようです。いわば、前編が千秋の苦闘とサクセスストーリー、後編がのだめチャンの落ち込みと復活のストーリーです。
オリジナル曲等を除き、今回取り上げられた音楽をリストアップすると、後編の特質がおおよそうかがえるように思います。

(1) ベートーヴェン 交響曲第7番(ピアノ編曲版)、オープニング
(2) ショパン ピアノソナタ第3番、オークレール先生の課題曲
(3) ブラームス ヴァイオリン協奏曲、清良のコンクール
(4) ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調、落ち込みの原因
(5) ベートーヴェン ピアノソナタ第31番、嘆きの歌
(6) ショパン ピアノ協奏曲第1番、無名の新人・衝撃のデビュー
(7) モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ、音楽による会話
(8) ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」、出会いの頃を回顧
(9) ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー、エンディング・テーマ

すでに本格的レヴェルに達しているのだめのレッスンは、演奏家として立っていくのに必要な決心というか、覚悟を試されるところに来ています。それを表すのが、ショパンのソナタでしょう。ブラームスのヴァイオリン協奏曲でコンクールに入賞する清良は、コンクールに挑戦し続けるソリストの厳しさと孤独感を表しているのでしょうし、華やかなラヴェルのピアノ協奏曲は、自分が目標としたものを眼の前で打ち砕かれる徒労感、絶望感を際立たせます。その心情を表現するのが、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番の「嘆きの歌」でしょう。ショパンのピアノ協奏曲第1番は、コンクール以外のデビューがありうることを示すと同時に、ショパンと同様に別れと旅立ちを示唆し、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタは、2人の見つめあう視線、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番の第2楽章は、若かった日々を甘美に思い出させます。そしてハッピーエンドはガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」でにぎやかに。

いや~、今回も郎朗(ランラン)のピアノ演奏にしびれました。特に、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番。かつてこの曲により失意の日々を慰められた記憶があるだけに、のだめチャンの徒労感、焦燥感が転じて絶望感となった時の心情を、よ~く理解できました。
もしかすると、後期のベートーヴェン自身も、失意と悔恨の中にあって、あの嘆きの歌と復活のフーガを書いたのかもしれません。それを思えば、今回の物語のもっとも深いところを表している、重要な曲なのだろうと思います。

(*1):映画「のだめカンタービレ最終楽章・前編」を観る~電網郊外散歩道
(*2):「のだめカンタービレ」を観る~電網郊外散歩道
(*3):「のだめカンタービレ」を観る(2)~電網郊外散歩道
(*4):「のだめ」って、な~に?? ~当ブログに初登場したとき



写真は、霞城公園の桜を撮影するカメラマン氏。いい写真が撮れたかな?

【追記】
ランランの漢字表記を「郎朗」に訂正しました。勘違いしていました(^o^;)>poripori
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桜の霞城公園を散策~山形の歴史文化ロードを歩く

2010年04月25日 06時09分53秒 | 散歩外出ドライブ
春の風に誘われて、山形市の霞城公園を散策しました。ここは、延文元(1356)年に斯波兼頼が奥州大崎から入部し、築かれた山形城の本丸と二の丸跡が、公園として整備されたものだそうです。山形城は斯波氏の子孫にあたる最上義光(もがみよしあき)(*1)によって拡張され、慶長5(1600)年には現在の山形市中心部の姿がほぼ整備されたのだそうで、その意味で山形市は、中世の姿をそのまま現在に伝える珍しい都市と言えそうです。


現在の霞城公園には、東西南北の四つの門がありますが、一番復元が進んでいるのが東大手門で、ここには櫓があります。
さらに中に進むと、最上義光の像が。なかなか迫力のある、ダイナミックな像です。

こちらは、最上義光公顕彰碑文。ちょいと画像のサイズが横にはみ出すかな?

この南東側には、公園を一周する土塁に上る入口がありますが、今回はパスして像から左手に進むと、山形県立博物館(*2)があり、「縄文のヴィーナス」土偶や「ヤマガタダイカイギュウ」の化石などが展示されているほか、山形の自然や歴史を知ることができます。

さらに奥に進むと、山形市郷土館旧済生館(*3)が見えます。ここでは、明治時代に山形に西洋医学を伝えた記録を見ることができます。

旧済生館の西には県体育館がありますが、むしろその北側にある本丸の発掘現場が見ものでしょう。濠を渡り本丸の一文字門跡に立つと、復元の途中の様子を見ることができます。残念ながら、山形城は平面図だけはあるものの、立面図が見つからず、時代考証を基にした建物の復元は困難なようです。


もとの場所に戻り、体育館の建物にそってさらに二の丸(公園)内を歩くと、南門方面へ向かいます。こちらは、山形駅西口・霞城セントラルビル・山形テルサホール方面への近道で、旧テニスコートの南西ゾーンは花壇が整備される予定とのこと。

南門から戻り、梅やサンシュユ、桜などの緑濃い公園内を北に歩くと、西門方面へ向かうことができます。

写真は西門付近のようすです。お濠の向こうに、山形市西部の、庶民的でのんびりした市街地が広がります。(この写真は、桜が開花する前のものです。)

西門から公園内に戻り、さらに周回すると、野球場の南のT字路に出ますが、この西側、緑濃い公園の中に、日露戦争の記念碑が立っています。はるかに大陸を望む霞城公園の西側土塁上の桜の老木は、実は日露戦争の帰還兵たちが植えたものなのだそうです。山形城址に置かれた旧陸軍第32連隊、通称霞城連隊1000名が日露戦役に出征し、半数の500名しか戻らなかったとか。落命した500名の実情はどうだったのか。吉村昭『白い航跡』等に描かれた、旧陸軍の過度に米に依存した兵食制度のため脚気病が蔓延し、戦傷者の数より脚気病の数のほうが多かったという事実(*4,*5,*6)を考えあわせると、脚気病寸前でふらふらしながら突撃を命じられていた無名の兵士たちの、戦勝記念の体裁を取りながら建てた碑にこめられた、帰らざる戦友たちへの思いが読み取れるようです。


再び公園周回路に戻り、さらに進めば、自動車の入口である北門に出ます。ここから東に折れ、山形市野球場に沿って桜のアーチの下を歩くと、駐車場とトイレの場所を通り過ぎ、ほどなく東大手門前の最上義光像の前に出てきます。これで、公園内を一周したことになります。まことに見事な桜の季節、体力に余裕があれば、こんどは土塁上をもう一度一周することも良いでしょう。あるいは公園を出て、隣接する最上義光歴史館(*7)や山形美術館(*8)を見学し、一休みするのも良いかもしれません。私なら、さらに足をのばして、山形県郷土館文翔館(*9)を見学したり、藤沢周平が学生時代をすごし同人誌を発行したりしていた(*10)、旧師範学校本館「山形県教育資料館」(*11)を見学するのもお勧めしたいところです。

(*1):WindowsXPのMS-IMEで変換すると、よしみつ→義光は変換できますが、よしあき→義光は変換できません。ところが、UbuntuLinuxのAnthyではちゃんとよしあき→義光が変換できます。かねより→兼頼も変換できず、MS-IMEはどうも武将の名前は苦手なようです(^o^)/
(*2):昭和46年にできた、動物、植物、岩石鉱物、考古、歴史、民俗、教育の7部門からなる総合博物館。入館料は大人300円、未成年は150円、小中高生と障碍者(付添1名)は無料。5月5日と11月3日は入館料無料の日とのこと。山形県立博物館のホームページはここ。
(*3):山形市郷土館旧済生館のホームページはここ。
(*4):吉村昭『白い航跡』上巻を読む~電網郊外散歩道
(*5):吉村昭『白い航跡』下巻を読む~電網郊外散歩道
(*6):『鴎外最大の悲劇』を読む~電網郊外散歩道
(*7):最上義光歴史館ホームページ
(*8):山形美術館ホームページ
(*9):山形県郷土館「文翔館」ホームページ
(*10):このパンフレットの下段に、藤沢周平が師範学校時代に発行した同人誌の写真等が掲載されています。
(*11):山形県教育資料館の案内ページ
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コンピュータ中心の音楽システム

2010年04月24日 06時09分28秒 | コンピュータ
従来、レコード音楽マニアといえば、高級なオーディオシステムに膨大な音楽レコードやCD等を壁面いっぱいに飾り、その投資額からも占有する部屋の面積からも、常人には真似の難しいものでした。
当方の小規模なコレクションでさえも、CDやLPレコード等の置き場所に困る状態です。音楽録音のパッケージ・メディアを収集する限り、この問題を避けることはできません。子どもたちが巣立った後の中高年世代ならば、可処分所得もスペース的にも、多少の融通はきくのかもしれませんが、所得が少なく部屋も狭いことが多い若い世代には、物理的なモノを収集する趣味は、そもそも不向きなのかも。

しかしながら、ネット上に公開されているパブリック・ドメイン音源を用い、パーソナル・コンピュータ中心の音楽システムを考えるならば、パッケージ・メディアの収納スペースの問題は生じません。
すなわち、ミニコンポ等の小型のステレオシステムのライン入力端子に、USB オーディオプロセッサの出力を接続し、パソコンでハードディスクに蓄積した音源やネット上の音楽サービスなどを利用する、というやり方です。



ネット上の有料音楽サービスの場合は、特定の提供者に月ぎめ契約という形でくびきに繋がれてしまうという本質的な欠点を除けば、スペース的には良さそうです。誰某の録音についての解説や薀蓄は、どこそこの URL のページを読めばよい、といった情報をもとに音楽録音を散策するのは、もしかするとすでに現実のものになっているのかもしれません。パッケージ・メディアは、実際に経験した演奏会の記念に、お気に入りの演奏家のポートレートとして所有する、といった形になるのでしょう。

なるほど、かくしてレコード会社は左前になり、某リンゴ社は空前の業績回復をうたうわけですね。たしかに、これが現在の方向性なのでしょう。
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新しいコンパクト・デジカメを購入する

2010年04月23日 06時06分54秒 | ブログ運営
落っことして不調になってしまったカシオの EX-Z30 を修理に出したところ、一万円くらいで連休明けになるかも、とのこと。ゴールデンウィークを控え、花も盛りの季節に、それでは当ブログの運営にはなんとも不都合です。

思い立って、当座の利用に役立つ簡易なコンパクト型デジタルカメラを、量販店で購入してきました。写真の箱はシルバーですが、今回購入したものの色は、落ち着いた中年仕様の(^o^)ゴールドです。14,356円也。同じカシオの EX-Z330 という製品で、Z30 型の系統の普及タイプという位置付けでしょうか。
主な仕様を見ると、静止画が VGA(640x480) の次はいきなり 3M(2048x1536) と、EX-Z30 で標準としていた 1280x960 位のものが省略されています。高解像度志向が普及機種にもあらわれているようです。



操作性はほぼ同一ですが、多用するマクロモードがワンタッチでは設定できないようです。記録メディアは SD/SDHC 規格のもので、4GB のものが使用可能です。添付の USB ケーブルでパソコンに直接つなげることができます。

使用する立場での大きな違いは、充電方法でしょう。EX-Z30 ではクレードルに載せるだけで充電できましたが、EX-Z330 のほうは充電池を取り出し、充電器にセットして充電するタイプです。充電器自体は小型で携帯には便利ですが、充電池のプラスとマイナスの表示が小さくて読みにくいことこのうえなし。なんだか極性を間違えてセットしそうです。

そんなわけで、本日から写真は新しいデジカメのものと、古い Photo ディレクトリから選んだものとが混じることになります。使ってみての比較なども、楽しみです。
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デジタルカメラの調子が悪い

2010年04月22日 06時12分17秒 | ブログ運営
愛用のコンパクト・デジタルカメラ、カシオの Exilim EX-Z30 を、先日見事に落っことしまして、以後どうも調子が悪い。半押ししてもオートフォーカスが作動しなかったり、ホワイトバランスや ISO 感度が狂って白ボケしたり、ということがときどき起こります。この「ときどき」というやつが曲者でして、いざというときに使えないのは本当に困ります。

うーむ、これは修理に出すしかないかなぁ。当ブログの運営にとっては、大きな痛手です(^o^;)>poripori
仕方がありませんので、写真は過去の Photo ディレクトリの中から選んで掲載することといたします。
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山形弦楽四重奏団第35回定期演奏会を聴く

2010年04月21日 06時18分06秒 | -室内楽
山形市内の桜もようやく咲き始めた火曜日は、朝の晴天はどこへやら、午後は曇り空となりました。幸い雨にはならず、山形弦楽四重奏団第35回定期演奏会が、文翔館議場ホールで開催されました。本日のプログラムは、

(1) ハイドン 弦楽四重奏曲ヘ長調Op.74-2 「アポニー四重奏曲」
(2) 尾崎宗吉 小弦楽四重奏曲Op.1
(3) ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12番変ホ長調Op.127

の三曲です。

最初のハイドンは、彼の弦楽四重奏曲全曲演奏を目指す演奏団体らしく毎回必ず取り上げているものですし、尾崎宗吉の曲は、近年の山Qがすすめている一連の日本人作曲家の作品シリーズの流れでしょう。最後のベートーヴェンは、晩年の弦楽四重奏曲群のスタートとなる作品です。

職場を出て軽く食事を済ませ、文翔館議場ホールに向かいます。春の夕風はだいぶ暖かくなり、一時の肌寒さはありません。それでも、ホール内は暖房が入り、快適に開演を待つことができました。恒例のプレ・コンサートは、アンサンブル・Tomo'sのお二人で、曲はミヒャエル・ハイドンの二重奏曲ニ長調。

今回のプレ・コンサート・トークは、1st.Vnの中島光之さん。ハイドンのOp.74-2 は、作曲家61歳の作品で、すでに貴族社会の終わりに近く、弦楽四重奏曲も貴族の邸宅の一室から出て、演奏会用ホールへ移行しつつありました。ハイドンも、英国での経験などから、動機をユニゾンで重ねるなど、コンサートホール向けに工夫するなど、演奏効果を狙って少し派手めにしているそうです。
次の尾崎宗吉作品は、遺族が保管していた楽譜を1980年代に発掘し、演奏されるようになったのだそうで、戦前の新人を見出すコンクールのオーディションで絶賛を博したのだそうです。戦争がなければ、たぶん日本を代表する作曲家になっただろうと思わせるOp.1。わずか三年の期間に書かれた、ヒンデミットやプロコフィエフを思わせるヴァイオリンソナタも素晴らしい作品だとか。
ベートーヴェンは、第九の後に弦楽四重奏曲しか作っていないのですが、これは自身の作曲活動のまとめとして、自分自身のために書いたものと思われます。内容が深くて、初演時にはあまり評判にならなかったとか。彼自身、どこまで行けるかを試みたものなのでしょう。40分近い大曲で、先へ先へと進んで行こうとする意欲を感じます。我々山Qも、初期なのか中期なのか後期なのかわかりませんが、先へ進みたいと考えています、とのこと。
うーん、いつもながら簡潔明快・中島調の解説で、お見事です。

さて、楽器配置は前回と同じく正面に向かって左から第1&第2ヴァイオリン(中島、駒込)、ヴィオラ(倉田)、チェロ(茂木)の順です。駒込綾さんは、オレンジの上に薄い黄緑色を重ねたようなドレスで、化学屋ならフルオレセインのような色、と言えばいいのかな、それとも溶かす前のバスクリンと溶かした後の蛍光色を重ね合わせたような色、とでも言いましょうか(^o^)/

ここからは、朝の続きです。

ハイドンの演奏が始まります。第1楽章:軽やかな始まりです。アレグロ・スピリトーソ。第2楽章:アンダンテ・グラツィオーソ。1stと2ndの同じ動きに、ヴィオラやチェロが細かく絡んだりする、優美で気持ちの良い、すてきな音楽です。第3楽章:メヌエット。赤いネクタイの茂木さんのチェロが存在感を示します。第4楽章:フィナーレ、プレスト。速く細かな動きの軽やかな音楽です。ハイドンらしい、音楽の楽しさが感じられます。

続いて尾崎宗吉の小弦楽四重奏曲です。第1楽章:アレグロ。集中力に富む演奏で、訴えかける力の強い音楽になっています。第2楽章:アンダンテ。日本音階風の要素を持つ、しっとりした音楽です。第3楽章:ロンド・スケルツァンド・ヴィヴァーチェ。スケルツォ風のロンドという想定か。作曲家の悲劇的な生涯を考えると、少々不謹慎な連想ですが、スタジオ・ジブリのアニメの、劇的な緊迫感を持ったシーンに合いそうな、すごくかっこいい音楽だと感じます。演奏する山形弦楽四重奏団の皆さんも、共感して曲に取り組んでいるのがよく分かりました。

15分の休憩の後、いよいよベートーヴェンです。
第1楽章:マエストーソ~アレグロ。ジャーッという力強い斉奏からチェロ、ヴィオラ、そしてヴァイオリンへ。四つの楽器が自由に絡み合うところと、力強く協調するところとが繰り返されます。この作品は、優美な美しさやハーモニーの快適さなどとは異なるものを追求した音楽のように感じられます。
第2楽章:アダージョ、マ・ノン・トロッポ・エ・カンタービレ。やっぱりチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンと順に入っていきます。互いに自由なようでいてしかも響きあう音楽です。自由な遊びもあり、軽みのある、中年のユーモアみたいなものを感じます。どれかの楽器に魅力的な役割を順に割り当てるのではなくて、それぞれがそれぞれの役割を自由に果たし、しかも全体が緊密に統合されていることを目指す音楽、といえばよいのでしょうか。
第3楽章:スケルツァンド・ヴィヴァーチェ。やはりチェロから。低弦に1stと2ndのヴァイオリンが高音で答えます。ユニゾンはダイナミックに、きれぎれの回想を経て終結へ。全曲を通して密度の濃い音楽、集中力を維持するために猛烈にスタミナを要する音楽だと感じます。
第4楽章:フィナーレ。頭の中で鳴っている音と現実の音のもどかしさ、そんな感じをベートーヴェン自身も感じつつ作曲していたのかも。異常な緊張感と集中力とを要する音楽で、音程などの技術的にも、気力とスタミナの配分の面でも、演奏者にはハードな曲なのだろうと感じます。

総じてこの曲は、作曲者晩年の曲だから老人が演奏するのがふさわしいとは言えないように思いました。体力、気力の面から、演奏可能な年代というのがあるように思います。たぶん、70代では難しいのでは。60代ではどうでしょう。精神的にも身体的にも、充実した時期だから挑戦できる、そういう音楽なのかもしれません。素人音楽愛好家の、ちょいとエラそうな物言いをお許しいただければ、課題は残しつつもよくここまで来たなと感じさせる、意欲的な演奏でした。

アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲Op.74-3「騎士」から、第3楽章:メヌエット。いや~、強烈な集中力を要求されるベートーヴェンの後に聴くと、実際ハイドンは窓から風が入ってくるようなさわやかな音楽でした。
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ブログ界の転機の予兆?

2010年04月20日 06時19分52秒 | コンピュータ
先ごろ、AWK スクリプト等の参照用に使っている「デジタル文書綴り」というブログの元締めであったジャストブログから、運営を Typepad 社に移管する旨の通知があり、このほど移管が完了したようです。XML に力を注いでいたジャストシステム社では、xfyブログエディタをベースに、ビジネス用にも使える xfyプランナー等の製品を展開しています。たぶん、xfyブログエディタを試す場として、自社運営のブログを用意していたのでしょう。xfyブログエディタは便利なツールではあるものの、当「電網郊外散歩道」の胴元 goo ブログをサポートしないのでは、あまり使用頻度は高くなりません。そんなわけで、たまに思いだしたように参照する程度の利用状況でした。

考えてみれば、先の Doblog の撤退も、利用者が思うように伸びないためにシステムの維持管理に投資しきれず、メインテナンスに失敗したためではないかと疑っています。利用者数の少ないブログほど、広告も思うように集まらず、無料のモデルは破綻しやすいのでしょう。その点では、やはり弱小ブログであったジャストブログが、タイプパッド社に移管することになったというのも理解できます。また、移管が完了したとはいうものの、無料期間は9月30日まで。その後は有料に移行するように、との Typepad 社からのお達しです。

弱小ブログから順に撤退が始まっているのかもしれないブログ界。もしかすると、ブログというシステムそのものの地殻変動が、ビジネスベースでは大きく動いているのかもしれません。
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携帯メールは電報、つぶやきは机の下の回覧メモに似ている?

2010年04月19日 06時23分30秒 | コンピュータ
はじめて E-mail を経験したのは、たしか平成のはじめ頃だったと思います。Nifty-Serve(当時) に加入し、メールアドレスを取得しました。Webメールは別として、メインにしているのは今もこのアカウントです。E-mail を主として使うようになって、電話で相手をつかまえる難しさや苛立ちがだいぶ軽減され、こちらの都合の良いときに読める便利さが、本当にありがたいと感じました。

ところで、携帯電話のメールが普及して、こちらの都合におかまいなしに、メールが乱入してくるようになりました。なんでも、若い中高生あたりには五分間ルールとかいうのもあって、五分以内で返事をしないと仲間外れにされるというような恐ろしい事態もあったのだそうで。これなど、同じ「メール」という言葉は使っていますが、いわゆる E-mail とは本質的に異なるものだと感じます。メールではなく、電報です。楽しい団らんの最中に飛び込む、不幸を知らせる電報のイメージにそっくりです(^o^)/

その伝でいえば、流行のつぶやきは、なんだか大昔の授業中に机の下を回覧された伝言メモに近い雰囲気が(^o^)/

携帯のメール、ただいま流行中のつぶやき。いずれもリアルタイム性に特徴があり、「時間を共有していることを確認しあう楽しさ」と、「一人だけ抜けることが難しいしがらみ性」は、もしかすると麻雀に似ているのかも、などと言ったら、熱中している人からは怒られそうですね(^o^;)>poripori
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時ならぬ雪に

2010年04月18日 06時02分04秒 | 季節と行事
昨日の朝、起きたら猛烈に雪が降っていました。何たることだ!もう四月の中旬も終わろうというときに!とにかく寒いです。雪の中を歩くなど考えもしていませんでしたので、普通の靴です。滑りそうで、たいへんでした。都会の人と同じ苦労をしました(^o^)/
せっかくの桜のつぼみも、びっくりしてまた冬眠しちゃったんじゃないかと思うほどで(^o^)/
週末農業も、これではお休みです。

さて、今週のプライヴェートな予定は、

(1) お天気の回復を待ち、果樹園のカイガラムシの防除
(2) 映画「のだめカンタービレ最終楽章・後編」を観る
(3) 4月20日(火)の夜は、文翔館で山形弦楽四重奏団の定期演奏会
(4) 引越し荷物の整理と片付け

などでしょうか。風邪のほうは、咳が少々残りますが、なんとか回復基調で、日本経済よりは早く回復するんじゃないかとジョークをかましております。もしかして長引いたりすると、「日本経済の方が先に回復しちゃうんじゃないの?」とかなんとか、茶々を入れられそうな気もしますが(^o^)/

現在、通勤の音楽は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番、スメタナ四重奏団の演奏です。
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鶴我裕子『バイオリニストは目が赤い』を読む

2010年04月17日 06時17分30秒 | 読書
新潮文庫で、鶴我裕子著『バイオリニストは目が赤い』を読みました。風邪ひきで寝込んだとき、とくに回復期に手に取る本としては、たいへんに Good な選択でした。
著者は、生まれは福岡県だそうですが、子供時代を山形で過ごしたのだそうです。1975年から32年間、N響の第1ヴァイオリン奏者を務めたとのこと。N響アワーなどでは、コンサートマスターと管のソロなどはクローズアップされますが、カメラが弦セクションを一人一人とらえたりはしないものです。本書の痛快な文章を読むまで、このような才媛が指揮者をニラんでいるなんて、思いもよりませんでした(^o^)/
N響団員にとって、サヴァリッシュ大先生との絆が深いことは予想どおりですが、スウィトナー、マタチッチと並んでホルスト・シュタインの記事が実に多い。それも、「理想の男性」だというのですよ!

(定期公演に客演した指揮者に贈られる最後の公演の花束に)「花よりも酒がいい」と言った、私の理想の男性ホルスト・シュタイン。(p.75)

私にとっての過去全演奏会の「ベストコンサート」は、全盛期のシュタインによるものが多い。まだ入団して間もないころ、初めてシュタインを見た朝、「かわいい」と思った。太っているが身のこなしは軽い。曲は忘れもしない「ローエングリーン」第二幕の前奏曲。始まってすぐに、バイオリンパートに複符点がある。その迷いのない振り方と弾力性に「あーっ、いい指揮者だ」と思った。その曲が続く二ページのあいだずっと、音楽は途切れず、まるで長いヒモをたぐり寄せるようで、表情は手に取るようにわかり、何よりもクライマックスの作り方の申し分のなさ!手前で一度、大きくうしろに引くのだ。それから、どーんと津波のように打ち寄せるその「振付」は、誰のまねでもない、しいていうなら大自然からおしえてもらったような感じだった。(p.109)

私が感激しながら弾いているのがわかるらしく、シュタインは要所要所でウィンクをくれる。イヒヒ、それが何よりのごほうびだった。一方、彼が楽員に浴びせる容赦のない悪態、それがまた図星で胸がすくのだ。ほかの人は、ムカついたり、おびえたりしていたらしいが、私はひとりで笑いころげていた。「シャイセ」とか「ガンツ・シュレヒト」なんていう、レディに向かないドイツ語も、シュタインから学んで身につけた。(p.110)

ことほどさように、指揮者は楽員が笑うのが嫌いだ。ブロムシュテットなどは、はっきりと「ドント・ラーフ」と言う。かと思うとシュタインは逆に「ノーボディ・ラーフ」とふくれる。彼はN狂の異様な静けさや、マシンのような動きに耐えられないのだ。ハイドンをやっていて突然、「揃えるな!」とわめいたりする。私も同感。そんなシュタインって、好き、好き。(p.132)

N響もこっち(注:棒がおりてもすぐに音が出ない)の組である。いつだったかシュタインが、「レオノーレ」の出だしをヤッと振りおろして、「クリスマスまでには音が出るだろうか」と言ったっけ。(p.266)

いや~、最後のやつなんて、爆笑!鶴我さん、シュタインがほんとにツボにはまったのですね。 

江利チエミ扮するサザエさんを思わせる著者の近影(?)を見ると、ホルスト・シュタインとのツーショットがあったら、さぞ楽しいだろうなあとか、二人のデュオを聴いてみたかった、などと想像してしまいます。こういう想像は、決してサヴァリッシュ大先生は対象になりません。ホルスト・シュタインだからいいのです!

以前にも何度か書きましたが、私もシュタインの演奏に「ああ、いいワーグナーだなあ」と聞き惚れた部類です。あらためて、エアチェックしたカセットテープやN響アワーの録画ビデオテープ等の中から、選んで聴くことにいたしましょう。曲は?もちろんワーグナーで、「ローエングリーン」の前奏曲あたりかな。

(*):こんな秘話もあるそうな~あのころきみはわかかった
(*2):本書を手にするきっかけとなった記事~「ゆっくりと世界が沈む岸辺で~きしの字間漫遊記」より

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2010年04月16日 06時00分30秒 | ブログ運営
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こんなふうに、無意識のうちに、記事のスタイルを書き分けていることに気づきました。おもしろいものです。
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