電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

レスピーギ「ローマ三部作」の演奏の順序

2014年07月31日 06時02分16秒 | -オーケストラ
先日の山形交響楽団と仙台フィルの合同演奏会では、レスピーギの「ローマ三部作」を演奏しました。三曲の順序は、(1)ローマの噴水、(2)ローマの祭り、そして(3)ローマの松、というプログラムでした。
静かで繊細な「噴水」の後に、ど派手で賑やかな「祭り」を置き、休憩後は音楽として充実した聴き応えのある「松」で締める、というものかと思います。

そういえば、手許にある「ローマ三部作」のCDでは、どういう曲順になっているのだろう? と調べてみました。



■オーマンディ指揮フィラデルフィア管(CBS-SONY)、ムーティ指揮フィラデルフィア管(EMI)
 (1)松、(2)噴水、(3)祭り
■ティルソン・トーマス、バーンスタイン(CBS-SONY)、バティス指揮RPO盤(NAXOS)
 (1)祭り、(2)噴水、(3)松
■小沢征爾指揮ボストン響(DG)
 (1)松、(2)祭り、(3)噴水

ふむふむ。オーマンディ盤とムーティ盤は、ド派手に賑やかに盛り上げて終わろうという考え方ですね。ティルソン・トーマスとバーンスタインの組み合わせの盤やバティス指揮ロイヤルフィル盤では、キャッチーな「祭り」で聴衆をつかみ、静かな「噴水」と対比させて「松」で締めようという心づもりでしょうか。最後の小沢盤では、最後を「噴水」で静かに締めるという構成です。それぞれに、プログラムの組み立てを考えたのでしょう。その点からいっても、今回の「噴水→祭り→(休憩)→松」のプログラムは、おもしろかったと思います。

さて、こんどはアフィニス音楽祭だな。楽しみは続きます。

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佐伯泰英『弓張ノ月~居眠り磐音江戸双紙(46)』を読む

2014年07月30日 06時01分09秒 | -佐伯泰英
双葉文庫の人気シリーズ、佐伯泰英著『弓張ノ月~居眠り磐音江戸双紙(46)』を読みました。マンネリが懸念される書き下ろしスタイルの長編時代小説も、ついにここまでお付き合いしてしまいました。こうなれば、あとは完結を目指すのみです(^o^)/

本巻は、要するにこれまでチョコマカと動いてきたトリックスター佐野善左衛門が、本来の歴史的役割である、田沼意知に対する江戸城中での刃傷事件を決行します。その背後にあるのが、白河藩主松平定信を中心とする反田沼勢力の動きなわけですが、こうなると主人公の役割は霞んでしまいます。そこで、将軍の信頼をバックに権力を握る田沼意次の怒りから、剣術の弟子の一人である松平定信らをどう守るのかが当面の課題となります。また本筋としては、磐音らが田沼意次を仇として狙いつづけるのかどうかが今後の課題としてクローズアップされてくる、という内容です。

第1章:「行動の朝」。当日の朝の、小梅村尚武館道場、米沢町今津屋、品川柳次郎家、金兵衛長屋、鵜飼百助の研ぎ場など、嵐の前の様子を描きます。弥助と霧子の師弟の忍びが、しばらくぶりに屋敷に戻った佐野善左衛門の昂ぶりを磐音に伝えます。
第2章:「お杏の覚悟」。嫁入り前の箱崎屋お杏さんは、こんなところに居続けてよいのか? 不思議ですが、良いのだそうです(^o^)/ まあ、話の都合上、ともに困難に遭遇してくれないと、坂崎ファミリーの一員になれません(^o^)/
この章でも、弥助・霧子の忍びの師弟が活躍の中心となりますが、なにやら豊後関前藩の坂崎正能が登場したりすると、今後も坂崎パパの出番がありそうです。
第3章:「五人の若年寄」。江戸城中、田沼意知刃傷事件の場面を描きます。作者は、濡れ場はあまり得意ではないようですが、こういう緊迫した事件を描くのはうまいです。ポイントは、刃傷事件で使われた刀の持ち主を問われるのを恐れ、佐野家の刀とすり替える経緯です。なるほど、それで研ぎ師・鵜飼百助さんが意味を持つわけですね。
第4章:「斬奸状」。事件を受けて、幕府内部で政治的に事後処理が行われる様子を描くとともに、磐音が密かに反田沼勢力の自重を求める書状を送った、その効果が描かれます。当然のことながら、各藩の若手による剣術試合のほうは延期になります。
第5章:「無為の策」。南町奉行所のエース、大頭の知恵者同心・笹塚孫一は登場するわ、出羽の国の前田奈緒母子は登場して江戸に帰ることになるわ、なにやら関係者がみんな江戸に集まってきそうな勢いです。大団円に向かって歩み始めたのか、それとも作者お得意の壮烈な悲劇に向かって歩み始めたのか、待て、次号! という章です。



そうですね~。うーむ。理由が未だによくわかりませんが、佐々木玲圓夫妻が殉死したのは、田沼意次が徳川家基を暗殺したからで、田沼意次は師匠夫妻の仇のはず。佐野善左衛門が田沼意知に切りつけたからといって、そこは変わらないと思います。にもかかわらず、仏間に入って合掌したら死んだ玲圓が「人の命を絶つことではのうて、生かす道を考えよ」という声が聞こえたという場面は、不思議です。これは、長い連載の間に、主人公磐音クンの気が変わったとしか考えようがない(^o^)/

まあ、扇を集めて旅した(*1)結果、奈緒をあきらめておこんにのりかえることになった(*2)わけですが、あのときも急に気が変わったようですし、今度もまた気が変わるのは、作者の都合で別に不思議ではありません(^o^)/
いずれにしろ、この大江戸エンターテインメントの結末をどうつけることになるのか、今後が楽しみです(^o^)/

(*1):佐伯泰英『雪華ノ里~居眠り磐音江戸双紙(4)』を読む~「電網郊外散歩道」2008年10月
(*2):佐伯泰英『龍天ノ門~居眠り磐音江戸双紙(5)』を読む~「電網郊外散歩道」2008年11月


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東京電力福島第一原発の全電源喪失のルポは単行本でも読みたい

2014年07月29日 06時01分29秒 | Weblog
当地の地元紙・山形新聞には、東京電力福島第一原子力発電所における全電源喪失の事態に、所員や周辺の関連する人たちがどう対応したかを克明に取材したルポが連載されています。おそらく共同通信の配信記事で、他の地方紙でも読むことができるのだろうと思いますが、これがたいへん興味深い内容です。朝の忙しい時間に、ささっと斜め読みしていくだけでは物足りない。ぜひ単行本としてじっくり読んでみたいものです。

いったん中断されていた連載が少し前に再開され、今は最終章「命」と題して、所員や関連会社の社員など大多数が退避した後に、残った少数で対応している様子が描かれます。うーむ、情報も途絶えがちな混乱のただ中にあっては、責任ある立場にある者といえど、誤りのない判断などできるはずがない。でも、置かれた状況の中で推測しうる最善の判断を、諦めずに一つ一つ積み重ねるしかない。故・吉田所長の立場に、思わず同情してしまいたくなります。(写真は、平成26年7月27日付けの山形新聞より。)

そうか、大きな地震で被害を受けた家の片付けを手伝いに行ったり、ようやく復旧した電気で状況を知り、驚いていたあの頃(*1)、福島第一原発の内部ではそんな状況だったのですね。混乱の中で、行き違いは当然ありうるでしょうし、間違いもあったのでしょうが、偶然が幸いして現在の状況にとどまったにすぎないことがよくわかります。事故後三年が経過して、報道もまた、ぐっと深化しつつあるようです。

(*1):「電網郊外散歩道」2011年3月の記事

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山響・仙台フィル合同演奏会2014でレスピーギの「ローマ三部作」を聴く

2014年07月28日 06時00分17秒 | -オーケストラ
早朝から果樹園の施肥作業を行った後で、午後からは山響・仙台フィル合同演奏会2014を聴くために、山形市民会館に出かけました。昨年は、マーラーの交響曲第2番「復活」を2つのオーケストラ合同で実現、話題となりましたが、今年はレスピーギの「ローマ三部作」です。



市民会館のホールに入ると、わーお! ステージ狭しとばかりに、椅子と楽器が並んでいます。今年もまた、山響ファンクラブが楽器配置の一覧を用意してくれていました。これはありがたい。座席が比較的前の方だったために、ステージ上の様子がよくわかりません。オルガンの陰に入ったホルン・パートなどは、あのあたりかな~?という状況ですので、詳しい楽器配置は省略(^o^)/



第1曲:「ローマの噴水」。ピッコロ、フルート(2)、オーボエ(2)、イングリッシュ・ホルン、ホルン(5)、トランペット(3)、トロンボーン(3)、チューバ、ハープにチェレスタ、オルガン、ティンパニとパーカッションに、弦楽5部、それもコントラバス(8)という強力さです。とにかく、大編成。これで「夜明けのジューリア谷の噴水」で静かに始まり、「朝のトリトンの噴水」、「昼のトレヴィの噴水」、「黄昏のメディチ家の噴水」と続きます。コンサートマスターは仙台フィルの西本幸弘さん。合同オケですが、とくに繊細な弱音部に、集中力がビシッと決まっていると感じます。

第2曲:「ローマの祭り」。言わずと知れた、多彩な鳴り物と大騒ぎ(^o^;)で有名な曲です。楽員も、パーカッション部に増強されただけではありませんでした。ステージの外、客席後方にバンダが待機して、いや~、派手! でも、弱音器を付けてコントラバスがピツィカートするのを、初めて目の当たりにしまして、うふふ。そうか、あんなふうにするのか~と興味津々。マンドリンのソロも良かったけれど、何といってもコンサートマスター席に座った犬伏亜里さんのソロが、素敵でした~。

ここで、20分の休憩となります。

最後の曲目は、「ローマの松」です。この曲は、「ローマ三部作」の中でも、一番のお気に入りです。
低弦にヴィオラが、次に第2ヴァイオリンが、さらに第1ヴァイオリンが加わっていくところなどは、音量の増加だけでなく、音色の面でも太陽が上るような効果があります。ところで、ごく弱音で、あの見事なクラリネットを吹いたのは誰? 外人さんみたいだから、仙台フィルのダビッド・ヤジンスキーさん? さらに、小鳥のさえずりは、上方のいろいろなところから聞こえるように感じました。あれは、録音? どうやって流したの? いやはや、八本のコントラバスの威力も充分に味わいましたし、後方から聞こえるトランペットのバンダも、大いに楽しみました。小泉和裕さんの指揮も、たいへん好感を持ちました。これだから、生演奏はこたえられません!

ふだんの二管編成の見通しのよさ、透明で澄んだ軽やかさもありますし、四管編成など大編成の圧倒的な迫力、量感の魅力も感じます。山響と仙台フィル、ふだんはそれぞれの魅力を磨いてもらって、こんなふうに、合同で大編成の魅力を味わえるようにしていただけたら、素人音楽愛好家としては、まことにありがたい限りです。



また、今回のプログラムは、もしかすると仙台フィルのスタイルで作成したものでしょうか。表紙等のデザインもさることながら、プログラムノート本文の体裁が二段組で、書体も明朝体ではなくゴシック系が採用されており、老眼プラス暗い会場でもたいへん読みやすく感じました。こちらも、良かったです。

ところで、プログラムノートの冒頭にあった、トスカニーニとレスピーギの話は、興味深く読みました。今は、YouTube という手段がありますので、さっそく「Toscanini Respigi」で検索してみると、いくつかの録音が公開されておりました。古いモノラル録音ですが、映像のあるものもありましたので、興味深く聴きました。

Arturo Toscanini


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山響チケットサービスで山響+仙台フィル合同演奏会のチケットを購入する

2014年07月27日 06時04分47秒 | 散歩外出ドライブ
過日、山形市の旅籠町界隈を歩く機会があり、ちょうど良い折でしたので、山響チケットサービスに立ち寄りました。私のような還暦越え世代には、高校時代によく利用した元県立図書館と言った方がわかりやすく、今でも階段を登るとセーラー服の女子高生たちが熱心に勉強しているような錯覚に陥る…ことはありませんが(^o^)/
今では「やまぎん子ども館」と名前を変えて、一階が「山響チケットサービス」となっています。入り口を入ろうとすると、たしかにその通り。



お目当ては、7/27(日)の「山響+仙台フィル合同演奏会2014」で、曲目は

レスピーギ/ローマ三部作
 交響詩「ローマの噴水」
 交響詩「ローマの祭り」
 交響詩「ローマの松」
指揮 小泉和裕
管弦楽 山形交響楽団
    仙台フィルハーモニー管弦楽団

というものです。昨年は、マーラーの交響曲第2番「復活」を演奏した(*1)のでしたが、今年は近代管弦楽法の大家レスピーギによる、大編成を要する「ローマ三部作」です。山響のような、二管編成サイズのオーケストラで、通常の定期演奏会ではまず取り上げることのできない曲目だけに、合同演奏が意味を持ちます。東日本大震災復興支援の意味もありましょうが、両オーケストラ支援の意味も大きくありそうです。

山響チケットサービスの駐車場のおしらせを写真に撮ってきましたので、参考までに掲載しておきましょう。



建物の外に出たら、年配のオジサンが山響定期のポスターをじっと眺めていました。若いステキなお嬢さんなら絵になるのでしょうが、逆に華やかさはないけれどこういう姿が現在の山形の日常を支えているようにも思いますので、後ろ姿でひそかにモデルになっていただきました(^o^)/



というわけで、本日は山形市民会館に出かけます。

(*1):山響・仙フィル合同による第222回定期演奏会でマーラーの交響曲第2番「復活」を聴く~「電網郊外散歩道」2013年7月

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吉松隆『究極のCD200~クラシックの自由時間』を読む

2014年07月26日 06時02分31秒 | クラシック音楽
若い頃から廉価盤LPでクラシック音楽に親しんで来ましたので、「これが決定盤!」みたいな考え方には早くから縁が薄く、本や雑誌記事などでもそうした類のものは信用しないことにしております。ただし、選曲には関心があり、どういった曲目を選び、全体としてどういう構成になっているかとの関連で、どういう演奏・録音を取り上げているかには興味があります。



学研の『究極のCD200」シリーズのうちの1冊、吉松隆構成・編による『クラシックの自由時間』という本は、まずその題名「自由時間」に惹かれました。自由時間に聴く音楽に、どんなものを選んでいるのだろう? 実際は、青柳いずみこさんや加藤浩子さん、あるいは平野昭さんといった12名の方々が、それぞれお得意の分野で執筆しているようで、吉松隆さんは冠というか、一応は全体の構成を監修する編者という位置づけのようです。1995年に初刷が出て、これは2005年の第10刷。

で、その構成は、

第1時限:誰でも知っているクラシック名曲 「運命」「合唱付」「悲愴」「四季」「展覧会の絵」など33曲
第2時限:誰かは知っているクラシック名曲 いわゆる「ベト7」「ブラ1」「ブル4」「オルガン付」「ブランデンブルグ協」など44曲
第3時限:作曲家に歴史を聞く 「マタイ受難曲」「フィガロの結婚」「英雄」「大地の歌」など26曲
第4時限:演奏家に楽器を聞く ショパン「24の練習曲集」をポリーニ、リスト「ロ短調ソナタ」をアルゲリッチで、という具合に32曲
第5時限:研究家に理屈を聞く R.シュトラウス「アルプス交響曲」、シューマン「クライスレリアーナ」など12曲
第6時限:通になるためのクラシック名曲 テレマン「食卓の音楽」、シューマン「詩人の恋」、エルガー「チェロ協奏曲」など38曲
第7時限:マニアになるためのクラシック名曲 マーラー「第10番」、ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」、コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲」、カントルーブ「オーベルニュの歌」など23曲

以上、合計すると200曲ではなくて208曲になります(^o^)/
私の小規模なライブラリでも、LPやLD、CD/DVDなどで曲目はあらかた網羅しており、「う~む、なるほど」と思うものもあれば、「おやおや」と頭をかいて済ませてしまうものもあったり、なかなか面白い。

ちなみに、ここにリストアップされた曲の中で、おそらくはもう積極的に耳にすることはなかろうと思われるものは、たとえばブーレーズの「主なき槌」やシュトックハウゼンの作品集などでしょう。正直に言って、そんな時間があったら、テレマンやヴィヴァルディあたりの音楽で、まだ知らない曲をもっと聴いてみたいと思ってしまいます(^o^;)>
なんとも軟弱な、素人音楽愛好家らしい趣味嗜好ですが(^o^;)>poripori



写真は、過日の山響第238回定期の2日目、雨上がりの虹です。

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ノートパソコンのLibreOfficeを4.2に更新

2014年07月25日 06時01分16秒 | コンピュータ
愛用しているサブノートパソコン ThinkPadE130 は、使用する頻度があまり高くないとはいえ、やはり適度にアップデートしておく必要はあります。先日、たまたま電源を入れたところ、更新の知らせがありましたので、LibreOffice4.0 から 4.2 に update しました。

まず、インストーラをブラウザ上からダウンロードし、これを開いて本インストールを開始します。若干の Windows8 のセキュリティ設定を行い、すぐに使えるようになりました。

LibreOffice4.2 になって変わったことは、例えば Presentation の場合、これまでに作成したプレゼンテーション・ファイルのタイトルページが、サムネイル形式で表示されるようになったこと。表示された候補の中から選んで作業の続きができるのは、けっこう便利なものです。

実際、先日、某氏がプレゼン用に持参したノートパソコンがアナログRGB端子を持たない最新型で、某所のプロジェクターには対応できず、急遽、当方のサブノートパソコンを使うはめになりました。USB メモリに入れた PowerPoint ファイルを LibreOffice4.2 の Presentation でプレゼンを行いましたが、全く支障なく、無事に終了することができました。いやはや、ハラハラしてしまいました(^o^;)>poripori

そういえば、農業所得の確定申告も、UbuntuLinux 上 のOpenOffice や Windows8 上の LibreOffice の Calc でできる体制を作ることができ、MS-Excel に依存する状態からは脱しました。最近は、依頼プレゼンも PowerPoint 一辺倒ではなくなっています。外部とやりとりする必要のある仕事上は別として、個人用途では、もう MS-OfficeXP で打ち止めです。

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長州藩の密航留学生が暮らしはじめた環境

2014年07月24日 06時03分48秒 | 歴史技術科学

長州藩から英国へ密航留学して来た五人のサムライ青年たちの世話役となったヒュー・マセソンの証言(*1)によれば、



私は彼らにふさわしい処に下宿させ、教育への準備に取りかかった。極めて幸運なことに、ユニヴァーシティ・カレッジの化学教授で、のちに英国協会(*2)の会長となったウィリアムソン博士にお願いし、彼らを博士の家に下宿させてもらうことができた。教授と相談の上、私は彼らが多少なりとも英語が学べ、しかも真に良い教育(a really good education)の基礎づくりの準備ができるクラスに入れるようにとり計らった。この点で、ウィリアムソン博士の助言はたいへん貴重なものであった。(後略)」


とされています。

たしかに、現代においても、外国人留学生を受け入れるには、いきなり正課の講義に放り込むようなことはせず、まず一定期間の語学や日常生活習慣、礼儀作法などの訓練を行った後に、本人の希望を聞きながら、受講科目を相談するのが標準的なやり方だろうと思います。たぶん、これは洋の東西、時代を問わず、必要な段階なのだろうと思われます。

では、ウィリアムソン博士とエマ夫人が住む自宅はどこにあったのか。犬塚孝明氏の著書(*1)では、プロヴォスト街(Provost Road)の「ごく小さな家」とあり、そこはアデレード街(Adelade Road)の北側に位置し、プリムローズ・ヒル(Primrose Hill)の駅にも近く、ハムステッド(Hamstead)と呼ばれる地域で、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンまでは約3キロほどの道のり(p.87)と紹介されています。

そこで、Google の「地図」で「London Provost Rd.」で検索してみると、

<iframe src="https://maps.google.co.jp/maps?q=London+Provost+Rd.&ie=UTF8&hl=ja&hq=&hnear=Provost+Rd,+London,+%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9&ll=51.544547,-0.157372&spn=0.010209,0.013905&t=m&z=14&brcurrent=3,0x0:0x0,0&output=embed" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="425" height="350"></iframe>大きな地図で見る

現在のプロヴォスト街の地図が表示されます。さらに、縮尺を変更してズームインしてみると、これらの位置関係が確かめられますし、Provost Rd. のストリートビューを見ると、洒落た住宅街ではあるけれど、大邸宅が並ぶ街ではないことがよくわかります。昔と今と、街の様子が同じとは限りませんが、少なくとも周囲を圧する大邸宅があった街ではなさそうです。

ウィリアムソン博士自身は、おそらくは中産階級、それも召使いを何人も抱えているような恵まれた中産階級ではなく、当時の化学の社会的位置づけからみても、せいぜい召使いを一人雇える程度の経済的背景だったではないかと思われます。そこに、サムライ留学生の支払う学費や下宿料が、研究費や化学会会長としての交際費などに役立ったのではないか。

東洋のサムライ青年たちを下宿させることについては、ヴィクトリア時代の慣習で夫の意志が強く働いたとはいえ、夫人の了解も必要だったことでしょう。幸いなことに、教授自身がギーセン大学のリービッヒの研究室で、多国籍な学生たちと生活した経験があり、オーギュスト・コントの下で学び、人種や国籍や宗教、習慣などの偏見から自由であったこと、いわばコスモポリタン的な意識が濃厚であったことが大きいでしょう。また、エマ夫人も、教授の身体的なハンディキャップ(*3)を承知で結婚しているわけで、夫の見識に理解と共感を示していた、進歩的な女性だったのではないかと想像しています。あるいは、過去にヨーロッパの他国の学生を受け入れたこともあったのかもしれません。

(*1):犬塚孝明『密航留学生たちの明治維新~井上馨と幕末藩士』
(*2):王立協会のことか。
(*3):ウィリアムソン教授のこと~「電網郊外散歩道」2014年6月

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週末農業メモ~スモモの収穫期について

2014年07月23日 06時05分01秒 | 週末農業・定年農業
二日間とも夕方からは演奏会三昧となりましたが、日中は週末農業に従事しました。昨年は、スモモの収穫時期を見誤り、野鳥にやられてしまいましたが、今年は早めに収穫しましたので、なんとか大丈夫でした。参考までに、スモモの収穫時期をまとめておきましょう。

大石早生…………6月末~7月初旬。
サニーハート……7月上旬。今年は7月14日でも遅かった。
フームサ…………7月中旬~下旬。

いずれも、スモモの実の先端がほんのり色づいた頃が収穫適期で、収穫して数日おくと、熟して食べ頃になってきます。次の写真は、収穫適期を過ぎて、もうすっかり食べ頃になってしまっていますが、完熟サニーハート。味は酸味が弱く、ジューシーで甘い系統です。



次はフームサ。古典的なスモモで、酸っぱい系ですが、熟したものはなかなか美味しいものです。昨日、職場に持参したところ、たいへん喜ばれました。





傷んだものや完熟果実は、柔らかすぎて輸送には不向きですので、皮をむいてスモモのヨーグルトにして食べています。

それと、気の早い野鳥がつついたものや虫食いの実は、収穫作業中に脚立の下に落としますが、それを放置するといろいろと支障がありますので、写真のように穴を掘って埋めてしまいます。



後始末が終わった果樹園は、元の静かな姿に戻ります。



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山形弦楽四重奏段第52回定期演奏会でハイドン、紺野陽吉、メンデルスゾーンを聴く

2014年07月22日 06時07分53秒 | -室内楽
連休の月曜祝日、朝から老母の畑を耕運機で耕し、さらに少し離れた果樹園の草刈りをして、週末農業の予定を終えました。その後、夕方から山形市の文翔館議場ホールに出かけ、山形弦楽四重奏団の第52回定期演奏会を聴きました。
プレコンサートは途中からの入場になってしまいましたが、フルートの小松崎恭子さんとヴィオラの田中知子さんによる二重奏でした。

倉田さんのプレトークでは、弦楽四重奏曲という曲種が作曲家の本音を表す面があること、紺野陽吉作品についてはステージ転換の時に話すこととして、ハイドンの作品33の位置づけは、バロック時代のスタイルから古典派のスタイルを確立したものであること、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は、R.シューマンが三大古典派の作品の後に重要な曲として、メンデルスゾーンとオンスロウを評価していることなどを話します。倉田さんの五十肩は、温泉効果もあり、少しずつ改善傾向にあるそうで、良かった良かった(^o^)/
本日の曲目は、

(1) F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.33-6
(2) 紺野陽吉 弦楽二重奏曲
(3) F.メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 Op.44-1

となっています。

さて、第1曲目です。4人のメンバーが登場しますが、あれれ、いつもと配置が違います。ステージ左から、ダークグレーのシャツを腕まくりし、ネクタイをきっちり締めた、1st-Vnの中島光之さん。その右に、いつもの2nd-Vnの今井さんではなくて、チェロの茂木明人さんが座ります。その右側が、いつものように黒のシャツで決めたヴィオラの倉田譲さんで、一番右端に、2nd-Vnの今井東子さんが座ります。ふーむ、オーケストラの対向配置と同じで、二つのヴァイオリンが左右でかけ合いをする効果を狙ったものでしょうか。
第1楽章:ヴィヴァーチェ・アッサイ。ああ、なるほど。1st-Vnと2nd-Vnが、左右でかけ合いをする効果がありますね。第2楽章:アンダンテ。短調の美しさで始まりますが、途中で曲調が変わり、再び短調に戻ります。1st-Vnの役割が大きいですが、チェロの低音を響かせるところもあり、けっこうロマンティックな要素も持っている音楽です。第3楽章:スケルツォ、アレグレット。後のベートーヴェンの曲のような諧謔性はありませんが、独特の軽みを持つ音楽です。第4楽章:フィナーレ、アレグレット。ふつうフィナーレといえば、全速前進というか、快速でスカッと終わるようなものを想像しますが、この曲の場合は優雅なアレグレットで、対話をするようなフィナーレです。

続いて紺野陽吉作品について、倉田さんが解説をします。
紺野陽吉の家は医者であったらしく、若い頃には、蚕室(*1)でヴァイオリンの練習をしていたそうです。作曲はどうやら独学で、譜面を見ると、戦地に行くことになって急いで書いたために、試奏したり推敲したりする余裕がなかったと考えられるとのことです。ただし、作品は充分に魅力があり、今回で三回目になる今井さんと茂木さんの演奏はかなり練れてきているので、ご期待ください、とのことでした。

拍手の中を、ヴァイオリンの今井東子さんとチェロの茂木明人さんが登場、右側の茂木さんは座奏ですが、左側の今井さんは立奏となります。
第1楽章:モデラート。力のこもった演奏に、思わず聴き惚れました。戦中期といえど、近現代の響きです。第2楽章:アンダンテ・カンタービレ。チェロがやや民謡風な旋律を奏でるとき、ヴァイオリンは高音部で合いの手を入れます。転じてヴァイオリンが民謡風の旋律を引き継ぐとき、チェロはピツィカートという具合で、全体に魅力的な緩徐楽章です。第3楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ。ストレートに訴えかけてくる力のある音楽です。演奏家にも、伝えようとする気迫が感じられます。音量もそうですが、二人がひとまわり大きく見えました。良かった~!

ここで、15分の休憩です。例によって、当方の記事も一休み。続きはまた後ほど。



後半のプログラム、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第3番、Op.44-1です。
楽器配置が山形Qの通常配置に戻り、今度は左から第1、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラとなります。
第1楽章:若鳥が飛び立つような曲の始まり。音楽の開始にふさわしいと感じます。主題は様々に変奏されて繰り返されますが、フーガのようなところもあるのはメンデルスゾーンらしいところです。いい曲だ~。
第2楽章:メヌエット、ウン・ポコ・アレグレット。似た音域での響きを集めた始まりです。やがて1st-Vnが広い音域を動き回るようになり、こんどは各パートがそれぞれに話し出します。そしてそれが一つにまとまっていく過程が、おもしろい。
第3楽章:アンダンテ・エスプレッシーヴォ・コン・モト。短調で、エスプレッシーヴォ(表情豊かに)と指示された旋律だけあって、さすがに美しい。もしかして、山形Qはこういう旋律が得意?と思わせる音楽・演奏です。
第4楽章:プレスト・コン・ブリオ。メンデルスゾーンらしい快速な音楽。アンサンブルも見事に決まります。フィナーレで冒頭の主題が再び登場し、合奏の中で曲として解決を見るようなものでしょうか。

聴衆の拍手に応えて、アンコールです。「ちょっと難しい曲を」と前置きしながら、R.シューマンの弦楽四重奏曲第2番第3番の第2楽章。好きなんですよ~、こういうの(^o^)/ なんだか得したような気分です(^o^)/

次の第53回定期演奏会は、10月1日(水)、19:00~、文翔館議場ホールにて。曲目は、モーツァルトのハイドン・セットの後半、第17番~第19番の三曲です。さっそく前売券を購入してきました。

(*1):昭和初期、貧しい農家の場合は人と蚕が同じ住宅の中で一緒に生活していましたが、経済的に豊かな農家の場合は、蚕を飼う専用の建物である蚕室を建てていました。この方が、人に取って衛生的であることと、人が持ち込んでしまう様々な蚕の病気を予防するために役立つだけでなく、蚕が桑の葉を食べる音で眠れないというような不便もなかったのだそうです。紺野家が、かなり豊かな生活をしていたことが想像できます。

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山形交響楽団第238回定期演奏会でリスト、バルトーク、ストラヴィンスキー等を聴く

2014年07月21日 06時02分33秒 | -オーケストラ
雨模様の予報にも関わらず、午前中はまずまずのお天気でしたので、スモモの「フームサ」の収穫をしました。野鳥に狙われる前に、急いで収穫しましたが、けっこう色づいて、数日おけばちょうど良いくらいになっていました。ついでに、酸味は少なく甘い系統の「サニーハート」のもぎ残しを収穫。こちらは完熟に近く、しぼって氷を入れてジュースにできるほどです。今年も両方をご近所にあちこちおすそ分けをして喜ばれました。

午後からは、山響7月定期、正式に言えば山形交響楽団第238回定期演奏会に出かけました。今回のテーマは「近代への梯(かけはし)」というもので、いささかひねったプログラムになっています。

【曲目】
ワーグナー/ジークフリート牧歌 WWV103
リスト/ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124
バルトーク/ルーマニア民族舞曲
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「カルタ遊び」
 指揮:ミハウ・ドヴォジンスキ、ピアノ:後藤正孝
 山形交響楽団

指揮のミハウ・ドヴォジンスキさんは、2009年の「ルトスワフスキ、エルガーのエニグマ変奏曲、シベリウスの交響曲第2番」という3曲のプログラムを聴いたのが最初で、昨年の12月には「ドヴォルザークの交響的変奏曲、マルティヌーのチェロ協奏曲第1番(Vc:遠藤真理)、ショスタコーヴィチの交響曲第9番」というプログラムで聴いていますので、今回で三度目ということになります。いずれの回も、比較的知名度の高い曲を中心にしながら、おや?と思わせる曲を加えたプログラムになっており、なかなか聴き応えのある演奏会になると期待できます。

そのドヴォジンスキさんのプレコンサート・トークは通訳つきで、本日の曲目の簡単な説明をしてくれました。
1曲目:「ジークフリート牧歌」は、オリジナルは小編成なのだけれど、今回はオーケストラのフル編成で演奏すること、2曲目のリスト「ピアノ協奏曲第1番」は、ピアノ・パートがリスト自身の演奏を想定しているため、そうとう難しい(challengeable)のだけれど、本日のソリストの後藤さんは素晴らしいピアニストなので、お楽しみに。休憩の後の3曲目:バルトークの「ルーマニア民族舞曲」は、もともとピアノのために書かれた曲を、弦楽合奏用に編曲したもの。最後のストラヴィンスキーの曲は、彼の他の曲ほど知られていませんが、新古典主義的な佳曲です。大きく3つの部分に分かれますが、3部とも始まりが全奏なのでわかりやすいです。カルタと言ってもトランプのことで、メインの登場人物はジョーカーだとのことでした。

さて、楽員の皆さんがステージに登場します。昨年と同様に、夏らしく上着なしのスタイルです。コンサートマスターは、犬伏亜里さん。ワーグナー「ジークフリート牧歌」の楽器編成と配置は、ステージ左から第1ヴァイオリン(8)、第2ヴァイオリン(7)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、コントラバス(3)の弦楽セクションの後方に、フルート(1)、オーボエ(1)、その奥にクラリネット(2)、ファゴット(1)、最奥部にホルン(2)、トランペット(1)となっています。
きわめて静かな、優しい響き。うーん、こんな音楽を階段の下で演奏してもらった悪漢ワーグナーの奥さんは、思わず下心を疑った…いやいや、喜んだことでせう(^o^)/

続いてリストのピアノ協奏曲第1番。楽器編成は、8-7-5-5-3の弦楽セクションに、Pic(1), Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Tb(2), BassTb(1), Perc, Timp となります。
オーケストラの短い導入に続く後藤正孝さんのピアノ、それに応える川上さんのクラリネットや1stVnの第1プルトなど、実に息があって素晴らしい音で、思わず引き込まれます。続く全奏の迫力!ティンパニもバス・トロンボーンも、全体としてグッドバランスの中でけっこう目立って、役得ですね~(^o^)/
第2楽章のピアノソロ、オーケストラがじっと耳を傾けます。音域をいっぱいに取りながら、しかもロマンティックに。リストの曲らしく、劇的に変化して行きます。CDを聴いているときは、映画「のだめカンタービレ」の解説の声を連想しそうになる場面ですが、このときはさすがにそういう連想は出ませんでした(^o^;)>poripori
第3楽章、トライアングルの出番が面白いです。そして第4楽章、よくまあ指が回ること!と驚き呆れてしまうようなソリストの縦横無尽の活躍、そしてオーケストラの熱演にシンバルが派手に響きを添えて、ヴィルトゥオーゾ型協奏曲を聴く面白さを充分に堪能しました。

鳴り止まぬ聴衆の拍手に応えて、アンコールは、ショパンのエチュード「別れの曲」。この曲は、テレビドラマのバックなどに安直に用いられることが多く、甘ったるい演奏はあまり好きではないのですが、後藤さんのテンポはやや速めで、感傷に溺れない、よくコントロールされた演奏です。しばらくぶりにこの曲を「いい曲だな~」と思いました。

ここで、15分の休憩です。



バルトークの「ルーマニア民族舞曲」は、弦楽合奏で。8-7-5-5-3 の弦楽セクションがステージ上に並びます。第1曲「棒踊り」から第6曲「速い踊り」まで、コンサートマスターの犬伏さんの独奏をまじえながら。ハハア、このプログラム中で、弦楽セクションの優秀性を見せたかったんだな、と思わず勘ぐってしまうほど、見事な演奏でした。

最後は、ストラヴィンスキーの「カルタ遊び」。あれ、チェロが一本増えているのかな? バルトークでは気づきませんでした。8-7-5-6-3 という弦楽セクションに加え、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Tb(2),BassTb(1),Tuba(1),Timpという楽器編成です。Flのうち1人はピッコロ持ち替え、Obも1人がイングリッシュホルン持ち替えになります。
この曲は、生演奏はもちろん、CDでも初めてです。Fgが活躍し、管楽器が複雑な動きをします。ディズニー映画「不思議の国のアリス」のトランプの兵士たちの大騒ぎみたいなものでしょうか。ジャズ風なテイストのところもあり、斎藤真美さんのイングリッシュホルンが、魅力的な音を響かせます。全体としては、知的な遊びというか、なかなか忙しそうな曲であるなあ。チューバの巨大なミュートを、初めて見ました。一瞬しか使わなかったけれど(^o^)/
こういうのは、CDではわかりません。曲全体として、室内アンサンブルのテイストが濃厚で、一般受けするようなタイプの曲ではないのかもしれませんが、珍しいプログラムを飾る曲目を、おもしろく聴きました。

そうそう、山響の新しいCDが発売されていましたので、購入して来ました。今年のニューイヤーコンサート「オペラ序曲・間奏曲集」です。楽しみに聴きましょう。



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おとなしく寝ていたおかげで

2014年07月20日 06時05分01秒 | 健康
ここ数日、早めに帰宅し、おとなしく寝ていたおかげで、ようやく鼻水も止まり、熱っぽい倦怠感もうすらいできました。いちばんコワい咳も、喘息治療で続けている吸入ステロイドの効果か、まずはおさまっています。これならば、なんとか演奏会にも行けそうです。

本日の演奏会は、山形交響楽団第238回定期演奏会です。16時開演、山形テルサホールにて。

【曲目】
ワーグナー/ジークフリート牧歌 WWV103
リスト/ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124
バルトーク/ルーマニア民族舞曲
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「カルタ遊び」
 指揮:ミハウ・ドヴォジンスキ、ピアノ:後藤正孝

そして、明日の月曜祝日は、山形弦楽四重奏団の第52回定期演奏会。18時30分~(開場17時45分)、文翔館議場ホール。

 プレコンサート
  アンサンブルAOBA:小松崎恭子(Fl)& 田中知子(Va)18時~
【曲目】
・F.メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 Op.44-1
・紺野陽吉 弦楽二重奏曲
・F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.33-6

のど飴を持参して、出かけましょう。



ところで、今の時期に夏風邪をひいた理由は、たぶん就寝時に暑かったので窓を開けて寝たためでしょう。明け方の涼しさにワタクシの寝相の相乗効果で、足の方から風邪をひいたためと思われます(^o^;)>poripori

天候不順な今の時期に、窓や戸の開閉で温度調節するには、センチメートル単位のすき間程度に調整する心がけが必要なようです。
もう若くはないのだから、ビールを飲んで窓を開けっ放しで寝てしまう(*1)ような無頓着ではイケマセン(^o^;)>poripori

(*1):油断大敵ですね(^o^)/

写真は、スモモのヨーグルト。白いヨーグルトの中から少しだけ黄色いのがのぞいているのが、「フームサ」で、赤いのが「サニーハート」。「大石早生」で作ったスモモのジャムをかけています。当地では、梅雨後期の甘酸っぱい味です。

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じっくり読んでいる本と聴いている音楽

2014年07月19日 06時01分18秒 | Weblog
雨模様が続く東北地方、合間を見てスモモの「フームサ」の収穫もしたいのですが、なかなか手が付けられません。そのうちまたムクドリの大群がやってきて、収穫前に全滅するのではないかと気が気じゃないのですが、では雨の中で脚立に上がる元気があるかというと、風邪気味を理由についさぼってしまいます。このあたりが、週末農業の軟弱なところです(^o^;)>poripori

さて、現在じっくり読んでいるのが、ひの・まどか著『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』です。今年の3月に新潮社から出た新刊で、たしか新聞の書評欄に紹介されていたのではなかったか。偶然に図書館の新刊紹介コーナーに出ていたので、真っ先にお借りしました。少しずつ読み進めていますが、なかなか読み応えがあり、興味深い本です。

これに触発されて、車にショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」のCDを持ち込み、通勤の途中で繰り返し聴いています。ダイナミック・レンジの大きな曲ですので、静かなところはロードノイズに消されてしまい、音量を上げないとなかなか大変なのですが、「ショスタコーヴィチのボレロ」(^o^;)以外のところを、じっくり聴いています。

本日も出勤予定。いささか風邪気味なので、山響定期は日曜のマチネにて。翌日の月曜祝日には、山形弦楽四重奏団の定期演奏会です。とにかく早く帰って早く寝て、早く風邪を直さねば。

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取り替えて楽しむ

2014年07月18日 06時02分35秒 | 手帳文具書斎
私たちは、季節の花をいけて楽しみ、時が過ぎると取り替えます。衣服やカバン等も、季節によって取り替えます。農作業かお出かけか、あるいはお天気によって、靴と長靴とを取り替えます。日本茶かコーヒーかなど、飲むものの種類によって、カップを取り替えます。

筆記具などの文具も同じことで、用途や紙の種類等により取り替えるほか、飽きたり気分で取り替えたりします。筆記具など文具を取り替えて楽しむのは、どうやらお花や靴やカップなどと同じことのようです。



昔は、持っている万年筆といえば一本だけで、それはそれは大事に、かけがえのない道具として使っており、何か特別な存在だったように思います。ですが、気分に応じて取り替えて楽しむようになったということは、すっかり日用品になった、ということなのかもしれません。ちょっと残念な気もします。

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藤村三郎『なぜ162人全員が助かったか』を読む

2014年07月17日 06時03分41秒 | -ノンフィクション
社会評論社の単行本で、藤村三郎著『なぜ162人全員が助かったか』を読みました。東日本大震災で大津波に遭遇した女川町の若い中国人実習生162人が、なぜ1人の犠牲者を出すこともなく無事だったのかを探ったもので、日中友好協会宮城県連泉支部が編集したものです。

本書は、日本語版のページが縦書き右開きで約90ページ、それと同じ内容が、中国語で横書き左開きで約70ページという体裁の小冊子です。

内容は、まず女川町の実習生制度導入の経緯を説明するところから始まり、一時的な都合で導入したのではなくて、官民挙げて「中国人研修生は将来にわたって町と長くお付き合いをする人材として尊重する」という精神を基礎にしていたことが述べられます。そして、震災当時は港近くの19社に分かれて作業していたそうですので、中国人研修生のことを忘れる企業があれば、犠牲者が出てもおかしくない状況だったと考えられます。

しかし実際は、それぞれの企業で手だてを尽くして彼女たち中国人研修生全員を避難させることができ、帰国することができました。中には、専務が全員の避難を確認するために工場に戻り、津波に飲まれた会社もありました。

震災の後に、再来日した29人の研修生が、退職後に日本語を指導していた元校長のすすめで書いた作文がもとになり、この本の主な部分が出来上がっています。上手な文章ではないけれど、真率な訴える力のある内容です。「地震無情人有情」、まことにその通りと感じました。



うーむ、田舎では、心ある人間が他の人に接するときは、きちんと来客のつもりで応対することが通例となっている、と思っています。女川町の水産加工会社の人たちは、若い中国人実習生に対して、まさに自分たちの慣習に従って、ていねいに接したのですね。それは、災害の中で助け合う姿や、忍耐強く順番を待つ姿にも通じるものだろうと思います。だいぶ前に観たドキュメンタリー「小さな留学生」も良かった。あの頃と比較すると、日中関係は冷え込み、中国にも実に多様な人がいて多様な考えがあることとは承知しましたが、大きな震災の悲劇を越えて日中の庶民交流の中にこの本が加えられたのは、不幸中の幸いでした。

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