電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

パソコンの音質について

2005年02月28日 22時34分57秒 | コンピュータ
自宅で常用しているパソコンは、1台が省スペース型デスクトップ機(富士通FMV6450-CL3)で、もう1台がミニタワー型(SOTEC S2120)である。これを、AtenのCPU切替器で、キーボードとディスプレイとスピーカを切替えて使っている。どちらもCD-ROMドライブを装備しているので、音楽CDを聞くことができるが、実はこの音質に著しい差がある。省スペース型デスクトップ機のほうは、マウスを動かすたびにブーンというノイズが入り、しかも定期的にブツ・ブツというノイズもはいる。したがって、クラシック音楽を楽しむには不向きだ。もう一台のミニタワー型の方は、こういうノイズは少ない。イヤホンで聞けばノイズはわかるが、スピーカで通常音量で聞く限り、それほどノイズがうるさくはない。サウンドボードの性能と言うか、品位に相当の違いがあるのだろう。
むろん、8cm程度のラジオ用スピーカが入っているパソコン用スピーカの再生能力と品位の限界はあるし、きっちりと聞こうと思うときは部屋にあるオーディオ装置で聞くけれど、よく馴染んだ演奏を、BGM のように聞き流すにはそれほど不満を感じない。イヤホンで聞くと、あまりのノイズの多さに、音楽を楽しむどころではなくなってしまうが。
写真は、Universal Studio Japan にて。ストリートで演奏するグループのPA用アンプやミキサーほか。

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リヒテルのラフマニノフ「音の絵」

2005年02月27日 10時32分09秒 | -独奏曲
エレーヌ・グリモーによるラフマニノフ「音の絵」がきっかけで、リヒテルの演奏があったはずだと思いだし、探してみた。昔のLPだったかな、とLP棚を探したが、シューマン「交響的練習曲」や「色とりどりの小品」などはあったが、ラフマニノフは見付からない。はて、それではCDだったかと探してみたら、あった。
チャイコフスキーの「四季」から四曲と、ラフマニノフの「音の絵」作品33から3曲に作品39から6曲を選んで録音されたもの(ビクター VDC-508)だ。曲の順序も変更され、作品33ではNo.9の後にNo.5とNo.6、続いて作品39ではNo.1,2,3,4の順に続いた後で、No.9、No.7で終わる。
演奏は、一瞬音楽の流れが途切れるかと思わせるほどに振幅の大きなもので、スケールの大きさを感じさせる。演奏会では、聴衆に圧倒的な印象を与えることだろうと思う。ただ、こういう激しい演奏を、自宅で毎日のように聞こうという気になるかどうか、これはまた別問題。
リヒテルのCDは1983年にミュンヘンで録音されたもので、エレーヌ・グリモーのCDは翌々年に録音されたものだ。巨匠の後に、若い才能がすでにしっかりと登場していたことになる。時の流れをあらためて感じさせられた。

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エレーヌ・グリモー(Pf)のラフマニノフ「音の絵」ほか

2005年02月26日 21時19分26秒 | -独奏曲
エレーヌ・グリモー(Pf)のラフマニノフ「ピアノソナタ第2番」と「練習曲集《音の絵》」(DENON,COCO-70754)を聞いている。後に手直しはされているようだが、ピアノソナタは1912-3年の作曲、《音の絵》作品33は1911年、作品39のほうは1916-7年の作曲だという。
1910年にマーラーの「千人の交響曲」が初演され、1912年にはタイタニック号が沈没、1913年にはストラヴィンスキーの「春の祭典」が初演、1911年にはプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番が完成し、翌12年に初演されている。そんな時代背景を考えると、ラフマニノフの音楽はずいぶんロマンティックに聞こえる。少なくとも、当時のモダニズムとは遠い位置にあったことだろう。
このCDは、1985年の7月にオランダのライデンで録音されたもので、エレーヌ・グリモーがパリ音楽院を卒業する15歳の年の録音であるという。少女の内面にある音楽的な感情が表出されている、優れた演奏だと思う。

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コンピュータの本を「勉強」する楽しみ

2005年02月26日 09時45分00秒 | コンピュータ
専門の本をいくら読んでも、実際に試せず、すぐには役立たないことが多い。たとえば自然科学の本をいくら勉強しても、実際に自宅で実験できるとは限らないし、経済政策の本を読んでも自分で立案した経済政策を実地に試せるわけでもない。ところがコンピュータの本は、実際に自分で試すことが可能だ。そこに、パーソナル・コンピュータの最大の恩恵があるといえる。特に、awkなどの小規模な言語は、たった一行で目的とするテキストデータ処理が行える場合も多く、覚えれば覚えた分だけ、実際に役に立つ。
ずいぶん以前になるが、トッパンから出た『プログラミング言語AWK』という本を熱心に読んだことがある。一時、人から「愛読書は何ですか」と聞かれると、「実は『プログラミング言語AWK』です」と答えていたほどだ。写真のように、インデックスや付箋を付け、かなりの量の書き込みをしている。当時は MS-DOS 上で使えていたにすぎないが、それでも充分に実用になった。そのときから、コンピュータの本を「勉強」するときは、インデックスや付箋を多用するようになった。専門書を「愛読」するとは妙なものだが、ある程度ものにするには、私の場合そのくらい努力しないとだめなようだ。「これはあの本のあのページに書いてある」ということさえわかれば、別に忘れても差し支えない。
ただ、独学の欠点もある。個々の記述の背景にある思想というか、大きなビジョンを把握しそこねることがある。若い頃、関東地方に住んでいたとき、Uターンするために中学数学の教員免許状を取ろうと考え、某大学のII部の聴講生になって1年間通ったことがある。残念ながら数学教師にはならなかったが、大学の自由な雰囲気の中で聴講生になるというのもいいものだと思った。退職したら、地元の大学の聴講生になって、情報科学の基礎的なところを勉強してみたいものだと願っている。

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『カッコウはコンピュータに卵を産む』

2005年02月25日 20時41分04秒 | -ノンフィクション
クリフォード・ストール著『カッコウはコンピュータに卵を産む』(上・下、草思社)は、1991年の12月に初めて読んだ。たぶん、今ではブックオフあたりに行くと、それこそ100円で買えるんじゃないかと思う。WEBサイト「物語案内」(*)では、こんなふうに紹介している。
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研究所の大型コンピュータの使用料金が75セントだけ食い違いがある。とるにたりない金額だが、調べてみることにした。誰かが無断で研究所のネットワークを利用している。しかも、ここを足場に軍のコンピュータシステムに侵入している!犯人は誰か。どこから入り込んでいるのか。そして目的は何か。少し難しいけど、コンピュータ好きで推理好きな人なら夢中になるだろう。実際にあった国際スパイ事件のてんまつを描く、いきいきとした記録。
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実際、MS-DOS の全盛時代に、コンピュータ・ネットワークや Unix に漠然とした憧れをいだいたのはこの本を読んだことが原因だろう。今では Linux で自由に Unix 系の環境をいじれるけれど、Unixワークステーションといえば、昔はそれこそ目の玉が飛び出るようなお金がかかったものだ。それを思うと、本当にいい時代になったと思う。

(*): 「物語案内」のトップページへ
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物語---繰り返し読む楽しみ

2005年02月24日 20時21分04秒 | 読書
物語を読む楽しみの中に、「何度も繰り返し読む楽しみ」がある。特に、年月を経て再び読み返すとき、以前とは違ったものに気づくことがある。ストーリーを追ってわくわくしながら読んでいた頃には見えなかった、時代の背景や主人公以外の登場人物の魅力と役割などが見えてくることが多い。

学生時代から記録している読みおえた書籍のリストを見ると、好きで何度も繰り返し読んでいる本が浮かびあがってくる。私の場合、それはデュマの『モンテクリスト伯』やデフォーの『ロビンソン・クルーソー』、クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む』、藤沢周平の『蝉しぐれ』や『用心棒日月抄』、吉村昭の『白い航跡』や『アメリカ彦藏』などだ。

初めて読むときのワクワク、再読するときの胸キュン、またまた読み返した後の充実感。年月を経て読み返すときの発見。ずっと昔に買った古い本を、何度も引っ越すたびに持ち歩き、読み終えるたびに奥付けのページに読み終えた場所と日付を書き入れる。ふとその本を手にして読了した日付を見ると、その頃のことを鮮かに思い出すこともある。物語には、そんな楽しみもある。
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雪の庭に来た野鳥の写真

2005年02月23日 21時38分08秒 | 散歩外出ドライブ
雪の晴れ間に、庭に来た野鳥を撮影した写真があった。いつ撮影したものか忘れてしまったが、雪景色から冬であることは間違いない。野鳥にも厳しい季節だ。エサがなくなれば餓死するしかない。いくら羽毛とはいえ、外の寒さは厳しかろう。そんなことを思いながらシャッターを押したのではないか。たぶん、間抜けな人間様を笑いながら飛び立ったことだろう。もしかしたら、恋の旅路だったのかもしれない。それとも、我が家のネコが狙っていることを察知したのか。

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ベートーヴェンの「第1番」

2005年02月22日 20時10分06秒 | クラシック音楽
中期以後のベートーヴェンの充実した作品群は見事なものだが、若い時代の作品も、伸びやかで新鮮な魅力を持った曲が多い。その中でも、各ジャンルの「第1番」にはなぜか溌刺とした躍動感のある作品が多いのではないか。たとえば
・ピアノソナタ第1番
・ピアノ協奏曲第1番
・交響曲第1番
・弦楽四重奏曲第1番
などだ。
しかも、ピアノ協奏曲は第2番のほうが先にできていたようだし、昔のレコードのA面・B面のように、作曲順ではなく自信作の方を第1番にしているふしがある。そのほかのジャンルについてはどうなのだろう。たとえばヴァイオリン・ソナタとかチェロ・ソナタなどでも同じことが言えるのだろうか。

私がふだん聞いているのは、アシュケナージ(Pf)が弾いたピアノソナタ(作品2の第1番~第3番)、ブレンデル(Pf)/ハイティンク指揮ロンドンフィルによるピアノ協奏曲第1番、およびレオン・フライシャー(Pf)/ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるピアノ協奏曲第1番(全集より)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による交響曲第1番(全集より)、スメタナ四重奏団による弦楽四重奏曲第1番(全集より)、といったところだが、いずれの演奏も若き日のベートーヴェンの魅力は十分に発揮されていると思う。

このところ、山響の定期演奏会の関連で、通勤の車中ロドリーゴをずっと聞いていたので、ベートーヴェンの初期のピアノソナタが聞きたくなり、往復の時間にアシュケナージの演奏を聞いている。フライシャーとセル/クリーヴランド管によるピアノ協奏曲も実に立派な演奏だ。若い時代のベートーヴェンはいいなぁ、とつくづく思う。
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「芸は人なり」を噺家はどう理解したか

2005年02月21日 19時43分04秒 | Weblog
何で読んだか忘れてしまったが、先頃興味深いエッセイを読んだ。書かれたのは、たしか落語家の林家こぶ平さんだったと思う。ある時、先輩にこんな質問をした。「芸は人なり、というけれど、やっぱり良い人じゃなきゃ良い芸はできないんですよね。」
すると、その先輩は、「そんなことはない。」と即座に答えたそうな。「噺家が自分の話を一番最初に聞くのは自分だ。だから、自分の噺で自分の心を揺り動かすことができなけりゃ、お客さんの心を動かすことなんかできない。自分の言葉を自分でいかに納得できるか、そこが大事だ。」と、おおむねそういう趣旨の内容だったように思う。
良い人が良い芸を身に付けるんじゃなくて、芸はどれだけ自分で納得できているか、その人の在り方を写すんだ、ということか。噺家の厳しい世界をかいま見るようなエピソードだろう。
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村治佳織さんのこと

2005年02月20日 09時37分18秒 | クラシック音楽
昨日、山形交響楽団の定期演奏会でロドリーゴのアランフェス協奏曲を堪能したので、今朝は以前ビデオに収録していたN響との「ある貴紳のための幻想曲」を聞いた。2002年の9月に放映されたN響アワーを8mmビデオに録画したもので、東京オペラシティホールが会場だそうだ。N響のアシスタントコンダクターの斎藤一郎さんが指揮する、若者向けの私服の演奏会だ。村治佳織さんも、わりにカジュアルな服装で演奏している。
この番組の中で、彼女のインタビューがあった。下町に住み、下町が好きで、日常は地味な生活だという。ご本人の言葉では「友達とお茶したり」、おおぜいの人達を観察して、世代によって姿勢や歩きかたが違うことを発見したり、そんなたわいのないことで喜んでいるという。そんなことを話す表情から見て、おちゃめなところもありそうな女性だ。小さい頃から音楽をしてきて、ギタリストとしてというより、好きな音楽を自然に職業にすることができて幸せだと話す。コマーシャルなどでたいそう人気のある人だが、実像はまた異なるように感じた。
昨日の山響の演奏会では、会場の山形テルサホールが、音響の豊かな、あまり大きくないホールなので、マイクロホンなしで六弦のギターだけで演奏していたが、東京オペラシティホールでは胸の位置に下向きに単一指向性のマイクロホンを立てている。また、山響でも、メンデルスゾーンの「イタリア」のときよりずっと少ない人数で演奏していたが、N響の編成もぐっと少なくしており、ギターとの音量のバランスを考慮しているのだろうと思われる。
ギタリストの中には、大きなホールで大オーケストラと協演するには音量が不足するとして、十弦や十二弦のギターを使う人もいるわけだが、普通の六弦のギターで音楽の表現を追求している若いお嬢さんの心意気を感じる。応援したい人の一人だ。
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山形交響楽団第162回定期演奏会

2005年02月19日 23時11分06秒 | -オーケストラ
週末の夜、山形テルサ・ホールで、山形交響楽団の第162回定期演奏会を聞いた。曲目は、
(1)レスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア」第3組曲
(2)ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」村治佳織(Guit.)
(3)メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
山響は、1980年代の苦闘の時期にも素晴らしい弦楽セクションを持っていたが、黒岩英臣さんの指揮で、現在のもてる実力を遺憾なく発揮した。
指揮者のプレトークのあと、緊張感のあるレスピーギで幕をあけ、リズム感抜群の村治佳織さんのギター独奏でロドリーゴのアランフェス協奏曲。赤とピンクのスペイン風のドレスが鮮やかで、素晴らしいギター演奏を堪能した。と同時に、この有名な協奏曲が、ギターとオーケストラとの音量のバランスについて、実によく考えられた曲だということ、激しくかき鳴らされればされるほど、オーケストラが活躍する合間をぬってギタリストは調弦に余念がないこと、やわらかいギターの音色はサウンドホール付近で弾き、とがった音色はサウンドホールから離れたところを弾くなど多彩な表現を駆使していることなど、実によくわかった。
ここまでは、どちらかといえば求心的な、緊張感のある曲目だったが、休憩後のメンデルスゾーンの演奏は、管楽器セクションも大活躍し、明るく情熱的で、躍動する幸福な音楽となっていて、本当に素晴らしかった。「イタリア」は大好きな曲だけに、もう大満足。
さらに、アンコールのチャイコフスキー「弦楽セレナード」から「悲歌」では、ホール内が完全に無音になる瞬間が何度もあり、曲が終わってしまうのが惜しまれるひとときだった。
帰路、みぞれの降る中で、ロドリーゴやメンデルスゾーンを口ずさみながら、車を走らせた。
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「面白い作品」と「好きな作家」

2005年02月19日 10時52分57秒 | 読書
週末の朝、子どもを駅まで送り、コーヒーを飲む。先日来文春文庫で再読している宮城谷昌光の『太公望』の下巻を一気に読んだ。作者は商の受王を、残虐ではあっても英明な君主であったと位置づけ、箕子の行政政策を実行し国を富ましたとするが、そうだろうか。私は人間は多くの失敗や困難を通じて学ぶものだと思っている。実効性のある政策は時代の流れの中で多くの経験と知恵が組織されてできあがるものだろう。健やかに育った天才的な君主が、無から独創的な政策を考え付くわけではない。業績を英明な君主に帰すのは、象徴的な意味合いにすぎないだろう。私は、受王はやっぱり残虐な性向を持った暴君だと思う。

今日の朝日新聞土曜版beでは、小説をテーマに取り上げている。興味深いのは、「最近読んで最も面白かった小説」の作者と「最も好きな小説家」が必ずしも一致していないことだ。「最近いいなぁと思った歌」と「一番好きな歌い手」が一致しないことと同じなのだろうが、「好きな小説家」というのは肌合が合うか合わないかが大切なのだろう。私の場合、最近読んで面白かった作品には気宇の大きな宮城谷作品のいくつかがあがるだろう。そして、好きな小説家といえば、吉村昭とか藤沢周平などの名前があがる。君主の目で見た大きな流れは確かに面白いが、大軍の激突の影で逃げまどう庶民の運命こそ自分達の姿だ、という描きかたの方にリアリティを感じるからかもしれない。
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宮城谷昌光『太公望』を読む

2005年02月17日 19時26分22秒 | -宮城谷昌光
『王家の風日』に続き、宮城谷昌光の『太公望』を読んでいる。『太公望』は二度目だ。眠る前に少しずつ読むので、文春文庫でようやく上巻が終わるところ。先日『王家の風日』で受王と其子の物語を読んでいるため、其子と望がなぜ出会うことになったか、よくわかる。描く角度は違うが、同じ時代、同じ登場人物が出てくる。ただし、『太公望』の方がわかりやすく物語として魅力的だ。
若い頃、世界の歴史を習った。そのとき、殷と呼ばれた中国の王朝の始まりを知ったが、商とはこの殷のことを指すのだという。
「殷」については、フリー百科事典"WikiPedia"(*)に詳しい。
商の末期、すさまじいばかりに暴虐の限りをつくした帝紂(受王)は、古代ローマの暴君ネロをもしのぐ存在だろう。結果として受王を支えた其子は、暴君ネロに対するペトロニウスのような存在なのだろうか。シェンキヴィッチの物語『クオ・ヴァディス』では、ネロとペトロニウスは緊張関係と一種のなれあいの混じった関係として描かれているけれど。
(*): フリー百科事典「WikiPedia」
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フロッピーディスクの処分(2)

2005年02月16日 19時57分05秒 | コンピュータ
机の引出しにたくさんたまったフロッピーディスクの処分がなかなか進まない理由は、もうひとつある。それは、1.2MB フォーマットのディスクの存在だ。しかも、FM-TOWNS を使っていたころの富士通フォーマットの FD が混じっている。現在のパソコンのドライブでは、なにかと不都合だ。結局、別室にある FM-TOWNS 経由で、ネットワーク共有で MO や CD-R に退避することになるだろう。思いきって捨てればよいのだが、生来の貧乏性(?)で、一度入力したデータを捨てることがなかなかできない。なまじ継続性のあるテキストデータに近いアシストワード文書だったりするから、よけい捨てられない。困ったものだ。やはり一度時間を取って、多少大がかりになっても、家庭内 LAN 経由でデータの退避作業を行い、フロッピーディスクの処分大作戦を敢行する必要がありそうだ。
そして、あいた引出しには何を入れるか。大量の MO と CD-R だったりして(^_^;)>poripori
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フロッピーディスクの処分

2005年02月15日 21時58分35秒 | コンピュータ
机の引出しを開くと、フロッピーディスクが整然と並んでいる。数にして150枚は越えているだろう。その時々に応じて、大切なデータを整理してきているが、どうしようもなくたまってしまったものだ。古くは1980年代の終り頃から記録している備忘録のテキストファイルや、TeX/LaTeXのソースファイル、表計算のデータや発表したプレゼンのファイルなどが中心だ。
最近、スペースを占有する古いモノを処分することを考えている。これらのフロッピーディスクの内容は、簡単にいえばわずか1枚のMOやCD-Rに収まってしまう程度のものだ。なかなかふみきれないのは、大量のフロッピーディスクの処分の問題。1枚1枚破断していけば一番よいが、量が多いとそれも億劫だ。結局思案しているうちに面倒になり、先送りになるという悪循環だ。
みなさんは、データの入ったフロッピーディスクをどんなふうに処分しているのだろう。
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