電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ダイアリー自作のアイデアと自己評価

2019年09月30日 06時01分47秒 | 手帳文具書斎

昨年までずっとシステム手帳のダイアリーを使ってきましたが、セカンドバッグに入れると重くて場所ふさぎで、もっとスリムに身軽になりたいと、今年から綴じ手帳に変更しました。基本的には良かったのですが、ついでに「こうしたらどうか」というようなアイデアが浮かびます。例えばお盆の頃に雑記帳に書いていたこんな例:



左ページの写真は、知人にもらった自作の写真付きカレンダーで、これを貼ったら、自作のダイアリーができるんじゃないかといろいろ考え始めたという次第。

■その1:プリンターで作成したダイアリーを綴じてカバーノートにはさむ。

一番現実的でしょうが、コピー用紙を使うことになり、耐久性に難がありそうです。

■カ・クリエ等のノートに三つ折り月間ダイアリーを貼り付ける。

試しに、MS-Outlook ライクなメールソフト Evolution の「カレンダー」をプリンターで印刷し、実際にやってみると、


こんな感じになります。コピー用紙の耐久性の問題はありますが、使えなくはない。ただし、後で追加記入するときに、下敷きでも使わないと書込みしにくいかも。

■薄手の無地シール用紙にダイアリーを印刷しノートに貼り付ける。

うーむ。正直、これだけ大きなシール用紙を、しわにならずに貼れる自信がないです(^o^;)>

■カレンダーの当月分を貼り付け、線を引いて予定を書き入れる。

実際にやってみると、


ご覧のように、書き入れるスペースが小型の綴じ手帳の見開き2ページ分があるかどうか、という程度です。これでは、A5判くらいの横幅がないと、老眼対応とは言えないでしょう。

■カレンダーの当月分を小さくコピーし、見開き一週間の頭に貼り付ける。

コクヨの「エッジタイトル」ノートの様式をそのまま利用し、見開き2ページで7日間、頭の1日分に月間カレンダーの縮小コピーを貼り付ける、というアイデアです。

こんな感じです。

ただし、実際にやってみると、いろいろ欠点も見えてきます。例えば、コピー用紙にプリンターで印刷してしまえば話は簡単なのですが、用紙の耐久性が今一つで、年間の使用に耐えるのかどうか、また後で見返すときに大丈夫なのか、いささか不安が残ります。それならばノートを使ってしまえば良いと考え、その後のアイデアが展開していきました。でも、いろいろ検討した結果、要するに市販のダイアリー(手帳)を購入したほうが良いのでは、という結論になってしまいます。うーむ、もう少し考えてみる必要がありそうです。デザイナーさんの役割を再認識した次第(^o^;)>poripori

 

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車のエアコン修理と通勤利用が減少したディーゼル車の燃費ほか

2019年09月29日 06時01分13秒 | 散歩外出ドライブ
少し前のことですが、春に愛車マツダ・デミオXDのエアコンが不調になっていることに気が付きました。あまり冷えないのと、エアコンが作動している間は i-STOP が作動しないのです。ディーラーで点検してもらったところ、どこか冷媒が漏れているところがある、というところまではわかりましたが、どこから漏れているのかわからないので、蛍光物質を含む冷媒を補充し、漏れている箇所を特定しようということになりました。

夏、エアコンの効き方がよろしくない状況になりましたので、再度ディーラーに持ち込み、修理してもらいました。今回は、蛍光物質のおかげで漏れている箇所が特定でき、無償で修理してもらいました。まずは良かった(^o^)/

さて、この春に退職して毎日の通勤がなくなり、郊外路をときどきちょい乗りするような使い方に変わって、マツダのクリーン・ディーゼル車のデータはどう変わったか。簡単にまとめると、次のようになりました。

  • 通年で22km/Lを超えていた燃料消費率(いわゆる燃費)が、4月〜9月の6ヶ月間の平均で19.9km/Lに低下しました。
  • 給油回数が、2ヶ月に3回程度から1ヶ月に1回程度になりました。
  • DPF再生の間隔と回数も、1回の給油で約700km走って3回程度、300〜200kmくらいの間隔だったのが、現在は5回程度、150〜100km程度の間隔になりました。

この結果から見る限り、長距離連続運転が得意なディーゼル車を負荷が変動するちょい乗り主体で使っているわけで、ススの出方が多くなり、フィルターでススを燃やす頻度が増えているようです。あまりディーゼル車のメリットを活かした利用とは言えないようで、やっぱり時々中〜長距離のドライブをしたほうが、本来の持ち味を発揮できるようです。

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兼業農家が多いと地域が守られやすいのでは

2019年09月28日 06時01分06秒 | 週末農業・定年農業
昔、水田稲作農業が中心だった頃は、人力と家畜が頼りで、耕作面積の限度は一町歩が限度だったように記憶しています。それ以上の大地主も、結局は小作農の労働が頼りでしたので、基本は全く変わりません。ところが、農業機械の導入と進歩により、農家一戸あたりの耕作可能面積は拡大していきます。現在、高価ではありますが大型のトラクターやコンバイン等のおかげで、一戸あたりの耕作可能面積は20町歩(20ha)までに拡大しているようです。

もし、百町歩の水田を持つ集落があったとすると、昔の基準では百戸程度の世帯が居住し生計を立てることが可能でした。現在、大型の農業機械を導入し、稲作農業を専業とする農家は、五戸しか要らないことになってしまいます。すると、残りの95戸はどうするか。結局は職を求めて働きに出ることになるでしょう。近くに職場があれば良いのですが、そううまくはいきません。いきおい、人口の流出が起こってきます。大規模専業農家が増えた地域はしだいに寂しくなり、あまり良い話を聴きません。

ところが、兼業農家が多い地域はどうなるか。一戸あたりの耕作面積は半分以下で、しかも水田と畑が混在し、果樹や野菜、花卉などを作るとすると、小型の農業機械はさほど高価ではありませんので、なんとか週末農業や定年農業が可能です。もし、50アール程度の兼業農家であれば、200戸が生計を立てることが可能です。経費もかかりますが、給与所得のほかに農業収入が得られますので購買力が高くなり、それを目当てに買物や生活に便利な施設もできてくるでしょう。様々な地域の活動も維持できやすいものと思われます。

農業の経済的側面から、大規模専業農家を育成する方向へ様々な政策が作られますが、それは地域の衰退につながり、効率が悪く高コストだと批判を受ける小規模兼業農家が多い地域は、意外にしぶとく地域が守られるように思います。中核となる大規模専業農家や農業法人の育成も必要でしょうが、それと同様に、兼業農家が継続しやすい制度や働き方への支援を工夫していくべきなのではなかろうか。大事なのは、その比率、バランスなのだろうと思います。

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山崎光夫『北里柴三郎(下)』を読む

2019年09月27日 06時05分17秒 | -ノンフィクション
中公文庫の新装版で、山崎光夫著『北里柴三郎』の下巻を読みました。上巻に続き、第三章「疾風の機」、第四章「怒涛の秋」からなります。

ドイツ留学から帰った北里柴三郎でしたが、日本では活躍の場がありませんでした。脚気病菌の一件で東京医科大学からは冷遇されており、米国から研究所の所長にと破格の待遇を示され、迷います。転機をもたらしたのは、福沢諭吉でした。福沢は自分の土地を提供し、実業家の森村市左衛門が資金を出し、大日本私立衛生会が中心となって、芝公園に「伝染病研究所」を開くことになります。

これは、文部省が計画していた東京医科大学内に官立の伝染病研究所を作るという計画に先んじるもので、ここでも文部省・東大と対立する結果になります。そこで起こるのが、伝染病研究所設置反対運動。柴三郎は所長を辞任すると発表、経緯が新聞で報道されて逆に同情論が強まり、広尾に移転して病院も併設することになります。

そんな折、明治27年に、香港にペスト発生の一報が入り、政府は医科大学教授・青山胤通に病理解剖と臨床を、北里柴三郎に細菌学の調査研究を命じます。青山はペスト患者の遺体を解剖し、柴三郎は顕微鏡下にペスト菌を確認しますが、青山は自分がペストに感染してしまいます。幸いに、徐々に快方に向かいますが、柴三郎は病原を確定するため実験を進めます。この報告を論文にまとめ、『ランセット』誌に寄稿、掲載されます。ペスト菌がグラム陰性なのか陽性なのか、一部に曖昧な点は残ったものの、たしかにペスト菌発見の第一報でした。

伝染病研究所の運営は、ジフテリア血清など血清療法のベースとなる血清製造をすすめるなど、順調に運びますが、愛妾のすっぱぬき事件やら何やら、脱線も発生(^o^)/
また、経費面で窮屈な私立の伝染病研究所を国立に移管することになり、福沢は危惧しますが、後年、その懸念は現実のものとなります。このあたりの政治的かけひきは物語としては面白いけれど、研究のスムーズな進行を阻害するブレーキでしかないでしょう。背後には文部省・東大との確執があり、脚気病論争の影響があったようです。



物語の読者としては、伝染病研究所の所管をめぐる政治的な動きや、所長が辞めるならオレも私も、と続く所員の動きなど人情噺のようなドラマも面白いところでしょうが、当方はむしろ研究の経緯のあたりに興味関心が向かいがちです。志賀潔の赤痢菌の発見や野口英世の若かりし時代など、そうそうたる顔ぶれが登場するドラマは、やっぱり面白いです!

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果樹園の秋の農作業〜来年を目指して堆肥運び

2019年09月26日 06時02分01秒 | 週末農業・定年農業
晴れた日の日中は、かなりの日差しで農作業日和とは言えません。朝晩の涼しい時間帯がありがたいところです。現在の秋の農作業は、来年を目指して堆肥運びです。今年の収穫で弱った果樹を、有機肥料で体力回復を図るという目的ですので、堆肥が最適です。完熟堆肥ですので、臭いはほとんどありません。一輪車に積んで樹のところへ運び、スコップで撒き散らします。一応、目安としては枝が伸びている範囲を全部カバーするようにしていますが、実際の根はもっと縦横に伸びているらしいです。



スコップで一輪車に積み、運び、散布し、戻ってまたスコップで積み、運び…の繰り返し。これを、サクランボ、桃、スモモ、プルーン、リンゴと全部の果樹に与えます。短調な、いや単調な作業ですので(^o^;)、飽きないように辛抱強さ、根気が要ります。これを園地二箇所で実施するのですから、いやはや、気合を入れてやらないと「やんだぐなって」(*1)しまいます(^o^)/

(*1):山形弁で「嫌になって」の意味。

さて、本日は、早朝のうちにコスカシバ対策防除、風呂に入って午前中にピアノの調律、午後は休憩して夕方に歯科通院。この記事は、前夜のうちに準備し更新予約しました。

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「台風が来る前に」とあわてて「つがる」リンゴを収穫した

2019年09月25日 06時01分45秒 | 週末農業・定年農業
ご近所親族の不幸で葬儀・告別式の差配をした関係で、「つがる」リンゴの収穫ができませんでした。千葉県等に強烈な被害を残した台風15号に続き、また台風が接近し、日本海を東北北海道方面に北上していましたので、葬儀が終わった翌朝に、雨の晴れ間を見計らってあわてて収穫しました。今年は、例年以上に摘花・摘果が不十分なうえ太陽光を当てる葉摘み作業などもしていませんので、大きさも小さめ、形や色づきもむらがあります。とても出荷できるようなレベルではありませんが、収穫時期が遅かった分、見栄えは悪いけれど味は充分においしくなっています。自宅用に残すほか、急いで箱詰めしてお嫁に行った子供と孫、親戚・友人知人等に送りました。送り状はけっこうな枚数がありますが、Windows PCと年賀状用インクジェット・プリンタを使えばクロネコ・メンバーズの送り状作成もスムーズで、宛名データを再利用できるのが便利です。送料が多少割引になるのもありがたい(^o^)/



この写真は先週のもので、残っていた「プルーン」の最後の収穫です。もぎ残したものですが、けっこう大きくなっています。隣家の同級生におすそ分けして、ついでに好評だった「鶏もも肉のプルーン煮」のレシピを紹介したら、「ご馳走だったわ〜!」と喜ばれました。

さて、我が家の果樹園で残る収穫作業は、10月下旬のリンゴ「紅将軍」と柿「ひらたねなし」です。その前に、サクランボと桃の樹体を食い荒らすコスカシバ対策の防除と、来年のために肥料(堆肥)撒布を頑張って済ます必要があります。晴れの日の日中は気温があがりますので、朝夕の涼しい時をねらって働きましょう(^o^)/



ちなみに、コスカシバ等の害虫に食い荒らされたサクランボの樹は、こんなふうになります。いやはや、これでは樹がかわいそうです(^o^;)>poripori

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山崎光夫『北里柴三郎(上)』を読む

2019年09月24日 06時01分43秒 | -ノンフィクション
千円札の顔が2024年から変わるそうで、私の記憶では伊藤博文から夏目漱石、野口英世に続き、北里柴三郎になる予定らしい。それはめでたいことですが、はて、北里柴三郎の業績はと訊かれると、破傷風だったかペストだったか、とにかく伝染病の研究をしたエライ人、くらいの認識です。

そのような世間一般の認識を商機と見たであろう出版社が、文化的意義を認識して新装版として改版刊行された文庫本、山崎光夫著『北里柴三郎〜雷と呼ばれた男』(中公文庫)の上下巻が、行きつけの書店の新刊コーナーにありましたので、いそいで手に取り購入して来ました。

上巻は、第1章「立志への道」と第2章「ベルリンの光」からなります。冒頭で、北里柴三郎は東京大学医学部長から呼びだされます。卒業を前にして少々暴れすぎたために落第を言い渡されるのか、それとも入学時の年齢詐称がバレたのかと不安になりますが、実は卒業の進路の意思確認でした。このあたり、柴三郎の経歴と当時の学生の気風が感じられるところです。

卒業後、病院勤務の道を選ばず内務省衛生局に奉職し、予防衛生の業務に携わります。エリート風を吹かす上役にペコペコせず、硬骨を貫きますが、案外こういう性格は真実を究明しようとする学者として大成する上で大事な資質なのかもしれないと感じます。衛生研究所に移った柴三郎は、顕微鏡に夢中になります。東京府下に発生した鶏コレラに対し、原因となる鶏コレラ菌を同定しますが、柴三郎の優れた手技のあらわれであり、明治18年の日本では初の業績でした。また、長崎に発生したコレラについても調査し、患者の排泄物からコッホが発見していたコレラ菌を検出して論文を発表し注目されます。

やがて、内務省からドイツ留学の命が下り、ベルリン大学でローベルト・コッホの下で研究生活に入ります。チフス菌及びコレラ菌の培養に関する基礎的研究のテーマを与えられた柴三郎の手腕と研究心を評価し、新しいテーマも与えられ、実験に次ぐ実験の生活を送ります。そんな中にやってきたのが、 森鷗外こと森林太郎。スマートですが実験室生活にはあまり熱心ではありません。それなのに、来独した陸軍省軍医監の石黒忠悳は、柴三郎に対し、コッホの下からミュンヘンへ移れと命じます。上官に従順な森と、衛生局を辞職してでも研究を続けたい柴三郎。実はコッホ本人から柴三郎への高い評価を聞いた石黒は、人事特命を撤回します。

このあたり、後に脚気病の米食原因説を唱える海軍の高木兼寛に対し、ワンマン石黒が脚気病細菌説に固執し、森林太郎は高木説を攻撃する論陣を張ります(*1)が、上司の意を受けすぎるというのか、忖度しすぎかも(^o^)/
実際には、オランダのペーケルハーリングという病理学者がバタビア(ジャカルタ)で脚気病菌を発見したという報告に対し、実験過程に疑義を呈しますが、同時にそれは同窓で同門の緒方正規に反ぱくすることとなります。

さらに柴三郎は、留学年限の三年からさらに二年の延長を認められ、破傷風菌の純培養の方法を確立しますが、同時にそれは嫌気性菌というグループの存在を明らかにするとともに、抗毒素の発見と免疫血清療法の基礎を提示する業績でもありました。



いやはや、すごいものです。伝染病研究のエポックメイキングな出来事が次々に登場します。柴三郎の頑固さが学問研究の上ではプラスに働いていることを感じます。

(*1):吉村昭『白い航跡』(下巻)を読む〜「電網郊外散歩道」2009年8月
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飯森範親/山響によるシューマンの交響曲第3番「ライン」を聴く

2019年09月23日 06時04分15秒 | -オーケストラ
朝晩がやけに涼しく感じられる頃に、なぜかシューマンの交響曲第3番「ライン」を聴きたくなります。どことなく「豊穣」のイメージが、初秋〜中秋の季節にマッチするのでしょうか。CD棚をひとわたり眺めて、手にしたのは飯森範親指揮山形交響楽団による、2007年11月、山形テルサホールにおける第184回定期演奏会の頃の録音で、2012年に発表されています。

この第184回定期演奏会も聴いておりますし、その後も2018年5月の第269回定期でも同曲を取り上げています(*1)。作曲されたのが19世紀の中頃、管楽器の改良が進んだ時期にあたり、1850年の作品である「ライン」で、作曲家ははバルブ付きの近代の楽器に近い形式になったのを試そうとした、と推定しての現代楽器の採用です。勝手知ったる本拠地ホールでの響きは、華やかで活気があり、なおかつ澄んでいます。いつもの PC-audio ではなく、メインのステレオ装置で、つくりつけの書棚に埋め込んだヤマハのスピーカの音を、久々に楽しみました。季節も曲も音も、そして何よりのんびり自由な身分になった境遇もあって、開放感を味わいました(^o^)/

■飯森範親指揮山形交響楽団、CD:OVCX-00067
I=9'46" II=6'28" III=5'36" IV=5'58" V=5'43" total=33'31"

(*1):山形交響楽団第269回定期演奏会でモーツァルト、シューマンを聴く〜「電網郊外散歩道」2018年5月

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セレモニーホールが使えず寺院葬にしたら

2019年09月22日 06時03分26秒 | 季節と行事
地域の親族の葬儀で、セレモニーホールが予約で一杯で使えないため、やむを得ず自宅で葬儀、寺で告別式を行うことになりました。喪主の希望で、家族親族葬としますので、いつもはセレモニーホールのスタッフが準備やら司会進行をしてくれるのですが、今回は親族の中から受付や司会役、五七日のお斎の準備や後片付け等の係を出さなければいけません。近所の親族で役割分担をして、私は告別式の司会進行をすることになりました。気づいたことをいくつか。

  • 開式前に携帯電話に関する注意をしますが、「携帯電話等をお持ちの方は、音が鳴らないようにお願いいたします」にとどめました。「電源をお切りになるか、マナーモードにしてくださいますようお願いいたします」は、携帯電話が普及しだした頃の、具体的にどうすればよいかわからなかった時代の名残のような気がします。
  • 告別式のみに参加する若干名の友人の方がおられますので、自宅ですでに家族親族による葬儀を終えていることを伝え、告別式の趣旨と儀式の簡素さを理解いただくようにしました。
  • 弔辞を読む方に直接お会いしてお名前等を確認し、祭壇前の動線を理解してもらいました。
  • 「閉式の辞」では、「以上を持ちまして、故○○○○様の告別式を閉式いたします」と簡潔にしました。「閉式させていただきます」は聞き苦しいのでやめました。
  • 葬祭業の経験が豊富で、自宅葬や寺院葬も実施している業者の場合はこうしたケースでも対応できますが、単に貸しホール業の場合、自宅葬や寺院葬のサポートは苦手としていることもあるようです。死亡後に遺体を運搬する依頼をするときにどこに頼むかで、親族の負担の大小はほぼ決まってしまうようです。

開式前に鳴らされる半鐘は複雑なリズムで長く続き、心が鎮まります。個人的には数十年ぶりに経験する寺での告別式。本堂入口の賽銭箱や燭台を移動し、入口に向かって仮の祭壇を置き、左右に分かれて読経、弔辞、弔電、焼香、喪主挨拶と続く一連の流れは簡潔明瞭で、過剰に感傷的だったり時に慇懃無礼なほどに丁寧なホール葬ともまた違った、簡素で好ましい雰囲気でした。新聞等にも訃報を出さなかったので、人数も30〜40名程度となり、寺院本堂での儀式、庫裏でのお斎など、ちょうどよい規模のものでした。経済的にも、だいぶ負担が少なくなったのではないでしょうか。

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パイロット・カスタム・グランディに「紺碧」を補充する

2019年09月21日 06時01分39秒 | 手帳文具書斎
手持ちの万年筆の中では、これまで使ってきた期間が最も長いパイロットのカスタム・グランディのインクが切れてかすれるようになりましたので、インクを補充しました。同社の色彩雫シリーズの「紺碧」です。うっかりして指を汚してしまったけれど、なんとか使えるようになりました。



「紺碧」インクも、残り少なくなりました。ビンの形が工夫されており、中央底部にくぼみがあるため、ペン先をくぼみに突っ込むとインクの深さが確保できるしくみです。このインク、色はあざやかでよいのだけれど、今年の備忘録ノートに採用しているコクヨのキャンパス・ノートでは裏抜けが見られ、両面筆記は現実的ではありません。せいぜい、記事タイトルの強調表示くらいで、本文はやっぱりプラチナ社の古典ブルーブラック・インクのペンになってしまいます。来年はツバメノートに回帰することになるかな〜(^o^)/



本日は、親族の家で火葬、葬儀、告別式の予定。大事な役割があり、気を抜けません。台風の動きとリンゴの収穫も気になります。どっちみち、明日以降だな。

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最近の出来事あれこれ

2019年09月20日 06時05分14秒 | 季節と行事
最近、いろいろな出来事が立て続けに起こります。備忘のために、ここ数日間の出来事を記録しておきましょう。

  • 某畜産会社に電話をして、牛糞堆肥2tを注文、自宅裏の果樹園と少し離れた園地にそれぞれ1tずつ運搬してもらいました。本当は2tずつだと良いのでしょうが、これまでの実績では1tずつでないと体力的・日数的に作業が終わらない(^o^;)>poripori
  • 妻が使っていた動力刈り払い機の調子が悪いとのことで、農機センターに持ち込み、点検調整を依頼。あわせて一輪車を更新すべく、新規に発注。また、来年の春に植える苗木の注文が来ていましたので、「美晴白桃」の苗木を三本ほど追加注文しておきました。やる気だけは充分です(^o^)/
  • お米がなくなったとのことで、玄米30kgを軽トラックで運搬、コイン精米所で精米して来ました。これで、しばらくは大丈夫でしょう。新米はまだ先のことですので、なんとか持たせないといけません。
  • 過日、某健康保険料の後期分を一括して払い込みました。これで通院時の保険証が有効になりますので、ありがたい。
  • 某親族の奥さんが急逝したとの連絡を受け、自宅に駆けつけて葬儀等について打ち合わせをしました。奥さんはまだ40代半ばだったため、夫君がガックリと力を落としているのがわかり、本当にお気の毒です。家族親族葬にしたいとの希望でしたが、運悪くセレモニーホールは満杯。少人数なのだから、予定を先延ばしするよりもと、自宅で葬儀、寺で告別式を行うことにしました。久々に寺で告別式をします。五七日法要を併せて執り行いますので、地域在住の親族の協力体制が欠かせません。冠婚葬祭はお互い様ですし、嘆き悲しむ喪主に同情の声が大きく、皆さん協力的です。

本日は午前中に忌中壇を準備、午後から元の職場の関連で別の葬儀に出席、夕方からは納棺があります。明日は火葬、葬儀と告別式。長い二日間になりそうです。



予報では週明けに台風が近づくとのことですが、リンゴの収穫はできそうにありません。ちょいと残念ですが、仕方がないでしょう。

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半藤一利『アメリカはいかにして日本を占領したか』を読む

2019年09月19日 06時03分38秒 | -ノンフィクション
2019年6月刊のPHP文庫で、半藤一利著『アメリカはいかにして日本を占領したか』を読みました。著者の本は、『幕末史』(*1)や『昭和史 1926-1945』(*2)以来しばらくぶりです。『マッカーサーと日本人』の副題のとおり、アメリカの占領政策におけるマッカーサーの個性と影響力、戦後の日本がどのように形作られたかを描くものです。朝鮮戦争終結後にもかかわらず、なぜか進駐軍の将校の子供と遊んだ記憶がある当方の、戦後史の真相に対する興味から手にした一冊です。
本書の構成は次のとおり。

前口上 神社と銅像
第一話 「青い眼の大君」の日々
 1.神に導かれて
 2.太平洋の「スイス」に
 3.神様は姿を示さない
 4.解任は二年遅かった
第二話 昭和天皇の“戦い”
 1.天皇制存続の是非
 2.国民を助けてほしい
 3.計十一回の会談
第三話 十一回の会談・秘話
第四話 「ヒロヒトを吊るせ」
 1.裁判にかけろ
 2.天皇を救え
 3.奇跡の存続
第五話 本間は断罪されねばならぬ
 1.勝者は敗者を裁く
 2.死の行進の真相
 3.勝者の復讐

内容的には、はじめて知るところもあれば既知のものもあり、様々な媒体に発表したものや講演などを編集して成立した一冊で、著者が明確な意図をもって書き下ろしたものではないようです。その意味では、著者の本ではあるけれど、同時に編集者の作品でもあるのでしょう。

ただし、占領政策の中で、とくに戦後を形作る基本的な方向性に関しては、むしろマッカーサーが昭和天皇との会談を通じて、その意向をかなり取り入れていたようだ、という見解は新鮮。昭和天皇が沖縄に対して格別の思いを示していたのは、先の大戦の犠牲とともに、米軍基地の配置に関する判断にずっと責任を感じていたからではないか、と示唆しています。

(*1):半藤一利『幕末史』を読む〜「電網郊外散歩道」2009年9月
(*2):半藤一利『昭和史 1926-1945』を読む〜「電網郊外散歩道」2011年5月

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鶏もも肉のプルーン煮をワインで作ったら

2019年09月18日 06時01分38秒 | 料理住居衣服
先にお酒と醤油味で作って好評だった「鶏もも肉のプルーン煮」を、ワインをベースに作ってみたらどうなるだろうと試してみました。材料、作り方は基本的に同じですが、写真は人数の関係で分量を多くしたものです。

プルーンの個数が、少々多すぎた(^o^;)>poripori

フライパンで鶏もも肉を焼き、タマネギを炒めます。

プルーン、茄子を入れて加熱し、白ワインに塩と水で調整した混合調味料を加えます。調子に乗って、少々ワインをドバドバ加えすぎたかも(^o^;)>poripori

ささぎのおひたしがありましたので、色どりを添えました。



うーむ、美味しいは美味しいのだけれど、プルーンの甘さと酸味に白ワインの甘さと酸味も加わり、辛党の人には少々甘すぎるかもしれないなあ。プルーンの個数を控えめに、混合調味料の配合を、もう少し工夫する必要がありそうです。その意味では、前回の分量と、お酒と醤油という組み合わせは絶妙なのかもしれません。味の方向性としては、素性は良いみたいです。

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買い物ついでに書店に立ち寄り、いろいろ本を購入する

2019年09月17日 06時05分39秒 | 散歩外出ドライブ
先日、買物のついでに行きつけの書店に立ち寄り、予約をしていた本を受け取ると同時に、いくつか本を購入して来ました。今回の購入は:

  • 宮田親平『愛国心を裏切られた天才〜ノーベル賞科学者ハーバーの栄光と悲劇』(朝日文庫)
  • ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』(光文社古典新訳文庫)
  • 『きょうの料理ビギナーズ』9月号
  • 香月美夜『本好きの下克上』第四部「貴族院の自称図書委員」第8巻(TOブックス)
  • 有坪民雄『誰も農業を知らない』(原書房)

というものです。


『サイラス・マーナー』は学生時代以来の巡り合いですし、ノーベル賞科学者ハーバーが奥さんに批判されながら毒ガス開発を進め、奥さんが自殺した話は知っていましたが、詳しい経緯までは承知しておらず。アンモニア合成のハーバー法の発明者がどんな人生を送ったのか、興味深いところです。

『誰も農業を知らない』は、パラパラと眺めたところでは、大規模専業農家育成の方向だけが日本農業の未来とは言えない理由が、なかなか説得力があると感じました。

読書の秋です。農作業の合間に、少しずつ本を読んでいきましょう。

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夜中のコウモリ騒動で目が冴えて万年筆にインクを補充することに

2019年09月16日 06時05分16秒 | 手帳文具書斎
過日、台風の影響か、暑さで寝苦しかった夜、窓を開けて寝たら網戸のすき間からコウモリが入り込んだらしく、二匹が夜中に騒ぎ立て、すっかり目が覚めてしまいました。網戸も全開にして出て行くのを待ちましたが、飛び回るだけで出て行く気配を見せません。結局、起きだして書斎に一時避難し、寝そびれてしまいました。もしアホ猫(娘)がもう少し若かったら狂喜乱舞、ジャンプ一番、コウモリを捕まえただろうに、残念無念です。



で、書斎で何をしていたのか? 実は、万年筆のインクを補充していました。

  • 白軸カクノ(CON-70)にプラチナ古典ブルーブラック・インクを補充。インク補充の記録を見ると、8月以来ですので約1ヶ月ぶり。この廉価万年筆は、どうやらプロシオン(中字)の次に補充の頻度が高いようです。インクの蒸発もあるけれど、むしろそれだけ日常的に使っているということでしょう。
  • プレジール(M)にプラチナ古典BBインクを補充。6月以来、3ヶ月ぶりです。今回はインク・カートリッジにスポイトで補充するという原始的な方法ですが、実はごく若い頃にガラス細工で自作した先細ピペット。セーラーの「キャンディ」にもこれでインクを補充していた時期がありました(^o^)/


  • #3776ブルゴーニュ(F)にプラチナ古典BBを補充。3月末以来、半年ぶりです。スリップシール機構のおかげで蒸発しにくいのと、もっぱら手帳で使っていますので、あまり減らないためと思います。



コウモリ転じてインク補給となった日、おかげで昼前にどっと眠気が押し寄せて、日中からぐうぐう昼寝をしました。これも、退職して自由な時間ができたおかげです(^o^)/

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