日が落ちるのが本当に早くなりました。仕事で遅くなり、すっかり日の暮れた帰路、ヘッドライトをたよりに車で郊外路を走るとき、なんとなく人の声が聴きたくなります。カーステレオ用に用意しているCDの中から、例の某中古書店で分売していた"GreatMaster"というシリーズの中から、"The Favorite Vocal Music" を聴きましょう。東独オイロディスク原盤で、ルネ・コロやヘレン・ドナートなどが歌っている、オムニバスものです。(DENON GES-9028)
(1) J.S.バッハ-グノー、「アヴェ・マリア」、ルネ・コロ(Ten.)
(2) ヘンデル、「ラルゴ」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(3) ハイドン、オラトリオ「四季」より「来れ春」、ライプツィヒ放送合唱団
(4) モーツァルト、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、ベルリン聖ヘドウィッヒ大聖堂合唱団
(5) モーツァルト、モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」より「アレルヤ」、ヘレン・ドナート(Sop.)
(6) ベートーヴェン、「自然における神の栄光」、ベルリン聖ヘドウィッヒ大聖堂合唱団
(7) シューベルト、「ドイツ・ミサ曲」より「サンクトゥス(聖なるかな)」、ハーゲン・シューベルト連盟合唱団
(8) シューベルト、「アヴェ・マリア」、エリカ・ケート(Sop.)
(9) シューベルト、「聞け、聞けひばり」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(10)シューベルト、「野ばら」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(11)シューベルト、「菩提樹」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(12)ジョルダーニ、「カロ・ミオ・ベン」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(13)クルティス、「帰れソレントへ」、ミヒャエル・テオドール(Ten.)
(14)コットラウ、「サンタ・ルチア」、ルネ・コロ(Ten.)
(15)カプア、「オー・ソレ・ミオ」、フランシスコ・ラザロ(Ten.)
(16)カルディロ、「カタリ」、ルドルフ・ショック(Ten.)
収録曲目は上の通りですが、あらためて私は美しい女声に弱いのだなぁと痛感(^o^)/
CDのタイトル、日本名は「声楽名曲集」となっていますが、ちょいとそのものずばり過ぎるのでは。イタリアものは少しばかりドイツ風で、ベルカントの朗々とした風情は後退しますが、これはこれで大いに楽しめる立派な歌唱でしょう。おなじみのシューベルトの歌曲は鼻歌まじりに、合唱曲の見事さは素晴らしいもので、聴きごたえ充分です。「帰れソレントへ」と一気に変換しようとしたら、「帰れソ連と屁」になったのには思わず笑ってしまいましたが、1985年の発売当時、たぶん東独は相当に末期症状を呈していたことでしょう。このオイロディスク盤は、彼の地の音楽家の生活を、多少なりとも潤すことができたのでしょうか。
(1) J.S.バッハ-グノー、「アヴェ・マリア」、ルネ・コロ(Ten.)
(2) ヘンデル、「ラルゴ」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(3) ハイドン、オラトリオ「四季」より「来れ春」、ライプツィヒ放送合唱団
(4) モーツァルト、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、ベルリン聖ヘドウィッヒ大聖堂合唱団
(5) モーツァルト、モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」より「アレルヤ」、ヘレン・ドナート(Sop.)
(6) ベートーヴェン、「自然における神の栄光」、ベルリン聖ヘドウィッヒ大聖堂合唱団
(7) シューベルト、「ドイツ・ミサ曲」より「サンクトゥス(聖なるかな)」、ハーゲン・シューベルト連盟合唱団
(8) シューベルト、「アヴェ・マリア」、エリカ・ケート(Sop.)
(9) シューベルト、「聞け、聞けひばり」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(10)シューベルト、「野ばら」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(11)シューベルト、「菩提樹」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(12)ジョルダーニ、「カロ・ミオ・ベン」、ルドルフ・ショック(Ten.)
(13)クルティス、「帰れソレントへ」、ミヒャエル・テオドール(Ten.)
(14)コットラウ、「サンタ・ルチア」、ルネ・コロ(Ten.)
(15)カプア、「オー・ソレ・ミオ」、フランシスコ・ラザロ(Ten.)
(16)カルディロ、「カタリ」、ルドルフ・ショック(Ten.)
収録曲目は上の通りですが、あらためて私は美しい女声に弱いのだなぁと痛感(^o^)/
CDのタイトル、日本名は「声楽名曲集」となっていますが、ちょいとそのものずばり過ぎるのでは。イタリアものは少しばかりドイツ風で、ベルカントの朗々とした風情は後退しますが、これはこれで大いに楽しめる立派な歌唱でしょう。おなじみのシューベルトの歌曲は鼻歌まじりに、合唱曲の見事さは素晴らしいもので、聴きごたえ充分です。「帰れソレントへ」と一気に変換しようとしたら、「帰れソ連と屁」になったのには思わず笑ってしまいましたが、1985年の発売当時、たぶん東独は相当に末期症状を呈していたことでしょう。このオイロディスク盤は、彼の地の音楽家の生活を、多少なりとも潤すことができたのでしょうか。