電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

平岩弓枝『御宿かわせみ30・鬼女の花摘み』を読む

2005年12月31日 19時33分53秒 | -平岩弓技
今年最後の宿題となっちゃったなぁ。でも、ようやく読み終えました。
第1話「鬼女の花摘み」、2人の子どもがありながら男に狂った母親の話。現代にもよくある話ではないですか。それにしても、麻太郎・源太郎・花世は、心優しい名トリオですね。
第2話「浅草寺の絵馬」、プレイボーイが再度の罪作りをする前でよかった。お石のお手柄でした。第3話「吉松殺し」、体格と悪知恵は大人も顔負けだが分別のなさは赤ん坊だという悪餓鬼。それをけしかける知恵も力もある悪い大人。この構図は、普遍的です。
第4話「白鷺城の月」、建造中の洋式帆船の操船訓練の指導のため姫路に派遣された東吾は、造船技術の同僚の事故負傷のため、姫路城下の武家屋敷に厄介になる。隣家に嫁いだ妹が、誰かが夜更けに様子を窺う不審な者がいと訴える。事故の知らせが伝言ゲームで東吾重傷に変わり、宗太郎・るい・長助が姫路までやってくるのは、しばらくぶりに可憐なるいさん登場の場面を作るためだな。家付き娘の婆さんの話では、なんとも救いがないもの。
第5話「初春夢づくし」、津軽からるいの姪が訪ねてくる。東吾と千春とかわせみの面々に囲まれて、若々しく幸せそうな叔母を間近に見て、娘は芝居見物した役者にぽぅーっとなってしまった。頭を冷やすよう仕組んだ芝居だったが・・・津軽から来た娘のほうが役者が上でしたね。
第6話「招き猫」、火事になったら大川からタニシがぞろぞろ上がってきて一斉に水を吹くんだって?よくまぁそういう発想が出てくるもんですね。その場面を想像すると、私なら抱腹絶倒だが、るいさんは気持ちが悪いという。まったくピントがずれているとしか言いようがありませんな。
第7話「蓑虫の唄」、因幡屋への度重なる放火、色恋と因縁が絡んだ炎のような色ですなぁ。寝物語のるいさんの推理が冴えてますが、しかし寝床の中でそんな話をしますかね、るいさんの心理はちょっと不思議で、作者の都合が優先したようです。

なんと文庫全30巻を読み終えてしまいました。あとは新しい文庫が登場するのを待つことといたしましょう。
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除雪のあとの楽しみは

2005年12月31日 16時26分55秒 | Weblog
日中お天気が良かったので、どこの家でも総出で雪下ろしと除雪に精を出していた。近所の年寄りも、12月でこんな大雪は経験がないという。数年前の雪も多かった気がするが、たしかにすごい。県内でも比較的雪が少ない方に属する当地でもこの状態であるから、名だたる豪雪地帯ではいかばかりかと案じられる。
我が家でも、お餅を食べた後に家族総出で除雪に精を出し、ようやく車が通れるようになった。おかげで、隣家との間にこんな雪の壁ができてしまった。カメラの特性を利用し、ごく地面に近いところから、少し大げさに撮影しているが、それにしてもやれやれである。
除雪のあとの楽しみは、汗で濡れたシャツを着替えること。乾いたシャツに着替え、ほてる体でアクエリアスとかポカリスエットなどをごくごくと飲む快感はたまりません。スポーツのあとの高揚感のようです。
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歳末大忙し忘年会

2005年12月31日 14時24分45秒 | コンピュータ
昨晩は、高校時代のゆかりの同級生が集まり、忘年会を開いた。今回の幹事は某病院の某先生で、幹事自身が多忙で日程が取れない。しかし物事は両面があるもので、遠隔地に在住の人もこの時期には帰省しており、久々に顔を見た人も多かった。都合15名が集まり、小料理屋の座敷はほぼ満席状態。
最近始まった同級生持ち回りのプレゼン、前回は某女史の十回目のイスラエル訪問の報告を中心とした中東情勢だった。今回は私で、「個人の情報セキュリティ」の話。
50代の中年おじんたちと、まだまだ元気な女性たちを前に、個人の立場で情報セキュリティをどう確保すればよいかを話した。以下、その概要。

(1) ADSLモデムにパソコンを直結している人がけっこう多い。ウィルス対策は取っているようだが、某年某月のサーバのアクセスログを見せて、これがCodeRedでこれがNimdaの活動を表すものです、と指摘すると、単位時間当たりの不正な攻撃の多さにびっくりした様子。少なくとも、モデム直結はやめて、たとえPC一台でもルータを間に入れて接続しましょう、複数台利用するようになると便利さも増します、とアドバイスした。
(2) 仕事に使うパソコンと、個人用途で使うパソコンは分けましょう、と提案。某地方銀行支店長は、パソコンもメディアもすべて持ち出し禁止になっており、残業するときは管理職が誰か残ってついているようにしている、とのこと。某中学校教諭は持ち帰り仕事をせざるをえない現実があるとのことで、仕事に使うパソコンはオフラインで、ウェブ閲覧やメールに用いるパソコンとは分けるべきだ、とアドバイス。
(3) ウィルス対策ソフトは更新を。Windowsを使う上での税金と考えるべきだ、と提案。某君は更新費用をどうやって支払うのか知らなかったそうで、クレジットカード決済の説明と、複数台使っているなら負担が大きいので、個人用では無料のものもあることを説明。
(4) 迷惑メールの撃退法として、まず第一段階としてプロバイダの迷惑メール撃退の設定を行い、それでも到達してしまうものについては第二段階としてThunderbird等のベイジアン・フィルタ方式のメーラを推奨。また、主アドレスと捨てアドレスを区別し、BBSやブログなど不特定多数が見る場所には、WEBメールなどを捨てアドレスとして用いることで、主アドレスを保護する方法を説明。
(5) 心配なファイルにはパスワードを。パスワードの重要性。「パスワード教えて」という人は悪人だ。腹に一物持っている。パスワードは辞書にない言葉を。たとえば方言を種に母音を除去し、子音だけの文字列に自分にわかりやすい数字と記号を加える。見た目はランダムな文字列だが、自分には連想でわかる。
(6) 環境や手段の複線化を。Windows/Linuxとか、日常のちょっとした連絡はE-mailが便利でも、重要な内容はE-mailは使わない。特に無線LANのセキュリティ設定に注意が必要。
(7) SocialEngineeringに注意。相手を信じさせる言葉の力の強力さ。本人確認、事実の確認。もたついたり復唱反復することで「おや?」と思うゆとりを。「今すぐ決めろ」「家族や上司に相談させない」などが特徴的。

などなど。まぁ、歳末の忙しいさなかに集まって話す内容ではないですが、「だからオレはパソコンなど使わない」と豪語する某君以外には(^_^;)おかげさまで好評。

質疑のあとは恒例の近況報告。和気藹々と愉快なひとときを過ごし、不幸があった人も一緒に笑い、一年の憂鬱を吹き飛ばしたことでした。
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サヴァリッシュ指揮チェコフィルの「第九」を聞く

2005年12月30日 15時48分28秒 | -オーケストラ
除雪も一段落して、ひさびさにゆっくりした一日、古いレーザーディスクを取り出して見た。1981年六月の「プラハの春」コンサート、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏する、ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱つき」である。
プラハ市の文化宮殿で収録された映像は、オーソドックスで鮮明なものである。おそらくチェコスロヴァキア国旗と音楽祭の旗と思われる2枚の旗の中央に、大きく「プラハの春(PRAZSKE JARO) 1981」と表示された会場で、人々が集まって音楽を聞いている。なによりも、銀髪にはなったがサヴァリッシュさんがまだ若く元気だ。思わず時の流れを感じる。

暗く不安げに始まる第1楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソ。チェコ・フィルの弦楽セクションは、世代交代が行われているのか、若手とベテランが混在しているようだ。指揮者は左手を下のほうでぶるぶるふるわせて、低弦部を強調するように指示している。
第2楽章、モルト・ヴィヴァーチェ。晴れの舞台でティンパニを連打する奏者はまだ若く、真剣な顔だ。LDでは、前半の2楽章で1面が終わり、続いて2面に移行する。
四人のソリストが入場すると、第3楽章、アダージョ・モルト・エ・カンタービレ、平和な祈りに満ちた変ロ長調の音楽が始まる。ベートーヴェンのアダージョは本当に美しい。
そしてプレストと指示された第4楽章。これまでの三つの楽章の主要なモティーフが回想されては、その都度打ち消される。そうではない、別なものを。やがて、低弦がかすかに主題を示し、次第に力を増して、ついに朗々と「O Freude, nicht diese Toene!」と歌われる。独唱と合唱が歓喜についての賛美を歌う。

ところで、バーンスタインがベルリンの壁崩壊のときに、「O Freude(歓喜)」ではなく「O Freiheit(自由)」と歌わせたことが話題になった。これについて、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターのゲルハルト・ボッセ氏は、Freude は単なる Freiheit より高次の概念であると否定的だったという。一方、チェコのピアニストであるヤン・パネンカ氏は、Freiheit なくして Freude はないとして、賛意を表したというエピソードが伝えられている。1981年の「プラハの春」の閉幕を告げる「第九」コンサートに集まった聴衆は、その後の歴史的な展開をどのように思ったのだろうか。

ソリストは、ブロウリヒト(Sp)、ヴェンケル(A)、シュンク(T)、サルミネン(Bs)、合唱はプラハ・フィル合唱団。ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。パイオニア MC035-25LD。

写真は、手許にある「第九」演奏を並べてみたもの。中央(裏返し)の大きなジャケットが本LDである。参考までに、ジャケットに表記された演奏データを示す。
■サヴァリッシュ/チェコフィル
I=15'48" II=11'51" III=14'05" IV=24'22" total=66'06"

さて、今晩は高校時代の同級生との定例忘年会。今回は私が当番でプレゼンをする予定。ノートパソコンとプロジェクタ、それに若干の資料を用意し、「第九」に励まされて、いざ、参ろう。
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モーツァルト「フルートとハープのための協奏曲」を聞く

2005年12月29日 19時44分04秒 | -協奏曲
母屋と蔵の雪おろしをしても、その雪の後かたづけが大変。除雪機も新雪には威力を発揮するが、どさっと落ちて来た雪の塊には弱く、スコップでくずし散らしてから除雪機で吹きとばす。人力の苦労を考えると楽なものだが、それでもけっこうな労力だ。
さくらんぼの収穫などの農作業は、携帯音楽プレイヤーを楽しみに作業ができるが、除雪機のオペレーションは常に危険を伴うので、紐状の引っかかるものは禁物である。首がしまってからでは遅い。したがって、ひたすらエンジンの爆音を聞きながらの作業になる。肉体労働を終えて部屋に戻り、コーヒーで一服するとき、モーツァルトの軽やかな音楽が好ましい。それも、できるだけギャラントな「フルートとハープのための協奏曲」などの音楽だ。軽やかであればあるほどうれしい。深刻な音楽はごめんこうむりたい。

演奏は、アンドラーシュ・アドリヤン(Fl)、スザンナ・ミルドニアン(Hrp)、ハンス・シュタットルマイヤー指揮ミュンヘン室内管弦楽団。デンオンの My Classic Gallery 中の一枚。もう1曲、協奏交響曲変ホ長調K.364がフィルアップされている。
こちらも地味だがとても素敵な音楽。耳に残る爆音が静まり、心が穏やかになります。
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今年の歯医者さん通院はおしまい

2005年12月28日 21時35分30秒 | 健康
歯科通院も今年の分は今日でおしまい。80歳まで20本(でしたっけ?)を目指して、がんばって治療しようと決意したこの秋、知人の医療関係者に教えてもらった歯医者さんに通い始めた。最初の日は、歯磨きの指導をたっぷり一時間。歯間ブラシなんて初めて使うものだから、なかなか要領がつかめない。でも悪戦苦闘してようやく磨けるようになり、食後の繊維カスが歯につまることはなくなった。たいへん便利なものですね。
その後、きれいに歯石を取り、虫歯の治療に入ったが、今日は奥歯に詰める型を取っておしまいになった。本当は先週の予定だったのだが、私の方が会議が入り、歯科医院に連絡すると、歯医者さんがお葬式に行っていてまだ帰ってこないとか。双方の都合がぴったんこ合って、今週に繰り越したというわけだ。さて来年は、虫歯がしみない・食後の繊維カスがつまらない・歯茎がピンクで下がっているように、「模範的患者」を心がけたいと思う。

ん?どこだ?鬼が笑っているのは?
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中国のお菓子

2005年12月27日 23時02分09秒 | Weblog
職場で少々お世話した中国生まれの若者が、お世話になったお礼だといって、クリスマス前にお菓子を分けてくれた。昔の日本人は頑張り屋だったよなぁと、自分も含めて思わず慨嘆することが多いが、彼もとにかく頑張り屋だ。感心する。
透明セロファンのような包装のお菓子は、軽くサクサクした食感で、甘さもおさえめでけっこう食べやすい。「沙瑪」と表示されているが、なんと読むのか、どんな意味かは不明。
レバノン生まれでブラジル育ち、フランス企業から日本に送り込まれた社長の本を読みながら、もらった中国のお菓子を食べ、ドイツ音楽をバックにコーヒーを飲む日本の歳末。円対ドルのように三倍まで豊かになったとは思わないが、実感として1.8倍くらいには豊かになったのかな(^_^)/
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いささか除雪疲れです

2005年12月26日 21時04分34秒 | Weblog
早朝から除雪、車が出られるまでおよそ30分。通勤は早朝なのでそれほど混雑はしませんが、それでも悪雪路のため片道1時間半くらいかかることもあります。通常の仕事をこなし、また慎重(ノロノロ)運転で帰ってきます。すると、朝除雪したにもかかわらず、ドーンと積もった雪の原~!ようやく車を道路から自宅敷地に乗り入れて、除雪機で出動!またまた軽く30分。腹減った~!
ようやく一段落ついて夕飯を食べると、もう睡魔が・・・・・・。あとは寝るしかありませんね。先日の五嶋みどりさんのプロコフィエフのVn協奏曲第1番のビデオも続きをみたいけれど、とてもとても。健康第一、風呂に入ってもう寝ます。おやすみなさい。
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『カルロス・ゴーン 経営を語る』を読む

2005年12月25日 19時54分37秒 | -ノンフィクション
日産自動車が経営不振に苦しみ、フランスのルノーから社長を迎えるというニュースには、ずいぶん驚かされました。Japan as No.1 の時代に書かれた『覇者の驕り』でも、日産自動車の経営の問題点が指摘されてはいましたが、それにしても新しい社長がフランス生まれでなく、レバノン生まれのブラジル育ちという経歴を持ち、コストカッターというあだ名で知られているという事前の報道は、日産自動車の将来を危ぶませるものでした。
しかし、あれよあれよという間に急速な業績回復。どんなマジックを使ったのだろうと誰でも不思議に思います。何か、他の人には気づかない独自の指標を用いて経営を分析し、専制君主のようにリストラを断行し、負債を他に押しつけて見掛けの業績回復を演出したのではないか、とさえ疑いました。しかし、徐々にそうではないことが明らかになるにつれて、カルロス・ゴーンという個人に対する関心が高まりました。
この本の前半では、カルロス・ゴーンというレバノン生まれの少年が家族とともにブラジルに渡り、中等教育をレバノンで受け、フランスで高等教育を受け、多文化経験を重ねて行く過程が描かれます。特定の文化を絶対視して押しつけることをしないコミュニケーションの秘密が明かされます。そして後半では、タイヤメーカーのミシュランに入り、ブラジルの会社再建を経験します。続いてアメリカに渡り、北米ミシュランで腕をふるいます。やがて、ルノーからスカウトされ、シュヴァイツァー会長の懐刀として日本に派遣されます。
日本における会社再建は、きわめて合理的なもので、現場とのコミュニケーションを重視し、老害ともいえる不合理な点を改め、企業活動のバランスを日産の日本人社員グループが自己組織化できる段階まで微妙に調整するやり方でした。セブン・イレブンと呼ばれたほどの猛烈な働きぶりが、巨大な会社のあらゆるところで、社員との会話に費されたという事実は、何か特別なマジックではなかったことを物語っています。
たいへん興味深く読みました。
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おいしい地酒です

2005年12月25日 14時42分25秒 | Weblog
今日は、雪も一段落したようで、曇り空の中にぼんやりと太陽が見えます。子どもの送り迎えもなし、雪下ろしの肉体労働のあと、少々お酒をいただきました。河北町という小さな町の造り酒屋「あら玉」の和田酒造から発売されている、大吟醸「名刀月山丸」というお酒です。名前は少々いかめしいが、実はこのお酒、昔風に言うと和田酒造の跡取り娘が大学で発酵学を専攻して家業を継いだ、その証明のようなブランドでもあります。跡取り娘とはいえ、赤ん坊の頃から働いている昔気質の酒造り職人たちに囲まれて、いろいろ大変なこともあるのでしょうが、こういう美味しいお酒が新たに誕生するというのは、めでたいことです。また、記事中にもありますが、職人さんの経験と発酵学のデータとが見事に一致した、というあたりは、本物の伝統技術の確かさを証明するものでもあります。
「あら玉」の和田酒造の跡取り娘さんの紹介記事
念のため申し添えますが、このお嬢さん、先ごろ結婚されたそうで、ちまたの噂ではお相手はやはり同じ学問を専攻する大学の先生だとか。めでたいことです。伝統の小さな造り酒屋の将来に乾杯。
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庄司紗矢香さんのブラームスVn協奏曲を聞く

2005年12月24日 20時44分59秒 | -協奏曲
クリスマス・イブの夜、あたたかい室内で先日録画したビデオを楽しんだ。今日は前半だけ。アラン・ギルバート指揮北ドイツ放送交響楽団、2005年12月11日の演奏会である。前半は子供向けの小品をいくつか。後半は庄司紗矢香さんのヴァイオリンソロで、ブラームスのヴァイオリン協奏曲だった。インタビューの様子を見ると、22歳のお嬢さんらしからぬ緊張ぶりだったが、ステージでの演奏はひたむきで堂々たるものだ。
北ドイツ放送交響楽団、ブラームスの冒頭から中低音が豊かで、思わず引き込まれる。第1楽章、庄司紗矢香さんのコバルトブルーのドレスが右に左に揺れ、全身を使った演奏表現。思いきりのいい重音がピタリと決まる。やや口を半開きにして、ブラームスの満たされない思いをいっぱいにぶつけるように、弾ききった弓を高くあげてにっこりする。うわー、かっこいい!
大好きな第2楽章、はじめの木管楽器の奏でる調べに、思わずうっとり。そこからゆるやかにヴァイオリンが歌い出し、オーケストラとゆったりと優しく対話します。
見せ場の第3楽章、テンポはややゆっくりめでしょうか、ひたむきに技巧を駆使して、流れは軽快というわけにはいきませんが、音楽は大きく豊かです。
演奏家の体は小柄だが、精神的スタミナはたっぷり、表現は大きい。お母さんが日本人だという指揮者のアラン・ギルバートも、ソリストとオーケストラと互いに触発されて、振幅の大きな充実した演奏でした。
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除雪機を購入していて良かった!

2005年12月24日 10時24分24秒 | 週末農業・定年農業
12月の大雪は、2000年以来か。家族総出で除雪に追われたが、人力では限界があると感じた。あれにすっかり懲りて、翌年第一優先で除雪機を買った。45万円。現在四回目のシーズンに入っており、今年のような大雪には本当に助かる。
除雪機は季節商品なので、夏のうちに見込で製造して流通に回す。販売店も、夏から秋にかけて見込で発注しておく。したがって、大雪になってからだと現物が手に入りにくい。2000年の大雪の際も、除雪機を購入しようとしたが、どこの販売店でも「モノがありません」と断られた。今年は暖冬の予想だったので、たぶんメーカー側も除雪機の製造台数は少ないのではないか。
除雪機のメーカーはヤマハやホンダなどが有名だが、我が家の除雪機はシバウラ製。エンジンはホンダのものを使っているようだ。道路から裏の畑まで、きれいに除雪しておくと、日常生活が本当に助かる。同じ単機能機でも、田植え機や稲刈り機よりも生活への貢献度ははるかに大きい。
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ブラウザの先祖は書き込みや編集もできた?

2005年12月23日 20時45分41秒 | コンピュータ
スラッシュドット・ジャパンの記事で、WWWの創始者ティム・バーナーズ=リーがWeblogを始めたことを紹介(*)している。
(*):スラッシュドット・ジャパンの紹介記事

ティム・バーナーズ=リーのブログ(英文)は、
So I have a blog
というものだ。ここで注目したのは次の一節である。(下手な訳ですみません。)

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In 1989 one of the main objectives of the WWW was to be a space for sharing information. It seemed evident that it should be a space in which anyone could be creative, to which anyone could contribute. The first browser was actually a browser/editor, which allowed one to edit any page, and save it back to the web if one had access rights.

1989年におけるWWWの主な目的の一つは、情報を共有するスペースとなることであった。誰もが創造的であり、貢献しうる空間たるべきことは明白だった。最初のブラウザは、実際にブラウザ兼エディタであり、どんなページでも編集が許され、またアクセス権限があるならば、それを保存することもできた。
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ブラウザ戦争(*3)を経て利用者が手にしたものは、閲覧するだけのブラウザの進化だった。ホームページエディタでページを作成し、FTPツールでサーバに転送し、それをブラウザで閲覧する。一つ一つのツールの機能は進化し高度になった。だが、WWW創始者の目はもっと高いところにあったのだ。

(*3):ウェブブラウザ小史

書き込みや編集もできたWWWブラウザ兼エディタ。FTPなどを意識しなくとも、利用することができたネットワーク・アプリケーション。この方向性は、HomepageBuilder や Netscape Communicator などとベクトルは共通だろう。だが、方向は 編集機能を持たない InternetExplorer によって決定づけられてしまった。

その後、閲覧するだけでなく情報を共有する試みは Wiki や SNS あるいは Weblog など様々な形で探られてきたと言って良い。WWW創始者がブログを始めたからと言って、現在のブログが十全なものだという意味ではなかろう。事実、このgooブログでは、LaTeXソースさえ、エスケープ文字が使えないために正しく表示することができない。むしろ、サーバーサイドに基本的な機能をおき、利用者はブラウザでその機能を利用すると言う解に注目したというべきだろう。
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複線化、してますか

2005年12月23日 13時28分20秒 | Weblog
豪雪により各地で被害が出ているようです。関西や新潟の大停電は、送電線のトラブルによるものらしいとのこと。豪雪の中で命がけの復旧にあたる電力会社の作業員の方々の安全を、心からお祈りいたします。

さて、電化住宅が停電に弱いことは、考えればすぐわかることですが、石油ファンヒーターも停電すればただの鉄の箱にすぎないわけです。昔ながらの石油ストーブを保存していた家では、冬の停電時にほっとしたことでしょう。電気が来なくなったときのことを考え、電気に頼らない暖房を最低でも一組用意しておく。これも、一方が使えなくなったときもう一方で間に合わせることができる、という意味で、一種の暖房の複線化といえます。懐中電灯やロウソクを常備することも、危機管理などという言葉がなかった頃からの雪国の知恵かもしれません。

テレビは停電時には役に立ちませんが、カーラジオや携帯ラジオは役立ちます。これも、情報(放送)メディアの複線化に相当します。ノートパソコンなら停電時にもバッテリーで短時間使えるかもしれませんが、通信回線が使えるかどうか。PHSカードも中継局が停電ならダメかもしれません。複線化できないところが、災害時には弱い。そんな気がします。
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老父、退院する

2005年12月22日 20時06分42秒 | 健康
直腸ガンの手術の後の経過が順調で、早く退院したいと待ち望んでいた老父が、先日ついに退院。私は仕事の都合でどうしても行けず、老母と一緒に娘夫婦が迎えに行ってくれた。ポカポカの病院に比べて、留守にした我が家の寒さは格別だったとか、早速ヒーターにスイッチを入れ、お茶を飲みながらのんびりとコタツで文庫本を読んでいる。
やっぱり家で過ごすのが一番ゆっくりするのだろう。見慣れた顔、住み慣れた家、食物も道具も好みに合っている。年を取ったら、健康で気ままに暮らすのが一番の幸せなのかもしれない。

写真は退院当日の冬空。
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