電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

新しいカテゴリー「歴史技術科学」について

2014年05月31日 06時05分54秒 | ブログ運営
以前から科学や技術と歴史について興味を持ち、本や文献等を読んだり調べたりしてきましたが、現在の興味関心に基づいて、一つのストーリーを作ってみたらどうなるだろうと考えました。まあ、理系の石頭の考えることなど、面白いかどうかはわかりませんが、半ばノンフィクションで半ば創作で、というようなものを試みてみたいと考え、新しいカテゴリーを作ることにしました。

カテゴリー名としては、「歴史技術科学」としました。これは、通例は逆順に並べられるものでしょうが、実際には歴史の中で様々な技術が育まれ、その中で理論化・組織化されて科学が誕生する、というものではないかと思います。「ふーん、そんなものか」とお読みいただければ幸いです。


コメント

ノートのゴムバンドはやがて伸びる

2014年05月30日 06時03分25秒 | 手帳文具書斎
ノートにゴムバンドが付いているものがあります。ゴムの性質から、時間が経過するとやがて劣化して弛み、ビローンと伸びてしまいます。

某高級ノートを真似た百円ショップのハードカバー・ノートも、たまにスクラップする程度の利用なので、まだ半分も消費していませんが、すでにゴムが劣化して弾性を失い、ビローン状態になっています。これって、かえって邪魔になりますし、取り外すのも手間な上に、外した後がみっともない。ノートが開いてしまうのを防ぐのであれば、髪を束ねるようなゴムバンドでもよさそうです。それなら、もしもビローンと伸びてしまっても、ポイと捨てるだけですみ、ノートそのものは変化しません。本棚に長期間立てて保存するにも便利です。

コメント

雑誌に付録で付いてきた万年筆は今

2014年05月29日 06時01分36秒 | 手帳文具書斎
数年前に、雑誌に万年筆が付録に付いてくるというのが流行した時期があり、物珍しさから、二度ほど購入した(*1,2)ことがありました。

このときの付録万年筆は、今どうなっているのだろうかと思います。私の場合、わずか二本だけですが、いささか持て余し、捨てようかどうしようか迷っているところです。ミニ万年筆のほうは、ペン先がすぐに乾いてしまうのと書き出しが渋いのとで実用性が低く、捨ててもかまわない。もう一本のオレンジ色のほうは、実用的にはまずまずなのですが、ほとんど使う場面がなく、結局は余計なものになってしまっています。

ブログでは「買いました、使い始めました」という記事は書きやすい(*1,2)けれど、「結局は使わなくなりました」という記事は、自分自身のアホさをさらけ出すようで書きにくいものです。でも、団塊世代のちょい下に位置する利用者の正直な実状は、様々な企画を考える上で参考になるものかもしれず、恥をしのんで書いておきましょう(^o^;)>poripori

(*1):雑誌「GoodsPress」付録の万年筆で標準インクカートリッジが使えるか~「電網郊外散歩道」2011年12月
(*2):ミニ万年筆のこと~「電網郊外散歩道2007年12月
コメント (2)

西村淳『面白南極料理人』を読む

2014年05月28日 06時03分29秒 | -ノンフィクション
新潮文庫で、西村淳著『面白南極料理人』を読みました。抱腹絶倒の面白さです。

1996年から1998年、足掛け2年、実質1年の第38次南極観測隊に料理人として参加した海上保安庁職員・西村淳さんが描く、標高3,800m、年平均気温-57℃、最低気温は実に-80℃という極寒の地、ドームふじ観測拠点での男九人だけの生活ぶりが描かれます。いやはや、すさまじいものです。でもそれが、なんとなくユーモラスで可笑しい(^o^)/

越冬期間の楽しみは、「宴会」。これはよくわかります。実に様々な宴会とそのメニューが披露されますが、その中に音楽に触れた箇所がありました。金戸基地長の誕生会の設営と準備作業のBGMとして、選曲を依頼したのが佐藤隊員。この人、どうも少々ピントがずれているエンジニアのようで、その選曲の合わなさ加減が可笑しい(^o^)/

尾崎豊「卒業」 これは世代的にも相性的にも合わないでしょう。
吉幾三「酔歌」 たしかに、一升瓶を立てて仕事など放り出したくなるかも。

結局、落ち着いて料理の準備に取り組むことができたのは、モーツァルトの音楽だった(p.132)とのこと。うーむ、モーツァルトは南極でも強かったか(^o^)/

食材のダンボールが、貯蔵庫の落盤のために野外に山積みになっており、冬のブリザードで全部が埋まってしまう前になんとか貯蔵しなければなりません。その対処法が、切り出した雪でイグルー型の倉庫を建設してしまうというアイデアです。なーるほど、天然の野外冷凍庫ですね。しかも、業務用の二段コンプレッサーの-40℃も真っ青、-60℃とか-70℃とかいう、超高性能(^o^)/
日本では初夏の時期が、南極では太陽がのぼらない厳冬期に入ろうというところでしょうか。南極の某マーチン基地(*)の様子はこんなふうです。

もう一つ、当方のツボにはまった内容が、各隊員がうんちくをかたむけるドーム大学で著者が披露した、「楽しいキャンプ道具の話」(p.248~259)でした。家族を喜ばせる野外キャンプ講座に大笑いしながら、そうだそのとおりだと膝を打ちました(^o^)/

映画「南極料理人」の原作の一つになっているそうですが、残念ながらこの映画は未見です。できれば、DVD等で観てみたいものです。

(*):冬ならばペンギンが見られます~今年も健在・南極マーチン基地のライブカメラで見るペンギンたち~「電網郊外散歩道」2014年1月

コメント (2)

お気に入りのシャツのボタン付けにトライする

2014年05月27日 06時04分33秒 | 料理住居衣服
農作業や散歩の際に、愛用しているシャツがあります。着古してすっかり肌になじんでおり、平日には一番先に手に取るものです。先日、これのボタンが取れてしまい、さて困りました。あいにく、妻も知人の葬儀に出かけて不在、老母は畑に出ているからというよりも、ボタンつけを頼める年齢ではない。これは自分でやるしかないと、思い切って取り出しました。何を? ……老眼鏡を(^o^)/

あいにく、手元の針箱には黒い糸を切らしておりましたので、青い糸を使ってボタンつけをすることに。針に糸を通すことなど、若い頃はまったく平気だったのに、今はどうしてこんなに難しいのでしょうか。明るいところで試しましたが、失敗(^o^)/
こんどは蛍光灯を点け、机上に備忘録ノートの白紙のページを広げて明るいバックとし、椅子に座って再度トライしました。やった~! 糸を通せたぞ!

あとは、昔、小学校の家庭科で習ったボタン付けの基本にそって、まずシャツの布地に糸を通し、ボタンの穴に糸を通し、上からもう一つのボタン穴に針で糸を通して布地を貫通させ、こんどは布地の下から見当をつけてボタン穴めがけて針を差す。これを繰り返した後、ボタンと布地の間の糸をぐるぐる巻きにして補強してから下布に針を通し、糸を結びます。~以上、完成~(^o^)/



しかし、シャツのボタンをたった一個つけただけでブログの記事を一本書いてしまうというのは、当「電網郊外散歩道」ぐらいではないかと思いまする(^o^)/wahaha

コメント (2)

「料理」カテゴリーを「料理・家事」に変更する

2014年05月26日 06時03分44秒 | ブログ運営
単身赴任の際に、お弁当や自己流簡単料理の話題をネタにしていた「料理」カテゴリーですが、妻に「恥ずかしいじゃないの~」と食卓の写真掲載を制限され、近年はとんと話題が少なくなっておりました。せっかくのカテゴリーが勿体ないと、思い立って「料理・家事」にカテゴリー名を変更、料理以外の家事の話題も掲載可能といたしました。うーむ、ますます仙人生活と化しておりまする(^o^)/


コメント (2)

木嶋真優のヴァイオリン愛奏曲集「Rise」を聴く

2014年05月25日 06時05分14秒 | -室内楽
このところ、4月の山形交響楽団第236回定期演奏会でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏した、木嶋真優(Mayu KISHIMA)さんのCDを聴いています。「Rise」という題の、ヴァイオリン愛奏曲集といった趣きのもので、ピアノは江口玲(Akira EGUCHI)さん。曲目は次のようになっています。

1. サン=サーンス:序奏とロンド・カプリッチオーソ Op.28
2. フバイ:カルメンによる華麗な幻想曲 Op.3-3
3. チャイコフスキー:ワルツ-スケルツォ Op.34
4. イザイ:悲劇的な詩 Op.12
5. フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 Op.13
6. フォーレ:夢のあとに Op.7-1

作品番号から見て、作曲者が比較的若い時期の作品が選ばれているようです。もう一つ付け加えると、1曲目のサン=サーンスから、技巧の勝った、演奏効果にすぐれた曲目から、しだいにフォーレのヴァイオリン・ソナタのように、やや地味めですが内に秘めた情熱を感じさせるような曲目に変化していきます。最後の曲目が「夢のあとに」ですから、この配列は意図的なものでしょう。

最初の曲目、サン=サーンス:序奏とロンド・カプリッチオーソでは、技巧の切れ味と音楽的な演奏効果に目を見張りますし、フバイの「カルメン」幻想曲では、ビゼーのオリジナルな旋律を活かしながら、楽しく見事な、ヴァイオリンとピアノの二重奏曲として再現します。サラサーテともワックスマンとも違う、フバイならではの見事な「カルメン」を聴くことができます。
チャイコフスキーも同様に、技巧の冴えに加えて、軽やかさや楽しさの要素も引き出してくれるようです。
そして、イザイの「悲劇的な詩」あたりから、とくにフォーレのヴァイオリンソナタでは、技巧に終わらない内省的というか求心的というか、優しい音楽であるだけでなく、作曲家が曲の中に秘めた情熱と、演奏家の表現意欲を強く感じさせる演奏となってきます。江口玲さんのピアノもまた素晴らしい演奏で、思わず聴き入ってしまいます。

そういえば、フォーレのヴァイオリン・ソナタを聴くのは何年ぶりだろう? 古くはジャン・ユボーらの「フォーレ室内楽全集」のLPで愛聴しておりましたが、近年はほとんど耳にしておりませんでした。最後の「夢のあとに」で余韻を残して終わるまで、フォーレの音楽を堪能しました。

CDは EXTON レーベルで、OVCL-00485 という型番でオクタヴィア・レコードから発売されており、2012年の9月25日~26日の2日間で、埼玉県の三芳町文化会館で収録されたデジタル録音です。江口さんのピアノの響きもたいへん美しく録音されており、演奏録音ともに見事な一枚だと感じます。どちらかといえばアグレッシブな演奏かと思いますが、これはおすすめです。

(*1):山響第236回定期演奏会でシューベルト、メンデルスゾーン、ドヴォルザークを聴く~「電網郊外散歩道」2014年4月

YouTube に、木嶋さんのコンクールの時の映像がありました。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第3楽章です。画質はあまりよろしくありませんが、コンクールの雰囲気は充分に伝わるようです。
Mayu Kishima | Brahms Violin Concerto | 3rd Mvt | Queen Elisabeth Violin Competition | 2009


コメント

Windows8(7)で電源を切るボタンに一度ポーズを加える

2014年05月24日 06時01分03秒 | コンピュータ
先に、Windows8(または7)で電源を切るアイコンを作成する記事(*1)を書きましたが、この話を某サークルで紹介したところ、強制的に電源を遮断してしまう前に、一呼吸おきたいときはどうすればよいか、という質問がありました。

これは、例のバッチファイル poff.bat

echo off
cls
shutdown -s -t 0

に、次のような行を書き加えます。

echo off
cls
echo 電源をオフにします。
pause
shutdown -s -t 0

これを上書き保存し、アイコンをダブルクリックすると、

電源をオフにします。
何かキーを押してください

と表示され、ポーズ(実行を一時停止している)状態になります。そこで、使用中の WORD/EXCEL 等のファイルをマウスで保存終了してから Enter 等のキーを押すと、後半の shutdown コマンドが呼び出されて、電源が遮断されます。

ちょっとしたことですが、案外これが好評でした。

(*1):Windows8に「PowerOFF」のボタンを作る~「電網郊外散歩道」2014年2月

【追記】
Windows の shutdown コマンドの引数の表記を Linux のものと混同していることに気づきました。

× shutdown /s /t 0
○ shutdown -s -t 0

以上、訂正です。

コメント

サブノート・パソコンの出番は意外に少ないが、ないと困る

2014年05月23日 06時08分55秒 | コンピュータ
自宅でも職場でも、ほぼ常時デスクトップ・パソコンが起動しておりますので、何か疑問があればすぐに Google で検索します。宿泊の行事でもなければ、出先でパソコンを必要とすることはまずありません(*1)。「はて、あれは何だっけ」ということは、手帳や備忘録を広げれば参照できるケースがほとんどです。スマートフォンを持ち歩く必要を感じないということは、日常がルーティンワークの範囲内にとどまり、新しい挑戦をしていない、ということなのかもしれませんが(^o^;)>poripori

Windows8の操作性にも慣れて、使いやすく環境も整備しました。私の場合、サブノート・パソコンは、実際問題としてほとんど宿泊用とプレゼン用というのが実態です。年に数回程度ではありますが、その場面になると、確かにないと困ります。

(*1):それも、たいていは当ブログの更新が目的だったりします(^o^;)>poripori

コメント

北重人『鳥かごの詩』を読む

2014年05月22日 06時01分00秒 | 読書
小学館文庫で、北重人著『鳥かごの詩』を読みました。

大学受験に失敗した鳥海康男は、父親の懸念を振りきるようにして上京し、浪人生活を始めます。住み込んだのは、東京の下町にある草之端Y新聞店でした。ここは、店主の梨沢さんやおかみさんのカナさんだけでなく、「個室」が得られる点が魅力でした。個室といっても、ダンボールで仕切られた鳥かごのような部屋で、住み込みで働く人たちも、いずれも風変わりな面々です。初めての東京、初めての環境に悪戦苦闘しながら、新聞配達という仕事を覚えていきます。

配達を教えてくれたテツや、その甥のトシ、高二のサキや爺さんなど、この一族はそうとうにアブナイ人たちです。たぶん、田舎からポッと出てきた康男の素朴さ、素直さが、彼らに親近感を抱かせたのでしょう。サキにフラフラとなる康男の浪人生活ははたしてどうなるのか? 後半は、とくにトシの父親でサキの叔父だという木田彪(タケシ)の極悪さ、野獣性が大きく立ちはだかり、ハラハラします。



作家の自伝的な色彩の濃い作品だそうですが、1948年に山形県酒田市に生まれたとありますから、存命であれば66歳、二度目の大学受験は1968年ということになります。すると、浪人生活は主として1967年の出来事でしょう。西穂高岳で高校生の落雷遭難事故が発生し、四日市喘息の公害訴訟が起こり、南アフリカで世界初の心臓移植手術が行われた年だったようです。ブルーコメッツの「ブルーシャトー」、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、佐良直美の「世界は二人のために」、森山良子の「この広い野原いっぱい」、ビートルズの「ハロー・グッドバイ」などがヒットしておりました。年号で言えば昭和43年。ワタクシはちょうど高校生になったばかりの年に、センパイたちはこんなふうに苦労していたのですね。
(^o^;)>poripori
コメント

万歩計の電池を交換する

2014年05月21日 06時03分54秒 | 散歩外出ドライブ
先日、某量販店にて、万歩計の電池を交換してもらいました。ついでに、寝床のわきの蛍光灯スタンドのツイン蛍光管を購入し、交換しました。これで、心置きなく「寝ながら読書」ができます(^o^)/

ところで、万歩計の時刻等の設定のしかたを忘れてしまいましたので、某量販店の店員さんに教えてもらいました。お客さんが少ない時間帯に行ったせいか、たいへん親切に教えてくれました。当方の美貌の、もとい、備忘のために、設定のしかたをメモしておきましょう。



1.「表示切換/設定」ボタンを長押しする
2. 「メモリ/▲」ボタンでカウントアップし、時刻等を設定
3. 「リセット」を長押しすると、設定がリセットされてしまうので注意。


門柱の頭にようやくカバーがつきました。色から見て、銅?真鍮?よくわかりませんが、雪が積もりにくい形になっていることだけは確かなようです。

コメント

ショパン「ピアノ協奏曲第2番」を聴く

2014年05月20日 06時06分39秒 | -協奏曲
当ブログでは、R.シューマンの音楽を取り上げる回数はかなりありますが、ショパンを取り上げるのはごく珍しいのではないかと思います。これは、ショパンの音楽が嫌いだとかそういうことではなくて、ショパンを取り上げようとすると、昔の某評論家の言葉が呪文のように作用し、ペンあるいはキーボードの動きを押しとどめてしまうためです。はっきりした文章は忘れてしまいましたが、たしか、こんな内容でした。

ショパンの音楽は、ピアノ音楽の精華である。ショパン以前の時代の鍵盤楽器の音楽を充分に身につけた者でなければ、ショパンの音楽を理解し表現することはできないのだ。

うーむ、若い頃にこういう「崇め奉り、遠ざける」言葉が刷り込まれてしまうと、なかなかそこから脱するのは難しく、つい文章にするのが躊躇われてしまうのです(^o^;)>poripori

でも、好んで聴いてはいるのです。ただし、ごくヒソカに(^o^)/
例えばショパンの「ピアノ協奏曲第2番」。
若い頃は、オーケストラ部にブラームスのピアノ協奏曲のような重厚さや迫力が不足すると感じて、やや軽く見るきらいがありましたが、中年以降は、このピアノ協奏曲の、とくに第2楽章のピアノの部分などに、たいそう惹かれます。「ブラームスのようでない」というないものねだりではなく、「さ~すがショパン!」という本来の良さをあるがままに楽しめるようになったのが大きいでしょう。また、山形交響楽団の定期演奏会(*1)で実演に接し、あらためてこの曲の魅力に気づかされたのも大きいと思います。

作曲年代は1829年の秋だそうで、後から出版された第2番の方が第1番よりも作曲年代は早いのだそうな。楽器編成は、独奏ピアノとフルート(2)、オーボエ(2)、クラリネット(2)、ファゴット(2)、ホルン(2)、トランペット(2)、トロンボーン、ティンパニ、そして弦楽5部というものです。

第1楽章:マエストーソ。CDに添付のリーフレットには協奏風ソナタ形式とありますが、正直言ってよくわからない。オーケストラが比較的長めの序奏を奏するうちに、独奏ピアノが登場してきますが、雰囲気が一変するのが感じられます。この自由に奏でられるピアノの魅力がこの曲の本質であって、オーケストラはそれを妨げないことが大切なのでしょう。
第2楽章:ラルゲット、変イ長調。旅から帰国したばかりの20歳の青年が思いのたけを語るような、実にロマンティックな音楽。この溢れるような感情に、自分の若い時代をも一緒に重ね合わせて回想してしまうのです。もちろん、こんなロマンティックな出来事は何もなかったけれど、若かったことだけでも充分な気がします。
第3楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ、ロンド形式。同様に、独奏ピアノが縦横に活躍します。オーケストラは、管楽器などの音色をピアノと対比させつつ、ピアニストを上手に引き立てています。その意味では、あまりムキにならない、大人の指揮者、オーケストラであることが必要かもしれません(^o^;)>poripori



手元にあるCDは、クラウディオ・アラウのピアノ、エリアフ・インバル指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏で、1970年10月にロンドンで録音されたフィリップス原盤のものです。型番は、UCCP-7019。アナログ録音全盛期の、なかなか魅力的な演奏・録音です。

参考までに演奏データを示します。
■アラウ(Pf)、インバル指揮ロンドン・フィル
I=14'41" II=10'06" III=9'11" total=33'58"

(*1):山形交響楽団第229回定期演奏会でシューベルト、ショパン、ブラームスを聴く~「電網郊外散歩道」2013年5月

コメント

ライラックとツツジを並べて植えると

2014年05月19日 06時02分55秒 | 週末農業・定年農業
我が家の果樹園の入り口には、ライラックとツツジが並べて植えてありますが、植えた父親が亡くなったために、手入れもおろそかになってしまい、ライラックの勢いが年々弱まって、昨年などは息も絶え絶えのような状態で、今にも枯れそうになっておりました。これではいけないと、昨年、一念発起して、ライラックとツツジの根回りを観察してみました。すると、驚いたことに、絡まりあったツツジの枝がライラックをぐるりと取り囲み、ちょうどヘビが小動物をぎゅうぎゅうと締め付けるような塩梅で、これでは枯れそうになるのも無理はないと思える状況でした。

そこで、絡まりあったツツジの根元をノコギリで切り分け、円周の半分ほどを残して、残りの半分を切り取ってしまい、ライラックの根元をゆったりと開け放してやりました。さらに、上にかぶさっていたスモモの枝を間引き剪定して、光が充分に当たるようにしてやりました。



その効果があったのか、今年はライラックが元気良く葉をつけ、新芽も伸びてきています。美しく香りの良い花房もたくさんつけました。



ツツジの方はと言うと、残る半分の枝で美しいピンクの花をつけています。知らんふりして細かい枝がたくさん出ていて、今からでも締め付けてやろうと狙っているようで、油断がなりません(^o^)/



ライラックとツツジを並べて植えたりするものではないと思いながら、配色の妙は確かに感じます。なるほど、背後にある牡丹といい芍薬といい、次々に連続して花を咲かせる景色を、果樹園の入り口に構想していたのだなと、少しばかり亡父の風流心を垣間見たような気分になりました。

コメント (4)

北重人『夜明けの橋』を読む

2014年05月18日 06時02分43秒 | 読書
新潮文庫で、北重人著『夜明けの橋』を読みました。
第1話:「日照雨」は、武士を捨て、町人となっていた刀屋が、たまたまならず者の武士の集団になぶられ、依頼物の刀を池に捨てられます。じっと我慢していたものの、ついに耐えきれずに、刀屋は脇差で立ち向かいます。因縁も何もない、行きずりの闘争に至る経過には、緊迫感があります。
第2話:「梅花の下で」。かつて河越城の大道寺政繁に仕えていた澤井世右衛門は、武士であることをやめて、調達の経験を生かして薪炭商として店を構え、成功しています。そこへ、昔の仲間である菅九兵衛が訪ねて来たのに加えて、もう一人、當麻平三郎もやってきます。酒を出し、昔話をして懐かしみますが、九兵衛は争いで相手を斬り、家来も死人を出したとのことで、平三郎には最後の介錯、世右衛門には後に残される家族の扶助を頼みに来たのでした。
第3話:「与力」。これは、できれば映画で観たいと思わせる短編です。今は吉原の遊廓の用心棒をしている大道寺三五郎は、元は小田原北条氏に仕えた武士の子でしたが、今は元遊女のおあんを女房にして暮らしています。おあんも元は武家の娘で、館のような家で暮らしていたのでしたが、野盗に襲われて焼き討ちにあい、拐かされて売られた身の上です。町奉行の与力で火付盗賊改役の木次籘兵衛は、江戸の町が日ごとに大きくなるのに人手は足りず、三五郎の武芸と膂力とを高く買っています。残虐な火盗の集団が加賀屋を襲うという情報が入り、三五郎は少ない人数で待ち構えます。この緊張感といい闘争シーンといい、ユーモラスな後日談としての終わり方といい、ほんとによくできたストーリーです。これはやっぱり映画でしょう(^o^)/
第4話:「伊勢町三浦屋」。明日の荷納めと仕込みの話が済むと、三浦屋五郎左衛門の商人としての一日は終わります。晩餉を終えると文机に向かい、文を記すことが、妻も亡くなった五郎左衛門の慰めになっていました。諸人が寝静まっている夜中に筆を執り、小田原籠城戦の記録を書き残す描写は、もしかすると作家の自画像の投影なのでしょうか。
第5話:「日本橋」。空腹で行き倒れになりそうだったけれど、吉之助は橋の普請現場で手伝いをするようになります。幕府が開かれ、江戸の町が次第に形作られていく時期に、橋の普請は競争で行われていました。過剰な競争心は、時に歪んだ形であらわれることがあります。いやなことですが、それもまた世の中の現実でしょう。ここでも、武士をやめて普請の仕事に生きがいを見出す姿が描かれます。



江戸時代草創期の江戸の町を舞台に、元は武士だった者たちが、様々に生きる姿を見せる短編集です。時代設定も、舞台となる町と人々の描き方も、元造園や都市計画コンサルタントを業とした作者ならではの特色を見せてくれます。藤沢周平作品とは違った意味で、これはおもしろい。単行本は平成21年に刊行されているようで、文庫本のほうは平成24年発行です。

コメント (2)

板塀を改修する

2014年05月17日 06時01分42秒 | 季節と行事
我が家の板塀は、だいぶ傷んできており、一部に危険ではないかという声も上っておりました(^o^;)>poripori
亡父が鉄製の支柱を特注し対応はしていたものの、実際、築65年ほど経過しているのと、毎年冬に除雪車が押してのっそり置いていく雪のために、土台となる部分の木材が腐って来ておりました。もし道路側に倒壊したら、通行人に危険が及ぶ可能性があり、昨年に改修を決意、見積りを依頼して比較したところ、アルミ製のものよりも板塀のほうが結果的に安くつくことがわかり、近所の大工さんに依頼しました。

■工事前

■工事中



雪が融けて、敷地内の電柱の移転工事やら、障害となる松の伐採やら隣接する自転車小屋の解体やらが始まり、基礎コンクリートの施工の後は一気に板塀が組みあがりました。まだ屋根のトタンをかぶせる作業や、仕上げ塗装、道路側のコンクリート部の仕上げが残っていますが、まずは八割がた出来上がりつつある状況でしょうか。自分が元気なうちに塀の改修ができたと、老母がたいへん喜んでおります。

コメント