もうすぐチビの一周忌。そして、ブログを始めて一周年。
チビを亡くしてスタッフ一同落ち込んだ1年前。ようやく決意も新たにこのブログを始めた途端に最愛のテツとの死別。それでもこのブログを続けられたのは、この2匹がこの世に存在したことを知る仲間たち、ニャーやシャッポ、そしてみうとソトチビがいたからでした。
あれから1年経った今の状況は、当時の予測とは遥かに違うものです。ノラの生活が明日をも知れず、その生涯がかくも激動のものだとは思いもしなかった。今、ニャーとみうは家に、シャッポは行方不明、そして"通い"を続けるソトチビとは消え入りそうな関係です。
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"皆勤賞"だったソトチビ、しかしこの1週間ほど姿を見せません
その後保護したテンちゃんは店にいるものの、ダイフクは今も健在だけど未だ触れず、そしてモドキ、カブキ、コンは残念ながら行方知らずになりました。
今にして思えば、1年前の自分にはノラのことをしっかり理解できていなかった。日々の空腹と寒さを如何に凌ぐか、彼らとって最大の課題は"生きること"だと信じていた。安心安全までは理解できないにしても、尽きない食料と暖かい寝床のあるこの店の環境を、そう簡単に手放すとは夢にも思っていなかったのです。
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みうは1年半もの間わが家の裏で生活して、ついに家の子になりました
シャッポやモドキは何故いなくなったのか。ダイフクの影に怯えたにしても、ダイフク自身も"通い"の存在だ。しかもモドキは、ダイフクを追い払う姿まで目撃されている。2匹が二股をかけていたのか、新天地を求めて路頭に迷い出たのかはわかりません。少なくともシャッポに関しては、二股はなかったと思います。
やはりノラには、生きることより優先する何かがあるのかもしれない。以前に「ノラの本懐」や「ノラの矜持」で書いた"野生の本能"とは違う何か。いや、ノラとか家猫とかそういう区別とは次元の違う、あらゆるニャンコに共通する何かです。
雄猫は単独生活と言われる。だが、シャッポとチビのように仲のいい場合もあるし、テツのように人間に大接近してきたりもする。あの百戦錬磨に見えるダイフクでさえ、コンに対しては優しかった。これまでいろいろな面を教えてくれたテンちゃんにも、そんな相手が見つかればいいなと思います。
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また鼻に"勲章"をつけたダイフク
当たり前のように激変を繰り返すノラの生活。明日をも知れない不安。人間だったらとても耐えられそうもない。何故ノラたちは、いつもあれほど健気に前向きでいられるのか。猫という動物には人間のような感情がないのだろうか。しかも生きることが最優先でないとすれば、死をも恐れないということか。
いやいや、それは違う。これまで身近なニャンコたちが危険に遭遇したときの、恐怖の表情を何回も見てきた。みうは家に入れたとき不安で2週間鳴き続けたし、テンちゃんを散歩でほんの少し離れたところまで連れて行くと、血相変えて抱きついてくる。(あのゴジラ顔で抱きつかれると、なかなかの迫力です!)
彼らには恐怖も不安もあります。いや、それどころか喜怒哀楽もしっかりと感じているのです。ネコが悲しむ? ええ、あります。チビを失った日のシャッポの行動は、今も忘れることができません。 ニャンコは思い出を持てないけど、人間と同じように物事を感じる気持があるのです。
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(再掲)チビが事故死した日、シャッポは悲しげな声をあげていつまでもチビを探した
それでも、死をも恐れない行動を起こすニャンコたち。
よく考えてみたら人間だって同じだった。世界を恐怖に陥れた"自爆テロ"しかり。日本でも、武士の魂と言って恥をかくより切腹を選んだ時代があった。
教育(洗脳)ではない、信仰や自尊心とも違う、でも命に代えても守りたい何か。いや"守る"というより、我慢のできない衝動のようなものかもしれない。知能優れた人間にさえ悟られないように、神様が我々生き物のDNAにこっそりインプットした何かだ。
でも、仮にそうだとしても、そんな衝動が起こらない世の中になればいいのです。ああ、ニャンコであろうが人間であろうが、そんな悲しいことをしなくて済む時代はいつになったら来るのだろうか。
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家で店で、爆睡するニャー(左)とテン
家猫からノラ時代を経て、今やそれぞれの主的存在になりました