今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

死刑に処すべし

2019年06月07日 | ノラたちの幸せを願って
突然ですが最近は、憤りを越えて絶望的としか言いようがないほど痛ましい事件が多い。
川﨑の小学生殺傷は、まったく自分勝手な動機でしかも無差別に弱く罪もない子供たちに刃を向けた。こんな狂気の沙汰を一体どうやって防げばいいのか。各番組でこぞってやっている犯罪心理学者の分析など何の役にも立たない。むしろ今後の"予備軍"たちに情報を与えているようなものではないか。

この手の犯罪では、決して犯罪者の人権を擁護しようとしてはならない。犯罪者はまず社会的に葬り、最後に自分が犯した罪と同じ方法で処遇されるべきだ。精神鑑定など必要ない。はっきり言ってこれは極論です。でも報道は、もっともっと被害者の遺族に寄り添うべきだ。唐突に理不尽に、愛する家族を奪われた身にもなってみろ。間違っても、犯罪者が予備軍たちに英雄視されるような報道をしてはならない。我々善良なる市民には、犯罪者を理解する必要などないのだから。

異常者に弱い者が狙われる。日本はいつからこんな世の中になったのだろう。それとも昔からあったのだろうか。言えることは、日本では昔から各地で猫捨てが横行している。猫をかわいがる。その猫が子供を産んだ。すると何処かに捨てに行く。この歪んだ愛情が、昨今の異常者の狂気の沙汰に繋がっているように思えてならないのです。


ニャー:「またオジンの過激が始まったな」


富山で猫の連れ去り犯が捕まった。
被害者とボランティアさんたちの機転によるものだ。51歳男の犯人は1年半の間に50~100匹の猫を連れ去り、書くに堪えない残忍な方法で虐待し、殺害し、海や川に捨てたという。その中には飼い猫も多く被害届が出ていた。その動機は、「一人暮らしで誰も相手にしてくれずストレスがたまっていたから。」

 何をか言わんや。自分には、こんな犯人には死刑判決しか思いつきません。まず社会的な制裁を与え、損害賠償慰謝料で全財産を没収し、そして自分の罪と同じ方法で処遇されるのがふさわしい。尚、北日本新聞によると、富山では今年になって他にも5件の猫連れ去り事件があったらしい。

三重での連れ去りは犯人が公開された。
他人の家から猫を連れ去って飼おうとしたが馴れないので捨てた犯人は、その素性がSNSで拡散された。その猫「はとちゃん」はボランティアでもある保護者の必死の捜索で元の家に戻ることができた。協力者が大勢いたことに救われた気がするが、だからと言って決して犯人が許されてはならない。

山口でも虐待を受けたと思われる猫が相次いで見つかった。
これには著名人の古谷経衡さんと田中康夫さんが意見を寄せているので、直接読んで頂ければ幸いです。(Yahooニュース、残虐な表現があります。 ※後注:既に削除されました。)


テン:「頑張れオジン、オレも応援するからな」

でも、だからと言ってこの世の中を変える必要があるかと言うと、それはちょっと論点が違う気がする。何故ならこのようなニュースに出てくる異常者は、(その予備軍を含めたとしても)非常に小さな比率だからです。殆どの人たちにとってこんな蛮行は無縁の話だ。それを社会全体の話に摩り替えるから、逆に犯罪者の異常性を正当化してしまうのではないだろうか。

このような犯罪行為はどんな人でもその奥底に秘めている、などと心理学者は言う。自分は性善説指向ではないが、そんな学者は信じないし、そんな学問は無用の長物だと思います。

ただ、我々普通の善良なる市民にもできることがある。このような犯罪を心底憎み、決して犯人を許さないという断固たる意志と行動だ。しかし数多ある猫好きブログの記事の中で、餌やり非難は繰り返されても猫捨てに対して寛容(非難が少ない)なのは何故なのか。

これも心が痛む野田の少女虐待死事件で、学校も役所も児相も虐待の事実を知りながら少女を守ることができなかった。それどころか市の教育委員会は、秘密保守を約束したアンケートに少女が書き込んだ虐待の事実を、こともあろうに虐待の張本人である父親に渡した。これは殺人幇助に匹敵するくらいの大罪だと思うのだが、誰も罰せられない。彼らの弁明は、本当に見苦しい。父親に虐待され、周囲の大人たちに裏切られた少女はどんな思いで死んでいったのか、それを思うと悔しくて涙が出る。


モドキ:「ついにオジンノラの代表格になりました」

自分は絶対にそんな見苦しい真似はしない。困ったら警察を頼る。ひとりひとりの人間がそう決意することが、このような犯罪を減らす一番の近道なのだと思います。

コメント
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