今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

動物愛護とメディア批評

2019年09月02日 | ノラたちの幸せを願って
マンションの35階ベランダから2mほど空中に突き出したパイプ。その先端にある15cm角ほどの小さなスペースに猫がいた。猫はまだ若く子猫の面影を残している。もちろん緊張で身じろぎもできず、この世の終わりに遭遇したような表情だ。遥か下には豆粒のように小さな車が行き交っている。そして撮影者の女性の笑い声。ケラケラと馬鹿みたいに笑い続けている。

先日の情報番組「特ダネ」で紹介された動画です。中国で投稿されたという。番組ではこの動画を何度も繰り返して放映した。「いいね」ほしさに、このような動物虐待動画が増えているとか。コメンテーターは「こんなことして何が面白いんでしょうかねえ」と。最後の小倉MCの一言、「この猫はダメだったようです」は途中で切れた。

師弟関係:ちび太とニャー(右)

いきなり気が重くなる話ですみません。今回はちょっと硬派です。趣味に合わない方はパスして下さい。猫の虐待、と一般化して言えば個々の猫は気にならなくなる。するとその問題自体が遠い出来事のように感じてくる。でも、あのパイプの先にいた猫はこの世に一匹しかいない猫なのです。頑張って生きようとしていたに違いない、他の何物にも変えられない猫だったはずです。命とはそういうものだ。ひとつひとつの人生(猫生)が刻まれている。とても一般論なんかで済まされるものではない。

高所恐怖症気味の自分はあの映像を見ただけでもくらくらするほどでした。恐怖にかられた、でも訴えることも助けを求めることもできない猫の姿が、脳裡に焼きついて離れません。

このブログにある『ノラたちの幸せを願って』カテゴリーでは、最新の3記事がいずれも虐待をテーマにしています。「やさしい報道と再発の危惧」「死刑に処すべし」「猫虐待にNo」・・・このカテゴリーはもともとノラたちの幸せを追求する場だったのに、最近の世相を反映してかネガティヴな方向に傾きつつある。残念ながら今回もその延長です。

旧女子連合:今は亡きみう(上)とリン

「特ダネ」に限らず、ワンニャンノラや動物虐待に関する報道は最近増えてきた感がある。その要因のひとつが”バイトテロ”などと同じで動画投稿を目的とした愉快犯が増えたからだろう。この連中は脳味噌が足りないから、「いいね」欲しさに何でもやっちゃう。もちろん命の尊さなど説いたって糠に釘。

そのせいか、MCもコメンテーターも何とも歯切れが悪い。はっきり言って、自分たちが今報道していることは命に関わる大変なことなんだという切迫感がない。被害者が人間だったらここまで能天気なことはないと思うが、やはり動物だからだろうか。民法では物と同じだし、何てったって牛や豚は毎日殺して食べてるじゃないかと。増えすぎて森林を破壊する鹿を駆除(殺処分)するのも、日本の生態系を守るために外来生物を駆除(殺処分)するのも、街中に出てきて人々の生活を危うくする熊や猪を駆除(殺処分)するのも、増えすぎた野良猫を駆除(殺処分)するのもみな同じじゃないかと。35階から落とすのと、炭酸ガスで苦しみもがいて窒息死させるのと何がちがうのかと。

以前にも述べましたが、この種の報道は大抵保護ボラ団体さんが出てきて「その一方ではこんなに救われています」とやる。人間社会は捨てたもんじゃないよと。それが虐待や殺処分という不条理を覆い隠すための方便に過ぎないことを、この報道関係者たちは気付いているのだろうか。この春に「バンキシャ」という番組が猫捨てに焦点を当てた報道を行った。その主旨はよかったが、コメンテーターのトンチンカンな発言で台無しになった。

育ての親?:シロキとチキン(右)

再犯を断ちさらに予備軍の台頭を断ち切るには、軽い気持ちでいる犯人が驚くほどの大きな制裁を与える他はありません。しかし刑法の量刑には限度があって動物虐待の上限は残念ながらまだまだ軽い。そこで社会的制裁の意味が大きくなり報道の役割が増すのです。名指しが無理なら匿名でもかまわない。とにかく滅茶苦茶に非難して制裁を加えることです。そうでないと犯人の思う壺だ。犯人は投稿動画が拡散してより多くの人に見せたいので、下手をすればそんな犯人をサポートするだけに終わってしまうのです。

メディアは民衆の頼もしい味方ではあるが、時として民衆に牙を剝く恐ろしい猛獣にもなる。先の戦争中に偽りの戦果を流して国民を欺き、「命を国に捧げる」「欲しがりません勝つまでは」と国民を煽動し、平和を願う人々を非国民呼ばわりしたのは他ならぬメディアだ。もうひとつ。パパラッチに追われるダイアナ妃の車が事故を起こしたとき、追い着いたパパラッチは誰一人として妃を助けようとせず、スクープとばかりに写真を撮りまくった。自分はこれがメディアの本質だと思っています。メディアとは新聞や週刊誌の記事を書く人、載せる人、テレビニュース番組のスタッフや出演者たちのこと。つまり人間です。そしてあの戦争中の報道関係者やパパラッチの血は、今でもこの業界に脈々と流れていると思っています。

ツインズ:キー(右)とクウ

メディアには巨大な力がある。その力を制御できないのなら携わるべきではない。我々はメディアの流す報道を盲信するのではなく、常に批判的に受け止める必要がある。報道関係者の自戒と自制心をしっかりとチェックしなければならないのです。動物愛護を具現化するために奔走する人たち。その人たちを世間に知らしめるメディア。しかしそれだけでは足りない。反動物愛護の行為を撲滅するのも、メディアの大切な役割なのではないでしょうか。

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