今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

被災して命を落としたワンニャンたちの、無念の涙を忘れない

2021年03月10日 | ノラたちの幸せを願って
未曽有の大災害となった東日本大震災から10年になる。あの津波に呑み込まれ耐えきれずに手を放してしまい、それが肉親の最後の感触になったという、その証言の凄まじさに胸が詰まる。

あの大震災には原発事故が重なった。それが、ペットとして暮らしていた多くのワンニャンたちの悲劇も招いた。避難指示区域にはおよそ16,500匹のワンニャンが家族と暮らしていたという。しかし同行避難したのはその1割に過ぎない。家を開けたり置き餌をした人はまだいい。殆どの人は、直ぐに戻って来ると信じていた。

閉じ込められた部屋で、不安と飢えにもがき苦しんで死んでいった猫たち。繋がれたまま息絶えたワンちゃんの首は、首輪を引きちぎろうともがいた痕で真っ赤に滲んでいた。うまく脱出したとしても、人はいない食べ物もない地獄の日々が待ち受けている。野生になって生き抜くなんて、ほんの一握りの幸運をつかんだ子たちだけだ。

当ブログの常連だった天国の仲間たち:みう

東日本大震災だけではない。神戸や熊本の大震災、それに西日本大水害、関東でも一昨年は多摩川をはじめ多くの河川が氾濫した。その都度、犠牲になった動物たちがいる。家族だけではない、多くのノラたちが犠牲になったことは想像に難くない。

あの多摩川が氾濫したとき、浸水した近くのマンションのニュースは各局で繰り返し流れたが、もうひとつの悲劇に関しては報道すらされてない。多摩川の河川敷にはノラたちが暮らしていて、その世話をするホームレスのおじさんたちがいた。おじさんたちは捨て缶を集めて売ったお金でネコたちの食事代を工面した。そんな環境を当てにしてか、河川敷には捨て猫が後を絶たないという。

あの氾濫で、多くのノラたちと彼らを助けようとしたおじさんの一人が濁流に飲み込まれ行方不明になったままだ。幸運にも生還した3匹のノラは、残ったおじさんたちが面倒を見ている。その人たちと出会ったカメラマンの吉田さんが、彼らの生き様を一冊の本(写真集)にしています。(「おじさんと河原猫」)

テンちゃん

獣医師の渡邉さんも、東日本大震災のときは入院中や自分の家族のワンニャンを残して避難した。しかし原発事故のためすぐには戻れず、何とか戻ったときは5匹が命を落としていた。自責の念に駆られながら残った命の世話をする渡邉さんのもとに、ボランティアで福岡から応援に駆け付けた獣医師の船津さんがやって来た。この出会いが、福岡でのVMAT立ち上げに繋がるのです。

VMAT。災害派遣獣医療チーム。米国では30年も前に立ち上がったDMATの動物版だ。VMATは数々の訓練を行い、熊本大地震や多くの災害時に派遣されて活躍しています。そしてこの活動は、徐々に全国に広がりつつあるという。

チビ

現在日本には(財)ペット災害対策推進協会(旧名称:全国緊急災害時動物救援本部)というのがある。ただこの団体、環境省や動物愛護協会などとの関係など調べてもよくわからないことが多い。はっきり言って、人やお金の流れを明確にしない団体は概して怪しいのです。集めた多額の寄付金を(税金も投入?)本当に動物たちのために使用しているのか、しっかり監視する必要があります。

VMATには、このような団体には飲み込まれてほしくない。今のところ私的なボランティア団体として活動しているようだが、添付記事の結びにもあるように、国からの支援を受けもっと円滑に運営するためには、私たち衆目の認知と理解が必要だ。

 
ルイ

※VMAT=Veterinary Medical Assistance Team

※ これまで30を越える関連本、記事を読んできました。一部を以下に紹介します。
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