2週間ぶりの記事となりました。
思わぬ重病になったチキンとオジン(自分)。
その後の明暗は分かれた。
尿道に管を通し垂れ流しにしての点滴という、超荒療治に耐えたチキン。
その甲斐あって血液数値は正常に戻り、オシッコも自力で出せるようになった。
一方の自分には、とんでもない病気が隠れていました。
回復したチキンはまだ膀胱炎治療中
喘息の薬を最高ランクまで強くしても改善しない呼吸困難。
先生も首を傾げ、総合病院に紹介状を書いてくれた。
しかし初診予約は1週間後。素直に待つことにしたが、その間に地獄を見た。
前記事で書いた殺処分の絶望と恐怖を、嫌というほど味わうことになったのです。
問題は横になると呼吸ができなくなること。
ネットや先生が言うようなレベルじゃない。立って70度、座ればほぼ90度。
それ以上上体を傾けると息ができなくなる。
状態を起こしたままの生活。夜寝るなんて当然できない。
立ったまま台に寄りかかって少しは眠ったかもしれないが、そんな記憶もない。
とにかく、呼吸困難の発作は主に夜半から早朝にかけて出る。
その間は立ったままでも息苦しい。そうなるともう方策がない。
でも唯一の救いがあった。ネットにもない、先生も理解しない自分だけの救い。
最近夜が冷えるので、玄関やキッチンの小窓の隙間から冷気(外気)が入ってくる。
その冷気を吸うと、まるで酸素マスクをつけたみたいに空気が肺に染み渡った。
毎夜毎夜、家中の小窓の隙間(固定した網戸)を渡り歩いた。
4時頃になると外が白んでくる。
(ああ今日も何とかやり過ごした。) でも今度は新たな苦難に襲われる。
朝になると外気が温まり、あの冷気がなくなってしまうのです。
同時に発作(呼吸困難)もやや沈静に向かうが、その競争が苦痛と恐怖を生んだ。
そんな拷問のような日々を10日以上も過ごしたのです。
昼間は病院で点滴を受けると少し楽になる。
ただ、目を閉じただけで意識が消えていくので車の運転ができない。
ただでさへ店に出放しの妻には大きな負担だった。
総合病院呼吸器科での初診の前日、X線写真を新しく撮り直すことになった。
その写真を見て先生の顔色が変わった。自分の心臓が、3倍ほどに膨れていた。
先生は自分の夜の状況を改めて問い直し、足のむくみをチェックした。
足のむくみは1週間ほど前からひどくなっていた。
心臓の検査をする前に、看護師を薬局にやってまず薬を飲まされた。
「時間との勝負だから」と先生は言った。「間違いなく心不全だ。」
そして心電図、心エコーなどで詳細にチェックした。
横になると呼吸ができないというのは、心不全の特徴的な症状のひとつです。
それは自分もネットで勉強して知っていた。
だが重度の喘息という検査結果が得られてからは、喘息改善に集中したのです。
当初は心不全の兆候はなかったのかもしれない。
真相は不明だが、その日から自分の状態が快方に向かい始めたのでした。
呼吸器科の初診はキャンセルした。
採血検査の結果が出た2日後、先生は再び驚きを隠さなかった。
心不全の指標となる物質の血中濃度、125以下が通常で500以上だと要注意。
心臓が突然止まったりする可能性があるそうだ。
そのときの自分の測定値は、9000を超えていた。
「心不全は何度も診てきた。でもこんな数値の人はまず来ない」と先生は言った。
「ここまでの人は当院に来る前に救急車で運ばれるだろう。そして入院先でも、危篤状態ということで家族も呼ばれるんじゃないか。」
いつ心臓が止まってもおかしくない、そういう状態だったのだそうだ。
今は快方に向かい、横になることもできるようになった。
まだ息苦しさが残るが、処方薬(βブロッカー)はいきなり強くできないらしい。
それでも平常生活の半分くらいは取り戻しただろうか。
様子を見ながら薬を強くすれば、もっと良くなると言われている。
その安心感が半端なく大きい。
本記事のタイトルの表現はもちろん自慢話ではありません。
何度も救急車を呼ぼうとした古女房殿は「呆れてものが言えない」とおかんむり。
自分は、周囲の人のサポートによって救われた。
感謝以外の何物でもない。
しかしその一方で、あの絶望の苦しさから救われないまま朽ち果てる命がある。
何の罪もないのに殺処分される猫たち。
その理不尽さがどんなに悔しく、苦しく、底なしの恐怖であることか。
自分は地獄体験で味わったあの苦しさと絶望感を決して忘れまい。
少なくとも、世の中から殺処分がなくなるまでは。
「オジン、まだこっちに来るのは早いぞ」(ハナ、テツ、くもの旧3匹組)