今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

来たる冬に向けて ~ソトチビを偲ぶ~

2018年08月19日 | ソトチビ
久々にソトチビカテゴリーの更新です。
と言っても再会したわけではないのですが・・。 一昨年の冬も昨年の冬も家裏の寝床で過ごしたソトチビ。春には足が遠のいて秋頃にはブランクもあったけど、寒くなると「夜の訪問者」として再び現れた。だが今年の冬は、リンの手術もあって途中で姿を消してしまった。今度の冬も「夜の訪問者・その4」の実現を期待しているのですが、今家裏にいるのはみう(当時"おかあさん")でもなければリン(当時イエミケ)でもない、シロキくんです。このままではソトチビも来づらいのは明らかだ。

              
             昨夏は時折顔を出したソトチビだったが

ソトチビとのいきさつに関してはカテゴリーの前記事(4/4付)に目を通して頂けると幸いです。自分がニャン保護を始めようと思い始めた頃に出会った、と言うより、動機のひとつになったニャンコでした。懐かしさや思い入れもあって、最後に会ったのがもう半年も前なのに不明者リストに入れずに頑張っているわけです。

実は先日、軽い足取りで家の前を横切ったキジトラをちら見した。生垣の陰で見難かったけど、側溝の蓋の上をわき目もくれず目的地に向かったあの歩き方、自分の庭のように落ち着いた雰囲気、あれはまさにソトチビそのものだった。来訪当時も家裏以外ではなかなかその存在を認めにくかった。でもたまに、こうしてトトトトッと駆けて行くソトチビを見かけたものでした。

              
            リンの子育てを手伝っていた頃のソトチビ
                  (手前はキーとクウ)

直接見ないだけで、ソトチビは今もこの界隈に来ているのだと思います。だから何としてもこの冬にはまたお迎えしたい。家裏のダンボール寝床はあらかた片付けたけど、敷布類はそのまま保管してある。寒くなる前にまた寝床を準備してソトチビの来訪に備えたいけど、問題はシロキくん。何とかそれまでには保護して家裏を空けたいのです。

              
             もの静かで控えめな猫に成長しました


それには2つのハードルがあって、まずは今保護部屋にいるハリーがシロキくんと同居できるかどうか。これまでの経緯からみて可能性は低いだろう。里親さんがうまく見つかればいいけど、テリーはともかくFIV+のハリーは協力の方が現れることを願うばかりです。もうひとつはシロキくんとの信頼関係。これは、今でも多少触れるようになってきたので何とかなりそう。

とにかくソトチビと再会するための必須条件だし、もちろんシロキくん自身やご近所のためでもあるので頑張るしかない。と、思っていたところ、最近になって思わぬことが起こりました。シロキくんの「求め鳴き」(8/2記事参照)の真相が判明。保護して以来家の中で鳴き続けるハリーに呼応して鳴いているのかと思いきや、そうではなかったのです。

新しい展開(騒動?)を暗示しつつ、その内容は次回記事にて。

              
             懐かしいみうとソトチビのツーショット
                  (再掲:1年半前の冬)


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天真爛漫・ちび太のタンゴ ~高齢保護者の悩み付~

2018年08月16日 | ちび太
「黒猫のタンゴ」を覚えているでしょうか。もともとはイタリアの童謡ですが、それに日本語の歌詞をつけて当時6才の皆川おさむ君が歌い、ノリのよさが受けて大ヒットしました。もう50年ほど前のことです。その歌詞は6歳にはちょっとオマセで、"自分の彼女は黒猫のようにかわいいけど浮気性で時々爪を出す危うい彼女"みたいな内容だったのを覚えています。

なんて、また話が脱線しちゃったけど、さてさてちび太が1才になりました。
昨年の10月初めに店に迷い込んできて、テンちゃんを慕って居着いた。そのとき診てくれた先生の推定から逆算すると、8月1日頃が誕生日です。ちび太は今、わが家でのびのびと暮らしています。自由奔放で天真爛漫で怖いもの知らずのちび太。相手が人でも猫でも誰とでもすぐにお友達になろうとする、まさに黒猫の彼女そのものなんです。

              
         通り道に寝そべるのが大好きで、結果的に通せんぼ?

あまりにも早すぎた母猫との別れ。でもここまで真っ直ぐに育ったのは、やっぱりテンちゃんのおかげかな。"ちび太"と言っても今は大きくなって、細身なので体重は4Kg強と軽めだけど身長ではニャーを凌いで、わが家で一番大きくなりました。ちび太の得意は寝技で、誰彼なく抱きつくのでみんなに嫌われ、今では相手をしてくれるのはキーと気が向いたときのニャーくらいのもんです。

              
               キー(右)とは大の仲良し

気が弱いというかやさしいというか、クウのように相手がやたら本気モードになると、ちび太は自分から退散してしまいます。最近は保護部屋から時々出て来るハリーにちょっかいを出すのが日課。ハリーのリードにじゃれ付きます。ハリーも穏やかな猫だけど、ちび太がしつこくじゃれ付くとイラッとするのか、あのボスキャラの風情で逆襲して追い詰める。そのときのちび太がすごい。人間の女性そのものの叫び声で「ギャア~~~~~~~~~ッ」と大音響。一昨日はとうとう、ご近所さんに様子伺いの訪問されてしまいました。でも、怪我をすることはありません。

              
              新参のハリーにも警戒心まるでなし

1才になって落ち着きも出てきた。あれだけわれ先にとがっついていた食事時も、今では譲って待つことを覚えました。どこでも寝れちゃうちび太ですが、時折ひとりでポツンともの憂げな顔で寝ています。ちび太なりに、いつもは気を遣っているのかもしれません。

そんなちび太の、里親探しを再開するかどうかで迷っています。ちび太はとても人気のある子猫でした。でも本人(猫)のせいじゃないのに、保護者の段取りの悪さでトライアルの機会を次々と失い、やっと選んだ先で先住猫に嫌われて出戻ってきた。運命の悪戯というか、事故で亡くしたチビとそんなとこまで似てもらっちゃ困ると、リセット出直しのつもりでわが家に預かりました。この子は絶対に幸せにする、そう誓った以上はやはり自分の手で育てるべきかなと。

              
               クウとかくれんぼのお遊び中

自分がもう少し若ければ迷わずそう決めたと思います。だが、自分の平均余命からみてちび太を最後まで育て上げるのは難しいかも。ちび太が20才以上まで生きれば尚更だ。妻は何とかいけるかもしれないが最後まで健康でいられる保証はない。トシをとったちび太を誰かに委ねるくらいなら、いまのうちに決断するに越したことはない。もちろんちび太に限ったことではなくキーやクウもそうだけど、今既に出すことが可能なちび太には決断を迫られているのです。

一応妻は女性長寿の家系で自分は男性長寿の家系。父親は亡くしたけど同年代の親族はみな健在。よーしここはひとつ思い切って、なんて気もするけど一方では「多頭飼育の崩壊」などの言葉がちらつくし。それに里親さん探しは"若いうちが華"といった厳しい現実も。

結局一般公募はしないで、この人はという候補さんが現れればという感じかな。
あーあ、Nobody can struggle against advancing age.
(寄る年波には勝てません。)

              
        その前途に責任を持つということは、大変なことだよね

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破壊神降臨

2018年08月14日 | ハリー(灰白)
破壊神といえば有名なシヴァやモーリアン、はたまたビルス? あるいはシドー?? (後2者を知っている人は相当な通) いえいえ、当家に来た破壊神はとっても甘えん坊、その名をハリーと言います。正確に言うとハリーの肺と声帯辺りに取り憑いているらしい。そのせいでハリーの鳴き声は人や猫の心、生活、その社会まで、すべてを破壊するらしいのです。

保護して3週間、ハリーの鳴き声は静まるどころかますます凄みを増して、今や岩をも突き通す勢いだ。声が強いだけでなく見事な連続鳴き。息継ぎなしの1分鳴きなんて朝飯前。しかも声楽家並みの息継ぎの素早さで、とにかく切れ目なく鳴き喚く。それが朝暗いうちから夜中まで、昼と夜の寝る時間と食べる間を除いて続くのです。

その鳴き方もニャオニャオと単調なものではない。じれたときの出だしに力を入れた鳴き方もあれば、極めつきは一段と強く大きな声で断末魔の雄叫びのような鳴き方。それをやられると、こっちの神経は完全にマヒしてしまいます。

周囲がどのように破壊されていくのかと言うと、まず当然ながら窓を開けられない。夜明け前から鳴き止むように寄り添ってあやさなければならない。ハリーは超甘えん坊で、人がそばにいればゴロゴロで大満足です。ただし添い寝程度ではダメ。かまってやらないと鳴き出します。夜は夕食の後、テレビも中断してまた付き添い。これでまず保護者の生活が破壊されました。

              
             廊下に出てちび太(右)と過ごすハリー
               保護部屋外では当面リード付

保護部屋は隣家に近いので、同じ側にばかり迷惑をかけられないと朝夕の静かな時間帯はハリーをリビングに移し、保護部屋の空気の入れ替えとテリーにも休息を与えます。ただ、この時間帯は保護者が掃除だ何だと忙しくてハリーに付き合えない。当然ハリーは鳴き放し。すると他の猫たちの様子が一変します。警戒するのは仕方ないとしても、その鳴き声にだんだん気が立ってくるのがわかる。それが続くと、猫たちが荒んでしまうのです。

チビたち3匹が本気モードで暴れまくったり、ニャーがリンやみうを追い掛け回したり、平和が崩れて諍いが増え、結果としてみうはまたベット下の住人に逆戻りした。クウはハリーに釣られて野生の雄叫びを上げるようになり、ちび太はニャーも含めて誰彼なく追い回す。この有様は、まさにわが家の猫社会の崩壊だ。

              
              懐かしの勝手口を内側からチェック

こんなことを続けてられないと先週はハリーのウィルスチェックを行いました。ちょっと早いけど、保護部屋から出せれば少しは変わるかと。病院では開口一番「何とまあご立派なボスキャラだこと。」 傷ひとつない端正な顔立ちに先生もびっくり。でも臆病で甘えん坊と聞いて「この子はすぐに(里親が)決まるね」と。しかし検査の結果は、FIV陽性でした。

一昨日は去勢手術を決行。昼ごろ出かけて夕方には戻ってきたけど10日間の安静です。当日の晩はハリーも神妙にして一声も出さず。久々に静かな晩を迎えました。するとどうでしょう。先住の猫たち6匹がリビングに集まって思い思いに過ごしたのです。ハリーが来る前の平穏な生活は、まだまだ取り戻せるんだなと安心したものでした。でもハリーの鳴きは、翌朝から少しづつ復活しています。

              
        初対面でも気にしないで仲良くできるのがちび太の特技

バカ鳴きを別にすればハリーはとっても穏やかな猫。他の子がいるリビングに出しても、自分から喧嘩を売ることはありません。ちび太あたりがよく絡んでくるけど相手にもしない。でもあまりにしつこく絡まれると「何だよー」とイラついた感じで逆襲する。そのときの迫力には凄まじいものがあって、「ボスキャラ」と言われたのもわかります。今のところ、ハリーがリビングに出るのはニャーが外にいるときだけです。

長く一緒にいると情が移って予定通りにいかなくなったりするので、ハリーとテリーは早い時期に保護者さん募集を開始します。FIV陽性のハンデはあっても、もともとハリーは1頭飼いで思い切り甘えられる保護者さんが希望なので、諦めずに病気に理解のある方を探していこうと思います。

              
            ちょっと臆病な"ボスキャラ"のハリーです

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「ペットの自由」 ~動物福祉の基本となる五つの自由とは~

2018年08月11日 | ニャー
またニャーのカテゴリを借りて、今度は読後感想を書きます。
「ペットの自由」は、6月19日付朝日新聞の"耕論"欄に掲載された意見です。養老孟司さん、小島章義さん、滝川クリステルさんが意見を寄せています。「ペット」という言葉は好きではないけどタイトルなのでそのまま書きました。本記事で多少要約して書きますが、原文はもちろん自分のような老人表現(教条的で断定的)と違って、受け入れやすい文章で書かれています。やっぱり専門家の文章は違いますね。

このオジンの思い込み等に不安な方は、デジタル版で原文を読むことができます。ただし有料登録が必要。タイトルと挿絵だけならこちらから確認できます。
耕論「ペットの自由」 ~動物福祉・五つの自由~

養老さんと滝川さんの意見を通して感じられることは、ペット(動物たち)を所有物とか従属物のように扱うのではなく、彼らと対等に付き合うということでした。"対等"に付き合うということは、彼らの本来の生き様を尊重し、彼らの生活環境をなるべくそれに近づけてあげるということです。

欧州では動物を人間とは切り離して考え、歴史的に長く身近に接してきた。そして動物には五つの自由が大切だという考えが根付いていると言います。五つの自由とは①飢えと渇きからの自由、②痛み、負傷、病気からの自由、③恐怖や抑圧からの自由、④不快からの自由、⑤本来の正常な行動がとれる自由。 欧州で提起された「動物福祉」という考え方の基本となるのが、この"五つの自由"なのです。

振り返って日本では、当然のごとく動物を飼うことが自由を奪うことになっている。ヒモで繋いだり家や狭いケージに閉じ込めたり、ペットを擬人化して高価な服を着せたり、人間と同じように過ごさせ、扱おうとする。報道ひとつとっても人間の命と動物の命を別格に扱い、人間の命だけが尊いものだと強調する。社会として、「命あるもの」という点で想像力が欠如しているのはとても危ういことだと、滝川さんは警鐘を鳴らします。

自分がこの「耕論」を読んだときはクウの捜索を続けているときでした。(「ノラと家猫と」シリーズ参照) 結局クウを呼び戻したのは妻だったけど、妻の考え方はこの動物福祉の考えそのものです。突き詰めて言えば、この考え方は猫の外飼い肯定論だ。養老さんと滝川さんが外飼いを肯定しているわけではないが、この点に関しては養老さんが触れています。

養老さんの言葉をそのまま引用すると、「・・ペットとして動物を飼うためには、残念ながらある程度自由を奪う必要はある。どの程度かは具体的に付き合いながら根気よく見守り、細かく問題のある行動を軌道修正していくか、自分が我慢して受け入れるか決めていく。動物たちの状態をなるべく動物らしく自然に保ち、できる限り自由にさせるのです。・・・」 いやはや、わが家の猫たちや店のテンちゃんが幸せなのかどうか、またぞろ不安になってきた。

              
              ニャー、みう、ちび太、朝のひととき

上記のお二人とは立場の違う、全国ペット協会の会長を務める小島さんの寄稿には大変興味深いものがありました。小島さんは動物取り扱い業者への世の中の目が厳しくなったことを自覚し、業界は変わる必要があると言います。中でも注目すべきは、「自社では東京五輪までに子犬子猫を販売しない店をつくっていく。販売する店については展示方法を大幅に改善、全頭の健康管理を強化、24時間体制の動物病院の併設を行う」と書いています。

さて、画期的な提案をしているようで、よく読むと何を目指しているのかよくわからない。子犬子猫は売るのか売らないのか、成犬成猫は売るのか売らないのか。ネット上では早速ながら評価する書き込みと、疑問視する書き込みに分かれています。朝日新聞には是非この続きをインタビューして、その結果を掲載してほしいと思うのですが如何でしょうか。

              
    オジン、こういう話なら自分のカテゴリどんどん使っていいからね(ニャー) 

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愛猫との距離

2018年08月08日 | ニャー
「魔女の宅急便」の少女キキはある町で修行中、相棒の黒猫ジジが急に話さなくなって慌てます。でも、実はジジはいつもと変わりなくて、キキ自身のスランプのせいで魔法が弱くなっていたのでした・・。 病気や大きな環境変化は別として、いつも一緒に暮らしている愛猫が変わったと感じるとき、大抵は自分が変わっているのです。猫は勝手に変わることはありません。とっても律儀な動物です。

最近、ニャーとの距離が少し遠くなったと感じます。以心伝心で、呼べばワンコのように一目散に駆け寄って来たニャーが、最近は少し思案したり躊躇したりするのです。全体としては何の変わりもないけど、その一瞬の違いが気になります。ニャーの自分への見立てが変わりつつあるのかなと。

              
            得意のポーズでニャーが見ているのは・・

              
             プロレスごっこに夢中のチビたちでした

思い当たるのは言うまでもなく保護猫の数が増えたこと。今や家の中だけで8匹です。店時代から、ニャーは保護者との蜜月を好む猫。初めは保護者ひとり占めだったのに、すぐにみうが加わって、それからあれよと言う間に8匹まで増えた。新しい猫たちは何かと問題が多くて、お世話に手を焼くうちにニャーと向き合う機会がめっきりと減ってしまったのでした。

しかもお留守番とかならまだしも、目の前で他のニャンコの世話する姿を見て、ニャーにも感じるところはあっただろう。だけどこのいい加減な保護者(オジン)は、3匹目を迎えるときにあれほど気にしていたニャーのストレスのことをすっかり忘れているのです。次々と現れる保護猫に気を取られて、ニャーには甘え通しなのでした。

              
         保護者大好き猫のニャーは、いつも観察しています

もちろんニャーは文句ひとつ言いません。気付いてないだけかもしれないが、ストレス症状を出すこともなく達者でいるように見えます。でも、ニャーの中で何かが変わりつつあることに、最近になって気付きました。

このブログを通して書いているように、猫は人を裏切りません。猫が変わるのは、人に裏切られたときだけ。一方猫と違って保護者は身勝手に変わる。忠犬ハチ公が如く、保護者が変わっても猫はなかなか受け入れられない。でもやがて、裏切られたと感じるかどうかは別として、猫も変わっていくのです。

ニャーの微妙な変化。大事に至る前に気付いてよかったなと思います。

              
            「オジン、やっと気付いてくれたのかな?」


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