こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

一つの時代が終わったのだから、自分も一緒に

2009年04月12日 14時30分33秒 | Weblog
 先週の金曜日に、佐賀県首都圏営業本部の訪問があったので、その時に「疲れ切ったから、佐賀から手を引きたい」と要望をした。
といっても、佐賀米の販売を止めてしまうというのではなく、平成8年から実行していた販売計画をストップさせて、他の米穀店と同様の「佐賀米販売店」になりたいと言う事を願い出たのだ。

佐賀県とは、お米の法律が大きく変わった平成8年からの付き合いで、東京での販売が全くなかった佐賀米を、ブレンド米としてではなく、単品銘柄のブランド米として東京市場で認知されるように、さらには全国に通用するブランド名として広げていく事を続けていた。
当時の東京市場は東北中心の市場で、九州のお米については、新米時期だけの販売で、それも宮崎県・鹿児島県のみが1ヶ月間程度販売されているだけだった。
その市場で、全く無名の佐賀米を、それも新潟県米並の価格で販売し始めたのだから、簡単なはずがなく、毎月のように当時の担当者と、話し合いや打ち合わせを繰り返していた。
その中で誕生した販売計画が、一時期同じ事を考えていた他の農協や経済連に、「参考になる」と言われて、資料の文字が潰れて読めなくなるほどにコピーが繰り返されながら広がって行った「佐賀米販売計画」というもので、これがスズノブプロジェクトライスを作り上げるベースとなったのだ。
それゆえ当時は、他県がうらやましがる程に、佐賀とスズノブは1枚岩のようにシッカリと結びついていたのだが、それも、産地が農協合併がを繰り返し、産地のシステムが変わっていくにつれて、弱くなって崩れていってしまった。

その後も、佐賀とは情報交換は続けていたのだが、当初の頃の様には戻れないし、当初のままの自分の考えは、いつのまにか佐賀ともズレ始めてしまっているよう感じ始めて、自分もややこしい問題や計画を言わなくなってしまったし、佐賀にも出向く事をしなくなくってしまった。
そうなってしまうと、さらに傷は広がっていってしまうもので、ついには、昨年11月13日のブログに書いた「県庁さん。佐賀で自分を知っている人は、もういないんだよ」の通りで、今の佐賀県で、スズノブを知っている人は、ほとんどいなくなくってしまった。

そのため、「自分としても立場を明確にするべきだ」と、昨年から考え続けていたのだが、今回、始めて佐賀米を東京市場で販売した時の担当者が、お米とは全く関係ない部署に移動となった事から、自分としては「完全に1つの時代が終わった」とハッキリと感じ取れたので、今回の要望となったのだ。

これで、佐賀米の今後の展開や計画などからは退く事になるが、佐賀には非常に感謝している。
これからは、佐賀米販売店として、よろしくである。

いや、もう「よろしくお願いします」という立場だな・・・
コメント
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