今日は、地元の小学校に呼ばれて、お米の儒儀容をしてきたのだが、ついつい難しい内容で話してしまった。
相手が5年生と言う事は百も承知だったのだが、3時間目にあった、子供たちが調べた内容の発表と考え方を聞いていたら、ついついテンションが上がってしまったのだ。
子供たちが調べたテーマは、「後継者問題」「お米の消費量の減少」「外国産米について」
まさに今、考えていかなければならない大問題の事ばかりだった。
子供たちからは各テーマについて、4から5個の提案などが出たのだが、なんとその内容は、実際に自分たちが実行している事ばかり。
確かにネット等を使用して調べたりすれば、これらの内容は出てくるかもしれないが、それでも半分程度のはず。
つまり、子供たちは、本気で自分たちなりに考えたという事なのだろう。
この現実を体感してしまったら、4時間目の授業では、頭では判っていたのだが、出てくる言葉は、本格的な内容ばかりとなってしまった。
相手が5年生と言う事は百も承知だったのだが、3時間目にあった、子供たちが調べた内容の発表と考え方を聞いていたら、ついついテンションが上がってしまったのだ。
子供たちが調べたテーマは、「後継者問題」「お米の消費量の減少」「外国産米について」
まさに今、考えていかなければならない大問題の事ばかりだった。
子供たちからは各テーマについて、4から5個の提案などが出たのだが、なんとその内容は、実際に自分たちが実行している事ばかり。
確かにネット等を使用して調べたりすれば、これらの内容は出てくるかもしれないが、それでも半分程度のはず。
つまり、子供たちは、本気で自分たちなりに考えたという事なのだろう。
この現実を体感してしまったら、4時間目の授業では、頭では判っていたのだが、出てくる言葉は、本格的な内容ばかりとなってしまった。