ネットで、入浴剤が安売りされていたから、シリーズで購入。
安売りだったから、今日から入浴剤の量は、ちょっと多目に(笑)
"五ツ星お米マイスターと三ツ星お米マイスターに、文句がある。
自分の力量くらい解るだろ。
なら、産地からの要望に、答えられるか、答えられないかの判断も出来るだろ。
お米を売れば良いだけじゃないんだよ。
産地の事、品種の事、栽培の事だけでもないんだよ。
産地と付き合うっていうのは、産地の将来を背負うんだよ。
自分としては、意見交換しているだけと思っていても、産地はそうは考えてないんだから。
出来ないなら、ハッキリと断れよな。"
"明日が、休みだという事で、メールを確認していたら、某産地が取り組んでいるブランド米を、自分に手伝って貰えないかという内容があった。
自分も知らないブランド名だったので、「ブランド米と言っているのだから、ネット上に情報くらいあるだろう」と調べてみたら、有ることにはあった。
瞬間的に判る程、内容はペラペラ。
なのに、お米マイスターが付いていた。
明らかに知識が足りない、レベルの低いお米マイスターなのだろう。
ずさんな考え方。
安心・安全の考え方。
差別化・こだわりの考え方。
品質、食味等の考え方が判ってない。
頼んだお米マイスターの、ブランド米に対する考え方や内容が酷いから、自分に連絡してきたという、気持ちは判った。
しかし、お米マイスターが2人も必要ないだろう。
まず、今のお米マイスターを首にしてから、話をもってきてほしいと思った。
だが、自分がやるとしたら、今までの考え方は100%使わない。
というか、酷くて使えない。
だから、自分が関わったら、完全に別物になってしまう。
今さら、それも、難しいだろうな。
その考え方は、間違っているとは思わない。
しかし。
産地で計画を立てました。
膨大な予算を使って、芸能人を使ってCMを流しました。
新米から販売しました。
メディアが取り上げてくれました。
スーパーなどで売切れました。
特Aとなりました。
なので。
自分たちのお米は「ブランド米」となりました!
という。
この考え方は、誰が考えたって、間違いだと判るだろう。
なのに産地は、これでブランド米になったと、喜んでいう。
どうしてなのだろう。
ブランド米とは?
= 地域を支えるお米
= 担い手の生活を支えるお米
= 食べたことは無くても、誰もが知っているお米
= 高いけど、品質と食味が良いお米
= 一年中、いつでも美味しいお米
= もう一度食べたいと思うお米
= 贈答で送って喜ばれるお米
= もらって嬉しいお米
= 世界に通用するお米
等のルールがあると思う。
どこかの産地は「生産量が少なく、流通が少ない方が、プレミア感があるから」と言っていた。
しかしそれは、誰もが認める「ブランド米」となってからの話だと思う。
売切れたらOKというのは、特売米の話であって、ブランド米の話ではない。
地域でブランド米を作ろうと決めて、スタートは順調だった。
当時は話題となった。
全国からも視察が来たりした。
そのままの勢いで、続くと思われた。
なのだが、そこで終わってしまった。
ブランド米は継続が全て。
スタートしたら、それで終わりではない。
スタートしてからが、本当の戦いとなるのである。
しかし、新しい事が出来なかった。
立ち上げた時の「宿題」が、そのまま残された。
現状のままだと、数年先には、ブランド米としての価値はゼロとなり、存在も消える。
そんな産地が、、もう一度動き出そうとして、リーフレットの作成を始めた。
そして自分に、その相談が来たのである。
パッと見たら、文字数はあり、考えられているように見えた。
しかし、内容は、あちらこちらからのリーフレットの、寄せ集めのようになってしまっている。
地域の事も、取り組みも、差別化も、こだわりも、お米の特徴も形式のみで、新しい事は書いていない。
これでは、作るだけけ無駄でしかない。
お客様が読んでも、産地に興味を持つ事は無い。
当然、お米にも魅力を感じないだろう。
なぜ、こんなリーフレットになっているのか。
産地の現状はどうなっているのか。
等、色々な質問をしてみた。
すると。
「なぜ、ブランド米を必要としたのか」という原点を見失っている事が見えてきた。
だから、現状だけを見てしまう。
数字だけを追ってしまう。
それでは、産地の将来は無い。
当然、ブランド米として存在する事は不可能である。
なので担当者には、リ・スタートと言うよりは、リセットだと言った。
原点から確認し直す事をお願いし、「何処で、道を間違えたのか」を、調べるように伝えた。
見せてもらった計画資料は、1つにまとまるのではなく、産地がチリジリバラバラになるための計画としか、自分には見えなかった。
だから。
頭を冷やしてもらう必要があった。
思い出してもらう必要があった。
考え直してもらう必要があった。
よって、自分が散々各産地で言っている、「憲章」を作ってみる事も伝えた。
簡単ではないという事は、担当者も判っていたのようであるし、問題としている部分も間違ってはいなかった。
なので、産地と相談をして、産地としてまとまった考え方が出来たら、そこで再度、自分が確認する事にした。
ブランド米として復活させる事が出来るには、まさに限界となっていた。
この、ギリギリでの相談を、自分としては無駄にしたくない。