田んぼの稲はぐんぐん伸びました。
でも,あいかわらず,水が入っているだけで,なにも植えられていないところもあります。
以前,麦がいつのまにか刈り取られていた,といっていたところは,
二毛作?の予想に反して,どうやら,サツマイモのようで,
こちらも葉が大きくなっています。
下の写真は,6月の一コマの写真とほぼ同じ場所,南東から北西に向けてとっています。
手前が稲,少し雑草を挟んで,奥が右からレンコン畑,その左(西)が・・・ん・・・サツマイモかどうかわかりませんね,この写真では。
さて,前々回,前回の続きです。
たつの市立龍野歴史文化資料館「お殿様の台所事情」の展示で私のお気に入りは
タイトルの
「差出帳(指出帳)」,「検地帳」,「年貢上納通(じょうのうかよい)」,「年貢免状 」でした。
展示の文書は,年代は違うのですが,同じ中垣内村のものです。
今回は「年貢免状 」
・・・写真が途中で切れている・・・私としたことが・・・。
可相納子年貢米之事
一高五百七拾七石九斗壱合 中垣内村
内
四斗三升三合 溝敷永引
(中略)
残五百拾八石九斗六升四合
内
三百弐石壱合 本田畑
取米弐百弐拾石四斗六升壱合 七ツ三分
(略)
中垣内村の石高のうち,税をかけられないところを引きます。
「溝敷永引」など
溝敷引:ミゾシキヒケ
溝堀を設定した耕地が潰れたとき,その分だけ貢租を免除すること。(weblio辞書)
永引(えいびき)とは、江戸時代に年貢の賦課対象である土地もしくは石高の中から、毎年一定の面積もしくは高を最初から除外しておくこと。(wikipedia)
のこりに税をかけます。
たとえば,本田畑のところをちょっと計算
220461÷302001=0.730000894
つまり,本当に「七ツ三分」でした。
7割3分も「取米」?,つまり,税としてとられる?!?
ここで,本の紹介です。
佐藤常雄+大石慎三郎『貧農史観を見直す 新書・江戸時代③』講談社現代新書 1995年
37ページ 「18世紀に入ってからは新田検地のみで,本田・古田での検地は実施されなかった。」
50ページ 「中期以降には畿内・山陽道筋の先進農業地では,田地にも綿や菜種を作付けするようになり,土地制度の検地帳にみられる地目構成とは著しく異なって,多様な作目構成をもつ農業経営が各地に現れた。」
115ページ 「四公六民、三公七民といった分配率ですら,幕藩領主とムラとの見せかけ上の年貢負担にすぎず,江戸時代のムラと農民が実質的に賦課された年貢率ではないのである。」
そういえば,太子町立歴史資料館の学芸員の先生も同じようなことを言っておられました。
文書の載っていることを素直に(?)そのまま信じては(?)いけないのです。
難しい~!(読むのも難しいのに)
勉強になりました。
でも,あいかわらず,水が入っているだけで,なにも植えられていないところもあります。
以前,麦がいつのまにか刈り取られていた,といっていたところは,
二毛作?の予想に反して,どうやら,サツマイモのようで,
こちらも葉が大きくなっています。
下の写真は,6月の一コマの写真とほぼ同じ場所,南東から北西に向けてとっています。
手前が稲,少し雑草を挟んで,奥が右からレンコン畑,その左(西)が・・・ん・・・サツマイモかどうかわかりませんね,この写真では。
さて,前々回,前回の続きです。
たつの市立龍野歴史文化資料館「お殿様の台所事情」の展示で私のお気に入りは
タイトルの
「差出帳(指出帳)」,「検地帳」,「年貢上納通(じょうのうかよい)」,「年貢免状 」でした。
展示の文書は,年代は違うのですが,同じ中垣内村のものです。
今回は「年貢免状 」
・・・写真が途中で切れている・・・私としたことが・・・。
可相納子年貢米之事
一高五百七拾七石九斗壱合 中垣内村
内
四斗三升三合 溝敷永引
(中略)
残五百拾八石九斗六升四合
内
三百弐石壱合 本田畑
取米弐百弐拾石四斗六升壱合 七ツ三分
(略)
中垣内村の石高のうち,税をかけられないところを引きます。
「溝敷永引」など
溝敷引:ミゾシキヒケ
溝堀を設定した耕地が潰れたとき,その分だけ貢租を免除すること。(weblio辞書)
永引(えいびき)とは、江戸時代に年貢の賦課対象である土地もしくは石高の中から、毎年一定の面積もしくは高を最初から除外しておくこと。(wikipedia)
のこりに税をかけます。
たとえば,本田畑のところをちょっと計算
220461÷302001=0.730000894
つまり,本当に「七ツ三分」でした。
7割3分も「取米」?,つまり,税としてとられる?!?
ここで,本の紹介です。
佐藤常雄+大石慎三郎『貧農史観を見直す 新書・江戸時代③』講談社現代新書 1995年
37ページ 「18世紀に入ってからは新田検地のみで,本田・古田での検地は実施されなかった。」
50ページ 「中期以降には畿内・山陽道筋の先進農業地では,田地にも綿や菜種を作付けするようになり,土地制度の検地帳にみられる地目構成とは著しく異なって,多様な作目構成をもつ農業経営が各地に現れた。」
115ページ 「四公六民、三公七民といった分配率ですら,幕藩領主とムラとの見せかけ上の年貢負担にすぎず,江戸時代のムラと農民が実質的に賦課された年貢率ではないのである。」
そういえば,太子町立歴史資料館の学芸員の先生も同じようなことを言っておられました。
文書の載っていることを素直に(?)そのまま信じては(?)いけないのです。
難しい~!(読むのも難しいのに)
勉強になりました。
男女2人が田んぼの中に入って,歩いています。
よく見ると,子供が遊ぶ小太鼓のような大きさのプラスチック容器を首から下げ,そこには細い管がついていて,右手でハンドルをまわすと,(ハイジがフランクフルトで見たオルゴールのように)その管から液体が出ていました。
あれって,害虫駆除の薬をまいている?それとも,雑草が生えないようにしている?
農業をしたことがない私には興味深い風景でした。