今日は、暴風警報が出ていました。今は注意報に変わりました。
里帰り中の写真の整理をしました、土産話を聞いてください。
夫が氷見へ行ってお寿司が食べたいといいだし、付き合って14日行ってきました。
母は出かけるのが億劫になっていて留守番です。
昼食の時間に着いて食事を済ませ、 そこから富山に向かい
車中、気が付いたら眠っていたので、ルートはさっぱり、、
北前船と言えば、大阪に昆布などを運んでいましたよね。
私のブログネタ用に、廻船問屋の「森家」を拝見できることを調べてくれていました。
港に駐車して、森家に向かいまず見つけたのが
北前船のモニュメント
富山は能登と似ています。同じ北陸だから当然でしょうが、
判りにくいのですが、バックのお家は板壁ではなく、雨戸だと思います。
里の家も縁側の雨戸を冬は締め切って、夏はこれを開け放っていました。
そのうちガラス戸をはめ、雨戸を使うことは殆どなくなりました。
能登の家並みは、これほどではないにしても大きな家が当たり前のように並んでいます。
そして
左端の扉、判りますか?
懐かしいです。子供のころ、我が家にもこの大戸がありました。
これも夏になると大戸を開け放ち、冬や夜は大戸に取り付けられた小さな出入り口を使っていました。
懐かしい風景です。
森家の玄関の大戸は開け放たれていました。
我が家の大戸は車がついていて、横に移動するもので、朝晩の私の仕事でした。
重い大戸ですが、ちょっとしたコツをつかめばチビでやせっぽっちの私にもできました。
今思うと、ここを入って すぐにもう一枚とがあるのは、雪が吹き込んでくるのを防ぐ為だったのでしょうか?
高い天井でしょう、、
素敵な照明が下がっていますが、昔はもっと薄暗かったと思います。
広いお座敷、
玄関から、まっすぐに裏まで土間(トオリニワ)があって、奥に土蔵が2つ、
見事な細工がされています。ここは道具蔵、米蔵と肥料蔵もあったそうです。
二階は番頭部屋と女中部屋だそうです。
景観を保存維持するためでしょう、他にも古民家を利用した工房や喫茶店がありました。
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海の街の寿司は美味しかったでしょうね。
蔵の細工が 見事です。
むかし 奈良の 古い町の商家を見学したとき 使用人の部屋は 入り口近くの土間の上の2階部分でした。
見あげると 高いところに入口の障子はあるけど 階段がない?と思ったら
夜の間に 逃げ出さないように 使用人が2階へ上がったら はしごを はずしておくのだそうです。
夜中に トイレにも行けないのですね。
豪商の生活を垣間見ることが出来ますね
これって銀行さんが使っていると言う事ですか?
お金持ちになれそうな雰囲気ですね
前の家の近くの街にもこんな建物がちらほらと^^
21世紀にもその後にも残しておいてほしいですねえ(´-人-`) あん
森家も外観だけ見ました
中へは入らなかった
残念
車窓から大きく立派な家が見えました 砺波だったと思います。
上の写真はさすがの北前船廻船問屋の重厚なたたずまいです。
以前 北前船に積んでいたという船箪笥を見たことが
ありますが見事な作りでした。土蔵の艶のある漆喰に
見事な細工が施され扉の厚みに歴史を感じます。
実際に見てみたいです チューリップの時期に砺波へ
行きたいです。金沢 長町の武家屋敷跡のたたずまいも
見事でした もう何年前になったのか 母と行きました。
観光で目にする古い町並み、大きなお屋敷には大戸というのがあったんですね。
少女タカコさんもこの大戸を開けるお役目をしてたんですね。
雪国ならではでしょうか。奥にも雪除けの戸があるなんて。
保存しておきたい格調高い日本ですね。
はじめまして(^^♪。
宜しくお願いします。
お里が富山なんですね。
凄いですね!
北前船のお家が今でも残っているのですねぇ~。
昔の家は頑丈で建物も立派ですね。
土蔵の細工も見事です(#^.^#)。
これからも旅行をしてくださいね!
ブログにUP、待っています。
またお邪魔させて頂きますね。
北前船廻船問屋の話はテレビなどでは、偶にお聞きしますが、見たことは無く、いつかは見てみたい、そんな気持ちです。
大戸のことも、同じです。
昆布も北前船が運んでいたので、今でも食す量が多いということも聞きましたね。
ハハ(姑)んちもサッシに変えています。田の字型になってて、4部屋と土間の台所ですが、
そこに10人近くが住んでいたようです。ビックリ!!