殆ど青紫のトレニアの中に紅色に近いものが出てきた。嬉しい
昨日は串本町で裏千家の講演会でした。
もちろん簡単なお茶室もあり(お運びです)午後からの講演の前にお茶席にと言う段取りで、
近場の私たちは早めに済まそうと、会場すぐの11時過ぎには着くように
と話していました。
畑仕事や休んで、気になってたお墓の花を片付けに行きました。
様子が解らないから、早昼を、、が、食べられない。
なんとか、冷凍のドリアを食べて、
お茶も頂き、展示物も拝見し、公演までの時間、、、、長い。
参加できたうち、お手伝いに回った残り2人、同年代、
この時期も主催者側はお着物です。
夏の着物は、、、から、葬儀の時、女性の近親者は着物でした。
祖母の時は5月でしたから、袷だったのでしょうか?
舅も姑も9月でしたから、夏の喪服!!
姑の時は簡略され、洋服で済んだ、、、と、思う。
なんて話になって
彼女も姑さんの時は着物、お母様は姑よりずっと後だったので、洋服だったそうです。
そんな話から、介護の話にもなり、
毎月、顔を合わせてもそんな話はお互いしませんでしたから、
なんとなく様子は分かっていたものの「そうだったのね」と改めて思う事でした。
公演終了後、買い物をして帰宅、
夕食の支度をして置いて畑・庭の水やり再開。
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せいぜい実家に行ってきた ぐらいですから、
母はコロナ禍の少し前でしたので、家族葬でしたが普通に出来ました。
彼女のお母様の時は、コロナ過で他所にいらっしゃる弟さんたちも大変だったようです。
着物の喪服、絽と袷それぞれ1.2度しか着ていないです。
まぁ、結婚式などは聞いたことがありますが、、
私も喪服もパンツです。
公演は裏千家にご縁のある大徳寺の小林大玄 和尚さんで
これまでの人生(確か87歳)に感謝しつつ過ごしていらっしゃる、と言うような事でした。
そしてお土産にご自身が作られた茶杓をお持ちくださったそうです。
お寺の解体修理で出た煤竹で作った使いやすそうな茶杓でした。
地元に住んで嫁いでる彼女が両親を看取ったと言うことは知っていました。
同じ町内だからの大変さも、遠くへ通う大変さも実際には分からない部分もあるのよね。
昔は何かと制約がありましたよね。そう白い目で見られるって言う、、
これが一番つらいかも
昨日は着物の人に合わせたかのような温度設定で
私はアンサンブルのTシャツと羽織物だったのですが、
最後の方は、かなり寒かったし、彼女は半袖だったので、
すぐに寒いって訴えだして、持ってた日除けの手袋を貸したんだけど、
それでも助かったって、
知らなかったなんて事も有りますよね
お葬式もすっかり様変わりしましたよネ
特にコロナ以降
家族葬が多くなりましたしね
喪服も着物は着なくなりましたね
今はよほど近親者以外は洋服が多いですね
洋服もパンツが多くなってきました
お茶の講演会どんなことを話されるのかしら?
ちょっとした空き時間(持て余した?)のおかげで 退屈でない話ができましたね。
血の濃い方の葬儀は 着物が当たり前でしたから 配偶者なのに洋服の喪服で
白い目で見られないのは 割と最近になってのこと。
今ほど暑くないとしても 窮屈でしたね。
夏の着物。。。私も若いころ お茶を習っていて 夏に大きなお寺の会場で
お茶会があって お運び役でした。
今のように 広いお寺にクーラーなどなく。。。表座敷は開放感があって風が入るけど
裏は 狭いし動くから 大変!
そこへ行くまでに バスで一時間もかかるところだったし・・・
家に戻って着物を脱いだ時の解放感 忘れられません。