ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

11年目の3.11 4年ぶりの気仙沼で追悼式典に参加してきました!(その2)

2022-03-28 10:34:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
久しぶりの気仙沼は、知らぬ間に大きな橋が二つも架かっていて、ちょっとした近未来都市みたいになっていました。

本当は去年の11月、石巻市観光協会さんのイベントにご招待を受けたとき、東京に帰る途中に気仙沼に立ち寄った(笑) ので橋が架かったのはすでに見ているのですが。それどころか、最初の橋。。気仙沼市民の悲願で朝ドラ『おかえりモネ』(ちゃん?)でも重要なモチーフとなっていた本土と大島とを結ぶ橋。。愛称「鶴亀大橋」は本土で組み立て作業が公開された際には見学に行ったし、いざ架橋の場面はNHKのドキュメンタリー番組として放映されて、これも息をのんで見守ったものです。

それでも変わった気仙沼の様子を見て、今回は ほっとひと安心しました。不思議なもので、活動しているときだけは、ほんの1日だけ、その場所の市民になったような気持ちになるんです。だから3年かな、プロジェクトの活動で気仙沼を訪れなかったところに去年立ち寄ったときは、この変貌ぶりを見て自分が「よそ者感」がありました。今回は同じ橋を見て、ああ、悲願がかなって良かったな、と、思ったのです。

さて311の震災の日、発災時刻の14:46には被災地一帯では防災サイレンが鳴らされ、それに合わせて1分間の黙祷を犠牲者に捧げます。私どもプロジェクトでは毎年、このサイレン~黙祷の直後に、明日の幸せを願って『羽衣』を奉納上演することにしています。

。。考えてみれば、311の日というのは追悼のための日なので本来イベントが出来にくいのですが。。これも本当に幸せなことに、プロジェクトの主旨をご理解頂いて、どこかの地元の追悼行事に受け入れて頂き、この11年間、1度も欠かさず奉納させて頂くことができました。

今回も住民ボランティアの村上充さんのご紹介によって、はじめての場所となる「すがとよ酒店」さんの店舗前の駐車場で奉納上演させて頂きました。
 
「すがとよ酒店」さんは気仙沼市の「鹿折シシオリ地区」で今年でちょうど創業100年を迎える老舗です。しかし11年前のあの日。。津波によって店舗は流され、そうして。。店主のご主人も流されてしまったそうです。



ところが震災から1年も経ってからご主人は発見され。これを見た奥さんは決意されて、ご主人の発見場所に店舗を再建を果たされたのです。なんとも凄まじいお話。
がしかし、現店主である菅原文子さんは単に店舗の再建だけでなく鹿折地区を中心に気仙沼の文化の発展の本拠地となるべく次々と活動を開始されたそうで、店舗2階には音楽家から寄贈されたグランドピアノを備えた小さなホールがあって、今でもしばしばコンサートなどのイベントを企画しておられるそうです。





菅原文子さんとは電話であらかじめご挨拶と打合せはしましたが、この日初めてお目にかかりました。この方はマスコミにもしばしば取り上げられ、この日も京都放送のラジオに生出演されるとのことでしたが。。お会いしてみると意外や控え目で、能楽師の活動にも感謝のお言葉を頂き、頭が下がる思いでした。たしかに。。震災後にマスコミに取り上げられて、いつの間にか被災者というよりタレントみたいになってしまった方を何人か見てきたのですが、この方にはそんな俗っぽいイメージはまったくなく。逆境から、むしろそれを乗り越えて地域に貢献しようという希望にあふれた方でした。

さてその2階の小ホールを楽屋に使わせて頂き、こちらとしてもかなり好待遇なスタートです。

やがてサイレンが鳴り黙祷が捧げられて、いよいよ「羽衣」を奉納上演させて頂きました。今回はプロジェクト・メンバーの寺井宏明さんは舞台監督、笛の実演はそのお弟子の寺田林太郎さん、そして何度も活動に協力してくださっている太鼓の大川典良さんが今年も参加してくださいました。サイレンの前にはご近所の女性の僧侶さんが、店舗の前に備えられたお地蔵様の前で法要をされることになっていましたので、「羽衣」も最後のトメ拍子のあとにお地蔵様に向けて合掌する型を入れることに致しました。







驚くべきは、この追悼行事に、およそ30名様ほどのお客様が参加していられたことです。すがとよ酒店様にはあらかじめプロジェクトのプロフィールやら「羽衣」の画像をお送りしていたのですが、コロナ禍の中積極的な宣伝は控えておられ、店内に控え目に小さな掲示をしておられた程度とのことだったのに。

舞いはじめた ぬえはお客さまが多いのを見てびっくり。こういう時は正面を1方向に定めず、右側のお客さんを正面に見たり、左側のお客さんを正面にとったり、こうして発災時刻の奉納上演無事に終了しました。