今年宗教改革500周年に当たる。(10月31日がその記念日)。10/29日、所属ワードの有志会員と少し復習してみた。
1)ルーテル
免罪符(贖宥状)販売に反対、法皇の無謬性も受け入れられず、1517年10/31、95箇条の論題を提示し、カトリック教会から破門された。それに対し、
*エラスムス(人文主義者)は「神の恩寵をもって人は自らの救済に多少とも協力し得る。神は人を尊重し、自らの協力者とする」という立場に立ち、ルーテルと対立した。
2)改革、各地に波及
スイス
フリトリヒ・ツィングリ・・ 合理主義的。聖餐のパンと葡萄酒は象徴と言った。戦死。
ジョン・カルヴァン・・神を絶対視、人の救い / 滅びは生前から決められている。(予定説)。
彼の流れは改革派と呼ばれ、長老制を取る。英、蘭、北米に広がった。俗世の職業における成功は救いの証拠と見た。M.ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で資本主義が興ったのは、カルヴィニズムに起因すると言っている。カルヴァン派の人たちは、合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見出そうとした。
英国
ジョン・ウィクリフ・・ラテン語訳しかなかった時代、最初にその英訳に着手した。
ウィリアム・ティンダル・・聖書の原語から英訳出版、欽定訳に大幅に引き継がれた。
ジョン・ノックス・・カルヴァンの流れを確立、ピルグリム、ピューリタンに継がれていく。
ボヘミア(チェコ)
ジャン・フス・・ウィクリフの思想を継承。破門され、火あぶりの刑を受けた。
末日聖徒は宗教改革が末日の回復運動の備えとなった、と受けとめている。そういった側面があると思うが、改革は常に進行していくものであろう。LDS教会の場合、中央集権の色合いが強まっていて、各地における定着の芽がつまれていないか、私は懸念する。また、潤沢な資金を誇示しているように見えること(近年の立派な礼拝堂、神殿建設など)にもこれでよいのかと思ってしまう。
明治・大正期のプロテスタント系キリスト教思想家内村鑑三が唱道,実践した信仰の立場とその運動。福音の理解は聖書そのものの正しい研究によってのみ得られるとし,また福音の本義は律法によるのではなく,キリストの恩恵と信仰のみによる救いにあるとした。日本固有の使命を認め,海外の教会からはもとより,あらゆる支援を退け,独立自主を主張,日本における既存教会の教会主義を批判,聖書的教会 (エクレシア) は認めながらも現状ではそのような教会はないとして無教会主義を唱えた。
これぐらいは日本近代の著名人として知っている方が多いでしょう。
本来であれば正統な米国系クリスチャンなのです。
理想郷とされた米国で差別され、格差を目の当たりにした
結局幻滅して帰国しました。クリスチャンでありながらもアンチキリスト教なのです。それで聖書によるイエスの再臨の預言だけを信じるという屈折した信仰です。
それでは内村鑑三はどのような影響を日本に与えたのでしょうか。そしてその影響は現代にも通じているのでしょうか。
はたして内村鑑三はキリスト教をどのように捉え、そして布教に務めたのでしょうか。
クリスチャンでもこのような問いに即答できる人は少ないでしょう。
私(副島隆彦)は安中教会の(同志社大学神学部ユニテリアン派直系の)江守秀夫牧師に、内村鑑三とはどういう人ですかと、唐突に聞いたら、「ああ、あの人はもう、人の言うことを聞かない人間です」と一言で斬り捨てた。この考えに、私自身は思わず「その通りです」と相槌を打った。
(中略)
明治偉人たちの多くは、アメリカの古都ボストンの「アメリカン・ボード)The American Boardという団体とつながっていた。アジア諸国にまでプロテスタント・キリスト教の布教活動(プロパガンダ)(宣教師の派遣、信者の育成)をするための団体だ。内村鑑三はまさしく新島襄の紹介でボストンに留学できたのだ。彼は本当に「協調性のない人」だった。私もない。だから内村の気持ちとカンシャク持ちの生き方がしみじみとよくわかる。
(フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした 副島隆彦+SNSI 成甲書房 2014年)
このように プロテスタント派にも内村鑑三の評価はとても低いというよりも、異端者として完全に無視しています。プロテスタントはおろかその一派のユニテリアン達からも唾棄されているのです。
内村鑑三の元には明治の代表的な文化人が集まっていた
ところが明治の代表的な作家達は門下生となって内村から直接影響を受けています。志賀直哉、有島武郎、正宗白鳥です。自他共に認める内村の門下生なのです。岩波書店の創立者である岩波茂雄も熱心に師に仕えていました。(ただほとんどの弟子はやがて離反していきます。)
それでは内村鑑三は何を説いていたのでしょう。
宗教としてのキリスト教を否定してキリストを信じる思想を熱弁していた
マルチンルターによってカトリックを否定して、プロテスタントという宗派が湧き起こったが、結局は信仰によって権力が生まれ、支配者が生まれる同じ構図に異議を唱えたのです。
権力の集中システムとしての宗教を真っ向から否定した唯一のクリスチャン
これが内村鑑三の実像です。聖書を研究することによって辿り着いた結論は、「イエスが再臨することだけを信じること」だけなのです。それ以外の行為はキリストの教えからは外れているということ。
内村鑑三は旧約/新訳の聖書研究を通して、イエスが生前にまで教えていた教義と、イエス死後の教義が変貌していることに気がついていたのです。信者を獲得して権力を握るための巨大宗教システムは弟子のペテロが構築したのです。
イエスの布教は弱者救済のための、田舎の一説法にすぎませんでした。またイエスも世界的な影響(権力)を握るために伝道していたわけではないでしょう。ペテロは師匠が築いたローカルな宗教を、イエスの神格化によって巨大権力へと変貌させたのです。
北朝鮮の金日成と同じですね。
内村鑑三は当時、神格化された天皇制も同様に批判的にみています。
だからこそ、教会や牧師などはいらない!自発的な考えをもって行動せよ!
と声を上げていたのです。その信念(思想)の裏付けにはイエス・キリストという人物とその教えを参考にしろと内村鑑三は訴えていたのです。決して、町の教会で牧師から教えてもらうものではなく、イエスの遺した聖書のみを拠り所にしろと内村は主張しているのです。
天帝(デウス)の下では皆平等であり、聖書のみが人生の指針として頼れるものだと内村鑑三は主張しました。
だから牧師とか教会ではなく、布教は伝道者(講話者)との対話のみ。だから布教者の階級や教会や講堂といった設備も反対したのです。ですから同志社大学をプロテスタントの布教拠点とする新島襄と八重とも反目していきます。
内村鑑三は聴衆者がそれぞれ覚醒して、また講話者となれば、やがて全日本人らはもっとも先進的な思想を身につけるだろうという希望を持っていました。教会での礼拝などなくても、 国民の1人1人が哲学としてのキリスト教を受け入れれば無敵な民族となる
そのように考えていたのです。キリスト教の教えは儒教の教えと重なる点が多いことを内村鑑三も見抜いていたのです。
さらに進めて人民幸福のため、平等の精神として聖書を拠り所にして訴えていたのです。すべては旧来の儒教的思考に凝り固まっていた日本人がイエスの聖書を起爆剤として覚醒して欲しいという思いだったはずです。
”
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry140912-042131
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日本における社会主義・共産主義はキリスト教によってもたらされたものである。片山潜、山川均、荒畑寒村、大杉栄、西川光二郎、片山哲、河野密ら枚挙にいとまなしである。次に、フリーメイソンの流れをくんだキリスト教の第三次対日朝鮮のエージェントに、内村鑑三門下の柏会の南原繁、矢内原忠雄、東大キリスト教青年会の吉野作造、鈴木文治、森戸辰男、赤松勝麿、小山東助らがいた。終戦時、皇室解体の工作員であった東宮職参与の小泉信三もまたその類であった。小泉信三ごときは、影でコミュンテルンの野坂参三らを密かに養成し、プロテスタントの牧師賀川豊彦や小崎道雄らと謀って、皇室にキリスト教勢力を送り込んだ。わが国の壊滅を策した元凶である。
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http://www.kanekashi.com/blog/2016/02/4702.html
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%86%85%E6%9D%91%E9%91%91%E4%B8%89%20%20%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
http://www.cumorah.com/index.php?target=countries
resource は、 statiscal profile
countires は、japan
こういった比較的わかりやすい統計のサイトも個人のサイトですかね・・・
悪魔の参謀
こうしてカトリック教会は良くなったのですね
こちらでした