小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



散策の途中に石仏や石塔を見つけては写真に撮っている。色々ある石塔の中には、海難事故や交通事故などの供養を目的に建てられたものがあり、後日、図書館で調べてみるとその事故の詳細や経緯が分かり興味深く感じることが多い。小田原市浜町のお寺にある海難供養の石塔もそのひとつだ。小田原市浜町、国道1号線沿い山王橋交差点近くの宗福寺。境内の一画には寛文年間以降の石仏や石塔が多数置かれている。宗福寺に入りすぐ左側の門扉のある場所に何基かの海難漁師の供養塔が建てられている。並んだ石塔の右端。常夜灯に挟まれて1基の石塔が静かに佇んでいた。陽に焼けた石塔の上に苔むしたお地蔵さんが乗っている。お地蔵さんの下の石塔部分には「供養地蔵 昭和元年十二月八日 籠屋丸五号乗組員十四名」とだけ刻まれている。事故の経緯や状況は刻まれていなかったが、恐らく海難事故で亡くなった14名の乗組員の供養塔であるらしい。後日、図書館に出かけ石塔に刻まれていた籠屋丸の船名を手がかりに資料を調べたところ、短い記述であったが事故の概要を知ることが出来た。資料によると籠屋丸は近隣の杉山家が船主で、一号から三号の籠屋丸が造船されたあと、4隻目の船として大正15年に造船された遠洋漁業船。4隻目の造船であったが4という数字が不吉だったためか五号と命名されたようだ。まぐろ漁を目的に作られた籠屋丸五号は当時としては大きな漁船で、大正15年12月9日に初漁に出港。しかしその後帰港することなく初航海で遭難という悲劇的な結末となった。遭難日は定かではないので出港日を命日として供養が続けられていたようだ。この籠屋丸五号の記録は昭和時代に火災で焼失し、詳細な資料は失われてしまったとのこと。

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