友人が畑で獲れた西瓜を届けてくれた。遠いところから。大きな、見事な西瓜である。会うのは半年ぶり。彼の方がやや年長である。昨年は暮れに黒豆を頂いた。上がってもらって、しばらく話をした。お互い無事に過ごしていることを喜び合った。退職後は、農作業に勤しんでおられるようだ。日に焼けておられた。彼も長居をするタイプではない。遠慮がちなタイプだ。ものの20分ほどで帰って行かれた。温泉にお誘いしようかなともおもったが、自宅で過ごすのが最適であるというスローガンのようなものを掲げておられるのて、それは言わずにおいた。お互い健康に気を付けてすごしましょうねと言い合って別れた。西瓜は仏壇にお供えしている。冷蔵庫にはそのままでは入れない。明日あたり半分のそのまた半分に切って、冷やしてたべることにしようと思う。いつもながら、優しい心遣いに感謝である。
晴れ渡り晴れ渡る空 風呂敷の己に包み秋の野を行く 山鳩暮風
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「風呂敷の己」とは「風呂敷のようにふわりと広がっている己のこころ」のことである。大空が晴れ渡っている。爽やかに晴れ渡っている空を引き寄せて風呂敷に包む。風呂敷だから包み込んだら四方を寄せて結ぶ。そして秋の野を行くのである。すると己も空のようになって爽やかになり、軽くなる。風呂敷に包み込むという作業が、歌を作る人の作業である。