東北平泉の旅からもう二週間もたとうとしています。
帰ってきてまもなくの叔母との別れがありましたので、
ゆっくりと旅を振り返ることもなくきていますし、
なんだか遠く霞んでしまったような気さえしてきています。
でも、東北のさくら前線がこのゴールデンウイークに到達して、
満開の桜が東北への旅を誘っているとテレビで報道されているのを
観ながら、旅を思い返しています。
青森、花巻、秋田、福島、松島など東北は訪れてきましたが、
なぜか平泉には行っていませんでした。
世界遺産になる前から<今度の東北の旅は平泉>と決めていました。
そして<世界遺産>に登録されてからはいろいろな形で
詳しく知ることで事前知識も得られて旅心も高まっての今回でした。
毛越寺門前の桜はまだ蕾も固い頃でした。
<浄土思想>に根ざしたあまりにも広大な庭園や
曲水の宴が催うされていた緩やかな流れに古の人びとに
思いを馳せながらこの東北の地に開かれた意味を考えたものでした。
表参道月見坂をだらだらと上がったところに中尊寺は建っていた。
中尊寺から少し上がったところのうっそうとした木々に囲まれて
金色堂は覆屋に守られていた。 もちろん撮影禁止なので、
覆屋
桜前線を追いかけたつもりの旅の予定が、先に越えて行ったために
車窓の景色からいつの間にか桜は見当たらなくなり、
<まだまだだよ>と地元の方に言われて読みの浅さを感じたけど、
観光客、花見客で混雑するような時期でなく、ゆったりと
建築、美術、工芸の粋が凝縮された800年の歴史と文化の
重みを実際に感じながらの旅は貴重なものとして心に残りました。
住まいからほど近い鎌倉は頼朝ゆかりの地、兄頼朝に追われ、
平泉に逃げ落ちる義経、それを出迎える秀衝やその後の
戦の歴史のなかで幕を下ろした佛都平泉を考えるとき、
世界遺産に登録された平泉、登録申請している鎌倉への
歴史的興味はつきなくなりそうです。
ふと台風で倒れた公孫樹の新芽が気になってきました。
近いうちに確かめに行ってこようと思います。
帰ってきてまもなくの叔母との別れがありましたので、
ゆっくりと旅を振り返ることもなくきていますし、
なんだか遠く霞んでしまったような気さえしてきています。
でも、東北のさくら前線がこのゴールデンウイークに到達して、
満開の桜が東北への旅を誘っているとテレビで報道されているのを
観ながら、旅を思い返しています。
青森、花巻、秋田、福島、松島など東北は訪れてきましたが、
なぜか平泉には行っていませんでした。
世界遺産になる前から<今度の東北の旅は平泉>と決めていました。
そして<世界遺産>に登録されてからはいろいろな形で
詳しく知ることで事前知識も得られて旅心も高まっての今回でした。
毛越寺門前の桜はまだ蕾も固い頃でした。
<浄土思想>に根ざしたあまりにも広大な庭園や
曲水の宴が催うされていた緩やかな流れに古の人びとに
思いを馳せながらこの東北の地に開かれた意味を考えたものでした。
表参道月見坂をだらだらと上がったところに中尊寺は建っていた。
中尊寺から少し上がったところのうっそうとした木々に囲まれて
金色堂は覆屋に守られていた。 もちろん撮影禁止なので、
覆屋
桜前線を追いかけたつもりの旅の予定が、先に越えて行ったために
車窓の景色からいつの間にか桜は見当たらなくなり、
<まだまだだよ>と地元の方に言われて読みの浅さを感じたけど、
観光客、花見客で混雑するような時期でなく、ゆったりと
建築、美術、工芸の粋が凝縮された800年の歴史と文化の
重みを実際に感じながらの旅は貴重なものとして心に残りました。
住まいからほど近い鎌倉は頼朝ゆかりの地、兄頼朝に追われ、
平泉に逃げ落ちる義経、それを出迎える秀衝やその後の
戦の歴史のなかで幕を下ろした佛都平泉を考えるとき、
世界遺産に登録された平泉、登録申請している鎌倉への
歴史的興味はつきなくなりそうです。
ふと台風で倒れた公孫樹の新芽が気になってきました。
近いうちに確かめに行ってこようと思います。
毛越寺庭園、金色堂、時代に翻弄された義経と
静御前のテレビシーンを思い出しています。
静寂さの中にも戦国時代の物語りも時の流れを
感じさせる場所ですよね。
意外でしょうけど、歴史が好きなんですよ(照)
もう2週間経ちますね、
桜前線を追い越されたとは
残念といいますか、
混雑を避け、どちらにいらしても
ゆっくり楽しまれましたね。
その後お忙しくしてらして、
お疲れはないですか?
娘が中学生の時福島の知人宅から
車2台で向かいました、
娘も私も車に酔ってしまい
あまり記憶にありません
世界遺産になるならもっとしっかり、
見ておけばよかったです、
そのうち行ってみたいと思います。
bonji
そのことに疑問を感じて、平安の世界を
作りたい!!と考える人がいたことに
救いを感じていました。
金色堂では囲まれた中に佇む姿は
正面からの見学でしたが、
すべての角度からを映像にし、
今昔を語っている今の優れた映像に
感動してから出かけていましたので、
中で流されている説明よりも時代を
想像しながら過ごすことができました。
やはり花を愛でながらが加わったら
また違った世界観を感じたかも、です。
私は今にして思えばどうして?と
思えるほど通り過ぎていました。
でも、もっと早くに!とはの感はなく、
今だから感じる時代の栄枯盛衰に
浸ってきました。
改めて鎌倉と平泉の関係などに
興味が湧いてきています。
またいつの日が訪れてみたいと
思う風情の場所でした。