11月24日
天台宗清涼山 明王寺(滋賀県甲賀市)
畑へ玉ねぎを植え付けるため、ホームセンターに肥料の牛糞を買いにいったついでに、滋賀県甲賀市の明王寺を訪れました。
昭和40年にこの寺で徳川4代将軍(家康、秀忠、家光、家綱)の名(戒名)が刻まれた位牌が見つかり、家康の伊賀越え(神君伊賀越え)にゆかりのある場所ではないかと云われてます。
昨年はNHK大河ドラマ『どうする家康』に因んで、地元に残る家康の痕跡をテーマに関連史跡を巡った時にこの明王寺も訪れました。
秋明菊(シュウメイギク)
延暦年間(782-806年)に伝教大師最澄が比叡山延暦寺諸堂建設のための用材を求めにこの地に入り、里人が悪病に苦しんでいることに心を痛め、一刀三礼のもとに五大明王を刻まれてこれを安置すると里人の病が平癒したと云われています。後に堂宇を建てて、五大明王を祀ったことが明王寺の始まりと伝えられています。
明王寺本尊の五大明王
中央が不動明王で、その左右に大威徳明王、金剛夜叉明王、軍荼利明王、降三世明王が配置されています。
河原撫子(カワラナデシコ)
前日の百済寺に続いて、ここでも本堂横の鐘を撞く妻 ww
時無し之鐘と書かれてますが、どういう意味なんでしょう
この明王寺を訪れた理由は次回のブログで紹介します(謎)
つづく
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